プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田中由郎

2018-03-10 22:26:12 | 日記
1975年

いの一番の指名に田中はしばらくキョトンとしていた。「スカウトの方の話だと十二球団のどこかに一番に指名されるだろうとは聞いていた。まさかいの一番とは思ってもいませんでした」と信じられない表情。1㍍82、75㌔。細おもての顔にめがねをかけ長身をのぞけばおよそ野球選手とは思えない。すでに十二球場のスカウトが会社の野球関係者に指名のあいさつを終っている。中でも一番熱心だったのがいの一番に指名したロッテの濃人スカウト部長だったという。ロッテ球団から正式には抽選クジの一番を引き当てた零時三十五分に電話で「本抽選は田中君に一位に指名させてもらうのでよろしく」という連絡が入っていた。「野球をやっている以上、一位に指名されたのは大変名誉なことだと思っている。ロッテについての印象は去年日本一になったチームだというくらいだ。いまのところ白紙の状態で、プロにいく、いかないはこれから会社の野球部の関係者、両親などに相談したうえではっきりしたい」昨夜は野球部の納会で遅くまで酒を飲みかわし、二、三人の友人にはプロ入りの意思をほのめかせている。今年の成績は二十七試合に登板、10勝3敗。防御率1.36。通算奪三振は139で一イニングあたり一個平均の三振を奪っている。特に今年五月十九日に行なわれた広島大会では新日鉄の萩野投手と投げ合い、12三振を奪って2-0で完封している。高木野球部長は「会社としては彼の将来性ということも考えて、もしプロ入りする意思があれば、全力で残すように説得する」とプロ入りに真っ向から反対している。しかし、最後は本人の意思を尊重することになっており、ロッテの大攻勢によってはプロ入りの可能性はふくらんでいきそうだ。
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田中由郎

2018-03-10 22:15:45 | 日記
1975年

会社の反対にあって交渉が難航していた、ロッテのドラフト一位指名・田中由郎投手(20)=1㍍81、75㌔、右投右打、三菱重工三原、鳥取・八頭高出=の入団が二十二日内定した。濃人スカウト部長は同日午後二時、広島県三原市糸崎の三菱重工三原工場で高見野球部長、小橋監督と会い「本人が望むなら円満に退社させてもいい」という三菱側の最終回答を得たもの。このため濃人部長は二十四日、田中に初めて条件を提示、本人もロッテ入りを希望しているため、やっと入団が決定する。ドラフトで一番クジをひき当てたロッテが、いの一番に指名した田中の入団は、最初から難航が予想されていた。三菱重工三原工場が全社員をあげて応援している野球部のエース。「田中が抜けてしまっては、チームはガタガタになる」とプロ入りに会社は猛反対、過去十一度にわたる交渉でもその態度は変らなかった。濃人部長はその間、鳥取の田中の実家で両親を説得して外堀を埋め、三原工場にも足を運んで根気強く会社側と交渉を続けていた。この日、話し合いの席上、三菱側は本社とも相談、プロ入りを希望する本人の意思を尊重して、円満退社させる方針を伝えたものである。田中は八頭高時代、下手から繰り出す伸びのある速球に、巨人が目をつけていたほどの逸材。社会人になってその素質が開花。中央球界では無名に近い投手だが、三菱のエースとしてスカウト間の評価は高かった。1㍍81の長身からのピッチングは阪急の山田に似たタイプで、内角高めに浮く速球を武器とする即戦力投手。社会人での成績は四十九年9勝7敗(防御率1.78)五十年が10勝3敗(防御率1.49)で社会人№1の折り紙がつけられる。この日、最大の障害が無事解決。「自分の力をプロで一度試してみたい」と田中がロッテ入りの意思を持っていることから、二十四日、条件面さえ折り合えば即入団が決定する。

濃人スカウト部長「長期戦になることは覚悟していた。会社側もこっちの誠意をくみとってくれたようだ。円満に退社できる見通しがついてホッとしている。さっそくあす(23日)条件を提示して本人と本格的な交渉に入りたい」

田中投手「ぼくは最初からプロでやってみたいという気持ちは持っていました。ロッテは好きなチームのひとつ。あした濃人部長と話し合って決めるつもりです」
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