心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

鶴見和子さんとの出会い

2009-07-26 10:15:59 | Weblog
 九州・中国地方には集中豪雨が押し寄せているというのに、ここ大阪は晴れの日曜日を迎えています。愛犬ゴンタとのお散歩は、まるで夏蝉の音のトンネルを抜けるかのようで、なぜか50年前の田舎の里山を愛犬ゴロウと散歩している風景とダブってしまう、妙な感覚に襲われました。そうそう、庭に植えていたスダチの木に、ことし10数個の実がなりました。苗木を植えて3年目のことです。
 ところで、労務、法務、総務と日替わりメニューをこなしながら、やっと週末を迎えた昨日、朝から夕方4時まで昼食抜きの検討会でくたくたになった私は、直帰する気にもなれず、ぼんやりと都会の喧騒の中に身を置きました。ここで仕事を引きずってしまっては、身も心もぼろぼろになる、というわけでもありませんが、ひんやりとしたカフェでひと休みすると、久しぶりにCDショップを覘きました。手にしたのは、西本智実指揮「交響組曲シェエラザード」(ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団)。ついでに、9月25日のコンサート・チケットまで。曲目はマーラーの交響曲第5番。どうも最近、若い方々にご進呈することが多く、コンサートチケットを買うのが億劫になっていますが、急な会議の入らないことを祈っての衝動買いでありました。
 そうそう、先日来、通勤電車の中で眺めていた学術総合誌「環」の特集記事「鶴見和子の詩学」を、先週読み終えました。生前にご関係のあった方々からのメッセージを集大成したもので、雑誌にしては破格の170頁余りを割いての特集なのですが、お若い頃から死の直前に至るまでの鶴見和子さんの生きざまが様々な視点から語られ、多くの著書と併せて立体的に理解することができました。そのメッセージのひとつひとつに心打たれながら、その日の私自身の生きざまを思う、そんな毎日が続きました。とうてい私なんぞ真似のできないことですが、目には見えない「力」をいただいたような気がしています。
 鶴見和子さんがお亡くなりになったのは、3年前の2006年7月31日。享年88歳でした。私が鶴見さんの著書に出会ったのは、その1年後のことです。このブログで紹介したのは、調べて見ると、2007年5月27日の「内発的発展論ということ」が初出でした。岩波セミナーブックの「日本を開く」に触れて紹介しています。その後、講談社学術文庫「南方熊楠」へと進みました。書店に並ぶビジネス本にうんざりしていた頃、事の本質に迫る鶴見さんの「ものの見方と考え方」に惹かれました。おそらく学生の頃にも何らかの形で接触はしていたのでしょうけれど、まだ抽象的にしか時代を捉え考えることしかできなかった頃ですから、あまり意識することもなかったのかもしれません。これだけ時代精神が揺れ動いている「今」だからこそ、鶴見さんの「内発的発展論」は、その価値を増しているように思います。ある方のメッセージによれば、鶴見和子さんは、南方熊楠が守った縁の和歌山の海流の中に散骨されたのだとか。南方熊楠同様に、最後の最後まで思いを貫かれた社会学者であったように思います。
 さきほどまで晴天だった空が重たい雲に覆われて、あたりが急に暗くなってきました。と思う間もなく、大粒の雨が落ちてきました。と同時に、土砂降りです。ところが、窓を閉めて回ってPCの前に座り、ブログ更新の仕上げに入っていると、なにやら明るくなってきました。先ほどの雨が嘘のようです。小鳥のさえずりが微かに聞こえるまでにお天気は回復しています。人間の力ではどうすることもできない自然の力を思います。
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大阪・中崎町界隈

