秋彼岸の候とは言え、日中は30度を超える暑さに戸惑いますが、それでも「秋」は着実に深まりつつあって、朝夕めっきり涼しくなりました。これからの数カ月、愛犬ゴンタ共々に過ごしやすい季節を迎えます。
日曜日だというのに、少しお仕事の話になりますが、先週末、私は大阪地方裁判所というところに出かけました。ある事件の2回目の審理があったからですが、裁判所というのはいつ出かけても、居心地の良い所ではありません。民事部のフロアーには、法の判断を仰ごうと様々な人々が集まっています。この世知辛い世の中、いったん拗れた人間関係は容易に修復することができず、長く会社務めをしていると、こういう場所に何度かおじゃますることになります。広報関係の仕事をしていた頃には、裁判所内の記者クラブで記者会見をしたこともありました。
でもねぇ。法律論争を横で聴いていると、人の「心」が見えなくなっていけません。その意味で、法律や判例に縛られない普通の人がごく普通の判断を下せる裁判員制度には期待するところ大なのです。幸い、これまでのところ完全敗訴は皆無に等しく、今回もなんとか思い通りに事が進んでいることに安堵して職場に戻りました。
ところで、その日の夕刻は、終業時刻と同時に職場を飛び出しました。行先はザ・シンフォニーホールです。以前ご紹介したように、この日は指揮者・西本智実さんのコンサートなのでした。演奏するのは英国ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団です。曲目は、昼間の心の疲れをほぐすにはちょうど良い、まずはモーツァルトの歌劇から「後宮からの逃走」序曲、おなじくモーツァルトのピアノ協奏曲 第20番ニ短調。これは若きピアニストであるフレディ・ケンプとの共演でした。
ひと息ついて、いよいよ期待のマーラー「交響曲 第5番 嬰ハ短調」です。これには感激しました。西本さんの指揮で管弦楽団の持ち味がいかんなく発揮された名演でした。私にとっては、マーラーの新しい発見ともいえるもので、ワルターでもカラヤンでもバーンスタインでもマゼールでもショルティーでもメータでもない、西本マーラーを存分に楽しむことができました。当然、スタンディングオベージョンでありました。
実は、そんな素晴らしい演奏のあと、私はある人を介して、演奏直後の西本さんにお会いする機会に恵まれました。ついさっきまで指揮台で凛々しくも指揮棒を振っておられた西本さんは、疲れを見せることもなく私たちを笑顔でお迎えいただきました。なんと握手まで。この歳になって恥ずかしながら、天にも昇る気分とはこのことです。あの大曲マーラーの第五を指揮されていたお姿とのギャップに、改めて西本さんの人間のおおいさを思ったものです。
ともあれ、この日は、人の争いの場から音楽を楽しむ社交の場まで幅広い時空間を彷徨いながら、厳しさ、冷たさ、重々しさ、荒々しさ、情熱、優しさ、雄大さ、感動....様々な心が揺れ動いた私自身の存在を、マーラーの交響曲第5番の中に見い出した、そんな素晴らしい1日であったように思います。きょうは、その余韻を確かめるかのように、ブルーノ・ワルター指揮の「第5」を聴きながらのブログ更新となりました。暑かった夏も終わり、いよいよ10月を迎えます。
日曜日だというのに、少しお仕事の話になりますが、先週末、私は大阪地方裁判所というところに出かけました。ある事件の2回目の審理があったからですが、裁判所というのはいつ出かけても、居心地の良い所ではありません。民事部のフロアーには、法の判断を仰ごうと様々な人々が集まっています。この世知辛い世の中、いったん拗れた人間関係は容易に修復することができず、長く会社務めをしていると、こういう場所に何度かおじゃますることになります。広報関係の仕事をしていた頃には、裁判所内の記者クラブで記者会見をしたこともありました。
でもねぇ。法律論争を横で聴いていると、人の「心」が見えなくなっていけません。その意味で、法律や判例に縛られない普通の人がごく普通の判断を下せる裁判員制度には期待するところ大なのです。幸い、これまでのところ完全敗訴は皆無に等しく、今回もなんとか思い通りに事が進んでいることに安堵して職場に戻りました。
ところで、その日の夕刻は、終業時刻と同時に職場を飛び出しました。行先はザ・シンフォニーホールです。以前ご紹介したように、この日は指揮者・西本智実さんのコンサートなのでした。演奏するのは英国ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団です。曲目は、昼間の心の疲れをほぐすにはちょうど良い、まずはモーツァルトの歌劇から「後宮からの逃走」序曲、おなじくモーツァルトのピアノ協奏曲 第20番ニ短調。これは若きピアニストであるフレディ・ケンプとの共演でした。
ひと息ついて、いよいよ期待のマーラー「交響曲 第5番 嬰ハ短調」です。これには感激しました。西本さんの指揮で管弦楽団の持ち味がいかんなく発揮された名演でした。私にとっては、マーラーの新しい発見ともいえるもので、ワルターでもカラヤンでもバーンスタインでもマゼールでもショルティーでもメータでもない、西本マーラーを存分に楽しむことができました。当然、スタンディングオベージョンでありました。
実は、そんな素晴らしい演奏のあと、私はある人を介して、演奏直後の西本さんにお会いする機会に恵まれました。ついさっきまで指揮台で凛々しくも指揮棒を振っておられた西本さんは、疲れを見せることもなく私たちを笑顔でお迎えいただきました。なんと握手まで。この歳になって恥ずかしながら、天にも昇る気分とはこのことです。あの大曲マーラーの第五を指揮されていたお姿とのギャップに、改めて西本さんの人間のおおいさを思ったものです。
ともあれ、この日は、人の争いの場から音楽を楽しむ社交の場まで幅広い時空間を彷徨いながら、厳しさ、冷たさ、重々しさ、荒々しさ、情熱、優しさ、雄大さ、感動....様々な心が揺れ動いた私自身の存在を、マーラーの交響曲第5番の中に見い出した、そんな素晴らしい1日であったように思います。きょうは、その余韻を確かめるかのように、ブルーノ・ワルター指揮の「第5」を聴きながらのブログ更新となりました。暑かった夏も終わり、いよいよ10月を迎えます。