プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

市橋秀彦

2018-03-18 22:54:30 | 日記
1970年

近鉄バファローズがことしのドラフト会議で一位に指名した九州工高、市橋秀彦投手(17)の近鉄入りが十五日に決まった。市橋投手の入団交渉は、十三日から同球団の中島正明スカウトが飯塚入りして九州工高の岸上平一郎野球部監督らを介し、進めていたが、この日市橋投手の自宅=飯塚市西徳前=で本人、父親の正勝さん(47)=石炭販売業、母親、小枝さん(39)をまじえて約一時間話し合った結果、決まったもの。中島スカウトは、あらためて二十五日ごろ再度、同投手と両親、九州工の岸上監督らをまじえて具体的な条件など話し合うことにして引き揚げたが、さすがにホッとした表情。一方、同スカウトの熱意に動かされてプロ入りを決めた市橋投手は、ひさしぶりにえがおをみせ「大学進学しか考えていなかったので、正直いって悩みました。でも、きょうははっきりと近鉄入りを決め、スカッとしました」とニッコリ。父親の正勝さんも「ドラフト一位に指名されただけでも喜ばなければならないことで、こんなうれしいことはない。むすこがどこまでみなさんの期待通りにプレーできるかどうか、それがこれからの楽しみでもあり、心配でもあります」と話していた。市橋投手は身長1㍍80、体重78㌔、右投げの本格派投手。近鉄がドラフト一位に指名するだけあって、コーナーいっぱいにきまる重いスピードボールが身上。ことし夏の甲子園大会で、大分商との対戦にみせた素質に近鉄がとびついた。また、同投手はドラフト会議直前まで大学進学一本ヤリで、明大か中大をめざしていた。
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高岡英司

2018-03-18 22:22:52 | 日記
元中日の高岡英司投手を知ってますか?

1965年

中日ドラゴンズは、十五日正午すぎ球団事務所で、さきの新人選択会議で交渉権を獲得し、入団が決まっていたノンプロ富士製鉄広畑のエース高岡英司投手(26)=身長1㍍72、体重66㌔、左投げ左打ち、福岡県東筑高校出身=と正式契約、大沢常務からそのむね発表された。中日の新人選手では入団発表第一号である。同投手は、三十三年東筑高を卒業と同時にノンプロ日鉄嘉穂にはいり、同野球部が解散になったため、三十五年富士製鉄広畑に移った。広畑では六年間主戦投手として活躍、昨秋の産別大会と今夏の都市対抗でそれぞれ優秀選手に選ばれている。ノンプロ球界では指折りの左腕投手で、武器は速球。家族はみつ子夫人、長男慎司ちゃん(一つ)のふたり。

中日に入団した高岡英司投手は、ことし夏の都市対抗で松下電器の補強選手として出場。優勝候補の大昭和に9イニング投げ3-2で勝ち、立正佼成会には7イニング投げ8-2で快勝、準々決勝に進み八幡製鉄に0-1で負けたがこのゲームも完投(8イニング)した。計24イニング投げて自責点1のりっぱな成績である。松下電器の主戦投手として活躍、左投手だけにプロからマークされていた。ノンプロ生活に終止符をうってプロにとびこんだ高岡投手と一問一答・・・。

ー中日にはいったわけだが。
高岡 なによりもはやくプロの水になれるよう努力したい。そのためにもキャンプに間に合うよう、いまからトレーニングにはげみ、からだづくりに全力をそそぐつもりだ。
ーノンプロとプロでは大分差があると思うが。
高岡 早くからプロのスピード感になれたいと思う。
ー目標は?
高岡 何勝?なんてわかりません。要は試合にだしてもらうようがんばることだ。まずチームの近藤さんを目標にしてスピード、コントロール、試合のかけ引きをおぼえたい。
ー上背がないようだが。
高岡 大洋の稲川、広島の池田、竜と体格はあまりちがわないと思う。彼らだってプロでじゅうぶんやっていけるのだから、自分もやれる自信はある。
ー得意のタマは。
高岡 シュートといっておきましょう。プロで通用するかどうか。ノンプロでは大体、シュートできりぬけてきたから・・・。
ー左投手だけに期待されているが。
高岡 高校、ノンプロと十一年間投手生活を送ったが、一度自分の力をプロでためしたいと思っていた。さいわい中日にお世話になることができて、こんなうれしいことはない。ぜひともベストを尽くして悔いのないプロ生活をおくろうと思っている。年齢的にみても何年もはたらけるわけではないのだから、一日一日死にもの狂いでやる決心でいる。
ー中日には知り合いが多いようだが・・・。
高岡 キャッチャーの高木時さん(当時富士鉄釜石)とは、全富士鉄のときバッテリーを組んだことがある。それに江藤さん、柿本さん、権藤さんらノンプロのときから知っているので、中日にはいって非常に心強いと思っている。