2009-07-19 10:24:27 | Weblog
 ここ大阪は、なかなか梅雨明け宣言とはいきません。そんな鬱陶しい季節ですが、夏咲きのカトレアが一輪、わたしの心を和ませてくれました。この1週間は、このカトレアを愛でながら、冷たいビールで1日の疲れを癒したものです。
 そうそう、数日前の朝は、夏セミに叩き起こされました。例年のように、部屋の三方の窓を網戸を残して全開して眠っているのですが、早朝、枕元の窓の網戸に、孵化したばかりと思われるクマゼミが一匹。朝の5時半過ぎに、それはそれは大きな声で「みーん、みーん」と鳴くではありませんか。すぐに目が覚めました。
 ところで、昨日は縁あって、半分仕事ですが、大阪は北区中崎町界隈を散策しました。空襲を逃れて、いまでも僅かに残る古い街並みに若者たちが帰って来ている。古い長屋を改装した洒落たお店が出来ている。そんな噂を嗅ぎつけて、急に散策してみようということになったのです。大阪・梅田の中心部から歩いて10分足らずのところにある、この街。これが大阪?って思うほどに、至る所にレトロなアンティーク店、小物店、衣料品店、喫茶店、粋なレストラン、などなど。そこに人々が三々五々都会の喧騒を逃れるかのようにやってくる。聞けば、この一帯には80軒ほどあるようですが、まだ点在しているので、これからもっと進化していくのだろうと思います。無造作に都市化が進むなかで、下町の雰囲気も大切にしながら、何かしら人間の温かみを感じさせる街づくりが進んでいました。不況だ不況だと大騒ぎするのではなく、自分の人生を見つめ、自分たちの街を見つめ、地域と共に「生きる」。そんな若者たちの「心」を垣間見た思いがしました。
 ・・・・・・ブログ更新をしながら、キーボードに触れる手のひらに違和感があります。実は今朝がた、庭のお掃除をしていて木の葉を払い避けようとしたら、手のひらに二カ所、痛みが走りました。「やられた!」。そうです。イラガが10数匹。その1匹にやられました。恐る恐る駆除しました。今も少し腫れがあります。虫はいやですねぇ。
 今年も、いよいよ夏休みの季節です。きょうは、近くに居る長女の孫君がやってきていますが、我が街はいたって静かです。どこのお家も、お孫さん待ちなのです。昨日の新聞によれば、日本の平均寿命はまた伸びて男性が79.29歳、女性が86.05歳だとか。最近、出生率低下に歯止めがかかったようなニュースもありましたが、時代の大きな流れは、高齢者社会に向かってまっしぐらです。年金はどうなる、高齢者医療はどうなる、なによりも家族の絆はどうなる。政治屋集団の空騒ぎにうんざりしながら、それでも1票の投票の重みを信じたい夏の総選挙も1カ月後となりました。

【写真説明】
きのう中崎町界隈の写真を撮っておけばよかったのですが、撮り損ねてしまいました。というわけで、1枚目は1週間前に開花したカトレアです。今年は咲かないだろうと諦めていたのですが、立派に花開きました。2枚目は孫君と収穫したブラックベリーです。
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ぶらり東京散策

2009-07-12 09:57:20 | Weblog
 先週末は東京にでかけていました。金曜日は昼過ぎから夜まで同業他社との会合でした。翌日の土曜日は、午後から同業他社の面々との勉強会でした。始まるまでの時間を持て余し、午前中はお茶ノ水界隈から神保町を経由して市ヶ谷まで、東京散策を楽しみました。

 歩き出してまず目についたのがニコライ堂。明治期にロシア工科大学教授の設計により建築されたもので、正式名称は「東京復活大聖堂」というのだそうです。次に向かったのは、神保町でした。いうまでもなく有名な古書の街です。ここで1時間余り。そのあと九段下まで歩くと、なにやらこんもりとした森が見えました。市ヶ谷に向かって左側が北の丸公園、右側は靖国神社でした。少し境内を散策して、汗を拭い、午後の会場である市ヶ谷界隈に向かいました。いつも電車と車での移動ばかりでしたから、点と点が少し繋がったように思います。
 お勉強会を終えると、夕刻7時過ぎの新幹線に飛び乗って帰途につきました。車中読み終えたのが鶴見和子曼荼羅Ⅸ「環の巻」。600頁のうち約半分が資料編でしたので、思ったより早く読み終えました。つぎにカバンのなかから取り出したのは、神保町の巌松堂図書さんで見つけた学芸総合誌・季刊「環(歴史・環境・文明)」2007年冬号(2007年3月10日発行)でした。特集「鶴見和子の詩学」とあり、2006年7月31日に亡くなった鶴見さんの追悼記念号です。
 鶴見さんは、1995年に脳内出血で左片麻痺になられたけれども、言葉と認識能力は失うことなく、その後は宇治の介護付有料老人ホーム「京都ゆうゆうの里」で過ごされていたようです。コレクション鶴見和子曼荼羅(全9巻)も、この時期に刊行が始まっています。追悼号にちりばめられた歌の数々....。

 斃れてのち元まる宇宙耀いてそこに浮遊す塵泥我は
 片身麻痺の我とはなりて水俣の痛苦をわずか身に引き受くる
 手足萎えし身の不自由を梃にして精神自在に飛翔すらしき
 生命細くほそくなりゆく境涯にいよよ燃え立つ炎ひとすじ
 パラダイム転換などと大それし念を抱きて歩みつづけむ
 おもむろに自然に近くなりゆくを老いとはいわじ涅槃とぞいわむ

