プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

岡村佳典

2018-03-27 21:49:52 | 日記
1966年

西鉄ライオンズは第一次選択で交渉権を得た島根県浜田高の岡村佳典投手(18)=1㍍80、70㌔、右投右打=と入団交渉を続けていたが、このほど両者の間で金銭面の折りあいがつき、同投手の西鉄入りがきまった。正式契約は近日中に行なわれる予定。西鉄はこれまで二回にわたり川崎球団常務、直良スカウトを浜田市へ派遣、同投手の実家、学校関係者を説得して回り、進学意思(亜細亜大)をひるがえさせるところまでこぎつけていたが、肝心の条件面で両者の間にかなりの食い違いがあり、これが一度はプロ入りに傾きながらも、岡村側の態度を保留させていた。岡村側は第一次選択選手を理由に最高額の契約金一千万円を要求していたが、これを直良スカウトが球団に持ち帰り幹部と検討、新しく契約金七百万円、年棒百二十万円(推定)の線を出し、十日から同スカウトが三たび、岡村家を訪れて説得を続けた結果、交渉がまとまったもの。同投手は重い速球を武器にする山陰高校球界きっての本格派、さきの新人選択会議では西鉄はじめ、巨人、広島など六球団がリストアップしていた。
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乗替寿好

2018-03-27 21:28:33 | 日記
1968年

若狭高野球部の乗替寿好投手(18)は、二十日夜、西鉄ライオンズ球団との入団交渉で契約に調印、プロ野球入りが決定した。ドラフト会議で西鉄ライオンズは、乗替投手を二番目に指名。同球団の城島正人スカウトが、二十一日夜に来浜、父親の仙吉さん(51)おじの浦谷岩蔵さん(63)若狭高野球部監督の領家亮一氏(34)らと交渉を重ねて来たもの。乗替投手は左投げ、左打ち、身長百七十四㌢、体重七十二㌔。夏の甲子園大会に二度出場。福井国体高校野球で優勝した。すでにノンプロの三菱重工に就職が内定していたが、西鉄球団のリストアップで、まず乗替投手自身がプロ入りを希望。三菱重工と円満に話し合いをつけるため、城島スカウトには即答を避けたものの、父親の仙吉さんらが、京都まで出向いて三菱重工の了解を求めたうえ、契約条件を改めて話し合い、三日間の交渉で西鉄球団入りが実現した。契約金などの諸条件は、西鉄側が提示したものを、乗替選手側が全面的に受諾、同投手は二十日付けで、若狭高野球部に退部届けを提出した。城島スカウトは「期待している選手なので、学校の了解さえ得られれば、今月中にでも平和台球場での、秋季練習に参加してもらう」と話していた。

乗替投手の話 あこがれていたプロ野球にはいることが出来た。うれしさが胸いっぱいにこみ上げてくるようだ。この感激を忘れず稲尾投手や池永投手のような大先輩について、一生懸命に練習し、負けないようがんばりたい。
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浜納一志

2018-03-27 21:09:51 | 日記
1971年

広島の藤井、横溝両スカウトは十九日、ドラフト八位指名の鳥取西高・浜納一志内野手(18)(1㍍75、60㌔、右投げ右打ち)を鳥取県岩美郡岩美町の実家にたずね交渉、広島入りが決定。
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千藤三樹夫

2018-03-27 07:06:52 | 日記
1971年

東映・瓜生スカウトは七位指名の拓殖銀行・千藤三樹夫外野手を愛知県海部郡七宝町桂の実家にたずね、入団交渉を行なった。千藤側の代理人になっている早大・石井監督がこの日出席しなかったため、条件面の話し合いにまで進展しなかった。
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