ドアの向こう

日々のメモ書き 

国際都市・長安

2011-05-30 | 道すがら

 シルクロードの出発地、古都 西安。 玄奘三蔵も長安の都を出発し、西域諸国を訪れている。 李白、杜甫、王維、白居易ほか、多くの詩人、文人が活躍した。 唐代の国際都市・長安へ日本からも7~9世紀、16回にわたり遣唐使が入る。 玄宗の側近として活躍した阿倍仲麻呂や吉備真備、高僧空海らがいた。1369年西安府となる。 (ガイドブックより

  奈良や京都をおもわせる古風な佇まいが心をやすめる。 西安市の花、柘榴は紅一点… 緑に映えて。 白花もあり、 いずれも八重咲き。 ふだん見るのは一重の漏斗状ばかりなので驚いた。
 11:00 兵馬俑坑博物館 

アプローチの市松模様、クローバーがアクセント 

 秦の始皇帝、兵馬俑の映像はよく見ていた。
 精巧な人馬の像は数えられないほど多く、 秦王朝の強大な軍隊の縮影をみるよう とある。
 発掘順に、1号坑(1974年3月、農夫が柘榴畑で井戸掘作業中に、偶然みつけた。6000件の陶俑、陶馬と戦車50台。 最大の坑)。 1号・2号・3号坑合わせて8000件出土。  
 俑の、人物の顔、体つき、それぞれ個性的、 性格などわかりそうなほどだ。 髪型など異なる描写。微笑んだり、 活発そうな人、 考え込んだり、驚いた表情など。 経歴や年齢まで写している。  

おなじものがひとつもない。 
当時は色が付いていた。 かすかに色が残る像もある。

 

  像の上は松の木でふさいであった。 ゴツゴツ見えるのが松。 炭化したのもある。



  1号坑 圧倒する数と坑の広さ。 壁際の見学者が 蟻に見える

修復を待つ像

 

 1号坑発見より 20年後に発掘がはじめられた 2号坑からは、 青銅製の銅車馬が見つかった。 

 

 

 
        

   粉々に砕けていたのを復元。 部品3000個余を組み立てたそうだ。
    よくぞ ここまで !!

        

     始皇帝巡行用で、 御者は四頭の馬を御し、長衣束帯を身につけて豪華。  秦始皇帝陵はまだ開けられていない。 入口さえ見つからないという。 風水の角度は最高の位置。 地下宮殿にたどり着くのは、 いつのことだろう。 車窓から緑したたる小山を望んだ。 墳墓の周りに 柘榴畑が延々つづく。 鮮やかな花が全てをみつめていたのだ。 
 さいごに発見者の楊さんに会った。 おだやかな優しい感じ、 図録にサインをもらう。
   ほか 兵馬俑のレプリカを購入。 

  大雁塔大慈恩寺境内にある。 インドより経典を持ち帰った玄奘三蔵が翻訳した仏教経典600部あまりを納めるため建立。 高さ64m、7層。 文人墨客が好んで登り、多くの詩を残している。 手許の唐詩選(岩波文庫)をみれば 岑参(シンジン)という詩人の作に

 塔の勢いは 地から湧き出たかのように、ただ一つ、高く、天上の宮殿までも とどかんばかりに そそり立つ。 この塔に登り立てば、俗世からぬけ出たことになろう。 … 空につき出た姿は 中国全土を圧し、けわしい高さは鬼神が作りなしたかと思われる (前野直彬注解)

 とある。 当時は高いものが何もなくて、 清寂な趣のなかに立つ7層は荘厳で、 たいそう感激したのでしょう。 今はどこも建設ラッシュ、 玄奘三蔵像のうしろにもクレーンが写っている。

 

  

  むかしむかし職場の後輩たちとさいたま市岩槻の慈恩寺へ。  そのころは何も知らないでいたがルーツはここ。

   

 これまで 自分宛のメモ 

 

 

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