心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

『春』に想う

2021-03-26 06:33:21 | Weblog

 七十二候ではこの時季を桜始開(さくらはじめてひらく)というのだそうです。読んで字のごとく「桜の花が咲き始める」の意。旧暦と新暦の季節の差が、このときばかりは妙に一致します。ここ大阪も開花宣言が発せられ、街のあちらこちらで桜の花が咲き始めました。
 今月の読売新聞額絵シリーズ(広重)は「山城あらし山渡月橋」と「大隅さくらしま」でした。およそ200年前に描かれた嵐山の桜は、奈良の吉野の桜を移植したと伝えられていて、一か月ほど前には能「嵐山」を鑑賞したばかりです。こんな長閑な風景は今では見ることはできません。時の流れがこうも風景を変えてしまうものなのでしょうか。近代科学、近代合理主義に染まった現代人にとって何か大切なものを置き忘れてはいないか。そんな思いが頭を過ぎります。
 そんなある日、暖かい春の陽気に誘われて、家内と街を3時間ばかり徘徊(?)しました。公園の桜を愛でながら歩いていると、芝生の片隅に雲雀を見つけました。池の中州では野鳥たちが巣づくりに励んでいます。少ないながらも長閑な風景に心和みます。ここでいったん小休止、イタリアンレストランに1時間ほどおじゃまして美味しいランチをいただきました。
 お散歩から帰って我が家のお庭を眺めると、さまざまな草花が春の訪れを楽しんでいます。今年一番早く開花したのはクリスマスローズ、スイセンですが、続いてオオバイやユキヤナギが春の陽を楽しんでいます。フェンスを独り占めしているアケビの枝先にも花が咲きました。さあて今年は何個実がつくのでしょう。ライラックの花芽も膨らんでいます。クレマチスやチューリップの花芽も徐々に大きくなってきました。
 さっそく花壇のお手入れに汗を流しました。冬の間に剪定しておいたキウイの枝先には大きな葉芽が膨らんでいます。毎年100個ほど収穫できるイチジクの枝先には、もう柔らかな葉芽が確認できます。挿し木から育てて3メートルほどに育ったカリンの木も若芽が葉を広げつつあります...............。
 ところで、ここ数回「老い」について取り上げてきましたが、実は、私自身のことよりもお向かいの老夫婦のことが気になっています。海外でのお仕事が長かった90代のご夫婦です。英国滞在中に最愛の一人娘を亡くされ、20年ほど前にリタイアされたあとは、お二人で仲睦まじくガーデニングに汗を流すなど楽しい余生をお過ごしになっていました。
 ところが昨夏、奥様が足を骨折されて一人で歩くのが難しくなって以降、ご主人が「主夫」をされていました。そのご主人の姿が3週間ほど前から見えません。先日、妹さんがいらしゃったのでご様子を伺うと、なんとお二人とも入院されている由。どうかお元気で退院されることを願うばかりです。
 そんな事情も知らず、丹精込めて育てられた草花が、広いお庭のあちらこちらで咲いています。もう少しすると大きなハナミズキの樹に花が咲きます。こういう風景を複雑な思いで眺めていると、ついつい私自身の「老い」を考えてしまいます................。

 今日は午前、午後とフランス文学講座があるため、朝早く目が覚めたついでにブログを更新しました。そうこうするうちに3月もあとわずかです。いよいよ来週は「歩き遍路」です。いろいろな思いを胸に最後のお遍路にでかけてきます。

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無理せず出来ることに集中して「老い」に向き合う

2021-03-19 15:40:55 | Weblog

 同僚が入院したためピンチヒッターでWordとExcelを睨めっこしながら進めてきた事務作業が今日ひと段落しました。Excel関数をうまく使うことで多様なことができることを知ったという意味ではお勉強になりましたが、慣れない事務の煩雑さから解放されて、ほっとひと息です。

