寒くなったり、暖かくなったり。雨が降ったり止んだり。そんな日々が過ぎて、やっと寒い冬とはお別れです。ここ数日、急に暖かくなってきました。庭の木々には柔らかな若芽が顔をのぞかせています。
そんな春の陽気に包まれた昨日と今日は、シニア受講生の皆さん(私もそのひとりですが)とご一緒に、琵琶湖一周のバス旅行に行ってきました。昨日は佐川美術館と彦根城玄宮園、今日は琵琶湖の北の端をぐるりと回って塩津、そしてマキノ高原メタセコイヤ並木と白髪神社、最後は比叡山延暦寺という欲張りな旅程でしたが、事故もなく、皆さんお疲れもなく楽しいバス旅行となりました。
宿泊したのは琵琶湖河畔のホテルでした。夜は遅くまで語り明かしましたが、翌朝誰よりも早く起きて、こっそり早朝散歩を楽しみました。ジョギングしている方とすれ違うほかは、ひっそりとしていました。そんな琵琶湖河畔の風景の中に身を委ね、ついつい長浜城まで行ってきました。
長浜の対岸は近江今津、現高島市になります。函館山がぼんやりと見えます。その山懐に、我が家のセカンドハウスがあります。もうずいぶんほったらかしになっています。5月連休に久しぶりに覗いてみる予定ですが、その状況によっては建て替えるか、それとも処分するかの判断が迫られそうです。
子どもたちが小さい頃は、ずいぶんお世話になりました。この時期になると、近くに流れる小川に網を入れるだけで小鮎がたくさん採れました。夏になるとホタルが舞います。カブトムシが飛んできます。お猿さんまでやってきます。そんな懐かしい風景が思い出されます。
そんな湖北の道をひた走っていると、もうひとつの琵琶湖の顔が見えてきます。それが下の写真です。さらに進むと、マキノ高原メタセコイヤ並木を過ぎ、セカンドハウスのある函館山山麓を過ぎ、鳥居が湖面に立つ白髪神社へと進みます。
バス旅行の最後は、比叡山延暦寺です。法話をお聴きした後は、根本中堂にお参りするもよし。山の上から琵琶湖を眺めるもよし。鐘楼の鐘の音にしばし耳を傾けるもよし。.....比叡山はやはり霊山です。四国八十八か所とは違った意味での敬虔な空気感が漂います。そんな比叡の山頂からは、昨日巡った湖東の風景が眼下に広がっていました。
さてさて、慌ただしく毎日が過ぎていきますが、4月も半ば、いよいよ計画していた海外旅行が近づいてきました。昨年この時期には南イタリアを訪ねましたが、今回はプラハ、ドレスデン、ウィーン、ブラチスラバ、ブダペストなど中欧5カ国を巡ります。というわけでブログ更新はしばらくお休みして5月初旬に再開いたします。
朝、最寄りの駅まで15分の道のりを歩いていると、丘の上の木陰から「ホー ホケキョ」と鶯の元気な鳴き声が聞こえてきます。4月を迎えて春本番、心躍る季節を迎えました。そんな土曜の昼下がり、山本能楽堂の「たにまち能」に行ってきました。演目は、素謡「雲林院」、仕舞「安宅/杜若/海士」、狂言「左近三郎」、そして能「熊野(ゆや)」でした。
大阪市中央区にある山本能楽堂は、大阪で一番古い能楽堂です。100席前後の小さな能楽堂ですが、舞台と客席との距離が近く、まじかで能を楽しむことができます。能「熊野」では、シテ(熊野)、ツレ(朝顔)、ワキ(平宗盛)、ワキツレ(従者)という4名の演者が、笛と鼓そして地謡の伴奏で演じます。艶やかな衣装に見とれながら、のめり込んで行きました。
親近感をもったのは狂言「左近三郎」でした。現代人の私たちには、非常に分かりやすい人の心の在り様に触れることができます。滑稽ですらあります。能の近寄りがたさに比べて裾野の広さを思います。このあたりに最近の狂言人気があるのでしょう。そんなわけで、来月、東京の国立能楽堂に行こうと思っていましたが、なんと昨日発売の狂言のチケットが、その日の午後には完売しておりました。残念。今回は断念することにしました。
能楽堂からの帰り路、天満橋の大川沿いの桜見物と洒落込みました。ちょうど見ごろで、大勢の花見客でごった返していました。夕食後、改めて眺めてみても花見客の勢いは止まりません。大川で舟遊びを楽しむお客の多さも半端ではありません。そして意外に多いのが、やはり外国人旅行者の皆さんでした。昨日から造幣局桜の通り抜けも始まりました。が、残念ながら本日は雨です。
実はその翌日、我が家では一大事(?)が起こりました。家内が言うには水洗機の調子がおかしいのだと。シニア夫婦だけの生活になって、最近は滅多に使うことのない水洗機ですが、スイッチが入ったまま消すことができません。やむなくブレーカーを切りましたが、このブレーカーはお風呂の電源にも繋がっていて、なんとも困ったものです。10数年前のリフォームのときに設置した製品で、既に保守の対象外になっています。
それだけではありませんでした。孫から何度も電話がかかってきても、孫の声は聞こえるのにこちらの声が通じません。生きている子機を使って代替措置を講じましたが、不安は募ります。この電話機も10年ほど経っています。
昨年は空調機が故障しました。そして今回は水洗機と電話の受話器です。機械の寿命と人間の寿命。この歳になると家電製品の故障という単なるアクシデントが、自分たちの気持を萎えさせます。なんとなく口数が少なくなってしまいます。
