心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

若者たちにバトンタッチ

2015-11-28 22:56:11 | Weblog

 急に寒くなったり暖かくなったり、落ち着きのないお天気が続きますが、それでも確実に寒い冬に向かっています。旧暦では、第五十九候 小雪 次候「朔風払葉(さくふうはをはらう)」。北風が木の葉を吹き払う意味なのだそうです。
 最寄りのバス停の傍に、幹周りひと抱えほどのドングリの木がありました。早春の芽立ちの季節、青々と茂った夏、そしてドングリの実が頭に落ちてくる秋、落葉。時季ごとに表情を変え楽しませてくれたドングリの木が、この夏、葉枯れ現象を起こし、葉っぱの半分ほどが枯れてしまいました。枯れた部分だけでも選定できないかと思っていた矢先、なんと大きなドングリの木がばっさりと伐採されてしまいました。妙に明るくなったバス停ですが、何か寂しさが残ります。来春、切り株から元気な若芽が出てきたら良いのですが........。
 ところで、出雲から広島に嫁いだ姪の子供が大阪の大学に入学して1年半が経ちました。昨夜は、彼の、これまた広島での同級生だった友人と一緒に夕食を共にしました。まだ未成年ですからお酒は呑めませんが、大学生活のこと、就職のこと、いろいろ話をしました。二人とも長男だからでしょうか、卒業後は郷里に帰るのだと。帰って地元で働きたいのだと。偉いですね。広島県も近年、若者の県外流出が多いのが悩みの種です。でも、少なくともこの二人は、しっかり郷里・広島のために頑張ってくれそうです。最近の若者、捨てたものではありません。
 若者と言えば、今週の日曜日22日、全日本マーチングコンテストの中学生の部を応援にいきました。元はと言えば、広島勤務のとき、地元の中学校、高等学校の演奏を聴きに行ったのが発端ですが、4年前の11月26日のブログでも取り上げたように、高校の部を見学しようと出かけたところ、ものすごい観客で当日券も手に入らず、大阪城ホールへの入場を断念したことがありました。その後、毎年、ネットの先行予約をするものの、外れっぱなしでした。ことしはランクを下げたところ、中学生の部「自由席」をゲットできました。

 開会式もそこそこに午前9時から始まった中学校の部は、1校6分程度の演技・演奏です。それが10分の休憩をはさんで25校が入れ代わり立ち代わり登場します。木管楽器・金管楽器・打楽器を手に、胸をはって一糸乱れぬ集団演技。これには驚きました。中学生とは思えない凛々しい姿を眺めながら、なぜか目頭が熱くなるのを覚えました。
 なぜでしょう?昔、吹奏楽部での活動を思い出したから? いやいや、何かに疲れていたから?いやいや。個性の時代、多様性の時代にあって、集団行動(全体主義)を嫌う世相への不安?休憩時間に廊下ですれ違った、まだあどけなさが残る中学生たちの姿とステージでの凛々しい姿とのギャップ?彼ら彼女らをあそこまで集中させるものはなんだろう?逆に大人の不甲斐なさが見えてしまいます。今の若者たち、捨てたものではありません。彼ら彼女らがこれからの日本を支えていくことになります。日本という国に誇りが持てなくてどうする。イデオロギー以前の問題です。
 音楽と言えば、隔週CD雑誌「クラシックプレミアム」が今週、50巻「アメリカ音楽の新たな幕開け ガーシュウィン/バーンスタイン」を発行して完結しました。付属のCDには、「ラプソディ・イン・ブルー」「パリのアメリカ人」「シンフォニック・ダンス」「キャンディード序曲」が収録され、「パリのアメリカ人」は1976年の録音。若き小澤征爾さんがサンフランシスコ饗を指揮しています。
 そうそう明日の日曜日、次男くんがお嫁さんを連れてやってきます。年末の結婚式の相談です。そして、お嫁さんのために家内が制作中のブーケの仕上がり具合を見るためです。お花大好きの家内、長女の結婚式に続いての制作です。1ヶ月前に次男くんから提案があって、最初は躊躇していましたが、まんざらでもなさそう。お嫁さんのために、毎晩いろいろ考えていました。これもひとつの思い出づくりなんでしょう。あとはお嫁さんの好みに応じて修正するのだと。そうですね。嫁と姑の難しさは、我が家にはなさそうです。 私も、なんだか娘が一人増えた感があります。
 あっという間に11月も残り少なくなりました。2015年という年も、あと1ヶ月。ほんとうに早いものです。いよいよ仕事人生の総決算の年を迎えます。 