 今週は水彩画教室の作品展が大阪駅前第2ビルのギャラリーでありました。出来栄えはともかく2点出品しました。先生からは作品ひとつひとつについて今後の課題を丁寧にご指導いただきました。
 昨日、その跡片付けのために梅田に出かけたついでに、阪神百貨店催事場で開催中の「古書ノ市」を覗いてきました。昨年はコロナのために多くの古本市が中止になりましたが、緊急事態宣言も解除され今春から元通りになるのでしょうか。GWに開催される「四天王寺 春の大古本祭り」のチラシをいただきました(笑)。
 この日のお持ち帰りは、杉田敦著「リヒター、グールド、ベルンハルト」、角川書店「日本人のこころ~神と仏のあいだ」、東京美術「クリムト 生涯と作品」の三点でした。
 話しは変わりますが、今週の日曜日、春を求めて京都府立植物園に行ってきました。梅から桜の花に移り変わる早春の過渡期。園内には河津桜など一部の桜花が咲き始めていました。70歳以上は入園無料と粋な計らいを見せる植物園です。あと半月で古希を迎える家内のみ入園料(200円)が要りました。
 広い園内を散策しながら、ちょうどこの日が最終日となる「早春の草花展」を見つけ、しばし咲き誇る草花を愛でることに。お花の売店でフクシアの花2鉢を買って帰りました。
 ずいぶん歩き回ったあと、北山門に向かっていると「つばき園」がありました。光源氏や有楽など250種、600本が植栽されています。こんなに多くの種類があるとは驚きでした。梅や桜のような華やかさはありませんが、ひっそりと優雅に花開く椿の美しさを堪能しました。
 この日はひと足早く菩提寺の総本山・知恩院にお参りもしました。広い御影堂でしばし亡き両親、兄姉を偲びます。帰途、円山公園を歩いていると、かの有名な枝垂桜が今にも花開きそうに春の陽を浴びていました。数日後、「京都で定年後生活」さんのブログを拝見すると、しっかり開花していました。この枝垂桜は、一度は樹勢が衰え心配された時期もありましたが、なんとか踏ん張ってかつての雄姿を取り戻しつつあります。樹木の生命力には驚かされます。久しぶりに京都・河原町で夕食、おいしいビールをいただきほろ酔い気分で帰りました(笑)。
 生命力といえば、前回紹介したNewton4月号の特集記事「老いの教科書」のパート3「老いに向き合う心」の項に、エリック・エリクソンのライフサイクルのことが触れてありました。乳児から成長度合いに応じた人の心のありようを分析した生涯発達心理学の知見です。
 以前、ダニエル・レビンソンの「ライフサイクルの心理学」を読んだことがあります。老年期の入り口で終わっていましたが、エリクソンは「高齢期」とは別に85~95歳以上を「超高齢期」と区分して考えています。自分の人生を満足して受け入れる高齢期(統合)に失敗すると、人生の時間があまり残されていないことに絶望しやすい。一方、その上位の超高齢期(老年的超越)は、迫りくる死の絶望を家族との信頼関係などを通じて乗り越え「超越」に至るとの見方です。なるほど。納得です。
 都道府県別平均寿命は大阪男性80.23歳、女性86.73歳だとか。えぇ。どうして女性が7歳近く長生きできるんでしょうね(笑)。こうも記されています。「できないことは無理してやらず、できることに集中して老いに立ち向かう」と。遊び心をもって超高齢期に備える。即実践です(笑)。

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Newton4月号の特集は「老いの教科書」

2021-03-13 10:49:45 | Weblog

 仕事をしているわけでもないのに、年度末を迎えると何やかやとあるものです。お手伝いをしている講座も今週やっと修了式を終えることができました。50名ほどの元気なシニアの皆さんの刺激を受けながら過ごしたこの1年、私にとっても貴重な経験でした。
 さて、きょうは小雨舞う朝のお散歩から帰ってきて、今はラフマニノフのピアノ協奏曲を第1番から第4番まで聴きながら、一日遅れのブログ更新を始めたところです。

 そんな週末、きのうはフランス文学講座を受講してきました。テーマはアンドレ・ジッドの「背徳の人」です。まだ読んだことのない作品ですが、帰途、ジュンク堂書店でちくま文庫を買って帰りました(笑)。
 主人公ミシェルの生き方をどう考えるか。そもそも背徳とはなにか....。そんな視点から読み込んでいくことになりますが、フランス、アフリカ、シチリアと場面展開するなかで、シチリア島のシラクーザやタオルミーナが登場すると、3年前に旅したシチリアの風景が浮かんできて妙な親近感を覚えてしまいました。
 本屋さんを覗いたついでに手にした雑誌があります。月刊誌Newton4月号です。「老いの教科書」というタイトルに惹かれて連れて帰ってしまいました。昨夏70歳を迎えて市役所から特定検診、がん検診、歯科検診とお知らせがあります。病院で定期的に検診を受けているのでわざわざ受ける必要もないと思いつつ受診したのですが、やはり自分の「年齢」というものと真正面から向き合ってみると、なんだかなあ~(笑)。そういえば最近、度忘れすることもままあり、緊張感を持続できなくなったことに気づかされます。
 特集記事は4つに区分されています。人はなぜ老いるのか、「老けない人」は何がちがうのか、「老い」と向き合う心、未来の「老い」はどうなる。...この土日、ぼんやりと眺めてみようと思っています。
 それはそうと、東日本大震災が起きて10年が経ちます。地震が起きたちょうどその時、私はトップの部屋で打合せをしていました。大阪でもずいぶん長い間揺れていましたので、テレビのスイッチを入れると、まさに海からどす黒い濁流が街を呑み込み田畑を覆いつくす映像が流れていました。目を覆いつくすほどの衝撃でした。あまりの惨状だったからでしょうか、その後、その映像を見ることはありません。それほどに惨い自然の仕業でした。
 あれから10年。先日は朝のお散歩の途中、近くのお不動さんの奥の院にお参りをしました。ちょっとした洞窟の、様々な菩薩さまの前を通って奥に行くと大日如来さまがいらっしゃる。静かに手を合わせます。
 以前、「歩き遍路」の際にお参りしたお寺で、真っ暗な空間、何も聞こえない空間を、綱だけを頼りに進んでいったことがあります。暗闇というものではなく、光も影も色も音もない世界。心の動揺........。最後は自らがしっかりするしかない、そんなことを考えながら長いトンネルを抜け出たことがありました。日々経験、日々お勉強です。
 その「歩き遍路」ですが、いよいよ結願が近づいてきました。今月末に2泊3日の日程で出かけます。第86番札所の支度寺→第87番札所・長尾寺→第88番札所・大窪寺、これで結願です。そのあと徳島の第1番札所・霊山寺にお礼参りをして帰阪する。一つの節目になりそうです。

