ドアの向こう

日々のメモ書き 

吾妹子先生

2006-02-02 | こころ模様
 いただいた版画(犬を連れたマダム)を見て思わず 「胸別ムナワけの 広き我妹ワギモ 腰細コシボソの すがる娘子ヲトメの…」万葉集巻九・1738 を思った蛙。

 一方、Mさんは、もしかしてこれは平賀元義というひとのうた? 我妹と言うところが引っかかって、と思い出し遡ってみたのです。 日本人で良かった、子規の文章を読んで心が揺さぶられた と。

 遠く外国にあって20年近くなるのに、百人一首を忘れず、日本の文化を大切にしている彼女が読み返していたのは  正岡子規の 「墨汁一滴」 である。
 子規が新聞「日本」に約半年の間連載した随筆。
そのうち13日分を費やして平賀元義だけを熱く讃えている。 

 『…我々の歌を作る手本として学ぶべきは何の集ぞ、と問はん時、そは『万葉集』なり、と躊躇なく答へん者は平賀元義一人なるべし。万葉以後一千年の久しき間に万葉の真価を認めて万葉を模倣し万葉調の歌を世に残したる者実に備前の歌人平賀元義一人のみ。
     -中略-
 … 彼は卓然タクゼンとして 世俗の外に立ち 独り喜んで万葉調の歌を作り 少しも他を顧カエリミざりしは けだし心に大オオイに信ずる所なくんば あらざるなり。2.14
 元義の歌には 妹イモまたは吾妹子ワギモコの語を用ゐる極めて多し。
故に 吾妹子先生の諢名アダナを負へりとぞ。 1901.2.19 』  
   『 妹イモと二人暁アカトキ露に立濡れて向ムカつ峰上オノエの月を看ミるかも
  妹が家の向ムカイの山はま木の葉の若葉すゞしくおひいでにけり
  鴨山カモヤマの滝津白浪シラナミさにつらふをとめと二人見れど飽かぬかも
  久方の天アマつ金山カナヤマ加佐米山カサメヤマ雪ふりつめり妹は見つるや
                                         
 元義吾妹子ワギモコの歌
 
  遊于下原
 石上イソノカミふりにし妹が園の梅見れどもあかず妹が園の梅
  正月晦日
 皆人の得がてにすちふ君を得て吾ワガ率寝イヌる夜は人な来キタりそ
  自下原至篠沖村路上
 吾妹子ワギモコを山北ソトモに置きて吾ワガくれば浜風寒し山南カゲトモの海 』
 

  平賀元義の名も我妹子先生も知らなかった。 またMさんのてがみから、お福わけを頂いた。
 バッグと我妹子 うれしきことが二つになった。  これはカジュアルであなたに似合うと思って…  
 ことしの第一号…    なんとうれしい!  
コメント
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