プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松本隆春

2018-03-07 23:02:10 | 日記
1975年

大洋は十九日、ドラフト三位で指名した横浜商大付高・松本隆春投手(17)=1㍍83、74㌔、右投右打=と、ドラフト外の内田周作投手(18)=1㍍74、67㌔、右投左打、目黒高出=の入団を発表した。松本は中央球界では無名だが、長身から投げおろす速球には定評があり、東海大相模・原もいやがったといわれるほど。条件は契約金九百万円、年棒百八十万円(いずれも推定)。内田は十一月に行なわれた新人テストで合格したもの。
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宮田典計・中沢泰司

2018-03-07 22:42:56 | 日記
1975年

阪神は十九日午後三時半から大阪・北区梅田の球団事務所で、ドラフト会議で三位に指名した鐘紡化学・宮田典計投手(21)=1㍍77、69㌔、右投右打、社高出=と、同四位の高知商・中沢泰司外野手(18)=1㍍81、78㌔、右投右打=の入団を発表した。ドラフト一位指名の大分鉄道管理局・足立投手との交渉が暗礁に乗り上げ、二位指名の松下電器・鍛冶舎外野手、五位指名の日本楽器・深沢投手に首を横に振られた阪神にとって、初のルーキー誕生だけに、球団側の期待も大だ。「待望の入団発表です。即戦力として働いてもらう」という長田代表の言葉にも、一段と力が入った。宮田投手は今秋の社会人全日本選手権での優勝投手、最高殊勲選手に輝き、大きなカーブとシュートが決め球。「もっと速球にみがきをかけて、早く一線で投げたい」と抱負を語った。中沢外野手は百㍍11秒7の俊足で、一発長打を秘めた大型選手。
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尾西和夫

2018-03-07 21:56:21 | 日記
1975年

近鉄は二十六日午後一時半から大阪・中区森之宮の球団事務所で、ドラフト二位の新日鉄堺・尾西和夫(22)=1㍍76、75㌔、右投右打=、同二位指名の倉敷工、兼光保明投手(18)=1㍍80、73㌔、右投右打=、テスト生の大体大、藤瀬史朗外野手(22)=1㍍72、62㌔、右投右打=、社高・高岸佳宏捕手(17)=1㍍78、62㌔、右投右打=を発表した。背番号は尾西37、兼光46、藤瀬76、高岸77。尾西は二年前、巨人から五位に指名されたが「自信がない」とプロ入りを断った。だが中島スカウト部長が「最近の成長は著しい。河村英文氏(本社評論家、元西鉄-広島)ばりのシュートが大きな魅力」と太鼓判を押すだけに、本人も二年前とは打って変って自信満々の入団だ。「ノンプロで四年間やってきましたが、プロでやれる自信もつきました。ただがむしゃらにやってみます」と目を輝かせていた。太田幸・柳田・井本の若手トリオに次ぐ本格派投手として大いに期待されている。一方、学生服に身をつつんだ兼光は「プロは実力本位の社会。ぼくの性格に合っていると思います」と力強い抱負を述べた。春の選抜大会の二回戦で東海大相模を1点に抑える好投を見せ、度胸も満点。西本監督が「ピッチャーとしては魅力だが、野手としてもほしい選手だ」というだけあって、百㍍11秒台の足、強肩も魅力だ。

兼光投手「投手、野手にこだわらず早く一軍に上がれるようがんばります」

尾西投手「これからは職業としてやるだけに後悔がないよう思い切ってやってみます」
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三輪田勝利