で、どうしたかって?水洗機の方は、パナソニックの方に見てもらって復旧したものの、いずれ同じ症状が現れるだろうとのこと。寿命なんでしょう。お正月など孫たちが大勢やってくる時以外はほとんど使いませんので、当面、現状維持ということで決着。要するに使わないということです。新製品への切り替えは、お正月に向けて考えることにしました。一方の電話機は、ネットで買おうと調べていた家内が、受話器だけ販売しているの見つけて、さっそくAmazonに注文しました。送料込みで700円とリーズナブル。翌日に新しい受話器と付け替えることができました。ひとまずは一件落着。気を取り戻して近所の公園にお花見にでかけました(笑)。
そんな緩急織り交ぜた一週間でした。そうそう、5月に予定している「歩き遍路」ですが、今回は連休明けに松山市を拠点に、44番札所の大寶寺、岩屋寺、浄瑠璃寺、八坂寺、西林寺、浄土寺、繁多寺、石手寺を巡る計画を立てました。おおよそのルートを決めて、とりあえず宿所の予約を済ませ、先ほど往復の高速バスの手配も完了しました。
新元号が「令和」になりました。妙な元号だったら嫌だなあと思っていましたが、発表を聞いてなんとなく素直に受け入れている私がいました。昭和生まれの私の名前にも「和」の一文字があります。そんな親近感からなんでしょうか。それとも万葉集という日本古来の空気感のようなものに親しみを感じたからなのでしょうか。昭和、平成を経て令和。令和の時代にこの世を去ることになるんだろうなあと、しみじみ思ったものでした。
ところで、先週金曜日の夜のこと。名古屋は豊田市に単身赴任中の長男君から「仕事がうまく片づいたので週末に帰る」との短文メール(笑)。ちょうど土曜日は、近所に暮らす娘一家とお寿司屋さんで久しぶりに夕食会を開く予定にしていたので、何かの虫の知らせ??。突然の来訪者に春休み中の孫君たちも大喜びでした。
夕食会が終わると、孫次男君がお爺ちゃんのお家に泊まりたいというので、連れて帰りました。カードゲームに余念のない孫次男君、一枚一枚解説をしてくれますがお爺さんは何のことかさっぱりわかりません。幸い長男君が知っていて、孫君の話し相手をしてくれました。
単身赴任中の長男君は月に2回ほど家に帰るようです。小学生2人に幼稚園児1人をかかえてお嫁さんも大変そうですが、日々の動きは共に写真データをクラウドに保存していて、いつでも見ることができます。幼稚園の発表会の動画を見せてもらいましたが、ネット社会も便利になったものです。
その翌日、孫次男君を娘に送り届けた後、長男君を見送りがてら京都・知恩院にお参りをしました。法然上人御堂でしばしお経をBGMのようにぼんやり聞いていましたが、多忙な日々が続く長男君も少し息抜きになったようです。
そのあと、お花見客でごった返す岡崎公園を散策しました。古くから鎮座する大きな枝垂桜が、いちど耐えかけながら何とか復活できたようで、かつての雄姿を見せていました。それにしても、外国人観光客のなんと多いことか。八坂神社では外国人の新郎新婦の結婚式が行われていました。国際色豊かな京の街に様変わりです。
四条河原町では、京都府の府市議会選挙の投票を呼びかけるキャンペーンが繰り広げられていました。綺麗に着飾った舞妓さんから「あぶらとり紙」をいただきました。大阪の私には選挙権はないのですが(笑)。一方の大阪は維新と他政党が真っ向から争うダブル選挙の真っただ中。ブログでは政治的なコメントは控えますが、さあてどうなんでしょう。
少し早めに夕食を共にしたあと、長男君を京都駅までお見送りしました。そのあと、京都駅伊勢丹の美術館「えき」KYOTOに立ち寄りました。ちょうど今、「久保修 切り絵の世界~紙のジャポニズム」を開催中で、作者と懇意にされている東京の知人から優待券をいただいていました。久保さんは、大阪の大学の建築学科に在籍しているときに「切り絵」の世界に出会い、独学で切り絵の制作を始めたのだとか。現在では国内外で幅広くご活躍ですが、素朴で心優しい世界に癒されました。中島潔の世界もそうですが、古き良き時代を彷彿とさせるものがありました。歳ですかねぇ。
そんな4月某日の帰り道、本屋さんで、NHKこころの時代(宗教・人生)のテキスト「禅の知恵に学ぶ」を買いました。「大人のための哲学入門」(若松英輔著/NHK出版)も。お勉強をしようという強い意思があるわけではありませんが、歳をとっても4月を迎えると何となくむずむずするものがあります。文字に飢える、もうひとりの私がいます。
お勉強といえば、今週の講座のテーマは古典芸能でした。能「俊寛」を例に、中世の能楽が近世の歌舞伎へ展開する時代の流れを学びました。僅かな動作で内に秘めた熱い心情を表現する能の世界。大仰な言葉と所作で人の思いを表現する歌舞伎の世界。どちらも時代と共に生きてきた日本の伝統芸能です。こうした伝統芸能の保存と再生。これからどう永らえていくことができるのかどうか。悩ましいところでもあります。
そうそう、来月、東京に出かける予定なので、気になっていた国立能楽堂を覗いてみる予定です。うまくチケットが入手できれば良いのですが......。