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「花と芸能」~音楽を愛で、花を愛で、お能を楽しむ。

2021-03-05 10:15:00 | Weblog

 第七候 啓蟄 初候 「蟄虫啓戸 (ちっちゅうこをひらく)」。冬ごもりしていた虫たちが動き始めるの意....。小雨まじりの朝、いつもどおりお散歩に出かけると、なんとなく春を感じる、そんな空気感に包まれました。我が家の庭では、クリスマスローズの花が咲き乱れ、カリンやブルーベリーの枝先には若芽が伸びています。
 そんな贅沢な朝、煎れたてのコーヒーを味わいながら、まずは先日お連れした舘野泉さんのLPレコード「愛の歌」に針を落とします。ジャケットには最新録音盤とありますが、裏面をみると若き日の舘野さんの写真に添えて「1977年7月7日から9日、荒川区民会館ホール」とあります。私が社会人になって4年目の頃の録音です。
 スークの「愛の歌」、コダーイの「巷に雨の降るごとく」、ラフマニノフの「エレジー作品3の1」「前奏曲嬰ハ短調作品3の2」「メロディー作品3の3」.....。長椅子に座って、ほっとひと息です。
 ラフマニノフといえば、そろそろライラックの花芽が膨らむ季節です。我が家のライラックは真っ白い花ですが、2年前の4月に中欧旅行に出かけたときは至る所で紫、藤、紅、白さまざまライラックの花を見かけました。
 さて、今週の「心」のメインイベントは、山本能楽堂の公演「花と芸能」でした。この日は、舞台周りの白州の至る所に桜と桃と黄梅を配した生け花が飾られ普段と違った空気感が漂います。まずはチェロリスト住野泰士さんの演奏でバッハの「無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調」を聴きました。次いで、満開の桜に華やぐ京都・嵐山を舞台とする能「嵐山」を堪能しました。能舞台に輝くシテとツレの色鮮やかな装束に見とれてしまいました。
 お能が終わると、もうひとつのテーマである「花」。能舞台に、国内外でご活躍の一葉式いけ花第四代家元・粕谷尚弘さんがご登場。いろいろお話を伺ったあと、舞台裏に連なる和室に活けられた作品を見て回ります。粕谷さんから展示された作品について直接ご説明をいただきました。また、押し花クラフト作家・土井三恵子さんの作品も展示され、心穏やかな一日を過ごすことができました。
 能楽堂の余韻冷めやらぬなか、ジュンク堂書店で「マンガでわかる『能・狂言』」(成文堂新広社)を手にして帰りました。明後日も講座「能活」に出かける予定ですが、4月には山本能楽堂定期能「たにまち能」も予約済。お能「羽衣」と「西行桜」、狂言「土筆」を楽しみます。....なんだか最近、やみつきになりそうな気配です(笑)。

余談:火の用心!!
 きょう最後の話題は「火事」です。数日前、夜の10時過ぎにパソコンに向かっていたら、遠くから消防車のサイレンが聞こえました。だんだん近づいてきたかと思うと、我が家から3軒先のおうちの前に止まりました。
 慌てて窓を開けると、その数3台。パトカーまでやってくるではありませんか。家の前の道路をホースをもった消防士さんが忙しく行ったり来たり。これはただ事ではないと玄関先に飛び出しました。しかし、煙も火の手も見えません。結局は小さなボヤで済んだようでした。よかった、よかった。
 だんだんと高齢者が多くなっていく街ですから、ちょっとした不注意で大変なことになってしまいます。ご用心、ご用心。

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