心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

歌集「回生」を読んで思うこと

2013-10-27 09:43:31 | Weblog

 あれよあれよと言う間に10月も下旬、最後の日曜日になってしまいました。ということは2013年という年も、あと2カ月ということになります。右往左往している間に、時は振り向くことなく前へ前へと進んでいきます。雨もあがった日曜日の朝、きょうはブラームスの「弦楽六重奏曲第1番変ロ長調作品18」のLPを聴きながらのブログ更新です。
 そういえば先日の日本経済新聞は、「村上春樹”最新作”は雑誌の音楽祭リポート 小澤征爾と大西順子、奇跡の共演」との見出しで、季刊誌「考える人」11月号の記事を取り上げていました。昨日、広島のジュンク堂では、発売されたばかりの「芸術新潮」を立ち読みしていて、「大西順子が教える”ジャズ勉強会”を見る、聴く」(青柳いづみこ執筆)に目がとまりました。いずれも、この演奏の素晴らしさを伝えています。あの感動、私だけのものではなかったようです。サイトウ・キネン・オーケストラ松本GigのCD化、DVD化が待たれます。
 先週は水曜日に名古屋入りして2泊3日の日程で仕事をこなしました。初日の夜は名物なごやコーチン(鶏)の老舗で仕事仲間と懇親を深めましたが、話題はもっぱら台風の進路。スマホでウェザーニュースをチェックしながら、仕事の進め方を話し合ったものでした。なんとか本土直撃は避けられ、計画どおり仕事を終えて帰阪すると大阪は雨。庭の金木犀の香りも、いつの間にか雨とともに消えていました。
 そして昨日は広島へ。夜の立食パーティーが盛り上がって、ついつい長居をすることに。予定の新幹線を見送って最終に飛び乗って帰阪しました。午前0時。地下鉄御堂筋線に乗り換えると、ハロウィンの仮装をした一人の若い女性に遭遇しました。パーティーを楽しんできたんでしょう。仮装のまま電車に乗れるなあと思いつつ、こんなことができるのも若い時だけだろうから、せいぜい今を楽しんだらいいよ、と心の中で語りかけていました。(笑)
 そんなこんなで、いろいろと考えることが多い今日この頃ですが、夜になると急に思考力が衰えます。歳のせいでしょうか。そんな秋の夜長、文字だらけの書物を手にとる勇気もなく、先週は鶴見和子曼荼羅「歌の巻」を眺めていました。
 鶴見さんは1936年16歳の時に歌人・佐佐木信綱に本格的に師事し、1939年には歌集「虹」を自費出版されていますが、その後遠ざかっていたところ、1995年に脳出血で倒れたその夜に、歌がほとばしるように出てきたんだそうです。救急病院を経て幾つかの病院、リハビリテーション病院を経験されたときに詠んだ歌を、第二歌集「回生」として自費出版されました。この「歌の巻」は未発表歌稿「ハドソン川の畔りにて」を含めて三部構成になっています。歌を理解する素養はありませんが、歌集「回生」を読むとひとつひとつの言葉の深さを思います。

 眠れども眠れどもなお眠き我の意識はいずこへゆくや
 病院の時間は長し「やっと朝」といえば看護師は看守 「まだ真夜中」と応う
 片手もてすべてのことをなす技を鍛えんと決す 新しき年に
 ふきぬけの上の夜空にかがやける宵の明星 見て寝に就く
 友らどっと笑うジョークに我ひとり とりのこされて笑いとまどう
 八重桜すかし見る空に萎えし手を高くかかげる生きゆくしるし
 車椅子に乗りて歩めば目線低く小さき花の溌溂と見ゆ
 おおらかに死を語りあうとものありてかがよいやまず我が老いの日々

 発症後、リハビリに励みながら、なお著作に励み、多田富雄さんとの対話をこなし、最後まで凛として生抜いた鶴見和子先生の思いが歌に込められています。身体が不自由になってもなお、自分自身と対峙され、自分を見失うことなく、生きることへの真摯な姿勢、その心が伝わってきます。まさに「凛」という言葉に相応しい方だなあと思ったものです。
 ふだん健康であることに無関心である私たちは、生きるということがどんなに大変な営みであるかということに鈍感になっているのかもしれません。家族、職場、社会、人と人との繋がりが希薄になっていはしないか。心の機微に触れるという言葉があるけれど、あまりにも表面的になぞって判ったつもりになっていることはないか。2歳の我が子を死に追いやる父親、病に倒れた親を弔うことなく放置する大人、親の年金を猫糞(ねこばば)する大人、.....。この世の中、何かが壊れていはしないか。鶴見さんの歌集を読みながら、そんなことを考えました。 

