ドアの向こう

日々のメモ書き 

初夏の彩り

2012-05-13 | 道すがら

  日光線は外国人で賑わっていた。  途中下車して用事を済ませ取って返す、 そんなプチ旅。 そこで 面白いものをみつけた。


 畦に立てば気分は爽快、 初夏の風と万緑が迎える。 
  おおきく息をして 新鮮な空気を味わった。

 田に映る森翳に  光がたわむれる
 苗の列が小刻みに揺れて   行間に蛙の声 
 なにか小さな昆虫 タガメか ミズスマシ?もいる
  田亀の別名   高野聖  河童虫 ドンガメ…  面白い
    何故に 高野聖の名


  男体山が見えて  走る車窓より写した
  田をゆく雲と 
 山並と  共に進む電車   

 

クスサン 白髪太夫の繭

  藪の中は  きれいな網籠がたくさん
  羽化が近づいたサナギが眠っているようだ 

追記  クスサンとか 白髪太夫と呼ばれる蛾の繭だって  ルピナスさんからいただいた
 そのおびただしい毛からきた?   白髪太夫… だなんて立派ないい名前もらったね   
  

 

   あけびの花    詳しくは以前の記事

 

  雄花と雌花とわかれて



          オニグルミ雌花が見える

 グリーンの紐のような花(長さ30㎝くらい)が たくさん下がっている  
  何の木だろう  
 (追記) 樹木鑑定サイトでオニグルの雄花と教えて頂きました。 
  色々わかってうれしいです。 ありがとうございました。 オニグルミについてはこちら
 天辺に 淡いピンクの雌花が直立している。

 

ハルジオンに覆われる空き地   白蝶やツマグロヒョウモンが翅をやすめ
太陽が射しこむ雑木林からは  揚羽がゆらゆらと出てくる
 山躑躅の緋色と 柿若葉  山椒の芽   水木の花の白い階段
  藤の花 ・・・・・  

 

 

 

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旅のアルバム2

2012-01-05 | 道すがら

4日 大原三千院。 (地下鉄烏丸線 国際会館から路線バスに乗換が早い)
 宝泉院で抹茶をいただく。 寂光院を訪ね平家を偲ぶ。(宝物殿で火災に遭われた六万体のお地蔵さまを拝んだ。 胸が痛む) 京都駅に戻って、 きのう拝観できなかった東寺へ行く。 金堂にて(重要文化財)薬師三尊・十二神将に会った。
 大原は晴れ、 歩くと汗ばむ。  東寺では、 俄に吹雪く。


大原三千院

 


5日 銀閣へ 以前友だちと歩いたのは、 哲学の道に大島桜が満開の頃だ。 今は枯れもみじがところどころ寄せてある。 錆朱に趣がある。 屋根にうっすらと雪が積もっている。 何処に行っても南天がたわわ。 山茶花、椿、蝋梅。 おかめ南天、白南天。 千両、万両など。 

 銀閣から法然院  永観堂から 南禅寺まで(狩野探幽 水呑の虎)  
 三門にあがって絶景かな…

 平均すれば一日2万歩、 とにかくよく歩いた。 天候も目まぐるしく変わったが、それほど疲れはない。 冬こそ寺社詣でにふさわしいと思う。 あらたまの清澄な冷気に浄化され、 神聖さも増した。 そのうえ、 仏像を独占するとは 
 

 

 

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旅のアルバム

2012-01-04 | 道すがら

 二日から奈良・京都へ出かけた。
初日 八坂神社、平安神宮、 上賀茂神社 (神馬、タテズナも珍しく。 牛車の軛(クビキ)や輿の轅(ナガエ)などかけて… 絵巻が浮かぶようだ) 北野天満宮。  暮れがたの伏見稲荷。 どこも混雑している。 安らかな日々を願い、 家族の健康、 合格祈願を。

  

3日 奈良桜井の談山神社から聖林寺に詣で京都にもどる。 鈍色の空に淡いひかりがさしていた。 「これから 東寺に行こう…」 連れのひと声で重い足を運んだが、 南大門は閉まっていた。 風花が舞っている。
 車窓からみえた五重塔が 雄々しく迫る

  

