カレッジの帰りに、中之島の中央公会堂で開かれている「水の都の古本展」(2/21~2/25)を覗いてきました。6店舗出展のこじんまりした古本展ですが、私の感性と近しいところがあって、じっくりと選書することができました。
この日連れて帰ったのは、雑誌「現代思想」の1992年7月号「南方熊楠特集」、そして菊池昭著「娘遍礼・お菊残照」でした。そのうち「娘遍礼・お菊残照」は、四国遍路に何度も足を運んだ菊池昭さんの自費出版本です。単なる旅行記ではなく、菊池さんの豊富な遍路経験をベースに、一人の少女を主人公にした物語。知る人ぞ知る隠れた遍路本として知られています。
昨年の秋、私はこの本を知人からお借りしました。巻頭言(遍路に寄せる私の一つの思い)の最後に、「何よりも四国の人達の優しい心。その心に包まれて、四国の地に散り急いだ、むかしむかしの娘たちの墓石。至らぬ筆を用いて、その一生を紡いでみました」とあります。400頁をゆうに越える巡礼物語は、高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)とはひと味違う菊池さん独自の世界が広がります。ついつい引き込まれて、昨秋のカナダ・アメリカ旅行にまで帯同し長い飛行機の中で読んだほどでした。
読み終えて、その後も手許に置いておきたかったのですが、既に絶版。古本ネットで探しても見つからず、半ば諦めていたところ、古本展の本棚の片隅にひっそりと佇んでいました。誰かが導き寄せたように.........。
さて、話はがらりと変わります。穏やかな天候に恵まれた先日、「ゴッホ展~巡りゆく日本の夢」(京都国立近代美術館)と「ターナー~風景の詩」(京都文化博物館)をハシゴしてきました。いずれも構図、描写表現、光と影、空、水面、樹木の色づかいなどに、ついつい見入ってしまいます。ジャポニズムに惹かれたゴッホからは絵を描く「心」を学びました。英国の風景画家ターナーからは遠景の描き方と絵具の使い方を学びました。(写真上:ゴッホの「アイリスの咲くアルルの風景」。写真下:ターナーの「ヨークシャーのカーリー・ホール、家路につく牡鹿狩りの人々」。いずれも絵葉書から)
会場内には、ゴッホが影響を受けたという広重の五十三次名所図会や北斎の富嶽百景のほか、渓斎英泉の浮世絵(花魁像)を表紙に掲載した洋雑誌「パリ・イリュストレ」1986年5月1日号(日本特集号)の現物など、当時の古書、史料も多数展示してありました。また、4階のコレクションギャラリーには、ゴッホがアルル時代を過ごした部屋を描いた《寝室》に似せて、ほぼ実寸大に作られたレプリカの「ゴッホの部屋」が飾ってありました。(撮影可。下図は絵ではなく写真です)
彼らが生きた時代を年代順に並べてみると、葛飾北斎(1760年~1849年)、ターナー(1775年~1851年)、歌川広重(1797年~1858年)、ゴッホ(1853年~1890年)となります。つまりゴッホが生まれたのは、北斎が誕生しておよそ百年後、広重が誕生して50年後のこと。一方のターナーはゴッホより80年ほど早く、北斎とほぼ同時代を生きていたことになります。考えてみれば、ゴッホと私との間は100年ほどしか違いません。100年も、ではなく100年しか。時の長さをこんなふうに思う歳になりました。(笑)
♬ さて、今週は少し早い目のブログ更新です。実は明日から、お上りさんの『東京見物』第4弾です。今回は次男君夫妻の新居を訪ねるのが目的ですが、まず初日は以前から一度は覗いてみたかった「世界らん展2018」(東京ドーム)。明日がちょうど最終日ですから、滑り込みセーフといったところでしょうか。あとは気の向くままに行き当たりばったりの珍道中となります。