旧暦では立秋を過ぎて「処暑」を迎えています。つまり、ようやく暑さの峠を越えて少しずつ過ごしやすくなる季節ということのようです。確かに、空を見上げると秋の風情を感じますが、どうなんでしょう。まだまだ暑い日が続きます。時に途方もない夕立に見舞われることもあります。お天道様はいつも気紛れです。
そんなある日、朝のお散歩で近所のお不動さんに行くと、境内にいちょうとドングリの幼実が落ちていました。一瞬の暴風雨の仕業なんでしょう。愛おしく思い写真に収めました。
そんな季節に暑気払いと銘打った呑み会がありました。もちろん参加者は元気なシニアたちばかり20名ほど。心斎橋のイタリアンレストランに集い、楽しいひと時を過ごしました。一時期コロナで閑古鳥が鳴いていた心斎橋筋商店街ですが、いまは多くの外国人観光客で賑わっていました。でも、友人いわく「以前は大量の薬や電気製品が詰まった紙袋をいくつも持って歩いていたのに、今はみんな手ぶら」と。爆買いという時代は終わりを告げて、日本を街を楽しんでいらっしゃるご様子でした。
さて、話はがらりと変わりますが、いつも一緒に楽しく仕事をしている方の手の甲を何気なく見て、人の「老い」について考えました。他人のことは言えません。私自身73歳になって自分の「老い」を思います。小さい頃よく面倒をみてくれた近所のお婆さんの手を、私はいつも不思議そうにみていました。時々甲の皮膚を摘まんでみますが、なかなか元に戻らない。以後、母や父の甲の皮膚を摘まんでお婆さんとの違いを比べたりしたものでした。
健康チェックのために、自分の甲の皮膚を摘まんで老い具合を見たりします。若い頃は摘まもうとしても摘まめませんでしたが、最近になってやっと少しだけ摘まむことができます。でも、あっと言う間に元に戻ってしまいます。まだまだ若いということなんでしょう。でも、いずれ元に戻るのに時間がかかるようになってきます。「老い」は着実にやってきます。
ネットで調べてみると、手の甲は、外部にさらされる時間が長く紫外線などの影響も受けやすいので、歳とともにハリや弾力を失い、老化を示す一番分かりやすい部位なのだそうです。人の人生の縮図が手の甲にあるのかもしれません。近所のお婆さんのことが急に思い出されました。半世紀以上も前の、古き良き時代の風景がぼんやりと頭の片隅に浮かんできます。
悲しいことに、癌で亡くなる直前の母の手の甲は摘まんでも長い間元に戻りませんでした。それが私とのお別れでした。数年前に癌の疑いがあるポリープを摘出して以後、私も定期的に通院検査をしています。先日の3カ月検診では大きな指摘もなく、ひと安心でした。でも病院に行くたびに自分の「老い」を思います。そんなとき、待ち時間についつい手の甲を摘まんでしまいます。
蝉時雨のなか、緑深い52番札所・太山寺の参道を歩いていて気づいたことがありました。いろんな蝉の声が聞こえていて、なにやら蝉の大合唱のようでした。都会地にいてはなかなか出会うことのない「音の風景」でした。この日も35度に迫る夏の一日でした。
73回目の夏を迎えました。父が仕事に区切りをつけて田舎に引き上げてきた同じ年齢です。戦時中に妻子を実家に疎開させて以後も自らは企業戦士として半世紀にわたり東京、京都、大阪で働いて来た父も、寄る年波には勝てなかったのでしょう。一方の私はと言えばリタイアして早いもので8年になります。もういい加減にゆったりまったりの余生を過ごしたいと思いつつ、某NPOにてボランティアという名の仕事をしていますが、これがまた結構忙しい。
厚生労働省は7月28日、2022年の平均寿命と平均余命が記載された令和4年簡易生命表を発表しました。男性の平均寿命は81.05歳だとか。ということはあと8年です。健康寿命は男性が72.68歳と待ったなしです。そろそろ身体を労わらなければならない年齢になってきました。でも、社会活動に参加している高齢者ほど健康状態が良いとも言われていますから、もうしばらくは頑張ってみようかと思っています。
さて、前置きが長くなりました、昨日一昨日と四国遍路ツアーに参加してきました。今回は愛媛県は松山、今治方面です。52番・太山寺、53番・園明寺、54番・延命寺、55番・南光坊、56番・泰山寺、57番・栄福寺、58番・仙遊寺、59番・国分寺の8カ寺です。バス移動ばかりしていると駐車場から境内までの道のりがなんときついことか。汗を流しながら登っていきました。前回は寺々を自分の足で歩いてお参りしていたことを思うと、なんと楽な巡礼であることか。それでも、行く先々でぼんやりと前回のことを思い出したり、山門前で次のお寺へのお遍路の矢印案内についつい足が向いてしまったり....。