 きょうは外から写真だけ撮った。

国宝 梵天像

 

     

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かたらい山

2012-01-03 | 道すがら

3日 聖林寺のまえに 多武峰  談山神社(トウノミネ タンザンジンジャ)に寄った
 御祭神 藤原鎌足公 
 折しも  子どもたちが集まって書き初めをしている。

 談山(タンザン)とは「かたらいやま」のこと。 西暦645年、 談山神社本殿裏山で、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌子(のちの藤原鎌足)が極秘の談合をしたところ。 

パンフレットによれば
  中大兄皇子、中臣鎌足連に言って曰く。 鞍作(クラツクリ)の暴逆をいかにせん。 願くは奇策を陳べよと。 中臣連、皇子を将ヒキゐて城東の倉橋山の峰に登り、 藤花の下に反正の謀を談ず。(多武峰縁起) 

 その結果 蘇我入鹿は罪をとがめられ殺された (大化の改新)

以来 多武峰は 談峰(ダンポウ)、 談い山(カタライヤマ)、談所が森(ダンジョガモリ)と呼ばれ、 談山神社の社号の起こりとなった。 飛鳥板蓋宮のドラマは多武峰縁起絵巻の中にある。 展示を見ると 凄惨な場面があり、 どよめきが聞こえそうだった。


 十三重塔を仰ぎみて神社の裏手から、 今は整備された起伏のある山道をのぼると 道はふたつに分かれ、 右手に290m行くと 「かたらい山」。 樹木がうっそうと繁り、 昼なお暗い、うら寂しいところで、 これなら誰にも聞かれはしない。
 みぞれ混じりの冷たい風が振りしぼるように鳴った。 談合の重大さを思うと、 からだが震えた。

 かたらいやま

  

 引き返して、こんどは左へ20分ほど、 いよいよ御破裂山頂だ。 破裂に驚くが、 古くから国家に不祥事があると 「神山が鳴動した」とある。 大音響は今もありそうな世の中だ。 正面は二上山、 眼下に藤原宮跡、 大和三山(畝傍山、天の香具山、耳成山)…  なんども言ってみた。

正面に二上山

 万葉歌を学んできて感動も一入。 晴れたり曇ったり、ときに霙が降っている。 
 藪かげにただひとつ、 苺でもない赤い実はサネカズラ(実葛)だろうか、 球形が固まっている。

  

 

 

 

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黄葉の調べ

2011-12-04 | 道すがら

神宮外苑銀杏まつり

  もみじを仰いで落ち葉をふんで  四谷駅から国立競技場まで歩いた 
 

 メタセコイアと同じように、 生きた化石といわれる銀杏

  その年に伸びた枝につく切れ込みの多い葉が 恐竜が見たかも知れない葉に似ている…(花おりおり)
 3億年くらいまえから生き継いでいるなんて。 神々しいような黄金色を、ひれ伏し覗きこむ。

  落葉の数だけ写真に納めた。  
   



 途中、 迎賓館から東宮御所へ向かうところの並木はユリノキ。   
   

 

  梢に すぼめた傘のような実がたくさん しわくちゃになる半纏が
  朱や黄、橙に色づいてカサカサと踊る。

東宮御所の銀杏 

  権田原。 
 付近の紅葉は、 深林の暗緑を従えてひときわあでやか。
 御観兵榎。 絵画館の名木、今は二代目の 「ひとつばたご(ナンジャモンジャ)」
五月 雪を被ったような白い花も見たいものだ。 

  

 

 肝心の試合  紺碧の空たかく、 逆転勝利で 機嫌よくカエル

   
     

 

   16:10  信濃町へ

 

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鶏林口誦

2011-10-02 | 道すがら

たくぶすま新羅の王の陵(ミササギ)に  
秋の日はいまうららかなり

いづこにか鶏(トリ)の声はるかに聞え
かなたなる農家に衣を擣(ウ)つ音す

路とほくこし旅びとは
ここに憩はん 芝艸(シバクサ)はなほ緑なり

中略

 

青空や
土壘(ドルイ)の丘や

まことやな 亡びしものは
ことごとく土にひそみて

鵲(カササギ)は
声なく歩み

艸の穂に
秋の風ふく

 帰宅後  三好達治の詩を読み、
韓国の旅をしみじみと味わうことができた。
 

 

