1966年
西鉄ライオンズは第一次選択で交渉権を得た島根県浜田高の岡村佳典投手(18)=1㍍80、70㌔、右投右打=と入団交渉を続けていたが、このほど両者の間で金銭面の折りあいがつき、同投手の西鉄入りがきまった。正式契約は近日中に行なわれる予定。西鉄はこれまで二回にわたり川崎球団常務、直良スカウトを浜田市へ派遣、同投手の実家、学校関係者を説得して回り、進学意思(亜細亜大)をひるがえさせるところまでこぎつけていたが、肝心の条件面で両者の間にかなりの食い違いがあり、これが一度はプロ入りに傾きながらも、岡村側の態度を保留させていた。岡村側は第一次選択選手を理由に最高額の契約金一千万円を要求していたが、これを直良スカウトが球団に持ち帰り幹部と検討、新しく契約金七百万円、年棒百二十万円(推定)の線を出し、十日から同スカウトが三たび、岡村家を訪れて説得を続けた結果、交渉がまとまったもの。同投手は重い速球を武器にする山陰高校球界きっての本格派、さきの新人選択会議では西鉄はじめ、巨人、広島など六球団がリストアップしていた。
西鉄ライオンズは第一次選択で交渉権を得た島根県浜田高の岡村佳典投手(18)=1㍍80、70㌔、右投右打=と入団交渉を続けていたが、このほど両者の間で金銭面の折りあいがつき、同投手の西鉄入りがきまった。正式契約は近日中に行なわれる予定。西鉄はこれまで二回にわたり川崎球団常務、直良スカウトを浜田市へ派遣、同投手の実家、学校関係者を説得して回り、進学意思(亜細亜大)をひるがえさせるところまでこぎつけていたが、肝心の条件面で両者の間にかなりの食い違いがあり、これが一度はプロ入りに傾きながらも、岡村側の態度を保留させていた。岡村側は第一次選択選手を理由に最高額の契約金一千万円を要求していたが、これを直良スカウトが球団に持ち帰り幹部と検討、新しく契約金七百万円、年棒百二十万円(推定)の線を出し、十日から同スカウトが三たび、岡村家を訪れて説得を続けた結果、交渉がまとまったもの。同投手は重い速球を武器にする山陰高校球界きっての本格派、さきの新人選択会議では西鉄はじめ、巨人、広島など六球団がリストアップしていた。