あれよあれよと言う間に10月も下旬、最後の日曜日になってしまいました。ということは2013年という年も、あと2カ月ということになります。右往左往している間に、時は振り向くことなく前へ前へと進んでいきます。雨もあがった日曜日の朝、きょうはブラームスの「弦楽六重奏曲第1番変ロ長調作品18」のLPを聴きながらのブログ更新です。
そういえば先日の日本経済新聞は、「村上春樹”最新作”は雑誌の音楽祭リポート 小澤征爾と大西順子、奇跡の共演」との見出しで、季刊誌「考える人」11月号の記事を取り上げていました。昨日、広島のジュンク堂では、発売されたばかりの「芸術新潮」を立ち読みしていて、「大西順子が教える”ジャズ勉強会”を見る、聴く」(青柳いづみこ執筆)に目がとまりました。いずれも、この演奏の素晴らしさを伝えています。あの感動、私だけのものではなかったようです。サイトウ・キネン・オーケストラ松本GigのCD化、DVD化が待たれます。
先週は水曜日に名古屋入りして2泊3日の日程で仕事をこなしました。初日の夜は名物なごやコーチン(鶏)の老舗で仕事仲間と懇親を深めましたが、話題はもっぱら台風の進路。スマホでウェザーニュースをチェックしながら、仕事の進め方を話し合ったものでした。なんとか本土直撃は避けられ、計画どおり仕事を終えて帰阪すると大阪は雨。庭の金木犀の香りも、いつの間にか雨とともに消えていました。
そして昨日は広島へ。夜の立食パーティーが盛り上がって、ついつい長居をすることに。予定の新幹線を見送って最終に飛び乗って帰阪しました。午前0時。地下鉄御堂筋線に乗り換えると、ハロウィンの仮装をした一人の若い女性に遭遇しました。パーティーを楽しんできたんでしょう。仮装のまま電車に乗れるなあと思いつつ、こんなことができるのも若い時だけだろうから、せいぜい今を楽しんだらいいよ、と心の中で語りかけていました。(笑)
そんなこんなで、いろいろと考えることが多い今日この頃ですが、夜になると急に思考力が衰えます。歳のせいでしょうか。そんな秋の夜長、文字だらけの書物を手にとる勇気もなく、先週は鶴見和子曼荼羅「歌の巻」を眺めていました。
鶴見さんは1936年16歳の時に歌人・佐佐木信綱に本格的に師事し、1939年には歌集「虹」を自費出版されていますが、その後遠ざかっていたところ、1995年に脳出血で倒れたその夜に、歌がほとばしるように出てきたんだそうです。救急病院を経て幾つかの病院、リハビリテーション病院を経験されたときに詠んだ歌を、第二歌集「回生」として自費出版されました。この「歌の巻」は未発表歌稿「ハドソン川の畔りにて」を含めて三部構成になっています。歌を理解する素養はありませんが、歌集「回生」を読むとひとつひとつの言葉の深さを思います。
眠れども眠れどもなお眠き我の意識はいずこへゆくや
病院の時間は長し「やっと朝」といえば看護師は看守 「まだ真夜中」と応う
片手もてすべてのことをなす技を鍛えんと決す 新しき年に
ふきぬけの上の夜空にかがやける宵の明星 見て寝に就く
友らどっと笑うジョークに我ひとり とりのこされて笑いとまどう
八重桜すかし見る空に萎えし手を高くかかげる生きゆくしるし
車椅子に乗りて歩めば目線低く小さき花の溌溂と見ゆ
おおらかに死を語りあうとものありてかがよいやまず我が老いの日々
発症後、リハビリに励みながら、なお著作に励み、多田富雄さんとの対話をこなし、最後まで凛として生抜いた鶴見和子先生の思いが歌に込められています。身体が不自由になってもなお、自分自身と対峙され、自分を見失うことなく、生きることへの真摯な姿勢、その心が伝わってきます。まさに「凛」という言葉に相応しい方だなあと思ったものです。
ふだん健康であることに無関心である私たちは、生きるということがどんなに大変な営みであるかということに鈍感になっているのかもしれません。家族、職場、社会、人と人との繋がりが希薄になっていはしないか。心の機微に触れるという言葉があるけれど、あまりにも表面的になぞって判ったつもりになっていることはないか。2歳の我が子を死に追いやる父親、病に倒れた親を弔うことなく放置する大人、親の年金を猫糞(ねこばば)する大人、.....。この世の中、何かが壊れていはしないか。鶴見さんの歌集を読みながら、そんなことを考えました。