2週続けて旅先で過ごした日曜日。きょうは予告どおり奥さんと二人で広島小旅行でした。姪が嫁いだ宮島に20数年ぶりに訪れたのです。日常性から距離を置いて、きょうは観光客に徹して、厳島神社、弥山山頂の散策。乗り心地の良かったロープウエイでは、耳元に野鳥の声を聞きながら、しばし樹上の景色を楽しみました。街に降りると正午過ぎ。旅館の温泉で一服したあとは、広島の名酒、穴子料理を楽しんで、午後2時過ぎには島を離れました。というわけで、さすがに少しお疲れのご様子です。今回は写真中心のブログ更新とします。来週の日曜日は1日、寝て過ごそうっと。いや、音楽三昧の休日をと思っております。でも、結婚式も素晴らしかったし、宮島散策も良かったし。言うことなし!
一番最初にご挨拶をいただいたのは、優しい表情の鹿さんでした。
干潮時でしたので、鳥居の傍まで歩いていくことができました。
弥山の山頂から瀬戸海が見渡せました。
その弥山山頂で、もの思う一匹のお猿さんに出会いました。この格好で考え事をしていました。
そう言えば昨日、長女の孫君が水疱瘡に罹ったようで、家内が駆けつけました。比較的元気だったようで安心しましたが、こうして幼子も様々な病気を経験しながら元気に育っていくのでしょう。それにしても昨今の新型インフルエンザ騒ぎは、少し異常にも思いました。もちろん、通勤時にはきちんとマスクを着用したものの、あまり大騒ぎをすると逆に人間の抵抗力がなくなりはしないかと。弱毒性のようだし、むしろ早目に罹って抵抗力をつけたほうが得策ではないかと、素人なりに考えました。
巷では薬局が急増しています。儲かるのでしょう。でも、何かあるとすぐに薬に依存することの是非を真剣に考えても良いのではないかと。我が社の創業の主は、こんなことを言っています。「温室育ちの花は弱い。雨に叩かれ風に晒されて育てられた花こそ外出して本当の粘りある強さをもつものだと考えます」と。これだけ文明が発達してくると、雑草のような強かな生き方を忘れがちです。人類は意外に早く絶滅の危機を迎えるのではないかと。あぁ、こんなことを考えるようになると、老人臭くなって駄目ですね。しかし、現代の私たちは、何か大事なものを置き忘れてはいないかと、都会の喧騒のなかで、ふと思うことがあります。
きょうは午前中だけゆっくりして、午後に出かけます。そろそろ梅雨の季節でしょうか。空模様が心配なので、早朝に庭掃除を済ませました。我が家の畑を眺めると、今年もトマトがすくすくと育ち、小さな実をつけ始めています。ブルーベリーは、まだ青いですが大粒の実をつけています。来月下旬には孫君を呼んで、トマト狩り、ブルーベリー狩りをさせようと、少しばかり追肥をしておきました。
実は、この資料館、別名相馬御風記念館とも言われ、「明治から昭和にかけて叙情歌人、詩人、書家、作詞家、自然主義評論家、さらに良寛研究の第一人者として活躍した」相馬御風の関係資料を収集・展示している所です。早稲田大学の学歌「都の西北」をはじめ200校を超える校歌を作詞した人、もっと言えば、童謡「春よ来い」歌謡「カチューシャの唄」などを作詞した人といった方が判りやすいかもしれません。予てからこの記念館を訪ねてみたいと思っていました。
休日の早い時間帯だったためか、一人静かに様々な資料をじっくりと拝見することができました。往時の人となりを思い浮かべることができました。相馬御風は、早稲田の文学部を卒業後、早稲田文学の編集に参画するなど文芸評論でも活躍し、後年糸魚川に帰って以後は、良寛研究に意を注ぎました。展示資料をみて、改めて交友関係が広いのに驚きました。当時の多くの文人との書簡が多数展示されてありましたが、竹下夢二との書簡もあって、「カチューシャの唄」の楽譜の表紙デザインは夢二の作品でした。新しい発見でした。