コメント

四天王寺さんの「秋の大古本祭」

2013-10-20 09:19:42 | 古本フェア

 昨夜から雨が降ったりやんだりしていますが、今週水曜日から週末にかけて、名古屋と広島に出張する予定なので、台風27号の動きが気になります。今朝は、NHKラジオ「音楽の泉」にスイッチを入れて、シューマンの「交響的練習曲 作品13」「子どもの情景作品15」を聴きながらのブログ更新です。
 さて、大阪市天王寺区にある四天王寺は、今から1400年以上も前の593年に聖徳太子が建立したと伝えられる、大阪市内では古くて大きなお寺です。その四天王寺さんで10月11日から「秋の大古本祭」(関西古書研究会共催)が開かれました。大阪に40年近く住まいながら、四天王寺さんには行ったこともない私ですが、先週、三連休の隙間をぬって出かけてきました。
 さすが大阪です。お値段が安い。それに音楽、絵画などに関連する本が探しやすかったのが私には嬉しかったです。この日のお買い得は集英社「現代世界美術全集」超ワイド版(31×40センチ函入)。1冊定価4,000円の本を、なんと300円で売っていました。状態も悪くはありません。ゴッホ、ルノワール、セザンヌ、シスレーなど気に入った画家の4冊をご購入です。別のお店では、前から気になっている渡辺崋山の本、これが200円。この日最も高かったのは鶴見和子曼荼羅Ⅷ「歌の巻」で、1,000円でした。さてさて、いつ読む?(笑)
 とりあえず、ゴッホの画集を眺めます。相応の仕様だけに、印刷とは言え、油絵の塊がにじみ出てくるような迫力があります。読みかけのままになっていた小林秀雄著「ゴッホの手紙」を取り出して読み進めました。弟テオに宛てたゴッホの膨大な手紙を丹念に読み解きながら、ゴッホの人となりに迫った秀作です。
 ところで、先日、ネットで小林家の系譜を調べていて、驚いたことがあります。小林秀雄の東京大学時代の指導教授が、なんと東京駅を設計した明治建築の重鎮・辰野金吾博士の長男・隆氏(フランス文学)だったこと。妹の高見沢潤子さんのご主人が、なんと漫画「のらくろ」の作者・田河水泡(高見澤仲太郎)さんだったこと。田河水泡に弟子入りした一人に、漫画「さざえさん」の作者・長谷川町子さんがいて、潤子さんと近しい関係にあったこと。なによりも驚いたのは、父親の小林豊造さんが、日本ダイヤモンド株式会社の創立者であり、日本で初めてダイヤモンドの研磨技術を習得し蓄音機のルビー針を開発した技術者であったこと、でした。ここで、私とレコードの関係が急浮上です。なんとも不思議な巡りあわせではあります。
 昨夜は、川喜田二郎著「創造と伝統~人間の深奥と民主主義の根元を探る~」を手にとりました。この本に関心をもったのは、「まえがき」のこんなくだりでした。「もしも、豪華船の中で自分の席の取り合いにばかり夢中になり、豪華船そのものが氷山にぶつかることを二の次にしていたら、言うまでもなく第二のタイタニック号になるかもしれない。しかし、今日の世界はまさにその愚劣さを演じかねまい。私はそれを恐れている。この本を書いたのも、そのためである。私たちの文明を、根本から立て直さねばなるまい。その出発点は、考え方の根底から改めることだと思う」と。4年前、享年89歳でお亡くなりになった、KJ法で知られる川喜田先生が20年前にお書きになったものです。

 これで、東京・神保町の「神田古本まつり」、京都の「春の古書大即売会」と「下鴨納涼古本まつり」に次いで、大阪で開催される大きな古本市に出かけたことになります。お客は、圧倒的に中高年の方々が多いのですが、みなさんが置き忘れた何かを求めるような視線に、時代の警鐘を思ったものでした。
 1冊の古本を通じて、世の中のいろいろな事が見えてきて、それが意外と近しいところにあることに楽しい驚きがあります。同じ小林秀雄の「無常という事」でも、昭和21年9月初版の百花文庫(定価7円)を読むのと、真新しい全集第7巻を読むのとでは、何かが違います。Windows8.1が取り沙汰される昨今、裏移りのする古本の紙に印された活字のひと文字ひと文字に、何かしら時間の重さ、言葉の重さを思う私です。我が余暇の過ごし方に、古本の存在がますます大きなウエイトを占めつつあることを実感します。昨夜は遅くまで秋の夜を楽しみました。

