プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渡辺孝博

2018-03-13 21:50:16 | 日記
1968年

大洋の宮崎剛スカウト部長は、ドラフト会議で指名した東海大・渡辺孝博投手(22)=身長1㍍75、68㌔、右投げ右打ち=の交渉を断念することを明らかにした。十八日午前、入谷正典スカウトが東京都立川市の渡辺投手宅をたずねて初交渉を行なったところ、渡辺投手は「体力的にプロでやる自信がないし、すでに就職も日立製作所に決まっているので・・・」と、大洋入りの意思がまったくないため、宮崎スカウト部長は、森代表と相談、獲得を断念したもの。しかし大洋では交渉権は放棄しない。
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山本寛・浜口政信

2018-03-13 21:30:27 | 日記
1965年

産経は二十五日正午から東京・有楽町の球団事務所で愛知(あいち)高・山本寛投手(18)=1㍍78、70㌔、左投左打=と鶴見ヶ丘高・浜口政信投手(18)=1㍍75、72㌔、右投右打=の入団を発表した。山本は今夏の甲子園大会愛知予選では準決勝で東邦高の北角投手と投げ合い延長十三回で敗れたが、愛知地区では指折りの速球投手。二年生のときには連続6三振をとったこともある。浜口も今夏の大会予選で中津南高戦に22奪三振をマーク、準決勝まで進んだ。

浜口投手「ストレートには自信があるので村山さん(阪神)のような投手になりたい。まだ目標もないが、一生懸命努力します」

山本投手「ぼくの一年先輩に金田投手(巨人)の弟の留広さんがいたので、ずっと金田さんにあこがれていた。金田さんのような投手になることがぼくの目標です」
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辻原幸雄

2018-03-13 21:21:10 | 日記
1967年

西鉄が交渉権を得ていた鹿児島川内高・辻原幸雄投手(18)=1㍍76、69㌔、右投右打=の入団が二十九日内定した。交渉に当たっていた直良スカウトが二十九日午後、川内市御陵町の辻原宅をたずね、父親静雄さん(58)=無職=と本人と話し合い条件面(契約金六百万円、年棒百万円=推定)でまとまり西鉄入団が内定したもの。辻原は九州地区で速球投手としてならし、西鉄が早くから目をつけていた。正式契約は十二月中旬になる予定。

藤本球団部長 「きょう川内市の辻原君の自宅をたずね直良スカウトから入団が内定したという報告があった。辻原君はいい投手なのでこれで一安心した」
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田端謙二郎

2018-03-13 20:26:30 | 日記
1965年

近鉄は二十五日午後三時から、大阪・東区森の宮の球団事務所で第一次選択で交渉権を獲得していたノンプロ電電九州・田端謙二郎投手(19)=1㍍78、75㌔、右投右打=の入団を発表した。背番号は22。発表には永江代表、瓜生スカウトが立ち会った。鈴木投手(育英高)についで正式発表は二人目だが、飯田内野手(横浜高)松原外野手(米子工)の契約も終っており、近鉄の新人補強は渡米中の岩本監督が交渉する外人選手以外は全部終わった。若手投手陣の伸び悩みから今シーズン、セ、パ十二球団最低の防御率(3.61)にあまんじた近鉄は、いち早く投手陣の立て直しを検討した結果、若くてすぐ戦力になる田端に白羽の矢をたて、リストのトップにあげた。田端は最初からプロでプレーする意思を持っていたが、電電九州・目原野球部長は「来季全国制覇するためにも、エースの田端は手放せない」と強力にプロ入りを引きとめ、父親勘助氏(65)=農業=の代理長兄安之氏(37)も「謙二郎は農家の出身だし、性格的にもプロに向かない」と関係者はそろってプロ入りには乗り気でなかった。しかし広島と争って交渉権を獲得した近鉄は、鎮西学園時代から田端に目をつけていた瓜生スカウトが、何度も熊本県下益城郡豊野村に出向き家族を訪問。これと並行して本人も「近鉄には君が必要なんだ」と説得、結局関係者は瓜生スカウトの熱意に心を動かし、本人の意思を尊重して近鉄入りになった。田端は上手投げからの重い速球とシュートを武器とし、今夏の都市対抗の大分鉄道、秋の産業対抗では電電東京の補強選手となり、夏にはサッポロビールに完封勝ち、全鐘紡にも完投勝ちし、秋には日本カーバイドを完封するなど後楽園で活躍した。契約金は一千万円、参か報酬は百八十万円(推定)といずれも最高額だ。

永江代表「二十四日の左腕の鈴木君につづいて右の田端君と相ついで大物の入団発表ができ非常にうれしい。田端君は来シーズンの即戦力として投手陣の一角をになうよう大いに期待している」
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岩崎清隆

2018-03-13 19:18:19 | 日記
1969年

東映がドラフト四位に指名した博多工高・岩崎清隆投手(18)(1㍍78、74㌔、右投げ、右打ち)の入団が十六日、内定した。瓜生スカウトが同日午後、福岡市原の同選手の自宅を訪れ、両親を交えて話し合った結果、内諾を得たもの。
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牧憲二郎

2018-03-13 18:56:58 | 日記
1965年

宮崎県高鍋高・牧憲二郎投手(18)=1㍍78、76㌔、右投右打=は南海入りが確実となった。交渉権を獲得した南海・石川スカウトは二十二日、延岡市安賀多町で父親淳氏=時計店経営=と、二十四日は児湯郡高鍋町で同校野球部後援会長、増田亘氏とそれぞれ会って、入団交渉を行ない確約を得たもようだ。同スカウトは二十四日午後、契約金など細部の打ち合わせのため大阪に帰った。