2018-03-07 21:29:46 | 日記
1969年

阪急がドラフト会議で第一位指名した大昭和製紙・三輪田勝利投手(25)=1㍍83、78㌔、右投右打、早大出=の阪急入りが二十三日確実となった。丸尾スカウトは同日午後零時四十五分から愛知県春日井郡西枇杷島町の三輪田投手宅をたずね、本人、父親・利兵衛さん(70)長兄・耕次さん(35)=いずれも農業=と第二回目の交渉を行ない、規定最高額の契約金一千万円、年棒百八十万円の条件を提示。「相談しなければならない人がいるので・・・」と三輪田は即答を避けたが、プロ入りを強く希望。条件的にも不満はないことから、会社側の了解をとりしだい正式に阪急へ入団の返事をするものと思われる。話し合いは約二時間。阪急の内部事情、プロ野球機構などの説明から始まり「予定外」(丸尾スカウト)の条件提示まで行なわれた。「ご家族の方と初めて会うので、あいさつ程度にと思っていたのに」丸尾スカウトが自分で驚いたというほど話はとんとん拍子に進んだ。三輪田は、はっきり返事しなかったが、阪急から第一位に指名された二十日、電話で家族に「プロ入りする」といったそうで、あとは二年間世話になった会社を円満に退社する点にかかっている。同投手は二十四日会社に帰り、あらためて斎藤部長、野村監督と話し合ったうえ結論を出すことになっている。三輪田は四十二年、近鉄に第一位で指名されたがプロ入りはせず、大昭和製紙に入社。昨年は右ヒジの故障などで不振だったが、ことしカムバック。四月の静岡予選から目をつけられていた。

三輪田投手「丸尾さんの人がらには好感をもちました。話を聞いてプロ野球とはどんなものかよくわかった。プロにいきたい気持ちは十分ある。阪急はやりがいのあるチームだと思う。阪急の試合はことしの春、沼津で巨人とのオープン戦を見た。さすがに球界最高のゲームだったように思う。会社で世話になっている人と相談して出来るだけ早く決めたい」

丸尾スカウト「最高額の条件を提示した。本人はプロへいきたいとはっきりいっているし話し合ったムードからいい返事がもらえると思っている。三輪田君はピッチング・スタッフの中心になってもらおうと期待している」
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田中末一

2018-03-07 20:09:54 | 日記
1969年

阪急・藤井スカウトは午後七時、ドラフト会議で四位に指名した大鉄高・田中末一外野手(17)の自宅(大阪府松原市新堂)を訪れ本人、父親・茂さん(45)=農業=、母親・光子さん(44)長兄・吉広さん(31)=会社員=、おじの中野力松さん=松原市川市会議員=と二回目の交渉を行ない、契約金六百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)を提示。「条件面ではいうことがない」と田中側もほぼ納得したため入団は決定的となった。なお田中は土屋野球部長に了解をとるため正式決定は十二月二日になるもよう。「プロでやってみたいと思っている」と田中はいっていた。

阪急に第四位で指名された大鉄高・田中末一外野手(17)=1㍍78、74㌔、右投右打=は、二日午後大阪府松原市新堂町の自宅で阪急・藤井スカウトと会い、統一契約書にサインした。契約金六百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)。田中は大鉄高の四番で、三年間の通算打率・408、ホームラン20本台をマークした強打者。

田中選手「早大に進学しようと思っていたが、藤井さんにプロ入りをすすめられ、阪急にお世話になることになりました。高校の先輩である福本さん(外野手)を目標にがんばりたい」

藤井スカウト「田中は将来クリーンアップを打てる大型外野手だ。平安・渋谷、三田学園・山本より安定している。早く一人前になってほしい」
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良川昌美

2018-03-07 05:10:55 | 日記
1978年

高校時代は投手で4番、スリークォーターからカーブ、シュート、フォークと多彩な変化球、大阪地区の№1投手の定評あり、ハワイ遠征選抜チームにも選ばれている。将来のエース候補。ドラフト5位、契約金1000万円。
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美口博

2018-03-07 04:37:44 | 日記
1975年

中日がドラフト2位で指名した中村高・美口博投手(18)=1㍍80、72㌔、右投右打=の入団が二十一日内定した。法元、水谷スカウトは、この日、高知県中村市具同町の実家を訪ね、第一回の獲得交渉を行なった。席上、林業を営む父親・義井氏は「息子はプロでやってみたいと希望している。家族と話し合った結果、最終的にプロ入りする場合、とくに投手は大学へ進学しない方が大成するケースが多いという結論に達した」と中日入りの意向を伝えた。美口投手はストレートを武器にする本格派。阪急が一位指名した住友(鳴門)とともに四国球界きっての好投手といわれた。夏の南四国大会では右手中指を切って一回戦で敗退したが、テレビを通じて血染めのボールが話題を呼んだ。こんごは条件面などについて二十六日、水谷スカウトが再び話し合う。中日は一位指名の同大・田尾安志外野手に続いて美口の入団が内定し、ドラフト交渉は順調に進展している。
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山本秀樹

