心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

14歳を迎えたブログ「心の風景」

2018-12-25 21:30:22 | Weblog

  家族のインフルエンザを避けて二日ほど我が家に泊まっていた孫次男君でしたが、その後、孫長男君のインフルエンザも快癒したところで小学校が終業式を迎えました。すると、孫長男君「〇〇ちゃんだけずるい!」と。そんなわけで、きょうは孫長男君と次男君の二人をお預かりすることになりました。二泊したあと、みんなで一泊二日の小旅行にでかけます。
 きょうは一日、年末の大掃除が私の役目でありました。とりあえず自分の部屋を整理したあと、すべての窓拭き。これがなかなか大変なのです。孫君たちにも手伝ってもらいました。そして明後日は、やっと庭師さんの手があいたので庭木の剪定があります。
 そんな年末でも、クリスマスイヴは別です。いずみホールであったクリスマス オルガンコンサートに行きました。フレデリク・リヴォールさんが演奏する素晴らしいパイプオルガンの音色に併せて、バリトンのヴィタリ・ユシュマノフさん、ソプラノのオクサーナ・ステパニュックさんが歌います。
 「主よ人の望みの喜びを」「トッカータとフーガニ短調」「神の御子は今宵しも」「ホワイトクリスマス」「アヴェ・マリア」「天使の糧」「アメイジンググレイス」「ホーリーナイト」「もろびとこぞりて」......。よく耳にする夢のある曲ばかりです。楽しい時間を過ごしました。
 いずみホールは、大阪城に隣接するホテルニューオータニのお隣です。コンサートが終わって帰る途中、ツイン21の広場では、混声合唱団によるクリスマスコンサート(公開)が開かれていました。正面の向こうにはライトアップされた大阪城天守閣がうっすらと見えます。
 この日は京阪電車「京橋駅」にある紀伊国屋書店で、新潮文庫の新刊である塩野七生さんの「十字軍物語」に出会いました。単行本は全3巻ですが、文庫本では全4巻になります。数年前に単行本が刊行され、その文庫本化を待ち望んでいましたので、さっそくのご購入です。
 戦争と宗教は切っても切れない関係といっても過言ではありません。宗教間の対立は今なお解決の糸口を見いだせないほどに複雑で奥深いものがあります。十字軍の時代、当時の日本は平家、源氏、北条と変わっていく頃です。遠いヨーロッパの国々で何が蠢いていたのか。興味は尽きません。
 こうして徐々に2018年という年が幕を閉じようとしています。職を辞して2年半、私を取り巻く環境も大きく変わりました。ギスギスした柵から解き放されて、ものごとを真正面から素直に見つめることができるようになりました。私にとって大きな収穫です。
 現役の頃、一枚の名刺で自分を自社ビルほどに大きく見せていたことに気づきもしました。私という人間は、どこにでもいる一人の人間に過ぎない。どこにでもいる一人の人間が、いま、何のためらいもなく人の輪に入っていきます。
 そんな私がこの秋に一枚の名刺をもつことになりました。戸惑いました.....。できるだけ使わずに動くことを考えました。身の丈にあった人間としての自己主張です。裏面に私的なメールアドレスと電話番号を印刷して、名刺の裏面を表にしてお渡ししています。

 ところで、ブログ「心の風景」は14歳になり15年目に入ろうとしています。日々の思いをなんの脈絡もなく淡々と綴るブログに過ぎませんが、これまでに多くの方々にご訪問をいただきました。コメントまでお寄せいただきました。ありがとうございました。時々、いつ閉じようかと思案することもありますが、当面、元気なうちは続けていきたいと考えています。引き続きお付き合いをいただければ幸いです。
 それでは、みなさま。良い年をお迎えください。

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新井満が歌う「ふるさとの山に向ひて」

2018-12-20 23:50:10 | Weblog

 今朝、娘から電話がありました。孫長男君に続いて旦那までもインフルエンザに罹ったのだと。ついては孫次男君を預かってもらえないかと。家族全員がインフルエンザに罹らないようにという母親の判断ですが、夫婦ともに仕事をしていることを考えるとやむを得ない措置ではあります。ということで、きょう孫君を幼稚園に迎えに行った家内は、そのまま孫君を連れて我が家に帰ってきました。孫次男君、一人でお泊りするのは今回が初めてです。今夜はお婆ちゃんと一緒に眠りました。
 そういえば、今朝、谷町筋のビジネス街を歩いていると、マスクを被った人がちらほら。急に寒くなったり温かくなったりと、気温の変化に身体が追いついていないからでしょうか。でも、それだけでもなさそうです。年も押し詰まったこの時期、連日の忘年会で抵抗力が弱っているのは確実です。私自身、昨日の忘年会でひと通りのお付き合いは終わりましたが、この歳になっても勢いに任せて結構いただきますから、身体がダメージを受けているのは間違いありません。
 そんなヤバい時期に、3カ月毎の定期診断がありました。若い女医さん、血液検査の結果を見て、にやり。「そろそろお歳を考えてくださいね」と優しく窘められました。数値の悪化はこの時期特有のことと受け止められたご様子でした(笑)。
 そしてきょうは、ことし最後の会議でした。ひと足早い「仕事納め」。10月から慌ただしい日々が続きましたが、ここでひと休みです。仕事ではないと言いながら、けっこう拘束される日々が続いたので、家内の目論見が外れた格好です。google siteを使ったホームぺージもなんとか間に合い、きょう正式に公開できました。やれやれ。
 そう言えば、出雲の姉にお歳暮のお礼を送ったところ、甥からお礼のメールが届きましたが、実は宅配便が届いた後、その品をどこにしまったのか忘れてしまったよう。皆で探したら2台ある冷蔵庫の奥にしまってあったのだそうです。電話では元気そうでも、やはり認知症は徐々に進んでいます。甥には親孝行と思ってサポートしてやってほしいとお願いをしておきました。
 あんなに元気だった姉が、と思うと、なんとなく古き良き時代のことが思い出されます。最近、自宅から駅へ向かう道すがら、あるいは電車を降りてオフィス街を歩いているとき、ぼんやりと街の風景を眺めながら、新井満の歌「ふるさとの山に向ひて」を聴きます。

