心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

雨の土曜休日

2012-03-31 11:01:36 | Weblog
2011年度最後のきょう31日は、朝から雨が降り続いています。悲喜こもごもの季節に、お天道さまも意地悪をするものです。
 きのうは大阪で、本日をもってご退職になるお三人からご挨拶をいただきました。そのうちの1人は、私と同期に入社した方ですが、少し横道に逸れての入社だったので、私と年齢差がありました。お久しぶりにお会いして、最初に思ったのは「歳をとったなあ」ということでした。つぎの瞬間、そのことは私にも言えることだろうと。これからはボランティアや趣味に生きるという65歳の「青年」は決して休むことを知りません。もうひと方は、30年近く温かい心をもってお客様に接していただきました。定年を前にしたご退職ではあるけれど、彼女はもっと大きな仕事ができる方。エールを送りました。そしてもうひと方、1年間だけでしたが私をサポートいただいた方、...と、帰宅途上の電車の中で思いながら、なにやらわけのわからない淋しさのようなものが込み上げてくるから不思議です。
 そんな複雑な心に満たされた休日の朝の雨、いやですねえ。これまでも多くの方々を送り出してきたけれど、私も遠からず、ということです。
 あすは所用のため職場にでかけなければならないので、この雨の土曜休日は、ヘンデルのオペラ「リナルド」を部屋中に響かせながらブログ更新をしています。なぜ、リナルドかって?実は先日、BSテレビで深夜放映していたのですが録画するのを忘れてしまいました、という単純なことです。いつまでたっても幼稚性が消えません。
 「リナルド」の名前は知らなくても、アリア「私を泣かせてください」をご存じの方は多いのではないでしょうか。最近は、サラ・ブライトマンも歌っています。オペラ自体は、十字軍の勇士リナルドと将軍ゴッフレードの娘アルミレーナの愛、それを邪魔する敵方(エルサレム)のダマスカス女王の魔女アルミーダの悪戯にまつわるものです。極めて単純なシナリオですが、なんとなくひと息つくことができます。世の中があまりにも複雑だから、いや徒に複雑にしてしまっている世の中だからなんでしょうか。でも、このCD、3枚組ですから、最後まで聴くと5時間もかかってしまいます。きょうは雨なんだし、何にも考えずに、ぼんやりと聞き流すことにいたしましょう。

 ところで、広島併任になって1年が経過します。歳時記のなかに「山笑う」という言葉がありますが、春になると山の樹々が芽吹き、花も咲き始め、明るく生気に満ちた感じになってくる、その山の様子を擬人的に表現したもののようです。ちょうど1年前、初めて広島の宿舎で目覚めた朝、目の前に見えた山肌がまさにそのような風景でした。
 そうそう、先日は窓際で鳴く小鳥の大きな声で目が覚めました。姿を確認はできなかったけれど、職場に向かう途中、黒っぽい小柄な小鳥さんが木の枝にとまって鳴いていました。春を迎えて小鳥たちも身体全身で喜びを表現しているのでしょう。

 既に動いている組織を別の角度から眺めていくことのシンドサ。孤軍奮闘と言えば恰好良いのですが、決してそんなものではありません。私自身もたくさんの気づきをいただきました。でも、一人ひとりの心に新しい灯を点すことができれば、私の役目は終わったも同然です。あと一歩です。もうひと頑張りしますか。

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春は変化を呼ぶ季節

2012-03-25 09:57:18 | Weblog
 今日は久しぶりに晴れ間がのぞいています。街の至るところで梅が花開き、芳しい香りが漂います。愛犬ゴンタも嬉しそうに朝のお散歩でした。
 それにしても昨日は荒れ模様でした。朝、バス停に向かう時は暖かい風を感じたので、もしや「春一番」かと思いましたが、最寄駅に着く頃には小雨が降り出し、その後は雨が降ったりやんだり。でも午後3時を回る頃には薄日が差してきて、ほっとしたと思ったらまたしても雨。お空では雷様までゴロゴロとお目覚めで、なんとも落ち着きのない一日でした。これが季節の変わり目ということなんでしょうよ。きっと。
 春一番を広辞苑で調べると、「立春後、はじめて吹く強い南寄りの風。天気予報では、立春から春分までの間に広い範囲ではじめて吹く、暖かく強い南寄りの風をいう」とあります。今年は時期を逸してしまったのかもしれませんが、昨日のお天気は間違いなく我が街に「春の到来」を告げるものでした。

 春の気配は我が家でも見つけることができました。寒い季節、日当りのいい出窓に置いていたデンドロビュームが満開です。庭のクリスマスローズも今年は3種が咲き揃う出来栄え、来年に期待が持てます。