あの日、私たちは松風を頬に受けて黙々と歩いた。
やがて開ける先に、 まろやかな新羅王の御陵がみえてきた。 

 

 

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河回村

2011-09-30 | 道すがら

 安東河回村(バンドン カワエムラ)は 豊山・柳氏が600余年間、 代々暮らしてきた同姓村で、 瓦屋と藁葺屋が長い歴史の中でも良好な状態で保存されてきた。韓屋(ハノッ)が良好な状態で保存され、タイムスリップをしたかのよう。 朝鮮時代の大儒学者 柳雲龍と、 文禄の役の際、 領議政(現在の首相に相当)を歴任した柳成龍兄弟が生まれたところとしても有名です。(パンフレットより)

 洛東江がS字型に村を囲むように流れているところから河回村と。
   俯瞰の画像はパンフレットから  

 

    村の東方に太白山から連なる花山(海抜327m)がそびえ、 その花山の裾野が丘を形成、 村の西端までつづく。 樹齢600年を越える三神堂と呼ばれる欅の木(御神木)、 その場所が村の中で最も高い中心部にあたる。 画像左手の松林のそばに道を挟んでこんもりと繁っているのが多分ご神木。

 仮面作りを体験し 儒学者たちの風流な娯楽であった「仮面舞」を見物。
  仮面劇へ参加体験など 

 詳しくは 河回村HPにて

  第40回 安東民族祝祭
   安東国際仮面舞フェスティバルは 2011 9/30~10/9まで 

  世界の仮面が集まるそうだ
     

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八万大蔵経

2011-09-29 | 道すがら

 

  新羅時代(802年)に創建された海印寺。 韓国最大のお寺で、 蔵経殿には八万大蔵経が 湿気や温度を考慮して整然と保管されている。  版木8万1350枚 (横に並べると60㎞に及ぶ)。 5千2百万余りの文字を、 一字彫ってはひざまずいて祈る。 また 一字彫って祈る… その繰り返しで、 まさに 心で刻んだ教えだった。 
 版木を拝むだけでも 魂が洗われるよう。  雨あがりの境内に霧が立ち、 山々がつつましく控える。 なかに仏のすがたも立ちのぼるようだ。  感動しながら、 しばらくたたずんでいた。
 
 版材は白樺、 3年の間海水につけ、 乾燥させ、引き締めて彫る。 しあげに漆を塗った。 こうして腐蝕や虫食い劣化など防ぐ。 いまでも鮮明に印刷できるそうだ。  内部は撮影禁止。 海印寺の説明下段に写真が何枚かあり、 クリック拡大で、 大蔵経がみられます。

 

釈迦の教えを網羅した大蔵経は、僧侶が文字を書いたのち、 版木に貼りつけ、ごま油を塗って文字を鮮明に浮き上がらせて彫った。 彫り師は何人もいるが、 版木はまったく乱れず、あたかもひとりで彫り込んだよう。
 ちょうど近くで 2011大蔵経千年世界文化祝典 の開催中、 実物二枚が展示されている。 間近にみるチャンスだった。 造版過程も、 紙漉にはじまり、版木を切り出すところから学ぶことができた。 

 蒙古侵略に対し、国難克服を祈願するため高麗23年(1236年)にはじまり16年かかったとある。 もとは 別の所にあった大蔵経を海印寺まで 僧侶の読経を先頭に、 険しい山中をたいせつに布に包んで胸にいだき、 あるいは頭上に頂いて、 一枚ずつ運んだようすなども知った。 隊列は荘厳の極みではないかと思われたが 記憶違いがありましたら ごめんなさい。 

午後 古都・慶州へ

新羅時代の政治・文化の中心として栄えた慶州。 約2千年の歴史がある。
仏国寺

 俗世と天界を隔てる石段 その下半分が青雲橋、 上半分が白雲橋でその上に構えるのが紫霞門。 石段をのぼるごとに浄土に近づく。

    いまは無いが、 ここに池があり橋の下を船が通った。 証拠に蓮が植えてあった。 

詳しいことは こちらへ  説明もきれぎれとなり撮れなかった写真もあり、NETのありがたさを痛感しています。 紫霞門は正面から 木魚・ 法鼓・ 雲版・梵鐘など それぞれ拡大して。