  

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中之島界隈の散策(その2)

2015-11-21 23:19:18 | 愛犬ゴンタ

 終日冷たい雨が降り続いた火曜日、家内がボランティアで遅くなるというので、少し早めに帰ったのですが、ゴンタ爺さんの様子がおかしい。いつもワンワンと声をかけてくれるのに裏庭がし~んとしています。気になって覗いてみると、なんと雨の降る中でずぶ濡れになって横たわっているゴンタ爺さんを見つけました。慌てて起こそうとしますが、腰が立ちません。全身小刻みに震えています。急いでバスタオルに包んで家の中に入れ温かくしてやりました。
 足腰が弱くなっているのは感じていましたが、まさか自分の力で立ち上がれなくなっているとは。しばし観察していると、何度かに1回は自力で立ち上がることができないことが分かりました。明後日23日、16歳の誕生日を迎えるゴンタ爺さんです。 散歩のとき以外は一日中眠っているのですが、これまで家を空けるときは裏庭の小屋の中で、いるときは家の中で過ごしてきました。今後は基本的に家の中で過ごすことにしました。若い頃のように毛がふさふさしているわけでもないので、先日、私の若い頃のカーデガンをかけてやると、一晩中身動きもせず眠っています。ほっとひと息です。様子をみて首輪や紐もはずしてやりましょう。
 さて、今週は先週に引き続いて、中之島界隈に出かけることがありました。ひとつは国際会議場での催事への参加。もうひとつは、大阪市中央公会堂であった、ナカノシマ大学11月講座「落語×アート×歴史で旅する中之島タイムトリップ」の聴講でした。
 古代から近世に至る「中之島の誕生」について高島幸次先生、近代から現代に至る「モダン中之島、アート探訪」について橋爪節也先生から。最後は、林屋花丸さんの落語「千両みかん」を受講者みんなで楽しく聴きました。
 中之島は、もともとは大川の土砂が自然堆積してできた中州ですが、江戸前期の大坂冬の陣の頃には人々の生産の場になっていたという歴史に基づき、11月30日を「中之島の日」にしようという興味深いお話しに興味津々でした。
 大阪市中央公会堂は、岩本栄之助氏の寄附をもとに1918年に建設された、大阪を代表する建築物です。この日は、公会堂内部の見学もでき、1階の大集会室、3階の中集会室、特別室を見て回りました。そして同じ3階の小集会室が会場でした。
 ところで、配布された資料のひとつに「浪華名所独案内」(大阪府立中之島図書館所蔵)があります。かつての中之島界隈の位置関係がよく判りますが、渡辺橋、肥後橋を渡ったところに、朝ドラで話題の「加島屋」(ドラマでは加野屋)が記されています。そこから東(地図では上)に少し行ったあたり、現在の北浜のあたりでしょうか。浅子のお姉さんが嫁いだ「天五屋」(ドラマでは山王寺屋)があります。もう少し東にいくと、今の天満橋があり、大川を挟んで対岸に、むかし青物市場があったとか。林屋花丸さんの「千両みかん」では、その市場のみかん問屋が登場します。この界隈、日頃うろうろするところですから、なんとなく親近感を覚えます。
 そんなのんびりした1週間でしたが、週の前半と後半には重要な会議を2件こなして、一定の筋道をつけることができたという意味では、気持ちの良い1週間でもありました。
 そして週末の今日は、家内と京都・東寺の弘法市を覗いたあと、東福寺に向かいました。本堂と普門院、開山堂を結ぶ通天橋から眺める紅葉が人気のお寺です。土曜日ということもあって大勢の観光客で賑わっていました。11月も下旬を迎えて、今のうちにと思ってでかけたのですが、例年に比べて紅葉のスピードが遅いらしく、見ごろはもう少し先のよう。それでも、十分に楽しめました。
 とまあ、公私、硬軟織り交ぜて、慌ただしい1週間が目の前を通り過ぎていきました。
 そうそう、ブログ「心の風景」は本日、開設後「4000日」目を数えます。1カ月もすれば12年目入ります。リタイアをもって閉店とするか、この世を去るまで続行するのか、現在、思案中です。