 若い頃には歌を勉強されていたようで、お倒れになったとき、長い間封印していた歌が迸るように出てきた、英詩を朗々と詠んだ、という記述がどこかにあったように思いますが、後年は歌の本も出版されています。それにしても、自らの人生を果敢に生きる鶴見さんのお人柄に改めて感動した次第です。お亡くなりになって未だ3年足らず、つい最近のことです。帰りの新幹線の車中では、ある種の感慨をもって追悼記念号を読ませていただきました。
 そして、いま、私の手元には、鶴見和子曼荼羅Ⅲ「知の巻」(社会変動と個人)があります。このシリーズ4冊目に入ります。老年期に向かう私の、これからの生きざまを考えることになります。

【写真説明】
1枚目はお茶の水駅からすぐのところにあるニコライ堂です。2枚目は、古書の町「神田神保町」界隈。そして3枚目は、やっと開花したプルメリアです。ハワイの空港で購入して3年目の開花となりました。
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初夏の京都・大原三千院

2009-07-05 10:05:11 | Weblog
 このところ、何かと考えることの多い日々が続いています。だから、帰宅しても昼間の高揚おさまらず、夕食後デスクにつくまでには若干の勇気が要ります。そんなとき、ぼーと聴くCD、それはキース・ジャレットの「MELODY AT NIGHT WITH YOU」です。この曲、聞けば「キース・ジャレットが慢性疲労症候群という難病と闘病中に、妻へのクリスマス・プレゼントとして自ら録音したもの」なのだそうです。そういえば、静かに淡々と流れるピアノの音が優しく私の高ぶる心を和ませてくれます。真夜中の部屋に静かに充満するジャレットのソロアルバムが気に入っています。
 ところで、土曜日の出張が続きましたので、きのうはお休みをいただき、家内とぶらり京都は大原・三千院に出かけました。紫陽花が見頃なのです。ただ、それは家内の希望。私はと言えば、大原の温泉での一服でした。先日来、腰が本調子ではない。温泉旅館に泊まるほど心の余裕もない。それなら、大原の里にある湯元を尋ねよう、というわけです。
 午後2時過ぎに大原のバス停に到着すると、寂光院をめざして15分程度歩きます。こんな時期ですから、お客は数名。自然林のお庭に設えた露天風呂(五右衛門風呂)を独り占めにして初夏の風を楽しみました。結局、食事を含めて1時間の滞在でした。しゃきっとした腰の具合を確かめながら、いよいよ大原の里の散策です。この時期、赤シソの畑が至る所で収穫間近。聞けば、京都の「しば漬け」に赤シソは欠かせないのだと。納得です。

 三千院には、多くもなく少なくもない参拝客の姿。8世紀から今日に至る歴史の重みを考える時間をいただきました。なによりも、本堂の極楽浄土院に安置されている阿弥陀三尊像には、しばし心の安寧をいただきました。平安の時代からずっと鎮座するお姿に、自然と手を合わす気持ちになるのは、私自身が素直になれたということでしょうか。しばしお坊さんのお話に耳を傾けました。
 でも、なぜ観音さまは、こうも心豊かなお顔をされているのでしょうか。人々の悩みを温かい心で包みこむような、そんな自然の空間(空気)が充ち溢れていました。パンフレットを眺めてみると、「釈迦の五戒」が紹介されています。不殺生戒(死なすな殺すな)、不妄語戒(騙すな欺くな)、不偸盗戒(盗むな奪うな)不邪淫戒(乱すな弄ぶな)不飲酒戒(頼るな溺れるな)。ごく当たり前のことが述べられています。しかし、このごく当たり前のことができないから、おかしな時代になりつつある。昨日も、高校生が駅のホームで同級生を刺殺したニュースがありました。やはりどこかが病んでいるのでしょう。道徳の授業を増やせば解決できる問題でもありません。ある種宗教の意義も無視できないということなんでしょうか。私にとっては、ひとつの課題をいただきました。
 そんな京都の帰り道、発売されたばかりの季刊誌「考える人」を手にしました。今号の特集は「日本の科学者100人100冊」。とりあえず、帰りの電車のなかで、中村桂子氏と池内了氏の対談「科学者にお茶の時間を」を楽しく読みました。きょうの日曜日は、三千院でいただいた延命水で煎じた美味しいコーヒーを楽しみながら、ゆっくり眺めることにいたします。

【写真撮影】
上段1枚目は三千院の紫陽花苑。いま、大原の里では、平家物語に登場する沙羅双樹(シャラソウジュ)の花も咲いています。ナツツバキの一種なのだそうです。2枚目は有清園に佇む極楽浄土院。下段は、プリメリアの花芽の実況中継です。今週は、一段と蕾が膨らみました。
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