 

  歴史遺跡地区  天馬塚 へ
 闇夜にもライトアップされ大小さまざまな墳墓が見える。 古墳群の23其のうち、天馬塚を見学、 内部の博物館で発掘品を鑑賞。 ここは5世紀末から6世紀の初頃に作られた。 積石木槨墳でこの古墳からは金冠を始め 各種装身具、 武具、馬具など11,526点を出土。 内側からみると石や土で固められた墳墓の構造がよく分かった。 外からは芝生に覆われた小山のようにみえる。

  詳しくは こちらに

   

 

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渡せる橋

2011-09-28 | 道すがら

夕べおそく金浦空港についた。 ソウル市内のホテルであわただしく眠る。 
 翌朝食は市内のレストランで ソルロンタン(牛骨や肉などを水で煮出してつくるスープ、 味付けはなく 肉や素麺、 薬味などを入れ塩・胡椒などで各自好みの味に調節。 ご飯も入れて濃厚な雑炊風)をいただく。 
 伝統とモダンが混在する街ソウル。 近くて遠い、 遠くて近い国を思うとき一抹の感傷が湧く。 かつて教わった隣国の歴史と文化に触れる旅だ。    

昌徳宮  朝鮮王朝の歴代の王に愛され、王たちはここで長い時を過ごした。 自然美を重視した朝鮮時代の美意識がよく現れている。 落ちついた建築空間。 

敦化門  周辺に樹齢300~400年のエンジュ8本。 朝廷の官僚が勤務する官庁がここに建てられ

 自由に枝を伸ばすところから 学者の気概に喩えられた。 
やはり植物に眼がいく。  建物は自然に調和している。 

 

仁政殿 昌徳宮正殿 朝会、王即位の礼、外国の使臣の接見をするところ
      仁政殿 内部  カーテンやシャンデリアなど西洋風インテリア。

 屋根の飾り(西遊記)  瓦が青い仁政殿と 宣政殿(王が普段業務を行う)

身分により通れる所がちがう  

王の通る所は 屋根つき
 その他 詳細はこちらで  

次いで 宗廟へ 
民族衣装の美しいガイドに案内されて中に入ると 韓国の国鳥カササギが迎えた

 このあとも 森のいたるところで見かける。 カラスより小振りで 肩や腹、翼の先は白。 黒くみえても緑や紫もうかがえて瑠璃色も美しい。 尾は長く、カシャとかカチャとか、 しゃがれ声で鳴く。  カササギは牽牛と織女のために翼をならべて、天の川に橋を渡すという中国の伝承もおもしろい。 日本では佐賀県にしかいないそうだ。
中国では「幸せを呼ぶ」 と、先日の鼻煙壺の模様にもあった。

宗廟は 神聖な王室の祠堂。 朝鮮時代の歴代王と王妃の神主位牌を祀り、祭祀を行うところ。 祭礼は国の最も重要な儀礼であり、厳格な手順と格式があり王自らが行った。  今も宗廟祭礼は毎年5月第1日曜日に行われ、600年も受け継がれている。 宗廟祭礼楽と調和してさらに荘厳さが添えられた。 
 参列者数百人、 韓国最大の伝統行事である。1995年重要無形文化財第56号、 2001年ユネスコ世界無形文化遺産(人類の口承および無形遺産の傑作)に指定された。
 儀式のようすなど 詳しくはこちらで 写真をクリック拡大してご覧ください。 

 午後から南へ1時間 水原着  
健陵 正祖(在位:1776-1800, 1752-1800)と彼の妃の孝懿王后(1753-1821)金氏の墓。 紅門 丁字閣 正祖・孝懿王后陵 直線上にならぶ。 正祖は 父王 荘祖の御陵を楊州拝峰山から水原の花山に移し龍珠寺を建て ここに冥福を祈った。