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梅田・中之島界隈を散策

2015-11-14 23:46:07 | Weblog

 11月も半ば、旧暦では「立冬」の季節になりました。寒くなるにつれ鍋物が恋しくなり、畑で育つシュンギクが俄然人気者になります。今年初めて育てたルッコラもずいぶん立派に育ち、こちらはサラダの主役。土の恵みをいただくほど幸せなことはありません。
 そういえば週の半ば、同業他社の方々とのプライベートな会合がありました。何十年来の同士の方、一戦を退いた方の顔も。ご様子を尋ねると、晴耕雨読、誰も住んでいない実家に時々出かけて野菜作りに汗をながしているのだとか。次の人生を生きる(考える)方々と楽しい時間を過ごしました。
 そうそう、先週の土日は孫君たちのお世話をしましたが、帰る時間になっても孫次男くんが玄関に現れません。孫長男くんが家中を探したら、いました、いました。帰り支度をしたままの次男くん、おもちゃと格闘中でありました。天真爛漫というのか、自分の時間をもっている次男くんを羨ましく思ったものです。
 さて、きょうの土曜休日は、午前中に歯医者で治療をしていただいたあと、グランフロント大阪で開催中の「世界を変えた書物」展に向かいました。金沢工業大学が所蔵するコペルニクス、ニュートン、キュリー夫人、アインシュタイン等の初版本などを直接見ることができます。文系人間にとって科学のことはわかりませんが、古くは16世紀に出版されたアルキメデスの「四辺形、円の求積法」やコペルニクスの「天球の回転について」、17世紀のデカルト「方法序説」、19世紀のダーウィン「種の起源」などの稀覯本がずらり。それもフラッシュ禁止で撮影可。日頃、古本と戯れる私としては至福の時間を過ごしました。
 次に向かったのは、大阪駅前第2ビル地下2階にある名曲堂さんでした。先日来、めずらしくフルトベングラーを聴きだして、LPレコードの物色です。手にしたのはシューマンの交響曲第4番ニ短調作品120でした。他に、ブルックナーの交響曲第8番、フランクの交響曲ニ短調など。最近、交響曲を聴くことは滅多になかった私としては、ここに来て先祖返りの傾向が見え隠れしています。
 寄り道が多すぎましたが、本日のお目当ては小説家・玉岡かおるさんの講演「広岡浅子の”引力”と土佐堀川」でした。会場は、むかし加島屋のあった場所に立つ大同生命大阪本社ビル5階の会議室です。 まずは2階の特別展示室「大同生命の源流”加賀屋と広岡浅子”」に向かいました。
 玉岡さんの講演を聴くのは、そう、5年ぶりでしょうか。「広岡浅子ってどんな女性?」「浅子の引力にひきつけられた若い世代の女性たち」「大阪の川の光と風とともに」の三部構成ですが、あっという間の90分でした。玉岡さんは、一柳満喜子を主人公にした小説「負けんとき」の中に浅子を登場させました。聞けば土佐堀川沿いのマンションを借りて、そこを仕事場に執筆されたとか。題名に編集から意見がつき、大阪弁なら「負けたらあかん」ではないかと。そこで、生粋の大阪・船場の言葉を調べたのだと。「負けたらあかん」は相手を負かすことになる。そうではない。大阪では相手を負かすのではなく、負けて勝つ、自らを律する。それを端的に表現するのが「負けんとき」なのだと。以前このブログでもご紹介したことがありますが、その意味の違い、なんとなく判るような気がします。
 史実とドラマの違いについてのお話も興味深いものでした。小説家は史実と史実の間を想像力で繋いでひとつの話を作って行く、ドラマはドラマで部分的に濃淡をはっきりさせながら一つのストーリーをつくって行く。そこに小説家、脚本家と歴史学者の違いがあるように思います。いずれにしても、ひとつひとつの史実を持ち前の想像力で紡ぎながらひとつの作品を仕上げていくのは、小説家冥利に尽きるものなんでしょう。
 講演が終わって外に出ると、中之島界隈は小雨が舞っていました。あたりを少し散策していたところ、日本基督教団「大阪教会」がありました。浅子が洗礼を受けた教会でした。入口に置いてあったパンフレットを拝見すると、1922年(大正11年)にヴォーリズの設計で建築されたとあります。大同生命大阪本社の以前のビルもヴォーリズの設計でした。中之島界隈、まだまだ発見することの多い街です。