中日の左腕投手で、今シーズン一軍のベンチにはいっていたのは近藤、中山、西尾の三人。しかし勝ち星をあげたのは4勝8敗の近藤ただひとりで中山、西尾両ベテランには球力の衰えがめだった。中山は二軍コーチ補佐として第一線を退き、西尾は自由契約。そこで来シーズンは若手組の台頭が急務ということになり、近藤ピッチング・コーチは松本(養成選手)と牧田の成長に期待をかけ、さきの秋季練習では重点指導した。「松本は、あと経験とかけ引きだけ。球威は一軍でも通用する。牧田も使えるメドがついた」と同コーチは明るい表情。とはいえ、巨人、大洋の左打線に対抗する左投手としてはやや非力の感じだ。そういう意味で、新人とはいえ高岡は来シーズンの中日左投手陣のひとつのカギをにぎる存在ともいえるだろう。ノンプロで八年間活躍した実績をもつ高岡を、同コーチは「場数と度胸では心配ない。あとはプロの経験と決めダマを身につけることだ。キャンプでスピード、コントロールなどをみたうえで、高岡に合った決めダマをおぼえさせたい」と、かなり高く評価していた。現在投げているのは速球のほかにカーブ、シュートの三種類。「フォークボール、シンカー、スライダーなど、変化球をマスターしたら、近藤ぐらいはやれるのではないか」とみているわけだ。また同コーチは、来シーズンの使い方について「先発か、リリーフかは、適性をじっくりみたうえで決める。いずれにしても、ベンチには左を三人いれるつもりだ」といっている。いま一軍候補の左腕は近藤、高岡、松本、牧田の四人。近藤は今シーズンまでの実績からいって、ベンチ入りは確実である。あと三人での競争になるが、同コーチは「左投手しだいでは、優勝を争えるスタッフになる」と強気だ。
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真鍋安政

2018-03-18 21:37:51 | 日記
1967年

巨人は第一回の新人選手選択会議で交渉権をとった宇部鴻城高の真鍋安政遊撃手(17)の獲得に成功、二十九日午後三時、東京、銀座西の球団本部で正力オーナーが立ちあい、正式に発表する。巨人にとって真鍋選手の獲得は、来シーズンの新人補強第一弾である。1㍍77、67㌔の真鍋のからだは、内野手としてはけっして大きいほうではない。だが、先天的なからだの柔らかさと俊足、強肩は抜群、持ち前のシュアなバッティングとともに、宇部鴻城という野球の無名校にありながら中国地方一の内野手として騒がれた。この真鍋には西鉄、広島も注目してたが、もっともその技量と将来性を高く評価したのが巨人の中国地区担当の木戸美摸スカウト。第一回選択会議の第二次選択選手として交渉権を手中におさめた。その後、木戸スカウトは国鉄宇部駅前で旅館を経営する真鍋の実家に再三にわたって足をはこび、二十七日よる真鍋の父親繁雄さん(50)立ち会いのもとに入団契約を終えた。なお、真鍋は入団発表に出るため、二十九日午前中、単身上京する。

真鍋の父親繁雄さんの話 「昨夜(二十七日)契約をとりかわしました。あの子は、小さなときから巨人ファンだったし、大喜びで東京にでかけました。巨人の誠意にこたえるためにも、一人まえの選手に育ってもらいたいと思っています」
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岡正光

2018-03-18 21:22:05 | 日記
1965年

福島県保原高の岡正光投手(18)=180㌢、72㌔、左投げ、左打ち=は、二十日大洋ホエールズと入団契約が成立した。岡投手は大洋が十七日行なわれた選択会議で交渉権を獲得した選手。この日の話し合いは大洋球団から、藤井勇スカウトが来県、同投手、両親、保原高野球部後援会の土手クラブ前会長、鈴木幸三さんの間で約一時間にわたって交渉がすすめられ、同日午後四時すぎ契約を完了、ドラフト制第一号選手が誕生した。契約金七百万円(推定)。この日午後三時から福島県伊達郡保原町四の一四の鈴木幸三さん方で行なわれた会談は、約一時間十分にわたったが、もともと岡投手は大洋入りを希望していただけに第一回の話し合いで了解に達し、なごやかなうちに契約を終えた。鈴木さん方は飼料を扱っており、大洋漁業本社とは取り引きがあり、幸三さんが大の野球ファンなところから藤井氏とすでに顔なじみ。鈴木氏とつれだって保原高校をおとずれた藤井スカウトは紺野周太郎教頭、池田昭三野球部長、狗飼功監督らとあいさつをかわし、まず学校側の了承をえた。

