プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

吉江喜一・浅野啓司

2018-03-14 23:43:50 | 日記
1966年

サンケイアトムズの補強第二弾が内定した。さる九月五日の第一回ドラフト会議で、アトムズが交渉権を獲得した長野県・塚原学園高の吉江喜一投手(18)=身長1㍍74、体重73㌔、左投げ左打ち=と、広島県・福山電波学園高の浅野啓司投手(18)=身長1㍍75、体重65㌔、右投げ右打ち=が、八日よる、ともにアトムズ入りを表明した。吉江投手は、長野県塩尻市古町の自宅で「プロ野球にはいりたい」とアトムズ入りの意思表示をした。正式決定は、十一日すぎに同球団の宇高勲スカウトと交渉を持ったのちになる。また、浅野投手も同日よる、広島県福山市沖野上町の自宅でアトムズ入りを表明した。正式契約は十六日、本人と同投手の父親光夫さん(48)が上京して行なわれる。これで今シーズン、アトムズが獲得した新人選手は、奥柿幸雄一塁手(静岡商)につづいて三人目になる。

吉江投手獲得がおくれたのには、事情があった。第一回のドラフト会議で吉江投手の交渉権を獲得したサンケイは、宇高スカウトがすぐに長野県松本市の塚原学園高にとんだ。ところが、同校が、国体の出場補欠高に指定されたため、正式交渉は国体終了(十月二十八日)以後にしてほしいという要望が出ていた。このため、宇高スカウトは交渉をいっさい控えていたが、吉江投手自身が、プロ入りの意思をかためたため、このほど、アトムズ入りがきまったもの。吉江投手は、打者のひざもとをえぐる速球が武器の左腕本格派投手。ピンチは、制球力のいいカーブで切り抜けるなど、投球に幅がある好投手。塩尻中学校時代は陸上競技の中距離走者として活躍しただけに、下半身のバネは抜群。加えて塩尻市近郊の山道を走りまわってきたえたからだは大型投手になる素質じゅうぶん。今夏の全国高校野球大会では、一回戦で準優勝校の松山商に延長十一回の末1-0で敗れはしたが、その投球は高く評価されていた。浅野投手は福山電波高校一年生のときからレギュラーとして活躍、スリークォーターからの速球に威力を秘めている。ことしにはいってから一試合平均8三振を奪っており、昨年の夏の全国大会広島県予選では35イニング連続無失点の快記録をつくって、中国地区の高校球界で一、二位を争うといわれた逸材。サンケイのほか日本石油、日本鋼管などノンプロ界の強豪からも、入社をすすめられていた。

吉江投手の話「プロは競争の激しい世界だと思うし、芽を出せるかと、正直のところちょっぴり不安だった。しかし、ぼくは野球が好きだ。ぜひ、プロで自分の力をためしたいという気持ちになりました」

浅野投手の話「野球がなによりもすきだし、プロでやってみたいというのが、ぼくの夢だった。それが実現してうれしい。プロ野球のことは、あまり知らないが、スピード、スケールがずいぶん違うのでやってみなければなんともいえない。森安さん(東映)とは二年のとき、二度投げあったことがある。森安さんのような活躍をしたい」
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千葉剛

