1968年
韓国ブームにあやかったわけではないだろうが、川口孝秀投手(PL学園三年生)=右投げ右打ち、一メートル八二、七〇キロ=の入団がアッという間に決まった。入団前にほとんどマスコミに騒がれなかったのは、PL学園が甲子園にも出場せず、在学中は目立たぬ存在であったからだ。「大阪にいい投手がいる」との情報をキャッチした球団は長谷川、高木時雨コーチをすぐ派遣し、実地に投球をやらせてみたところ「これは将来性のある逸材だぞ」と折り紙をつけ、すぐ入団の運びになった。川口のことをいち早く知りながら、一足出遅れた広島が「してやられた」と口惜しかったというおまけもついている。
韓国ブームにあやかったわけではないだろうが、川口孝秀投手(PL学園三年生)=右投げ右打ち、一メートル八二、七〇キロ=の入団がアッという間に決まった。入団前にほとんどマスコミに騒がれなかったのは、PL学園が甲子園にも出場せず、在学中は目立たぬ存在であったからだ。「大阪にいい投手がいる」との情報をキャッチした球団は長谷川、高木時雨コーチをすぐ派遣し、実地に投球をやらせてみたところ「これは将来性のある逸材だぞ」と折り紙をつけ、すぐ入団の運びになった。川口のことをいち早く知りながら、一足出遅れた広島が「してやられた」と口惜しかったというおまけもついている。