「クアトロで人気の牡蠣なんだ、別にいいんだけど」
別にいいんだけどというのは、別に良くないのである。
ストレスがたまると人はこういう云い方をする。
「だから、この牡蠣はやたらに旨いんだって」だからに力が入るとかなり感情的である。
「三陸の牡蠣は美味しくて、なんだろ、広田湾はとくに美味しくて、なんだろ、赤崎は広田湾の中にあって、なんだろ、赤崎産はすごく美味しくって」やたらなんだろを付けるのは、話に慣れてなかったり自信がなかったりする子供っぽさだろう。
「つまり、三陸の牡蠣は美味しくて、つまり、広田湾は特に美味しくて、つまり、赤崎産はもっと美味しい」話ベタな人もやたらにつまりと云う。
「しかしですね、この赤崎の牡蠣は特別に美味しいわけで、食べないと損しちゃいますよ」強引に話に割り込むときは、しかしと云って割り込むことが多い。
「しょせんはね、この赤崎の牡蠣の美味しさは食べれば解るけど、漁師さんがカキの養殖のために植林で森を育てるんだけど、いちおうどうして美味しいか云っておこうかなみたいな」いつも話に逃げ道を作る言い回しだ。
話し方のクセで相手の心理状態が解るものである。
「だから、つまり、しかし、何だろう、今日のクアトロの牡蠣はしょせん美味しい訳で、食べてみたらどうだろ、別にいいんだけど」
クアトロの父が好きなクリント・イーストウッド監督・主演の「運び屋」を観た。
仕事や付き合いばかりで家族をないがしろにし、お金も無く困っていた90歳の老人。
彼が、麻薬の運び屋になってしまうことから、人生や家族の意義を考えさせる物語。
この老人役のクリント・イーストウッドが実に良い。
そして、劇中のセリフが、ウイットに富んで味わい深い。
エンドロールで流れるテーマ音楽の歌詞がまた良かった。
“数え切れぬ歳月を生きて
疲れきって衰えたこの体
年齢などどうでもいい
生まれた日を知らないのなら
妻に愛をささげよう
友人たちのそばにいよう
夕暮れにはワインで乾杯しよう
老いを迎えいれるな”(一部抜粋)
老いることを考えさせられる映画に、惹かれているクアトロの父。
今晩は、さっそくワインで乾杯しようと思うクアトロの父だ。
明日から、クアトロの運び屋・クアトロの父が公開。