2018-03-14 23:10:35 | 日記
1969年

広島の木下スカウトは二十五日午前十一時、同球団がドラフト会議で第一位に指名した日鉱日立の千葉剛投手(21)=1㍍86、77㌔、右投げ右打ち=を茨城県日立市幸町の同会社にたずね、山本吉衛野球部副部長、沢本良一監督をまじえ交渉権獲得のあいさつをかねた第一回の交渉を行なった。だがこの日は初交渉ということで条件の提示などはなかった。このあと同社の「神峰倶楽部」で四人で会食しながらさらに話し合った。まず木下スカウトから千葉投手を第一位に指名したいきさつ、球団の内部事情などの説明があり「投手陣の手薄なウチとしてはぜひほしい投手である」と千葉獲得への熱意をみせた。これに対して沢本監督は「一位にリストアップされ実力を認めてもらったことはうれしいが、いま千葉を出したくはない。まだ若いのだからもう少しノンプロでやらせたい」とかなりの難色を示した。だが最終的には会社側も広島の出す条件と、本人の気持ちを尊重するということで午後二時過ぎ、この日の話し合いを終えた。名古屋(中日)以東のチームに強い希望をもっていた千葉投手が、ドラフト後はプロでやれるならどの球団でもいいという気持ちにかたむいてきているため、今後の条件しだいではプロ入りの可能性が強いようだ。なお第二回の交渉は今月末になる予定。

千葉投手の話「プロでやりたいと思っています。広島から出される条件をきいたうえ実家(宮城県登米郡東和町米谷下町)に帰り両親や高校時代の友だちと相談します。もちろん最後は自分で決めます」

沢本監督の話「千葉につづく若手投手がまだ育っていないからいま出られては非常に戦力が低下します。こまったことです。しかし、自由をそくばくすることはできませんから、結局は本人の意思を尊重することになりますね」
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古川治夫

2018-03-14 22:34:27 | 日記
1970年

南海ホークスの柚木スカウトは二十八日午後、ドラフト第七位で指名した埼玉県立川口工・古川治夫内野手(18)=1㍍82、72㌔、右投げ右打ち=を、埼玉県川口市原町の本人宅に訪れ、父親の秀松さん(55)=機械製作所経営=と仮契約を行なった。古川選手は「自信がない」と難色を示し、すでに内定している日通浦和に就職することを考えていたが、柚木スカウトの説得でプロ入りを決心した。契約金四百万円。年棒百二十万円(いずれも推定)
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矢部徳美

2018-03-14 22:21:54 | 日記
1970年

南海がドラフトで第二位に指名していた、全常盤、矢部徳美内野手(22)=内郷高卒=の入団が十七日よる、内定した。伊藤スカウトが十六日から入団交渉をつづけていたが、父親の勝美さん(62)、矢部選手の勤務先、常盤製作所の中村豊社長もプロ入りを了承した。同選手は身長1㍍70、体重65㌔、右投げ右打ち。全常盤の主力選手で俊足好打。ことしの都市対抗では全常盤のトップ打者として出場、1回戦で逆転2ランをとばした。沼沢コーチは「からだがやわらかいし、バッティングもシャープだ。新人王の有力候補のひとり」と高く評価している。
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岡本一光

2018-03-14 21:56:45 | 日記
1969年

阪急ブレーブスは二十七日、大阪市北区高垣町、東阪急ビル内の球団事務所で、興国・岡本一光投手=左投げ左打ち、身長1㍍79、体重75㌔=の入団を発表した。同投手は、さきのドラフト会議で交渉権(七位)をえた投手。背番号67。岡本は昨年の夏、興国が全国大会で優勝したとき、一塁手で、四番を打った。三年のことしは投手をやった。夏の大会は、府予選の準決勝で明星に延長13回の末、敗れたが、左腕の本格派投手として注目されていた。

岡本投手の話「こどものころから阪急は好きだった。同じ左の梶本さんを目標にがんばりたい」
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外山義明