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秋にひと息

2015-11-07 23:32:05 | Weblog

 11月1日の日曜日、プラハ国立歌劇場演じるヴェルディの歌劇「椿姫」を観に行きました。 ヴィオレッタ役はテジレ・ランカトーレ、アルフレッド役はアレシュ・ブリスツェインでした。久しぶりの歌劇でしたが、フェスティバルホールに響く豊かな歌唱力に酔いしれました。 このフェスティバルホールは、大阪・中之島にあります。地下鉄淀屋橋駅を降りて、土佐堀川沿いを歩いて5分ほどのところです。そのフェスティバルホールの対岸に聳えるのが大同生命大阪本社ビルです。NHKの朝ドラ「あさが来た」に登場する加島屋が昔あった場所です。その頃、広岡浅子がこの界隈を闊歩していたかと思うと、これもまた楽しいものです。来週の土曜日は、この大同生命ビルで、ナカノシマ大学講座「広岡浅子の引力と土佐堀川」(講師:玉岡かおる)があります。

 そうそう、週の半ばに大阪商工会議所に立ち寄った際、その玄関口に、これまた朝ドラに登場する五代友厚の銅像が立っていました。このブログでは、以前、北浜の証券取引所前の銅像を掲載しましたが、大阪にある五代のもうひとつの銅像がこれです。
 ところできょうは、孫君二人がお泊りにやってきています。SEの父親は忙しくて土日も仕事、母親は子育てに目処が立ったので社会復帰の動き。というわけで、この土日、二人の面倒を見ることになりました。孫次男君は親元を離れて初めてのお泊りとあって、やや緊張気味です。まずはひらかたパーク遊園地にお連れして、気持ちを和らげることから始めました。安心したのか、夜も8時頃になるとお休みでしたから手間はかかりませんが、老夫婦には疲れがどっと出てしまいます。
 この遊園地は園芸会社を併設していて、四季折々に様々な草花を楽しむことができます。孫君たちが乗り物やアスレチック広場で遊び疲れたあとは、今はさかりと花咲くバラ園を見て回りました。孫君たちも立ち止まっては「きれい」を連発していました。
 この遊園地ではその昔、秋になると大々的な菊人形展が催され、京阪神地区から多くの客が押し寄せて賑わっていました。しかし、菊師の高齢化が進み、いつの頃からか途絶えました。ところが帰りがけに「菊人形回顧展」という小さな看板を見つけました。さっそく覗いてみました。
 中に入ってみると、規模は小さいながら昔懐かしい菊人形が出迎えてくれました。かつては大催事場にたくさんの菊人形が飾ってありましたが、菊師の技とはいえ一体ずつ手入れをしていくのはたいへんだったのでしょう。人手もいります。でも、なんとか繋いでいってほしいものです。
 きょうのブログ更新は、これでおしまい。疲れもあって写真中心の構成になってしまいました。美しい草花の写真はおいおいこのブログで紹介していくことにいたしましょう。 

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