コメント

我が心の故郷

2013-10-13 08:52:43 | Weblog

 初秋の季節、兄の一周忌法要のため1年ぶりに帰省してきました。滅多に帰省しないので、久しぶりに標高1,142メートルの船通山の登山口にある温泉民宿「かたくりの里・民宿たなべ」で一泊しました。日本三大美肌温泉の名のとおり、アルカリ性単純泉が身体中にまとわりつく、そんな素朴な温泉が、私は大好きです。
 山の中の一軒家です。お客は私を含めて3組、広島と岡山からおいででしたが、知る人ぞ知る、そんな温泉です。女将さんによれば、先日、NHKテレビの「鶴瓶の家族で乾杯」の取材があったようでした。
 温泉に浸かったあとは、秋の虫の音をBGMに、家内と二人で美味しい地酒をいただきながら、岩魚・山菜・キノコ料理に舌鼓を打ちました。お酒がすすんだのか、それとも故郷の山懐に安堵したのか、その夜はぐっすりと眠りました。2年前に泊まった時もそうでした。家内がテレビを見ている間に眠ってしまい、気がつけば朝の5時。完璧といってもよい熟睡でした。こんな深い眠りは、滅多にありません。ただただ眠るのみ。このまま死んでしまっても、なんの悔いもない。山の神様に心身ともに預けてしまったように、深い深い眠りの前に触れ伏してしまいました。

 そうそう、法要後の会席にご出席の町の方から、太陽別冊「日本の教会をたずねて」を見せていただきました。その中に、横田相愛教会(写真:通りの右側に見える赤いとんがり帽子の建物)が数頁にわたって紹介されてありました。文化庁の登録有形文化財の指定を受けたこの建築物は、大正12年に竣工して以来、独特の存在感を示しています。子どもの頃には、日曜学校に通っていた時期がありました。町の郵便局として使われていた時期もあります。大学受験の願書も、この郵便局から送りました。現在は、元どおり日本キリスト教団の教会です。古いものと新しいものが入り乱れながら、過疎化の進む故郷は今もしっかりと息づいています。

 さて、話はがらりと変わりますが、先日、BSプレミアムで放映された「小澤征爾 復帰の夏 ~サイトウキネンフェスティバル松本2013~」の録画を、昨日、興味深く見ました(聴きました)。小澤さんの指揮で、モーツァルトのディヴェルティメントと歌劇「こどもと魔法」がありました。「サイトウ・キネン・フェスティバル松本Gig」では、ジャズピアニスト大西順子トリオの登場でした。ベースはレジナルド・ヴィール、ドラムスはエリック・マクファーソンです。小澤&サイトウ・キネン・オーケストラとの初共演によるガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」は、クラシックとジャズのスリリングな演奏が素晴らしく良かった。久しぶりに感動しました。
 この演奏会が実現した経緯が、先日発売された季刊誌「考える人」に掲載されています。村上春樹さんの寄稿「厚木からの長い道のり」です。それによれば、......大西さん最後のライブが厚木の小さなジャズクラブであった。大西さんの演奏を高く評価している村上さんと小澤さんは、その夜、その場にいた。演奏が終わり、大西さんが最後に感無量のおももちで「残念ながら、今夜をもって引退します」と宣言した。すると小澤さんがすくっと立ち上がって「おれは反対だ」と叫ぶ。(そのときのどよめきが聞こえてきそうです。)その後、二人の間でなんども話し合いが持たれた。それがサイトウ・キネン・フェスティバル松本Gigに繋がっていった......。ということのようでした。
 あのマエストロの凄さ、その熱意に応えた大西さん。前段の大西順子トリオの演奏(So Long Eric、Meditation、Eulogia ~ No.15)を舞台の両袖で聴いていたオーケストラの面々。クラシックとジャズという一見異質とも思われる演奏が、その日、ひとつになった。奇をてらうでもなく、そこには正真正銘の「ラプソディー・イン・ブルー」があった。この寄稿に気づかなかったら、この素晴らしい演奏会の、もうひとつの意味、演奏者たちの「心」「思い」を知らずに終わっていたことでしょう。人の出会いが新しい世界を創る。心が動きます。いずれ私も、現地・松本市でサイトウ・キネン・フェスティバルを体感したいものです。
 この世の中、いろんな人たちがいろんな思いを胸に抱きながら精一杯生きています。過去と現在そして未来が、混ざり合ったり、ばらばらになったり。あっちをむいたり、こっちをむいたり。でも、なんとなく行先はぼんやりと見えている。そうなんでしょうよ。きっと。

