プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

宇野輝幸

2018-03-04 21:03:50 | 日記
1969年

阪急は二十六日午後三時から大阪・北区高垣町の球団事務所でドラフト会議三位指名の日大一・宇野輝幸捕手(17)=1㍍77、77㌔、右投右打=と正式契約、入団を発表した。背番号は45。宇野はノンプロ・いすゞ自動車への就職を希望していたが、丸尾スカウトが阪急入りを熱心にすすめ、一回目の交渉で入団の内諾を得ている。日大一では四番を打ち、ことしの夏の甲子園大会に出場(チームの編成上三塁手として出場)東京都予選の優勝戦では堀越学園、但田投手(阪神)から2ラン・ホーマーを放っている。ことし一年間で十五本塁打、百㍍12秒6と捕手としては足も速く、強肩の持ち主である。

宇野捕手「阪急の試合はことしの日本シリーズを見た。やはり優勝チームらしくレベルが高いと思った。とにかくキャリアを積んで一日も早く第一戦に出たい」
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池島和彦

2018-03-04 20:50:56 | 日記
1969年

阪神は二十五日午後、大阪・北区梅田町の阪神電鉄本社六階会議室でドラフト第七位指名の池島和彦投手(22)=1㍍81、73㌔、右投右打=と契約、入団を発表した。池島は昨年明大を卒業、巨人がドラフトで八位で指名したがノンプロ三協精機入りしていた。大学時代は星野仙(中日)の陰にかくれ目立った活躍は四十三年の春、秋の両シーズンそれぞれ3勝をマークした程度。上手投げで決め球はシュート。

池島投手「神戸に住んでいるので阪神には前から好意を持っていました。一日も早く第一線で投げられるよう努力します」
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木村基治

2018-03-04 20:28:24 | 日記
1975年

阪急がドラフトで三位に指名した宇部鴻城高・木村基治投手(18)=1㍍76、70㌔、右投右打=の入団が一日決定した。阪急・山本スカウトが宇部市参宮通の自宅を訪れ、午後七時半から母親・好江さん(48)と金重野球部長、谷岡監督をまじえ三回目の交渉を行い、契約金九百万円、年棒百八十万円(いずれも推定)で仮契約を行なった。入団発表は二十日ごろ大阪の球団事務所で行なわれる予定。同投手は甲子園には出場しなかったが、中国地方では№1にランクされる本格派。予選では金属バットを折ったほど内角への速球は高校生ばなれしている。阪急は一位指名の鳴門高・住友とともに将来のエースと期待している。阪急では決定第一号。
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千葉剛

2018-03-04 19:39:50 | 日記
1969年

広島は十六日午後一時から市内基町の球団事務所会議室で、ドラフト第一位に指名した日鉱日立・千葉剛投手(21)=1㍍86、77㌔、右投右打=の入団を発表した。発表した西野常務、根本監督、木下スカウト、実兄勲さん(32)=会社員=が立ち会った。これより先、広島は契約金規定最高の一千万円、年棒八十万円で正式契約をした。背番号は未定。

根本監督「実際に見たことはないが周囲の話からして、将来大きくのびるピッチャーだと思う。小細工に走らずストレート主体で練習をしてきているだけに、教える方としても楽しみがある」

千葉選手「一位に指名されるなんて信じられなかった。ノンプロへはいってから、できればプロで自分の力をためしてみたいと思っていたので、広島入りは指名された日から決めていた。ストレート、シュート、カーブしか投げられないが、とくにシュートには自信をもっている。プロとの差はあると思うが、一日も早く自分の特徴を生かしていきたい」
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松本俊一

2018-03-04 19:38:54 | 日記
1969年

東映は二十六日、東京・京橋の球団事務所に松本俊一投手(29)を呼び、任意引退選手にすると通告した。同投手はジン臓病のため「野球をやめたい」と申し出ていた。
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杉山重雄

2018-03-04 17:56:59 | 日記
1975年

南海・杉山重雄投手(26)の退団が二十三日、決まった。同選手は「自信がない」との理由でかねてから退団を申し入れており、この日午後二時、大阪球場食堂で野村監督が最後の説得をしたが、本人の意思が堅く、任意引退選手になった。杉山は昨年、松井との交換トレードでヤクルトから南海入り。貴重な左腕として期待されたが、公式戦は一度も登板せず、ウエスタン・リーグでも五試合に登板、2勝しただけだった。
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白井仁

2018-03-04 17:26:05 | 日記
1975年

日本ハムは先に行った新人募集テストの合格者、白井仁投手(20)=1㍍74、71㌔、右投右打、浪商中退=の入団を決めた。十一月二十三日の最終テストをパスした五人の中から選考されたもので、現在、大阪の酒店でアルバイト中。二十二日に東京・六本木の球団事務所で正式契約する予定。
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