 何よりも嬉しかったのは、昨年、清荒神にお参りしたときに購入した山野草のウラシマソウが、寒い冬を耐えて大きな芽を出したこと。半分諦めていましたが、どっこい生きていました。嬉しくなってあたりを見渡すと、ユキヤナギが開花の準備に入っています。木々の枝先には葉芽が大きく膨らみ、ツツジにはたくさんの花芽がついています。昨年末に剪定したキンモクセイの枝先には早くも柔らかな芽が数センチ伸びています。長く寒い冬も、これで終わりにしましょう。

 そうそう、先週、広島から帰宅すると、家の中が賑やかです。ドアを開けるや否や「お帰りなさ~い」という孫君のご挨拶。実はこの日、孫君は「お泊りの練習」でした。そうなんです。来月下旬には長女が第二子を出産の予定です。その長女が入院中、孫君の世話をお祖母ちゃんが引き受けることになったようです。
 私も、お疲れ気味でしたが、孫君と一緒にお風呂に入ったり、彼が眠る前には本を読んであげたりしました。大好きな秘密戦隊ゴレンジャーの絵本ですが、ヒーローの名前はカタカナばかり。たどたどしく読んでいると孫君から逆に教えを受ける羽目に。そんなやりとりをしていたらいつの間にか眠ってくれました。後日、お祖母ちゃんのお家に泊まった感想を尋ねられた孫君、「千日泊まってもいい!」と御満悦だったとか。

 こうして私たちの身の回りの「春」は、進んでいきます。あと一週間もすれば新年度を迎えます。リタイアする人、新しく職場に加わる人、春は変化を呼ぶ季節でもあります。先週20日の祝日には、昨年末に続いて書棚の整理をしました。今回も多くの仕事関連の書籍を古本屋さんに直送しました。これでビジネス関係の書籍は大半を整理したことになります。替わって書棚には人間存在に係わる基本的な書物が存在感を増しています。残された仕事人生、目の前の損得ではなく、もっと大きな視点から「時代」を読み解くことに徹することにいたしましょう。
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フランス綴じ

2012-03-18 09:25:19 | 古本フェア

 ここ数日、雨が降ったり止んだりしていますが、なんとなく春の足音を感じるのは私だけでしょうか。そんな休日の朝、愛犬ゴンタとお散歩をしてきました。里山の樹木の枝先がなんとなく淡い土色に変わるこの季節、街のいたるところで水仙が花開いています。我が家のテーブルにも、庭の水仙の花が飾ってありました。きょうは、CD「覚えておきたい日本の童謡・唱歌名曲50選」を聴きながらのブログ更新です。
 
 さて、大阪に戻った先週末、久しぶりに最寄駅まで歩いて帰りました。ふつうだと15分ほどかかるのですが、この日は馴染みの古書店をのぞき、店主にご挨拶です。で、ぼんやりと書棚を眺めていたら、名著復刻日本児童文学館「西條八十童謡全集」が目にとまりました。大正13年5月25日刊新潮社版の復刻、ほるぷ出版が昭和50年に出版したものです。

 その夜、おもむろに「西條八十童謡全集」を開くと、なんとこの本、フランス綴じです。フランス綴じとは、綴じただけで裁断をせず縁を折り曲げて紙表紙などを被せた装丁のこと、要するに袋とじ状態です。それをペーパーナイフでページごとに切って読んでいくのです。本来は、愛書家が自分用に装丁し直すためのもののようですが、詩集や童謡集のように、言葉自体の意味をじっくり噛みしめながら読んでいく分には良いかも。贅沢な時間が流れていきました。


 読書の態様も、時代とともに様変わりです。一昨日ipadの新製品が発売されましたが、いまや本もデジタルの時代です。綺麗な画像を含めて情報満載のデジタル書籍がずらり揃っています。でも、何か物足りない。なんど開いても新品同様の澄まし顔の紙面が目の前に現れる。なんど出会っても初めてお会いするような白々しさが付きまとう。少しぐらい手垢がついたっていいではないか。もういちど読み返したい頁の片隅を少し折り曲げておいたっていいではないか。時代の流れについて行けない初老の戯言がつづきます。
 こう考えてみると、フランス綴じって捨てたものではありません。言葉数の少ない詩集の奥に潜む作者の心、ひとつひとつの言葉の意味を、読み解いていく、そんなゆったりとした時間が心を豊かにしてくれます。