 隆陵は右手奥。 今回は寄らないが 米びつに閉じこめられ非業の死を遂げた荘祖(第二王子が正祖)と献敬王后の陵。  

 詳細はこちらへ

水原華城 朝鮮第22代正祖大王が2年9か月かけて完工。 要所要所に門、 砲台、やぐら、兵士の休憩所、軍事指揮所、訓練所など、 東西南北に整然と組み込んでいる建造物。 旗色に注目、 南は赤、西は白、北は黒、 東が青で区別される。

  

 華虹門 北水門  

訪花隋柳亭(東北角楼)にあがり四方を見渡せば 全長5.7㎞の城壁が万里の長城を思わせる。

訪花隋柳亭からの眺め 


 

  さらに 詳しく

龍仁泊   カササギに導かれて 初めての韓国旅行はつづく。
   
    パンフレットなどお借りして 自分宛のメモです。

 

 

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故宮博物院

2011-06-01 | 道すがら

  世界最大の天安門広場は 総面積44万㎡。 気温25℃。 観光客多い、 外気以上に高い熱気。 警官が青い制服で整然と立つのも印象的だ。 故宮は外朝、内廷、西と東サイドに分けられるが、 今日はまっすぐ、 真ん中を進む。
  広場中央に、人民英雄記念碑、毛主席記念堂、 西側は人民大会堂(国会議事堂に当たる)、東側に 中国歴史博物館、革命博物館が建っている。 宮殿は 南北中央線上にあり、左右対称な配置。 門をくぐっては宮殿を仰ぎ、 いちばん奧の神武門から景山公園を眺めた。
 

 太和門   

太和門

 
  太和殿
          
太和殿 

 天安門、瑞門、午門(紫禁城正門)、 太和門を経てようやく大和殿のまえ。
 ここでは春節、冬至節、皇帝の誕生日、即位、婚礼などの大典が行われた。 文武百官や王侯の朝見もここで行った。 圧倒する数の人々が皇帝の前にひれ伏した、 映画のシーンがよみがえる。 

 


  中和殿

中和殿  

  大和殿に臨む皇帝が一休みする控えの間。 屋根の丸い珠は皇帝の象徴、 走獣(竜、鳳、獅子、海馬、天馬など)10匹がみえる 

つよい照り返しと人の波、ガイドの声もきれぎれに聞こえる。 殿字楼閣など9000室!!とは。 鮮やかな壁。 宮殿の華麗な装飾。天井の装飾や屋根飾り、色彩など 惹かれた。 壮大な歴史と権威に目がくらんだ。 我を忘れ、紫禁城のコオロギのような小ささで一部分だけみつめてきた。 
 木を見て森を見ず… 全く目移りして 肝心なものを撮り損ねている。 

 

 説明文は パンフレットから

 

 

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長城へ

2011-05-31 | 道すがら

 朝早く西安から北京へ(空路)移動   広東料理の昼食をすませ 万里の長城へ  
 2500年前、 中原の周王朝が北方民族の侵入を防ぐために築いたのがはじまり。 その後 秦の始皇帝が30万の工兵と農奴数百万人を駆りたてて、北方の長城を連結、 西方も延長。 

 こうして見ると、 長い生きもののようにくねくねとつづいている。 総延長6350㎞。
 長城に近づくにつれ雷雨となった。 烈しい雨にうたれ、 10元で求めたビニール合羽はすぐに破けた。 横殴りの雨は 傘をさしても役に立たない。

 

  なかでも緩やかだというコースを選んで、 八達嶺より登る。 八達嶺は燕山山脈の要衝、軍都山に築かれ、北京近郊で最も早く修復された。 明代に大改築が行われ、帝都を守る北の関所となった。

  緩やかと言ったが、 どうしてどうして… 階段は不揃いで急勾配、 やがてきつくなった。 合羽は蒸れて汗によごれ服はぐしょぐしょ。 射撃孔を吹きあげる風が気持ちいい。 白い花も咲く。 宇宙からも見える地球上の建造物 は、 歴代王朝が2500年にわたって拡張増築をかさねた。 気が遠くなるような壮大さで。

   写真は 別冊に詳しく      

    

              -☆-

ところで 長城のまえに 宝石店で七宝焼の工程を見た。 細かい作業にまたびっくり!