2018-03-07 04:17:04 | 日記
1969年

西鉄・渡辺スカウトは六位で指名した横浜高・山本秀樹投手(18)を横浜市磯子区森町の自宅にたずね、父親・秀雄氏(47)母親・テツさん(44)横浜高・渡辺監督をまじえ一回目の交渉をした。この日はあいさつ程度だったが、両親、監督とも「プロ入りは本人まかせ。地理的なことなど関係ない」と好意的だった。二回目の交渉は山本投手の試験が終わる十二日ごろになる予定。
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辻正孝

2018-03-07 03:33:27 | 日記
1969年

大洋の新人採用テストは二十三日午前十時から川崎球場で百五十七人が参加して行われ、投手三人、野手六人の合計九人が最終選考に残った。第一次試験の走力、遠投力テストに残った六十三人が、投手と野手に分かれ、ピッチング、バッティング、守備練習を行なったが、能力差がはっきりしている九人が簡単にピックアップされた。九選手の中で別当監督を喜ばせたのが、ことしグローバル・リーグに参加した辻正孝外野手(修徳高ーいすゞ自動車)。同選手は元グローバル・リーグ日本チームの監督だった森徹氏の推薦で、参加したもので「もしグローバルが存続していれば、日本チームの四番打者に予定していた」(森徹氏)そうで、パンチ力は抜群だ。ただ一人スタンド入りの大物をとばしていた。九選手のうち、合宿入りのできる三選手がナインといっしょに秋季練習に参加し、最後のテストを受けることになったが、ほかの六選手は各スカウトが健闘して近日中に採否を決める。
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松尾輝義

2018-03-07 03:20:00 | 日記
1969年

巨人がドラフト会議十位で指名した長崎商・松尾輝義投手(18)=1㍍80、75㌔、右投右打=の入団が三十日内定した。巨人・内堀スカウトは同日午後七時から市内竿の浦町の同投手宅で五度目の交渉をし、すでに提示してあった契約金四百万円、年棒百二十万円(推定)の条件で入団の内諾を得た。同投手はすでにノンプロ日石に就職が内定しているので、日石の了承を得て正式発表される。
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早川実

2018-03-07 03:13:55 | 日記
1975年

山崎スカウトは、ドラフト四位で指名した早川実投手を西濃運輸大垣本社にたずね、交渉のあいさつを行なった。早川はサイドスローの即戦力だが会社側の田口部長は「控え投手の宮本も日本ハムに指名された」と早川の退社に難色を示した。二十六歳の本人はプロ入りを希望しているが、交渉は長引きそう。

中日は二十四日午後三時から市内中区の中日ビルでドラフト四位で指名した西濃運輸・早川実投手(26)=1㍍72、70㌔、右投右打=の入団を発表した。同投手は福岡工大を中退、四十五年に西濃運輸へ入社した。四十八年から三年連続、東海北陸地区の社会人ベスト9に選出され、とくに五十年はノンプロ社会人ベスト9を受賞した。発表の席上、近藤ヘッドコーチは「スタートは中継ぎ役から。即戦力として計算している」と期待している。早川は「落ちる球、シンカーを武器に実力をためしたい」と抱負をのべた。
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石川進

2018-03-07 03:01:12 | 日記
1969年

阪急は六日午後、大阪・北区高垣町の球団事務所で、宮田代表補佐が石川、早瀬らの九選手を自由契約、任意引退選手にする旨発表した。

自由契約選手 太田紘一、長田裕之(以上投手) F・アグリー、吉本安徳(以上内野手)石川進、早瀬方禧、渋谷洋一(以上内野手)任意引退選手 岡村晃(内野手)G・ウィンディ(外野手)

石川選手は現役最年長者の37歳、大昭和製紙から二十九年プロ入り、高橋ユニオンズを振り出しに三十二年東映フライヤーズを経て、三十三年大昭和製紙へ復帰したが、三十四年再び大毎オリオンズ入り、三十九年から阪急へ移り通算十五年間プレーしていた。昨年は69試合出場、貴重な左の代打者として三割一分九厘をマークしたが、今シーズンは体力的な衰えから23試合出場したきりだった。通算成績は1082試合に出場、打率二割六分三厘、こんごは阪急電鉄の傍系会社に就職する予定。
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