心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

紫陽花

2006-06-18 10:33:43 | Weblog
 梅雨の庭の片隅にひっそりと咲く紫陽花の花。昨年、切花の紫陽花を挿木しておいたら、今年きちんと根付いて花を咲かせてくれました。深い緑を背景に打ち上げ花火を連想させる可憐な姿が、「夏」を思わせます。
 紫陽花は日本特有の園芸種で、伊豆や房総の海岸沿いにあるガクアジサイが原種で、我が家の紫陽花もその一種です。一方、花屋さんでよく見かける紫陽花は西洋アジサイといい、18世紀後半に西洋に紹介されたあと品種改良を経て逆輸入されたものなのだそうです。ガクアジサイについて調べてみると、「茎の先に散房花序をつけ、周縁に少数の中性花と中央に多数の両性花をつける」「中性花は4、5枚の花びら状のガクからなり」「中央の両性花を、中性花が額縁のように縁どっているので、この名がついた」(「四季の花=花屋さんの花図鑑」より)とありました。
 ところで、昨夜は、黒田玲子先生の著書「科学を育む」(中公新書)を読みました。浮き足立つ我が国の理科教育の現状と課題、科学技術政策の在り方について考えさせられることが多々あり、時間を忘れて読みふけってしまいました。気がついたら午前3時。慌てて眠りにつきました。
 そんなわけで、今朝は目覚めが悪く、そのうえに小雨が降る梅雨特有の空気が若干の気だるさを誘い、サティのピアノ曲を聴きながら布団の中でもぞもぞしていました。「三つのグノシエンヌ」「童話音楽のメニュー」「絵のような子供らしさ」「でぶっちょ木製人形へのスケッチとからかい」「自動記述」「3つのジムノペディ」...。考えてみると、このCDを聴くのは決まって気だるい雨の日が多いのです。とりあえずは何もしたくない。何も考えたくない。ただただ、肉体として横たわっている自分自身を感じるだけの時間...。
 すると、遠くで「ワン、ワン」。無為の時間に漂う私を、愛犬ゴンタが叩き起こします。現実の世界に蘇らせてくれました。少し遅めの朝食をとろうと食卓につくと、お皿に大きなビワの実がおいてありました。そのとき、ふと夢の中で父に出会ったことを思い出しました。学生時代を長崎で過ごした父は、ビワが大好きでした。明治生まれの彼がなぜ長崎にこだわったのかは知る由もありませんが、経済を学ぶ傍らESSクラブで活躍したようで、英語劇の主役を務めた当時の写真は自慢のひとつでした。父は、卒業と同時に東京の某会社に就職後73歳まで、一貫して企業戦士としての人生を歩みました。もうすぐ父の命日です。何年目になるのか思い出さなくてはならないほど遠い昔のことになってしまいました。
 追記:きょうは紫陽花に触れましたが、日本原種の紫陽花を西洋に紹介したのは、なんとシーボルトでした。その学名に愛人だった長崎丸山の遊女「お滝さん」の名を採ってオタクサと命名したとか。紫陽花は長崎市の花になっています。

シーボルトとオタクサ展
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/siebold/newpage1.htm
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