今回は、今治市内のホテルに一泊しました。今治と言えば造船の町とも言われます。部屋の窓から今治城が見えます。ずいぶん昔に仕事で来た時にお城を拝見したことがありますが、女のお化けを描いたおどろおどろしい掛け軸が記憶に残っています。下の写真は仙遊寺境内からしまなみ海道を望んでいます。
翌朝、最初に訪ねた南光坊さんでは、立派な仁王像に改めてご挨拶、広い伽藍に鎌倉、室町時代に建てられたお堂が目を引きます。白川密成さんがご住職を務める栄福寺さんでは、足腰の健康守(仏足、錫杖)ストラップをいただいて帰りました。
今回も寺々で言い伝えのお話しを伺いました。穴の開いた石の縁をタワシで擦ると下の病気をしない、目の霊仏・一畑薬師さん。願いを込めて握手すると願いが叶うお大師さん。祈りながら撫でるとどんな病気でも治るといわれる薬師の壺など。そんな話しを聞くと、みなそれを撫でる。不思議なものです。
こうして暑い夏も、そろそろ終盤を迎えるのでしょうか。でも、今年は残暑が厳しいとも言われます。まだコロナに一度も罹ったことのない身ですが、歳が歳ですから、日々の健康には気をつけてもうしばらく動きまわってみたいと思っています。
今夏の台風はなんともグズグズしています。その代表が台風6号で、沖縄を通過して中国大陸に向かうと思いきや、沖縄界隈でうろうろ。やっと動き出したかと思えば九州を北上して韓国に向かっていきました。台風7号もゆったりした速度で本州を狙っています。関東に向かうと思いきや、なんと近畿・中部に近づいてきました。明日早朝にも紀伊半島の南端に上陸の予定だとか。
何が憎いかと言えば、お盆に帰る予定だった横浜の次男君一家が、帰省を断念したこと。孫娘が軽い風邪を引いていたこともありますが、台風7号の動向が決定打でした。でも、今回は無理して来なくて良かったかも知れません。明日から新幹線が計画運休の動きです。当初、淡路島に予約していたホテルも早めにキャンセルできたので、要らぬ出費もセーブできました。良かったことにしておきましょう。
ということで、このお盆は、ぽっかり穴が開いてしまいました。溜まっていたNPOの仕事をひとまずこなすと、一昨日は京都・下鴨納涼古本まつりに行ってきました。今夏36回目を数える古本まつりには、京都・大阪・兵庫などから22の古書店が参加し、糺の森に80万冊の古本が並びました。
暑い京都のこと、午前10時の開場をめざして上洛しました。蝉しぐれのなか、道の両側にずらりと並ぶお店を、往路復路各1時間をかけてゆったりと品定めしました。この日連れて帰ったのは、多田富雄著「免疫・「自己」と「非自己」の科学」、柳田邦男「砂漠でみつけた一冊の絵本」、上田三四二「この世 この生」、金岡秀友著「図説般若心経」、集英社の「図説日本の古典(4)古今集・新古今集」、近藤洋太著「辻井喬と堤清二」などなど。
概ね、本の名前に惹かれての選書ですが、免疫学者・多田先生については、これまでも何冊かの著書を読んでいます。能楽にも造詣の深い先生ですから、免疫学より能楽の書の方が多いかもしれません。さっそく、冷房の効いた真夏の昼下がり、ページをめくりました。
この日は昼過ぎに下鴨神社を後にすると、お盆を前に知恩院に向かいました。田舎の菩提寺の総本山にあたります。出町柳から市バスで京都大学界隈を通過して、知恩院前に到着です。今回は白川を渡って三門ではなく黒門から境内をめざしました。
まずは阿弥陀堂に上がってお参りです。大きな阿弥陀仏の前でしばし心を鎮めます。その後、御影堂に向かいました。広いお堂の中に響き渡るグレゴリオ聖歌のようなお経を聴いていると、なんとなく胸につかえていたものがなくなったような清々しさが全身を充満します。これが宗教というものなんでしょう。浄土宗がどういうものかも知らないのに、なんとなく亡き両親、兄姉はじめ先祖代々の方々にお会いできたような気持ちになりました。
宗教といえば、四国57番札所栄福寺住職の白川密成さんのX(旧Twitter)に、大正大学名誉教授の星野英紀さんが四国遍路を中心とした世界の巡礼について、NHKラジオ「宗教の時間」でお話しになっていることが記されていました。テーマは「聖と俗のはざまで~巡礼の現象学」(8月6日)。
