さて、きのうの土曜日は、大阪の母なる淀川のお掃除ボランティアに参加しました。軍手をはめて、大きなゴミ袋とゴミばさみを持って、広大な河川敷を歩きます。最初は道端にある煙草の吸い殻といった小さなゴミばかりを集めていましたが、葦の茂みの中に一歩踏み込むと、あるはあるは。ジュース缶、ペットボトル、ビニール袋、....。若い方々は水辺まで進んで、自転車やタイヤ、消火器の類まで。遠くから眺める美しい葦の茂みも、実は人間様の落して行ったゴミの山。なんとも悲しい気持ちになりました。
先日もご紹介したように、いま、塩野七生さんのローマ人の物語「終わりなき始まり」を読んでいます。皇帝マルクス・アウレリウスがドナウ河畔のゲルマニア戦役に挑むあたりですが、かの黒い森に潜む蛮族と対峙するローマ皇帝の行動ぶりを、2千年後の平和人が、まさに物語として読んでいます。塩野史観に流れるリーダーシップ論から何かを学び取ろうとしています。この本にはそんな楽しさが、あります。
最近、この物語と重なるように、吉本のお笑いタレントである間寛平さんが、走りながら東ヨーロッパを南下中。さきほどブログ「間寛平アースマラソン」を確認すると、やっとプラハに到着したようです。ライン河より東のエルベ川沿いをひた走っています。掲載されている風景写真と2千年前のガリア戦記、ゲルマニア戦記を重ねて眺めてしまいます。
ちなみに寛平さんは、ことしの1月に日本を発って、太平洋をヨットで横断、ロッキー山脈を越えてアメリカ大陸を横断したあとは、またもやヨットで大西洋を渡り、フランスからデンマーク、そしていまドイツからチェコスロバキアを通ってオーストリアのウイーンに向かっています。私と同い年の寛平さん。最初は、バラエティー番組ぐらいにしか考えていませんでしたが、とんでもない。初志貫徹とばかりに荒波に揉まれ、走り、そして今は、ヨーロッパをひた走っています。2年をかけて世界を一周するのだそうです。そんな寛平さんの頑張りを拝見しながら、めげそうになる自らを叱咤激励している私がいます。
こうして、塩野さんのローマ人の物語と寛平さんのブログを楽しんでいるのですが、実は、先週日曜日のETV特集「須賀敦子 霧のイタリア追想 自由と孤独を生きた作家」に触発されて、きのう手にした新潮文庫「地図のない道」。電車の中で読み始めて、座席に座り込んでしまいました。この本は、ローマに住むユダヤ人の歴史に的を絞ったもののようですが、この本を書くことになった背景について須賀さんは、「いわば勝ち組の皇帝や教皇たちの歴史よりは、この街を影の部分で支えてきた、ローマの庶民といわれる負け組の人たち、とくに、いわれのない迫害をじっと耐えながら暗いゲットに生きてきたユダヤ人の歴史が、ひっそりと私に呼びかけているのに気づいたかもしれない」と言います。何かしら重い課題をいただいたような気がしました。
本を閉じて、車窓に流れる都会の風景を眺めながら、考え込みました。塩野さんの語るローマ帝国千年の物語と、須賀さんのユダヤ人の物語。お二人の異なる視点。この大きな距離感に戸惑いながら、ローマというひとつの世界を、ふたつの視点から眺める。私に欠けていた単眼思考に、大きな風穴をあけるものになりそうな、何かしらそんな予感を抱きました。
きょうは、少しひんやりとした秋の休日です。ひょっとしたら寛平さんが走るかもしれないハンガリーの、ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団が演奏するリムスキー・コルサコフ交響組曲「シェエラザード」(西本智実指揮)を聴きながらのブログ更新でした。週末には、長男一家がご帰還です。
【ご参考】間寛平アースマラソン応援ブログ http://earth-marathon.laff.jp/