コメント

羨ましい兄妹の対話

2013-10-04 23:22:09 | Weblog

 銀の馬車道ウォークでは、街中、芳しい金木犀の香りに包まれましたが、我が家の金木犀には未だ花芽を確認することができません。気温の違いなんでしょうか。虫の音が聞こえる秋の夜長、生野銀山お土産の「鉱石」を眺めながら、気長に待つことにいたしましょう。
 話はがらりと変わりますが、先日、広島で、今年4月に着任された某女史を私の部屋にお呼びして、この半年間のご様子を伺いました。なんとか踏ん張ってくれているようですが、いろいろ話を聞いていると、前の職場とは異なる雰囲気(文化)に戸惑いの色もちらほら。終始にこやかな素敵な笑顔が救いでした。
 そんなある日、今度は大阪で、経済団体主催のフォーラムで、元ラグビー日本代表の林敏之さんの講演を聞きました。こちらは笑顔というよりも、熱血漢。50代にしてなお全身に充満する情熱。競合チームに勝利したときの感動。考えてみると、最近、素直に身体全身で感動することが少なくなっているようにも思えます。ご用心、ご用心。

 先週ご紹介した高橋昌一郎著「小林秀雄の哲学」を読み終えて、これまでアトランダムに斜め読みしてきた小林秀雄の世界が、なんとなくぼんやりと見えてきたような気がしています。その本の中で、何度か引用されていたのが、高見沢潤子著「兄 小林秀雄との対話~人生について~」(講談社)です。
 実はこの本、2年前の2011年6月19日付のブログで触れていますが、富山市に出張した際、今井古書堂さんで購入しています。ぱらぱらとめくって、その後書棚で眠っていました。著者曰く、「兄のむずかしい数々の作品の意味を、やさしく、(読者に)わからせてあげたい」という思いから、兄との対話を通じてその記録を綴ったのだそうです。本腰で読み始めてみると、これがなかなか面白い。
 「大和ごころについて」「美について」「人生とはなにか~生きる意味」「人間としての兄」の四部構成になっていて、ちょうど今、第三部に入ったところですが、何よりも、兄妹との間で、こんなにも深い対話ができていることに、ある種の驚きがありました。羨ましくも思いました。
 妹が「もうすこし、やさしく書いてもらえないか」と言うと、兄は「書けないね。やさしくしようとすれば、ちがったことを書いてしまうんだ。苦心に苦心して、くふうをこらして、選んだことばは一つしかないのだ」と。そして、デカルトを例に「最初は、わかっても、わからなくても、しんぼうして終わりまで読み通すこと、それでぼんやり、どんなことが書かれているかがわかったら、こんどはもう一度、はじめから読みなおし、わからないところに棒をひきながら読む。そのつぎは棒のひいてあるところを考えながら、念を入れて読みなおす。そしてもう一度、とにかく、四度はよまなくちゃわからない」と。私には真似のできないことですが、それほどまでに真剣に時代を見つめていた小林秀雄の人となりを思いました。
 「美について」の中に、こんなくだりがあります。「美とは感じるものだ」「感受性がだいじなんだ。子どもにもセンシビリティ(感受性)とエモーション(情緒)を育てなくちゃなんにもならんよ」「ゴッホの絵だとか、モーツアルトの音楽に、理屈なしにね。頭で考えないで、ごくすなおに感動するんだ」。
 妙に知識だけが増えてきて、人間本来の持つべき大事なことが軽んじられる昨今、重たい提言と受け止めました。
 さて、10月最初の週末を迎えましたが、明日、明後日と、亡き兄の法要のため、田舎にとんぼ返りです。残念ながら私には、時代の求めるテーマについて兄姉らと真剣に深く語り合うなんてことはありませんでした。1年ぶりに再会する姉たちには、いつまでたっても「○○ちゃん」と子ども扱いにされては、夢のまた夢なんでしょうよ。きっと。
 明日は、「兄 小林秀雄との対話」をバッグに入れてお出かけです。久しぶりに山懐にひっそりと佇む温泉宿に一泊し、翌日早朝にお姉さん方がお待ちかねの実家に移動する予定です。

コメント