 図案の輪郭に銅線を貼る

  細かい! 根気がいる

 銅線で囲った中を彩色

  焼いた後も表面はまだ絵具が凸凹している

 磨きをかけてつるんとした七宝焼の完成 
  

 

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国際都市・長安

2011-05-30 | 道すがら

 シルクロードの出発地、古都 西安。 玄奘三蔵も長安の都を出発し、西域諸国を訪れている。 李白、杜甫、王維、白居易ほか、多くの詩人、文人が活躍した。 唐代の国際都市・長安へ日本からも7~9世紀、16回にわたり遣唐使が入る。 玄宗の側近として活躍した阿倍仲麻呂や吉備真備、高僧空海らがいた。1369年西安府となる。 (ガイドブックより

  奈良や京都をおもわせる古風な佇まいが心をやすめる。 西安市の花、柘榴は紅一点… 緑に映えて。 白花もあり、 いずれも八重咲き。 ふだん見るのは一重の漏斗状ばかりなので驚いた。
 11:00 兵馬俑坑博物館 

アプローチの市松模様、クローバーがアクセント 

 秦の始皇帝、兵馬俑の映像はよく見ていた。
 精巧な人馬の像は数えられないほど多く、 秦王朝の強大な軍隊の縮影をみるよう とある。
 発掘順に、1号坑(1974年3月、農夫が柘榴畑で井戸掘作業中に、偶然みつけた。6000件の陶俑、陶馬と戦車50台。 最大の坑)。 1号・2号・3号坑合わせて8000件出土。  
 俑の、人物の顔、体つき、それぞれ個性的、 性格などわかりそうなほどだ。 髪型など異なる描写。微笑んだり、 活発そうな人、 考え込んだり、驚いた表情など。 経歴や年齢まで写している。  

おなじものがひとつもない。 
当時は色が付いていた。 かすかに色が残る像もある。

 

  像の上は松の木でふさいであった。 ゴツゴツ見えるのが松。 炭化したのもある。



  1号坑 圧倒する数と坑の広さ。 壁際の見学者が 蟻に見える

修復を待つ像

 

 1号坑発見より 20年後に発掘がはじめられた 2号坑からは、 青銅製の銅車馬が見つかった。 

 

 

 
        

   粉々に砕けていたのを復元。 部品3000個余を組み立てたそうだ。
    よくぞ ここまで !!

        

     始皇帝巡行用で、 御者は四頭の馬を御し、長衣束帯を身につけて豪華。  秦始皇帝陵はまだ開けられていない。 入口さえ見つからないという。 風水の角度は最高の位置。 地下宮殿にたどり着くのは、 いつのことだろう。 車窓から緑したたる小山を望んだ。 墳墓の周りに 柘榴畑が延々つづく。 鮮やかな花が全てをみつめていたのだ。 
 さいごに発見者の楊さんに会った。 おだやかな優しい感じ、 図録にサインをもらう。
   ほか 兵馬俑のレプリカを購入。 

  大雁塔大慈恩寺境内にある。 インドより経典を持ち帰った玄奘三蔵が翻訳した仏教経典600部あまりを納めるため建立。 高さ64m、7層。 文人墨客が好んで登り、多くの詩を残している。 手許の唐詩選(岩波文庫)をみれば 岑参(シンジン)という詩人の作に

 塔の勢いは 地から湧き出たかのように、ただ一つ、高く、天上の宮殿までも とどかんばかりに そそり立つ。 この塔に登り立てば、俗世からぬけ出たことになろう。 … 空につき出た姿は 中国全土を圧し、けわしい高さは鬼神が作りなしたかと思われる (前野直彬注解)

 とある。 当時は高いものが何もなくて、 清寂な趣のなかに立つ7層は荘厳で、 たいそう感激したのでしょう。 今はどこも建設ラッシュ、 玄奘三蔵像のうしろにもクレーンが写っている。

 

  

  むかしむかし職場の後輩たちとさいたま市岩槻の慈恩寺へ。  そのころは何も知らないでいたがルーツはここ。

   

 これまで 自分宛のメモ 

 

 

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異国情緒

2011-05-29 | 道すがら

 上海、西安、北京へ、4泊5日。
夕べ遅く 東洋と西洋が混在する上海についた。 上海は2度目である。
 租界があったころ黄浦江沿いの道を バンド(海岸通り)と呼んでいた。 