ずいぶん気を良くして、今度は駅の反対方向、日本海の方に向かって歩いて、そう15分ほどのところにある相馬御風の生家にも立ち寄りました。そこから数分も歩けば、どんよりとした重たい雲が海面を覆う日本海です。その日本海を望む海望公園の一画には、相馬御風の歌碑がありました。「かりそめの遠出なれども夕されば 旅のこころとなりにけるかも」。なんだか嬉しくなって、ぱちりと写真を撮影しましたが、歌碑説明板には撮影者の影がくっきりと映ってしまいました。そのあと、横町筋の老舗蕎麦屋「泉家本店」で美味しい穴子蕎麦をいただいて帰途につきました。
帰りは、糸魚川駅午後12時56分発の普通列車で富山まで、ゆっくり1時間をかけて越後路を楽しみました。車中では、糸魚川の美味しいお酒をいただきながら、資料館で買った「相馬御風作詞楽譜集」相馬御風著「良寛さま」を眺めて過ごしました。富山からは特急サンダーバード32号に乗り換えて京都まで。我が家に到着したのは夕刻6時を過ぎていました。こんな次第で、きょうの1日は、何かしら遠くに置き忘れていたものに出会ったような、そんな温かい心と満足感が全身に充満しています。
昨夜、雨が降り出して、きょうの日曜日はどうなるのだろうと案じていましたが、やはりいつ降り出してもおかしくはない、どんよりとした朝を迎えました。それでも、庭の草花は、この湿っぽさが気に入っているのか、気持ちよさそうに呼吸をしている、そんな風景に癒されます。
さて、きょうは、年に1回の愛犬ゴンタの予防注射の日でした。1カ月ほど前にご案内の葉書が届いていました。人気の動物病院なので、今年も朝一番をねらって出かけましたが、到着すると既に何匹かの先客がお待ちかねでした。きょうは8種混合ワクチンと狂犬病予防の注射、立て続けに2本ぶすっと。ゴンタ君はけろりとしていました。体重を計ってもらうと、昨年より少し減量の15kg強。先生に頭を撫でていただきました。そして帰りにフィラリア予防の薬をいただいて、しめて2万1千円。病院のお世話になる機会のほとんどない飼い主からすれば、なんとも贅沢なものです。ちなみにゴンタ君の病院通いは、これで9回目になります。いよいよ老年期に入ろうとしています。
話しは変わりますが、きのう、広島出張からの帰り道、少し早目に大阪駅に着いたので、ぶらり「阪急古書のまち」を散策しました。人通りもまばらですが、少し歩くと大阪梅田の繁華街です。私にすれば都会のオアシスのようです。ちょうど、いま、鶴見和子曼荼羅が「比較の四つの領域」の章に入っていて、比較民俗のなかで南方熊楠の「十二支考」が高く評価されていたので、これはいちど原典に触れる必要があるだろうというのが、いえばこじつけの目的。それでも歩けば棒に当たると言いますか、あるところにはある。藤沢書店さんで見つけたのが南方熊楠選集。その第1巻と第2巻が十二支考だったのです。2冊で千五百円でした。これに気を良くしてもう一軒。今度はスバル書店さんで矢崎節夫著「みすゞコスモス~わが内なる宇宙」を見つけました。35編ほどの童謡に素敵な風景写真が添えてあります。昨夜は、ぼんやりと眺めながら眠りにつきました。
こんな具合で、最近、心は放浪の旅の真っ最中。でも、仕事も手ぬかりはなし。12頁ほどのペーパーをもって今週は大事な会議にご出席であります。専門馬鹿にならない工夫を、自分なりに探しているのだと思います。まぁ、こんな楽しい生き方も、そんなに長くはありません。愛犬ゴンタ同様に、老年期を迎えつつあるのですから。
来週は土・日と富山に出張しますので、次回更新は楽しい話題を提供できればと思っています。
仕事が立て込んでくると、心の逃避行が始まります。とことん突き詰めて考え過ぎると、どこかでボキッと心の支えが折れそうなので、事物を見つめる視点を変える。単に変えるのではなく、ものの見方を大きく変える、ある種パラダイムシフトを求めて、見知らぬ世界を徘徊する。そんなお遊びをしています。でも、これが意外と健康的なのであります。
