見えぬゆえに怖れるもの、それは放射能?
以前から放射能漏れはたびたびあった(非公表なだけで)、汚染水の垂れ
流しもあった。魚の奇形がみつかっても隠してきたのは関係各社諸々で
水俣病の構造となんら変わりはない。
オール電化に踊っていた国民はバカ者なんだな、何がエコだ、ムリムリと
思わないのだから。原子力発電がエコなわけはないでしょうが!
原発から遠くにいる一般人はそれを見る機会はたしかにない。見て取材した
記者が意外に安全、安心した等と書いてきた、悪気はなくて?
専門家研究者で危険を問題視するものはアカデミーに居場所はなくなって
広瀬隆氏は長く干されていたのと同じだ。おなじく小出氏も存在すら
知られていなかったのににわかに注目され取材を受けている。
ご当人は静かに闘い続けてきただけなんだが。
見えず、だから恐れず。
見える、だから怖い。
今は見えている状況だ。だから怖がっている。
考えなかったからだ、見えないから怖いんじゃなくて、考えもしなかった
ことにあたふたと怯えている。
神に祈るとき、神は見えない。見えないが怖れない。
畏れはしても怖くはないから拝んでいられる。
見える、見えない、見える、見えない、見えない‥。
見えないものも在ることを、今、体験しているわけなのだ。
原子という極微の見えない存在を、制御できないものを手に入れ、
操っていると思い込んでいたわけだ。
人は神を拝むとき、もしや操れるとおもってやしまいか。
己の欲のままに。
きょうあたり、かかかを更新予定。