選択会議で南海に交渉権が決まったとき、牧は「先輩の清さんのいる西鉄ならいきたいと思うが、なにも知らない南海にいくのは・・・」としぶっていた。そのころは、勧誘のあった倉敷レイヨンか、また進学なら早大か明大と、プロ入りの意思のないことをほのめかしていた。父親淳氏はかねてから平原前野球部長に「むすこのいっさいをまかせる」といっていたが、平原氏が胸部疾患で入院したため、増田後援会長に牧の将来を一任した。増田氏は三十八年、清が西鉄に入団したとき、親がわりになって直接交渉にあたった人。その増田氏も初めは「牧にはまだプロ野球でやれるようなきびしさが足りない」とプロ入りをすすめていなかった。だが牧も増田後援会長も、ともに約半月間つづいた南海のゴタゴタにかなり動揺していたらしく、鶴岡監督が復帰してから徐々に心境が変わってきていた。最近、増田氏は「本人は野球で身を立てたいといい出してきたし、どうせ将来プロ入りするなら、まわり道をせず直接プロの世界でもまれるのもよかろう、と考えるようになった」と心境の変化を語っていた。二十一日から宮崎で行なわれた第三十七回九州野球大会にきていた石川スカウトが、牧の関係者に会ったのはちょうどそういう心境の変化があったころ。石川スカウトは「宮崎にきたついでにあいさつかたがた寄っただけ」と多くを語らないが、かなり突っ込んだ意見の交換があったようだ。石川スカウトとあったあと、増田氏は父親淳氏と会談し、このとき「鶴岡さんがもどられた南海なら安心してあずけられる」という結論が出た。牧も「ぜんぶ、増田さんに一任しています」といっており、南海入りは間違いない。

増田後援会長「三年間、牧君と生活をともにしてきているので、性格などは十分知っているつもりだ。まだまだ考え方があまいところもあるが、本人はやはり野球をつづけていきたいようだ。父親や学校関係者ともよく相談して、間違いのないよう連絡を決めてやりたい」

父親・淳氏「いっさい増田さんにお願いしてある」
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林千代作

2018-03-13 18:42:09 | 日記
1965年

この日、林は三時すこし前、鎌倉駅前の喫茶店でニュースを聞いたが「中日でも産経でもなかったんですね」と念をおしてから、左手をオールバックの頭にあてニッコリ笑った。「ノンプロ日軽金に内定していましたが、どうしてもプロでためしてみたいという気持ちが強く、在京球団にクジが当たるように祈っていました。一時は福岡、広島以外ならどこでもいいと思ったこともありました。それがぼくの一番あこがれていた巨人に交渉権をもたれたわけですね。こんなうれしいことはありません」笑った横顔は金田そっくりだ。横浜市南区伏見町の自宅へ帰ったのは午後四時すぎ。母親のふみ子さん(62)はこの朝箱根へ旅行へ出て留守だったが二男光一さん(29)三男文義さん(23)の二人の兄に学生服をぬぐ前に報告。二人の兄さんも大の巨人ファンだそうだ。「私は最初進学をすすめたが、本人の意思を尊重してやるのが一番いいと思って、いまではプロ入りに賛成している。しかしプロ、とくに巨人にはいい選手がたくさんいるので、よほどがんばらないとみじめなめにあう。一応母と七人きょうだいを集めて近日中に家族会議を開いてからプロにはいるかどうかをきめてやりたい」光一さんは末っ子の林にやさしい心づかいをみせていた。林の相談にのっている鎌倉学園の福沢野球部長は「巨人だったら」とプロ入りに両手をあげて賛成している。
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溜池敏隆

2018-03-13 00:58:11 | 日記
1968年

サンケイアトムズが交渉権を獲得していた日本熱学・溜池敏隆内野手(24)=身長1㍍78、体重76㌔、右投げ右打ち=のサンケイ入団が二十日決まった。サンケイアトムズの小山恒希知スカウトは、この日正午大阪市北区の喫茶店「エーワン」で溜池選手と話し合ったあと、同日午後四時二十分、大阪府貝塚市の寺田紡績応接室(父親文吉さんの勤務先)で文吉さん(56)をまじえて話し合い、「サンケイ入団」の快諾を得た。溜池選手はきょう二十一日、勤務先の日本熱学を円満退社し、二十六日に上京、入団手つづきを行なう。サンケイがドラフトで交渉権を得た新人では入団決定の第1号。

小山スカウトの交渉はこの日が三度目。溜池選手はじめ、父親文吉さん、母親イセノさん(56)がサンケイ入りについては最初から好意的だった。話し合いはスムーズに運び、条件面での調整だけが残っていた。小山スカウトは、文吉さんとの話し合いで球団の最終条件を提示、約一時間の交渉でまとまり、同選手から「よろしくお願いします」と入団の確答を得た。交渉に当たった小山スカウトはホッとした表情。「終始好意的に接してもらったので、話し合いはまったくスムーズに運んだ。溜池君はからだつきも理想的で、ここ一、二年でグッと成長している。素質のよい内野手だから貴重な新戦力になってくれると思う」と語り、文吉さんは「サンケイの誠意ある交渉に感謝しています。本人の気持ちを尊重して東京へ送り出したい。やるからにはがんばってほしいと、いまからハッパをかけている」とニコニコ。家族ぐるみのあたたかい声援を受けてのプロ入りだけに、溜池選手はいかにもしあわせそう。「ユメがかなってうれしい。プロの世界はきびしいと聞いているが、十年間はがんばるつもりでやる。学生時代同期だった槌田(巨人)に負けないようレギュラーの座を目標にやりますヨ」と早くも大変な意気込み。同選手は契約手続きを完了しだいアトムズの秋季練習に参加する。
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