 ところで、西條八十の童謡のなかに「かなりや」があります。小さい頃からよく知っている歌ですが、その詩を改めて言葉として読んでみると、なにやら児童の愛唱とは思えない世界が見えてきます。

唄を忘れたカナリヤは 後の山に棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋けましょか
いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょうか
いえ いえ それはかはいそう

唄を忘れたカナリヤは
象牙の船に 銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた唄をおもひだす

 少し怖いですね。「あとがき」のなかで西條は言います。「一般に動物愛護の歌と解されているこの謡のかげには、過去の或る時期に於ける私の苦悩の姿が宿されている。歌を忘れたカナリヤとは当時、吾と自ら詩を離れて商売の群に入り埃ふかき巷にししゅの利を争っていた私自身の浅ましい姿」なのだと。人それぞれ、人生さまざま。いろんな隘路をくぐりながら「今」がある。10行の詩のなかに西條の奥深い息遣いを思いました。
 これもフランス綴じの醍醐味なのでしょうか。私の指先が、少し分厚い紙質を妙に温かく感じています。

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天神橋・古書店巡り

2012-03-11 10:01:58 | 古本フェア

少しひんやりはするけれども清々しい休日の朝を迎えました。きょうは3月11日、あの東北大震災から1年が経過しますが、私たちは改めて生きることの尊さを思い、生きることの意味を問うことになりました....。みんな時代の課題に気づいていながら手を拱いている。TV討論会を眺めていても、高名な政治家や評論家の言葉が白々しく思えてきていけません。....一方では、それなら君はどう生きる、と自問自答する私がいます。

 ところで、雑誌「男の隠れ家」4月号の特集は「本のある空間、本と過ごす時間」です。その中に「古本夢空間」という章があり、私がよく行く街の古書店も2店紹介されていました。関心をもったのは天神橋筋商店街の古本屋巡りの記事でした。「喧噪の商店街をぶらりふらり。新旧の店が点在する浪花・古書ワールドの魅力」と紹介されると、じっとしていられません。きのうは帰途、足を伸ばして古書店巡りと相成りました。

 京阪電車「天満橋駅」を降りて西に5分、中之島の先端部分に架かる天神橋を渡って数分歩くと、天神橋筋商店街1丁目の入り口がありました。看板には「日本一長い商店街」の文字が目にとまります。商店街に入ると、いかにも庶民の街、大阪といった雰囲気が漂います。大阪天満宮を過ぎ、落語お笑いの殿堂「繁昌亭」を過ぎると、地下鉄南森町駅あたりでいったん大通りに出ます。信号を渡って直進すると商店街2丁目に進みます。こうして商店街は天神橋筋6丁目まで続きます。長いはずです。


 さて、お目当ての古書店は、3丁目あたりに集中していました。まずは天牛書店天神橋店へ。一歩お店の中に入ると、軽いBGMが流れ、商店街の喧噪とは別世界。専門書から一般書までが並び、貴重本や昔懐かしい雑誌類も揃っています。選書にお店のポリシーが感じられる、そんなお店でした。それに価格もリーズナブル。楽しい時間を過ごすことができました。

 次に訪ねたのは矢野書房。このお店も雑誌にとりあげられていましたが、天牛さんとは異なる選書ポリシーを感じました。冊数はそれほど多いわけではありませんが、特定のテーマに拘りのある楽しい書棚でした。ここでもずいぶんじっくりと眺めることになります。そのあと、駄楽屋書房、常磐書房、エンゼル書房と巡りました。もう少し進むと、あと数軒お店があるようですが、時間切れです。次回のお楽しみにとっておくことにしました。

 この日手にしたのは、田中宏和著「ガイアの樹(南方熊楠の風景)」、西條嫩子著「父 西條八十」、カール・ヤスパース著「大学の理念」、以上3冊でした。そうそう、南方熊楠といえば、先ごろ発表された第22回南方熊楠賞に同志社大学名誉教授で考古学者の森浩一先生が受賞されました。森先生といえば、随筆家の須賀敦子さんとは従兄弟の間柄であることを読書遍歴の中で知りました。こんな意外な発見も読書の楽しみのひとつです。

 大阪のド真ん中にある大きな商店街、なかなかの賑わいをみせていました。実は、恥ずかしながら40年ほど大阪に暮らしていて、天満橋と天神橋筋と梅田の位置関係が良く判らなかったのです。数え切れないほど電車・バス・車で行き来しているのに、どうも立体的に理解できなかった。それが自分の足で街を歩いてみて、初めて立体的に体感することができたように思います。やはりヒトは自分の足を使うことだと再認識した次第。足を使えば、頭脳にも活力が芽生える。初老の私にとっては大きな課題なのかもしれません。努めて歩くことにいたしましょう。