  揚子江(黄浦江)のむこうにTV塔などの高層ビル群
 観光客でいっぱい

 

老碼頭 The Cool Docks

 もとは 上海油脂工場の建物  おしゃれな一角

 芸術家の事務所や国内外の企業、多くの飲食店が並ぶ 異国情緒たっぷり。

 以前も寄った 豫園、 孝行息子さんが親に贈った庭園

 一歩一景  門をくぐれば別の顔  柘榴は紅白花盛り

  花窓 池 太湖石 欄干 屋根の神獣 いくら見ても見飽きない
 前回の 上海はこちらへ

 お時間があれば 別冊アルバムでどうぞ

  

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初夏の里山

2011-05-16 | 道すがら

窓からの眺め

 用事がてらに 栃木市都賀郡大柿の花之江の郷へ。 初夏の郊外を車で走ると

  丘の斜面に白い花が層を作って段々になっているのがミズキだ。 枝先を折ると水が滴るからミズキ。 材は白くて美しく、木目が細かい。こけしや独楽など細工物に使われる。
               「雑木林の博物誌 足田輝一」 

 白い花の階段… ながめるのが楽しみだった。 ニセアカシア、 桐の花、 藤、 エゴノキなどいたるところ。  花之江の自然荘ジネンソウでランチタイムはフルートにのせて。 心地よい音楽と風にまかせリラックスしていると、  おや…  窓からトンボが入ってきた。 慌てるトンボは壁になんどもぶつかりながら、 花の写真に近づいて眼を凝らすと ようやく出て行った。 

  さまざまな山野草を従えて林の奧へ道はつづく。 エビネランが咲いている。 都忘れ、 黄色いセンダイハギと歌舞伎のこと。
 ナルコユリはみどりにとけ込んでなかなかみつからない。 近くの葉に

 

 さっきの糸トンボがいるよ。 ビックリ眼でこちらを見ている。 
 尾や胸が青い クロイトトンボ。

  里山の風景をフォトチャンネルでお楽しみください。 これには期限があって
 いつか見られなくなるのでしょうか。 

 画像の上でダブルクリックをすると 大きな写真が見られます。

 

 

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風薫る

2011-05-04 | 道すがら

  ことしも 大盆栽まつり。 世界のBONSAI  メッカ大宮盆栽村で開催される盆栽の祭典。 名品盆栽の展示、 市民盆栽展、 盆栽盆器の即売会など開催… と謳われる。

 

 羽衣ジャスミンの濃厚な甘い香りがしている通りを抜けて。 見るだけでも 愉しい豆鉢など。

ニオイ神津えびね 道の両側、 住宅のまえに所狭しと店が並んだ。 盆栽はもとより エビネ、 ワタスゲなど山野草の類、 盆景になる飾り小物、 蛙、橋、ミニ燈籠のやきもの。 盆栽を載せる棚や盆。 盆栽用の道具。 ハサミ、ピンセット、針金切りハサミ、ヤットコなど。 肥料各種。 園芸種の鉢植え、苗、やきものなどあふれている。 ありとあらゆるものが揃っていて愛好家のパラダイスなのだ。

  右に控える 「ニオイ神津えびね」は、 如何ですか。 この立ち姿、 品のよい配色で 2,500円也。 とても惹かれますが 
カワズにカエル。

  かならず拝見するお庭があって、 表にナニワイバラが咲きみだれ、 ボーダー花壇もすてきな家。 花のカラーコーディネートが新鮮。 珍しい品種ばかりを選んでいらっしゃるのか、 センスが窺えて興味が湧く。 なかでもことしは純白の花に惹かれた。 横から見ると、ほお紅用の刷毛に似て、 花びらの端に撫子のような切れ込みがある。     

    

  伺うと 「セントーレアイノスホワイト」 というそうだ。 お許しを得て撮してきた。 NETで調べても、 ほとんど出てこない。 やはりまだ珍しいようで、 ようやくこちらに

  
 

  大宮公園で持参のお弁当を開く。 
  みずみずしい緑、 そよ風の匂うような爽やかさ。 
   木陰の清々しさは、 何よりのご馳走であった。 

 

 

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