2018-03-14 21:37:06 | 日記
1969年

アトムズが、さきのドラフト会議で六番目に指名した社会人野球、クラレ岡山の外山義明投手(22)=1㍍73、72㌔、左投げ左打ち、天理高出=が入団を表明した。アトムズの小山スカウト、浜田事務部長は六日午後二時三十分、岡山市の「ホテル・ニュー岡山」に外山投手、母親・つや子さん(47)と実兄、邦義さん(30)を招き、約一時間話し合って入団の承諾を得た。契約条件は、契約金八百万円、年棒百二十万円(ともに推定)で、正式契約は十二月中旬に、外山投手が上京して東京・日本橋本町の球団事務所で行なわれる。外山は天理高三年の夏、県予選の対御所工戦でノーヒットノーランを記録、秋の紀和大会では県立和歌山商を相手に九回二死までノーヒットノーランに押えている。速球を武器とする本格派左腕投手で、今夏の都市対抗中国地区予選3試合のうち2試合完投、そのうち完封勝ち1という好投をみせた。スタミナは十分で強気なピッチングはプロ野球向き。アトムズは、クラレ岡山からはすでに安木投手を獲得した実績を持っており、小山スカウトは二年前の安木獲得のころから外山の速球に目をつけていた。

外山義明投手の話「プロ野球の選手になるのは、こどものころからのユメだった。いま現実に、こうしてプロ入りを決意してみたが、まだ不安が残っているというのが本音です。自分のピッチングは、力で押して行くタイプだから、力いっぱい、やってがんばりたい」
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河井昭時

2018-03-14 21:14:04 | 日記
1967年

広島カープの野崎スカウトは十五日午後、ドラフト会議で交渉権を得ている広陵高・河井昭時内野手(18)=1㍍74、70㌔、右投げ右打ちの自宅=広島市福島町=を訪れ、交渉を行なった。いままでの交渉では契約金五百万円(推定)という金銭面で折り合いがつかず難航していたが、野崎スカウトの熱意もあって、河井選手はこの日はじめて入団の意思を表明、近く正式に契約のはこびとなった。河井選手は広陵高の四番打者として、ことし夏の甲子園大会では同校準優勝の原動力になったほか海外遠征の選抜メンバーにも選ばれた。

河井選手の話「プロでプレーするのがボクの夢だった。しかも地元のカープにはいれるのだからうれしい。早く第一線で活躍できるようにがんばりたい」
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岡村佳典

2018-03-14 20:48:36 | 日記
1966年

西鉄ライオンズは新人選択会議で交渉権を獲得した島根県浜田高校の岡村佳典投手(18)=身長1㍍80、体重75㌔、右投げ右打ち=の勧誘を続けているが、条件面で折り合いがつかず、目下のところ交渉は難航している。西鉄では交渉権獲得直後から直良スカウトが三回にわたり島根県浜田市黒川町の岡村投手の自宅、学校を訪れ、本人、両親、学校関係者を説得してまわった結果、本人の進学希望(亜細亜大)をひるがえすところまでこぎつけたが、かんじんの条件提示の段階で両者の話し合いは平行線をたどっている。西鉄側は契約金六百万円、年棒約百万円(推定)を提示しているのにたいし、岡村側はリストアップ第一位をたてにあくまでも最高額の契約金一千万円、年棒百八十万円を要求。このため直良スカウトは岡村側から提示された条件について球団首脳部と相談するため一たん福岡に引き返したが近日中にもう一度新条件をもって岡村家をたずねる予定。
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嵯峨野昇

2018-03-14 20:37:11 | 日記
1965年

ノンプロ球界屈指の大型内野手、日立製作所の嵯峨野昇三塁手の交渉権を獲得した東京は、一日から白川一スカウトを茨城県日立市に派遣、嵯峨野との交渉を開始していたが、三日、東京入りが内定した。契約金額は約六百万円。

白川スカウトの話「日立に行って嵯峨野君と交渉した。はっきりした返事はもらえなかったが、それはあたりまえだ。うちにきてくれるだろう。四日は茅ヶ崎にいる嵯峨野君の両親にお会いする」
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児玉好弘

2018-03-14 20:23:37 | 日記
1970年

阪急ブレーブスは二十八日午後二時から、大阪市北区中垣町、球団事務所で日軽金・児玉好弘投手(24)=1㍍78㌢、74㌔、右投げ、右打ち=の入団を発表した。児玉投手は山口県鴻城高から日軽金入り、シュート、カーブを武器とした本格派の投手で、ことしのドラフトではどの球団からもリストアップされなかったが、ノンプロの山静(山梨、静岡)地区では評判の好投手。一昨年ロッテが指名したが断っていた。ことしの成績は28試合14勝4敗、うち完投勝ち6、救援勝ち8を記録、先発、救援どちらでもいける投手で、阪急では即戦力の救援投手と期待している。