 ふるさとの山に 山に向ひて♪
 言うことなし ふるさとの♪
 山は あ~ ありがたきかな♪

そんな曲を聴きながら都会の喧騒のなかを歩く私がいます。この曲は石川啄木の詩をもと新井さんが作曲して歌っていますが、その声が曲想にマッチしています。
 手元にある石川啄木全集、といっても昭和3年11月30日改造社から出版された初版本です。この歌は、全集第3巻「詩歌集」に掲載されている「一握の砂」の「煙」の二に登場する詩です。あの有名な「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」で始まる詩です。
 今週の授業「島崎藤村文芸の意義」を聴いて、なんだか急に文学青年になった私でありました。

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慌ただしい最中に「旅」企画

2018-12-12 19:58:12 | 旅行

 朝お散歩をしているとき、坂道を登ったところで空の向こうに小さな虹を見つけました。ほんの一瞬でしたが、朝日に照らされてす~っと消えていきました。気象の細やかな変化の悪戯でしょうか。ほっと心がなごみます。
 さて、3週にわたって続いたカレッジの校外学習が昨日で終わりました。午前中、講義を聴いた後、薬の町・道修町界隈を歩いて田辺三菱製薬史料館を訪ねたり、ビルの谷間にひっそりと佇む少彦名(すくなひこな)神社に詣でたり、緒方洪庵の適塾を見学したり....。最後は班の忘年会でした(笑)。

 年を忘れる「忘年会」なのか、来る年を望む「望年会」なのかはともかく、この一週間で忘年会が3回。明日もあり、来週もあります。そんなわけで今夜は一日早いブログ更新と相成りました。この歳になったら忘年会なんてないんだろうと高を括っていましたが、なんのなんの。お元気な大阪のおっちゃんやおばちゃんたちと楽しいひと時を過ごしています。脳梗塞を患いリハビリ中の知人を囲む会では、ずいぶんお元気になられたその方を囲んで大いに盛り上がりました。やはり健康がなによりです。
 そうこうするうちに、今年もあと2週間あまり。お正月に向けて今年は干し柿づくりに挑戦しています(笑)。吊るして2週間、なんとなくそれらしくなってきました。昨日は、出雲の姉から新米、お餅、出雲そばが届きました。久しぶりに電話をすると、相変わらず元気な様子。昨年は同じお歳暮が2回も送られてくるというハプニングもありましたが、今年はそんなことはなさそうです。
 年末になると、庭木の剪定もお願いしなければなりません。いつもお願いしている造園会社さんに電話を入れると、今年は度重なる台風の影響で大忙しのご様子。未だ我が家の日程が決まっていません。さっぱりしたお庭で新しい年を迎えたいものです。そんななか、娘一家と一緒に一泊2日の旅行企画が進行中です。孫たちのために遊園地優先の旅になりますが、さあてどうなることやら。
 伸び伸びになっていた「歩き遍路」は、年が明けた1月下旬に出かけることにしました。カレッジの仕事の合間を縫っての旅ですから日程がタイトですが、さきほどお宿2軒を確保しました。あとは高速バスの予約をするだけです。
   今回は大阪から最も遠い40番札所・観自在寺のみです。高知から回っても宇和島から回っても西の端になります。なので、大阪・梅田から宇和島を経由して岩松バス停で降りる夜行高速バスを利用することにしました。逆回りになります。観自在寺界隈で一泊したあと宿毛の街をめざし、翌日高知経由で帰阪という、車中泊を含めて3泊4日の日程になります。寒い冬のこと。峠越えはさぞ厳しいことでしょう。
   そうそう、「歩き遍路」とだぶってしまうのが、この秋から受講している古典文学講座「奥の細道」です。旅立ち、日光・那須、白河の関・忍ぶの里、武隈の松・末の松山、松島・平泉、立石寺・最上川、出羽三山・象潟と巡って、来週はいよいよ「市振・金沢」です。時々、先生と一緒に音読しながら読み進みますが、松尾芭蕉の世界と「歩き遍路」の景色がだぶって楽しくお勉強をしています。
 慌ただしいこの時期ですが、ここにきて来年の海外旅行先も話題になります。話し合った結果、来年は4月下旬に中欧諸国へのツアーに参加することにしました。5カ国のうち1カ国は2年前に訪ねたウィーンです。何度でも訪ねてみたい街ですから、今回は前回見逃した美術史美術館をじっくりと見て回りたいと思っています。
 歳をとるにしたがって10数時間も飛行機に乗るのは億劫になってきます。遠出もあと1、2年ってところでしょうか。人生の残された日々を大事に過ごしたい(旅したい)、そう思っています。