岡正光投手は右打者のひざ元にくい込む落差の大きいカーブと、小さく曲がるカーブの二種類を主武器に速球、シュートを投げわける本格派左腕投手。入学した当時から同校のマウンドを守り抜き、二年の秋にはシュートの投げすぎから一時ヒジを痛めたがよく立ちなおり、今夏の快投をやってのけた。今夏の甲子園大会(大正十一年同校創立いらい初出場)では一回戦で牧投手のいる高鍋高に8安打を打たれ、6-0でやぶれたが、非力な母校チームを引っぱった力は早くから関係者に認められていた。十七日、行なわれた選択会議では大洋が優先交渉権をえたが、同投手が一年生のころから「将来性のある本格派ピッチャーになる」と藤井スカウトがタイコ判を押し、その素質を高く買っていたもの。夏の県予選東北大会では7試合69イニングを投げ、被安打35、与えた四球29、奪った三振90、自責点7、防御率1.01の好成績を残した。コントロールとスピードにやや難があるが、それは藤井スカウトの指摘するように、下半身をきたえることによって解決されよう。
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会田照夫

2018-03-18 21:01:40 | 日記
1970年

ヤクルトがドラフト会議で八位指名した三協精機の会田照夫投手(23)=1㍍73、75㌔、右投げ右打ち=の入団が二日内定した。白川スカウトはこの日午前十一時、長野・下諏訪町の自宅を訪れ、本人と父親又善知氏(46)光沢監督に契約金八百万円、年棒百四十万円(いずれも推定)を提示、入団の了承を得た。会田は上尾高から東洋大を経て三協精機に入社、ことしの成績は通算24勝5敗、防御率1.38で5敗はすべて1点差負けという好投手。ヤクルトはこれで八選手の入団を内定したが、正式発表は十日に東京・日本橋本町のヤクルト本社で行なわれる予定である。
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板東順司

2018-03-18 20:49:59 | 日記
1967年

巨人からドラフト会議で指名されていた鳴門高の板東順司投手(18)=1㍍82、77㌔、右投げ右打ち、板野郡板野町川端=は二十一日巨人入りを正式に表明した。巨人伊藤菊雄スカウトが七回にわたる交渉の結果、契約面でも了解点に達したもの。板東投手はさきに社会人野球の日本楽器(浜松市)に就職が決定していたが、二十二日同社を訪れて入社を辞退する。正式入団発表は年内に東京の巨人軍球団事務所で行なわれる。巨人には本県から平井正明氏(現姓伊藤、名古屋市在住)が西日本ー阪急を経て巨人でプレーしたことがあるが、ストレートで巨人に入団したのは板東投手が初めて。本格派投手だけにこんごの成長が期待されている。

板東投手の話「最初日本楽器にお世話になるつもりでいましたが社会人でやるのもプロへの一段階と考えていました。しかし周囲の人たちの話を聞いているうち回り道をしない方がいいと思って巨人にはいることにしました。一生懸命がんばって一日も早く長島さんや王さんといっしょに公式戦でプレーしたいと思っています」

母親豊子さんの話「巨人にお世話になることが決まった以上、きびしい世界なので死に物狂いでがんばってもらいたいと思っています。そして一日も早く一軍に上がって王さん長島さんに守られて投げることが死んだあの子の父親に対しても一番の親孝行だと言い聞かせています」

巨人・伊藤スカウトの話「昨年夏甲子園へ出場して以後調子をくずしていたので自信がなかったようだが、素質としてはいいものを持っている。大試合の経験が少ないというハンディキャップはあるが、これもこんごの経験で克服できるはずだ。堀内のようにいきなり飛び出せるような投手でないが、時間をかけて鍛えるとともに本人が努力すれば大成できると信じている」