児玉投手の話「どんな投手が目標というより、一日も早く一線に出られるよう努力したい」

渓間代表の話「第一印象でこれはいけると思ったほど根性のありそうな顔をしている。キャンプでじっくりきたえ、いいリリーフ投手として育ってくれることを期待している」
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忍全功

2018-03-14 20:12:40 | 日記
1966年

大洋は、第一回選択会議で交渉権を得ていた御所工の忍全功内野手(18)=1㍍76、71㌔、右投げ右打ち=の入団を決めた。十七日、担当の入谷スカウトが大阪市住吉区墨江の忍選手宅で父親幸一さん、忍選手と四度目の交渉を行なった結果、条件的に折り合い正式に契約した。大洋の新入団選手は新井昌則内野手(深谷商)についで二人目。契約金は約八百万円(推定)。忍選手は第一回選択会議で8チームがリストアップしたほどの好選手で、二塁の守備ぶりは超高校級と折り紙つき。藤井チーフ・スカウトも「肩の強さと俊足はプロでも一級品。バッティングはすぐに第一線で通用するというわけにはいかないが、センスがあるだけに将来性はじゅうぶん」と大きな期待を寄せている。
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岩月宏之

2018-03-14 19:44:05 | 日記
1966年

中日ドラゴンズは七日午後一時から中日球場でノンプロ岐阜・西濃運輸の本格派、岩月宏之投手(24)=1㍍83、70㌔、右投げ右打ち、享栄商高ー日大ー日本石油=の正式入団を発表した。岩月投手はもともと内野手で享栄商高三年の夏に三塁手として甲子園に出場したが、日大の四年の春から投手に転向した。日本石油ー西濃運輸を通じてノンプロでの成績は15勝6敗。

西沢監督の話「まだ、投手に転向して二年ほどしかたっていないので、これから伸びる選手だ。本格派でオーソドックスな投法なので山中のようなピッチャーになると思う」

岩月投手の話「カーブが決めダマです。これが低めに決まればかなり投げられると思う。プロの試合はよく見ていますが、どこまでやれるかわかりませんが、とにかく一生懸命やります」
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多田勉

2018-03-14 19:35:10 | 日記
1967年

広島カープは十六日、元河合楽器の多田勉内野手(24)=徳島商ー明大出、1㍍75、70㌔、右投げ右打ち=を獲得した。同選手はドラフト会議では、どのチームからも指名を受けなかったが、明大、河合楽器と三塁手として活躍していた。現在は河合楽器を退社している。
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矢部徳美

2018-03-14 19:23:52 | 日記
1970年

南海ホークスが第二位指名した社会人野球、全常盤の主力打者、矢部徳美内野手(22)=身長1㍍69、体重63㌔、右投げ右打ち=は二十九日、福島県いわき市常盤湯本町3の72の自宅で正式に南海入りを表明した。同選手は小柄だが、俊足好打の持ち主。今夏の都市対抗ではトップを打ち、一回戦の電電東海戦で2ランホーマーを放つなど活躍した。
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中山孝一

2018-03-14 19:11:46 | 日記
1969年

南海の新山滋球団社長は六日、ドラフトで五位に指名したサッポロビール・中山孝一投手(20)=1㍍79、72㌔、右投げ右打ち=との契約完了を明らかにした。五日よる、堀井スカウトが、千葉県八千代市大和田新田の中山投手の自宅を訪れ、父親・輝一さん(62)と入団交渉を行ない、契約金五百万円、年棒百二十万円(推定)の条件で了解点に達し、契約を完了した。
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