 

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頬に優しい春の予感

2012-03-04 09:33:05 | Weblog
 春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが ♪ 3月のこの季節にぴったりな童謡です。大正12年3月、児童雑誌「金の鳥」に発表された「春よ来い」は、早稲田大学校歌「都の西北」を作詞した相馬御風の代表作のひとつです。ここ数日、頬に触れる空気が穏やかで、なんとなく優しく感じるのは私だけでしょうか。

 歳時記を紐解きながら、この季節に相応しい季語を探していると、まず目にとまったのが「雛祭」、孫娘にはお祖母さんが何か贈物をしたようです。ついで「蕗の薹」、我が家の庭の片隅にもあちらこちらで芽吹いています。芳しい春の香りを楽しみます。次に「梅」、新聞には開花予想が掲載されていますが、先日、勤務先の記念碑建立神事に列席したら神社の境内にある梅が満開でした。続いて「下萌」、いつの間にか花壇には草の若芽が顔を出しています。クリスマスローズが開花する時期でもあります。ル―セブラックが静かに花開いています。


 「啓蟄」、そういえば先日、出勤途上の坂道で大きなバッタの死骸に出会いました。なんで今頃と思いながら、そろそろ地面の虫たちが目を覚ましてきたのかと。でも、バッタさんは夏の服を着ていました。寒い冬をどこで過ごしていたのでしょう。春を待たずに他界するとは可哀そうなことです。交通事故のようでした。
 そんなことを思いながら、昨日の土曜休日は、ホームセンターにでかけて、ソラマメの苗とジャガイモの種イモを買ってきました。畑の土を耕して、肥料を施して、さっそく植え付けです。種イモの方は来週に植え付けの予定ですが、6月頃には孫君を呼んでジャガイモの収穫祭ができそうです。
 春は、こうしてのんびりと過ごすのが一番です。目を瞑ると湖北の山小屋の春を思い出します。すべてが喜びに満ち溢れているような、そんな空気を感じたものです。きょうは、ルービンシュタインとガルネリ弦楽四重奏団員によるモーツアルトの「ピアノ四重奏曲」をLPレコードで聴きながらのブログ更新です。

 そうそう、新聞記者の方からご紹介いただいた本があります。題して巽尚之著「鉄腕アトムを救った男」(実業之日本社)。ベビーカーで一世を風靡したアップリカの創業者・葛西健蔵氏の生い立ちを著したもので、手塚治虫と大阪商人「どついたれ」友情物語、という副題がついています。大阪商人とは、大阪の工業系の学校を中退した葛西氏そのひとです。
 子どもの頃よく読んだ漫画「鉄腕アトム」を著した手塚治虫さんにも倒産の危機があった。それを救ったのが葛西さんだった。初めて知りました。まだ読み始めたばかりですが、戦中戦後の大阪の風景を思いました。最近、NHKテレビで「カーネーション」という朝のドラマが人気のようですが、時代が重なります。なにか、生きる力のようなものを刺激してくれる、そんな内容です。きょうにも最後まで目を通したいと思っています。
 この本、アマゾンで購入したのですが、古本しか手に入りませんでした。きのう届きましたが、新品同様で定価1500円なのに、かかった費用は本代67円、送料250円、合計317円でした。このご時世、それ以上の値打ちがある内容なのに。引き続き昨夜は、楽天ブックを通じて手塚治虫文庫全集「どついたれ」を手配しました。こちらは新品で本代998円、送料無料でした。

 話はがらりと変わりますが、家内が今日から数日間、台湾観光旅行にお出かけです。お相手は、なんと次男君です。ずいぶん忙しくしていたようですが、仕事がひと段落したらしく、次男君のご招待旅行です。私が行けるわけはなく、家内と2人旅。親孝行をしてくれます。2人にとっては最後の旅行かもしれません。嬉しそうにご出発でした。
 お留守番のわたしは、きょうの午後、近くの長女宅におでかけです。用事は2つ。まずは孫君と散髪に行くことです。昨年末、生まれて初めて散髪屋さんに連れて行って髪を刈ってもらった孫君、4月の入園を前に、ここでもう一度散髪をしておきたいけれども、「お祖父ちゃんと一緒でないと行かない」と可愛いことを言ってくれるものだから....。何はともあれ、春3月、新しい世界が待っているような、そんなウキウキ感が、わたしは大好きです。4月には第2子が誕生のようですが、こちらも男の子のよう。今晩は孫君一家をご馳走にお誘いすることにいたしましょう。
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