板東投手はさる十一月九日のプロ野球ドラフト会議で巨人から五人目に指名された。巨人は同月二十二日前川八郎チーフスカウト、伊藤菊雄スカウトが、板東投手の自宅で入団交渉のあいさつに行ったが、この段階では板東投手の意思は日本楽器に固まっていた。その理由は①板東投手自身がこれまでの自分の成績からプロ野球、ことに名門巨人の選手の一員になるには自信がなかった②社会人野球の日本楽器が学校を通じ九月にいち早く採用を決定し、したく金までそえて熱心に勧誘していた③学校側が最初に学校があっせんした道(日本楽器への就職)へ進んでもらいたいと板東投手に強く望んでいたーの三つ。十一月末における二度目の交渉でも板東投手の日本楽器への就職の意思は変らなかったが、十二月にはいり、四日から約一週間、伊藤スカウトが徳島市内のホテルに泊まり込みで数回にわたり交渉した結果、板東投手の意思も次第にプロ入りに傾いてきた。もともと板東投手は社会人野球で一、二年やっているうちに自信がつけばプロ野球へ進みたいーという意向は持っていたが、この機会をのがしては巨人からは二度とリストアップされないことと、将来プロ野球でやる気があるとすれば一日でも早く入団していた方が成長が早いということを自覚、さらに努力次第で名門巨人のレギュラーになれる魅力にひかれたものとみられる。契約金、参か報酬の面では最初巨人が提示した額と希望額とはかなりの開きがあったが、これもさる十八日夜の話し合いで両者が譲歩し了解点に達した。板東投手は昨年夏、二年生のとき夏の甲子園大会県予選、南四国予選で森進左腕投手(現三井造船)のリリーフ投手として活躍し、本格派の成長株として注目を浴びた。南四国予選で高知、土佐を破り、十四年ぶりに甲子園に出場した。その後県大会の公式戦ではいまひとつ調子が出なかったが、巨人、南海の各スカウトはひそかに同投手の資質にほれ込みマークしていた。巨人はさる七月武宮コーチと伊藤スカウトが最終的に同投手のピッチングを見てリストアップを決めていた。
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岡正光

2018-03-18 20:22:12 | 日記
1965年

保原高校三年岡正光君(18)=保原町城ノ内=は二十日午後、大洋ホエールズと正式契約した。ことしのプロ野球新人採用制度の契約第一号、岡君は同校野球部のエースとして活躍、大洋がさる十七日の同制度第一回選抜会議に第一位にランクして同選手との交渉権をとっていた。

契約は同日午後三位から保原町四丁目13、飼料・石油業鈴木幸三さん方で行なわれ、約一時間のスピードぶりで契約をすませた。大洋球団を代表して藤井勇スカウト、同選手と父正義さん、母チヨさんが立ち会い、選手側との交渉は鈴木さんがすすめた。同三時すぎ同選手は左手で四通のセントラル野球連盟通用選手契約書にサインした。契約金は公表されないが七ー八百万円とみられている。大洋入団について、同選手は「プロにはいるなら大洋と考えていました、鈴木、小野など本県出身の先輩が多いことと、荒々しいチームカラーが好きです。入団したら別所さんにみっちりきたえてもらうつもり。早く契約をすませたかった」と喜んでいる。藤井スカウトは「まだからだができていないので、二年間ストレートばかりを投げさせて力をつけ舞台に出す考え。大洋のエースになってほしい。右の高橋(重)左の岡といわれるように・・」と期待している。同スカウトも第一交渉権の選手をスムーズに獲得できたわけ。同球団では岡選手について一年秋の新人大会から注目しており、プロ入りを打診したのは二ヶ月前という。球団との交渉には親会社の大洋漁業と契約店になっている鈴木さん(元土手クラブ会長)が行ない、岡選手の家でもすべてをまかせていた。同選手の両親も「希望どおりになってうれしい。職業とするからにはしっかりやってほしい」といっており、同校野球部の池田部長、狗飼監督も「育てた選手だけにうれしい。母校のためにもがんばってほしい」と話していた。同校からのプロ入りは八島米雄(元巨人)小林誠(サンケイ)両選手についで三人目。

岡正光投手 保原中時代からエースで活躍、左腕からの落差の大きいカーブを武器に、ことし同校野球部創設四十四年ぶりの甲子園の初出場をかちとった。ことし夏の県大会、東北大会では7試合69イニングス投げ、三振90個を奪った。1・80㍍、72㌔、左投げ左打ち。
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伊熊博一

2018-03-18 08:01:41 | 日記
1967年

中日ドラゴンズの吉江代表は八日午後五時すぎ、名古屋市昭和区川名町の中京商を訪れ梅村清弘校長と杉浦藤文監督に会い、第二回ドラフト会議で交渉権をえた伊熊博一外野手との交渉を開始するむねを伝え、了承をえた。同代表はそのあと直ちに伊熊選手の実家(刈谷市司町4-13)を訪れ、父親喜六さん(46)、母親博子さん(39)に、中日への入団を懇請した。伊熊選手の両親は「考えておきます」と答えただけ。話し合いは契約金、参稼報酬など条件面まで進展しなかった。

中日・吉江代表の話 「伊熊クンは左打ちの強打者だ。来季はスチブンスを任意引退選手にしたので左打者がへった。だからどうしてもほしい。何度足を運んででも伊熊君はほしい」
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