被災地のみなさま どうぞおだいじに
このあたりも余震がつづく 震度3くらいのが一日4・5回あった。
被災地の方に思いを馳せ、 水と灯りと あたたかな食事を 少しでもおわけしたいと切に願い、 とにかく募金をした。
あれから 外出しないで被災者をみつめる日々だ。
家族が急に近くなった。 息子や弟が電話してくる。
15日 「会社から福島原発の事故で 関西へ避難するよう指示があった そっちは放射線量も高いし心配だ 一緒に行こう」 突然のことにうろたえる。 同僚はすでに家族をつれて西へ向かい、 自国へ帰った者もあるという。
対応の早さにたじろいだ。 会社は今週いっぱい休業で、本国では原子炉の稼働停止も決めたとか。 「ありがたいけど 自分で判断する。 そちらはそちらで」 と引き延ばした。
夕方のニュースでは あまり心配ないこと。 冷静に 落ちついて。
息子たちもとどまったようだ。 わたしの心は最初から決まっていたけれど 情報に振りまわされてはならない。
「今 こちらは停電… そっちは?」 「3時間くらいでしょう。 被災地のことを思えばこれくらい何ともない」 できるだけ協力したい。
「暗闇が ちょっと なつかしいね」 昔は停電がよくあった。 義妹は入院中で、 ひとり蝋燭に照らされるおとうとの顔が浮かんだ。 炎がユラユラして長い影が障子や壁を這いあがる。
「Hさんはだいじょうぶ?」 「しっかり管理されてるから安心だよ」
被災地にも透析をうけるかたがある。 医療品の不足にこころが痛んだ、 いたたまれない気持ちだ。
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16日 第2グループ 午後3時20分から 7時まで停電
冷蔵庫を開けると中が暗い。 当然のことなのに驚くじぶんが可笑しい。
6時半ころまで雨戸を開けておく 月明かりがガラス戸を透して、 庭の柚子の木が廊下に陰をつくる。 天空に、さやかな月影(月齢 11.3) 。
昔の感覚がゆっくりよみがえる。 久しぶりになった蝋燭の灯に見入っている。
多くの人に ささやかな安らぎがありますように。
と ここまで書いて あっ!
また 地震 22:40ころ 震度3
新しくした携帯は 大きな音で地震情報を伝える。
真夜中も何度か起こされて、 安心をつなぐ電話に当分ふりまわされてゆく。
東京電力 計画停電予定スケジュール
しばらくの間 電力不足等に協力するため blogをお休みいたします。