きょうは、珍しくウグイスの囀りで目を覚ましました。この都会地にあって、遠く生駒の山から飛んでくるのであろうウグイスの「朝ですよ(ホーホケキョ)」のモーニングコールほど贅沢なものはありません。庭に出ると、檸檬の木にはたくさんの花が咲き、ことしも豊作を予感します。こうして緑のなかで生きることの素晴らしさを実感するこの頃です。
で、あったかいコーヒーをすすりながら、ぼんやりと庭の緑を眺めていたら、青々とした若葉を纏ったモミジの木に目が留まりました。このモミジ、若木の時に田舎の庭から移植したのですが、ずいぶん大きくなりました。それを眺めていて、なぜか浮かんできた言葉があります。「馬の背」です。幼少期に過ごした田舎の裏山に、花崗岩むき出しの小さな尾根がありました。距離にして100㍍足らずですが、馬の背のように両側が深い谷となって落ち込んでいる山の尾根伝いの道を歩き通すのが、子供たちにとっては大人になる登竜門でした。子供の目線で見れば、それは断崖絶壁です。最後まで歩き通すことができたのは小学校も高学年の頃でした。以来、大きな第一歩を踏み出すときに思い出すのが、「馬の背」でした。方言交じりで「馬の背ご」と呼んでいたと記憶しています。人間は、些細なことでも、それを踏み台にして大きくなっていきます。
話しが横道にそれてしまいましたが、私が南方熊楠に惹かれるのは、日本の視点と西洋の視点との葛藤を通して、自らの世界観を造り上げたことです。独自の哲学を貫いた。それが南方曼荼羅といわれるものですが、そこに目をつけたのが鶴見さんでした。前出「竹馬の友」は大正・昭和初期の手紙文です。漢文混じりの文章で読みにくいのですが、手紙であるがゆえに生身の南方の人となりが浮かびあがってくる楽しさがあります。
あぁ、それにしても、休日のひととき、仕事を離れ、浮世を忘れて、関心の趣くままに本を読み漁る。こんなに楽しいことはありません。これが明日への糧になるから不思議なものです。
それにしても、二人の孫の動きを眺めていると、長女や長男にも、こういう時代があったんだと感慨深いものがありました。赤ちゃんが泣きだしたかと思えば、孫君が大騒ぎしている。大人たちの笑い声。
昔よく我が子に聴かせたLPレコード「サッちゃん」を探し出しました。「サッちゃん」「やまのワルツ」「汽車ぽっぽ」「犬のおまわりさん」など26曲録音されていて、AB両面聴くと40分ほどかかります。子守がしんどくなったとき、よく聴かせました。そのLPを、童謡のリズムが心地よいのか今度は2人の孫が目をくりくりさせながら聴き入っています。二人にはLPをデジタル音源に変えたCDをプレゼントしました。
孫君の方は動くおもちゃにも興味津々です。そこで、押入れの奥から我が子たちが使っていたタカラトミーのプラレールを取り出しました。レールのうえに電車を乗せて走らせるのです。このプラレール、腐るものではありませんから、きっちり再利用先に譲渡です。孫君は大事そうにお持ち帰りでありました。
こうして振り返ってみると、GWは、孫の成長に目を細めるお祖父さんの姿が浮かんできます。大活躍の家内は疲れたのか、居間は静かそのものです。とにもかくにも、久しぶりに楽しい時間を過ごしたことになります。GW終盤の2日間は、弛んだ心を徐々に整えていきましょう。その手始めに、ステレオのスイッチを入れます。近所のTSUTAYAで見つけたピエール・ロラン・エマールのピアノ、アーノンクールの指揮「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集」(CD3枚組)を聴きます。それを聴きながらブログ更新であります。こうして2009年は、いよいよ中盤に向けて動き出します。