きょうの昼下がりに、その番組を「らじるらじる」の聞き逃しでぼんやり聞いていました。すると、24歳の若さで八十八カ所を巡った高群逸枝さんのことが話題になっていました。著書「娘巡礼記」は、かつて私が歩き遍路にでかけたときに読んだ本です。星野さんのお話しでは、高群さんはその後「お遍路」(中公文庫)も出版されているとか。さっそくAmazon kindleで求めました。
今夏、73回目の夏を迎えます。この日は京都・五山送り火の日ですが、さきほどのニュースでは15日の護摩木受付は中止、16日夜の送り火については当日の天候をみて実施の可否を決めるのだそうです。台風7号は、私の誕生日にまで影響を及ぼそうとしています。
今週末には9回目の四国遍路ツアーに行ってきます。今回は、52番太山寺から59番国分寺までの8カ寺です。
今年も8月4日から6日の間、高野山夏季大学に行ってきました。市民講座の先駆けとして1921年(大正10年)に開講以来、戦争とコロナによる中止を乗り越えて97回目を数えるこの講座は、毎日新聞社と総本山金剛峯寺主催で、高野山大学松下講堂黎明館で開かれました。参加者はおよそ600名。全国からお越しになっていました。ほぼ私と同世代のシニアの皆さんです。
講師は多士済々で、初日は料理研究家の土井善晴さん、元陸上選手の為末大さん、二日目は大阪市立美術館館長(奈良国立博物館前学芸部長)の内藤栄さん、小説家の浅田次郎さん、バイオリニストの前橋汀子さん、俳優の市毛良枝さん、最終日は京都大学教授(素粒子物理学)の橋本幸士さん、東京大学名誉教授(先端科学技術研究センター前所長)の神﨑亮平さん、という顔ぶれでした。
印象に残っているのは、「宇宙を支配する数式」をお話しになった橋本先生のご講義でした。素粒子のふるまいを一つの数式で表すという私にとっては全く無知の世界ですが、無知だからこそ分からないままに聴き入ってしまいました。写経のように書き写してみてくださいとおっしゃっていましたが、数式の意味はまったくもって意味不明。でも、その数式によって物事が動いている不思議。
こういう若い方々がこれからの日本を担っていくのだろうと思いました。先生は湯川秀樹先生の研究室の8代目の教授で、まだ50代の若手研究者です。第二次世界大戦で中断後に復活した第22回(1946年)に湯川先生が講師としてお越しになるところ急病のため中止となり、77年後にその後継の先生がご講演をされたことになります。ちなみに、第22回夏季大学には、私の恩師でもある田畑忍同志社大学学長が「憲法と民主主義」について講演しています。
このほか、浅田次郎さんはもちろんのこと、冷戦時代の旧レニングラード音楽院に留学され、その後アメリカ、スイス、ドイツで学んだ世界的なソリスト・前橋汀子さんの生き仕方にも感銘を受けました。講演の最後には、バッハの「シャコンヌ」を演奏していただきました。また、「登山を知って見つけた自分らしさ」についてお話しになった市毛良枝さんのお話にも多々気づきをいただきました。
2日目は昼食を挟んで2時間ほどオプション企画(阿字観入門、写経会、山内見学)がありました。私は今回も「阿字観入門」を選びました。高野山大師教会大講堂で、セミの鳴き声だけが聞こえてくるなかで、しばし心を整えました。と、言いたいところですが、朝方の寒さに寝冷えをしてしまったようで、体調がすぐれません。終わってから山内見学に合流しようと思いましたが、炎天下でそれも適わず、今回は西行が30年近く通っていたという三昧堂をお参りして帰りました。三昧堂の傍らには今も西行桜とよぶ幾代目かの桜の古木が立っていました。
今夏は例年以上に暑い夏を迎えています。1年ぶりの高野山でしたが、日中でも29、30度。朝夕は24,5度。朝方には20度を下回る涼しい場所にあります。宿坊には、もちろんクーラーはありません。網戸越しの冷気で十分涼しく、子どもの頃を思い出したんでしょう。傍で布団をかけてくれる母親がいるわけでもなく、そのまま眠ってしまいました。案の定、目覚めた頃には風邪の症状が出て、その後一昨日まで少し辛い思いをいたしました。この歳になって寝冷えするとは。それでも朝の勤行を済ませ、朝食をいただいて会場に向かいました。一人部屋に泊まったので食事処も一人部屋です。体調を崩していたので、梅干しのなんと美味しかったことか。
8月に入って、NPOの仕事を含めて1日から7日まで出ずっぱりの日々を過ごしました。さすがに老体には少しきつかったようです。しばらくゆったり過ごそうと思いますが、今週末からは横浜の孫娘が帰ってきます。そして、私の誕生日も直ぐそこまで迫っています。こんな暑い日に私は生まれたのでした。いや、昔はもっと涼しかったように思います。