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年の瀬を迎えて想うこと

2018-12-06 19:57:48 | Weblog

 第六十一候大雪初候「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる=空が閉ざされ真冬が訪れる)」、第六十一候大雪次候「熊蟄穴(くまあなにこもる=熊が穴に入って冬ごもりする)」。.......小さい頃、田舎で暮らしていた頃の風景が浮かんできます。でも、残念ながら、この都会地では実感がわきません。

 先日、久しぶりにのんびりと朝のお散歩を楽しみました。このところ景気が良いのでしょうか。私の街では世代交代に併せて家の建て替え工事が散見されます。昭和の家が壊され真新しいデザインの家が新築される。これも時代の流れなんでしょう。街に子供たちの歓声が響きます。新しい世代による新しい街の誕生を予感します。
 街といえば、今週の日曜日に町内会恒例のお餅つき大会がありました。高度成長期に造成された街ですから、伝統的な地域のお祭がないぶん、こうしたお祭りは地域共生という意味での絆づくりに大切な行事です。町内会のみんなで盛り上げます。今年もたくさんの人出で賑わいました。
 娘も孫たちを連れてやってきました。「おぞうに」「やきもち」「ぜんざい」「きなこもち」の各コーナーには長蛇の列です。みんなお行儀よく並んで順番を待ちます。お餅をたくさんいただいた孫君たちの次のお目当てはお楽しみ抽選会です。抽選券を片手に発表を待ちますが、残念ながら今年も参加賞でした。それでも、お菓子をたくさんいただいて嬉しそうに帰ってきました。
 そんな孫次男君、私が水彩画の仕上げをしていると「僕も描きたい」と。そこで、画用紙と筆とパレットを渡すと、すこ~し考えたあと、さらさらと描き始めました。なんとも奇妙な絵ですが、筆のタッチといい色づかいといい、なかなかの出来栄えです。これはなにかと尋ねると「じしゃくむし」と言います。それが何なのかよく分かりませんが、孫君とお爺さんの水彩画展ができあがりました。
 話は変わりますが、先週末、近隣にお住まいの、かつて同じ職場でお世話になった研究職の方々、今では80歳も半ばの方々とのランチ会がありました。少し筋は違うのですが、どういうわけかその仲間入りをしてしまいました。要はお世話係といったところでしょうか。
 みなさん年金生活者ですから会の名前は「二千円の会」と言います。二千円の範囲内で軽い食事とビールを楽しむ。もちろん会話を楽しむのが第一の目的です。現役の頃は相当な個性をお持ちの方々で、時には激論を交わしたこともある方々ですが、今では穏やかな笑みを浮かべてお話しになります。人間って、齢を重ねるに従って優しくなっていくものなんですね。つくづくそう思いました。
 老いる........。以前、シニアカレッジの授業の一環で「私の軌跡と夢シート」を作成したことがありました。A4の紙に、タテに「60年前」「40年前」「20年前」「現在」そして「10年後」、ヨコに「年齢」「家族構成」「仕事」「私の軌跡と夢」「日本の様子」「世界の様子」と区切った一覧表が印刷されています。そこに、私自身の過去と現在そして未来を書き込んでいくのですが、自分の歩みを鳥瞰するという意味で興味深いものでした。
 大学の名誉教授であるその先生は、「自分の軌跡を振り返り、終活に活用してください。日本の様子、世界の様子はネットの検索機能で調べてください」と。出された宿題がおもしろい。インターネットで歌手・竹内まりやさんの「いのちの歌」「人生の扉」「みんなひとりで」を検索して、歌詞を読み、曲を聴くこと。
 さっそく、音楽配信サイトmoraさんからダウンロードして聴いてみました。何度か繰り返して聴いているうちに、曲と歌詞が融合してその世界にのめり込んでいく自分に気づきます。「生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに」「ひとつひとつ人生の扉を開けては感じるその重さ」「生まれる時ひとり 最期もまたひとり」。いつのまにかしっとりと心にまとわりついています.....。
 竹内まりやさんといえば出雲大社の参道沿いにあるお家でお生まれになった方です。昨年の秋、出雲大社に詣でたとき、義理の兄が車を運転しながら、あれが竹内まりやの家だよと教えてくれました。その曲を聴いたのは今回が初めてでした。そしてその義兄は今年5月に他界しました。

 師走を迎えて、訃報のお知らせが毎日のように届きます。私自身がそういう年代になってきたということなんでしょうが、改めて人の生き仕方を思う年末でもあります。

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