今朝、ゴンタ爺さんと早朝散歩にでかけるとき、庭にキンモクセイの芳しい香りが漂っていました。ここ数年、開花の時期が早まっているように思いますが、どうなんでしょうか。我が街では、キンモクセイを生垣につかうお家が多く、当分の間、いたるところで清々しい香りを楽しむことができそうです。反面、数日前まで咲き誇っていたヒガンバナが終わりに近づいています。秋の深まりを感じる今日この頃です。
そんな秋の週末、出雲の姉から新米が届きました。田舎にいた頃は当たり前のように食べていたお米も、今はブランド米として高値で販売されている懐かしいお米です。全山紅葉に包まれる田舎の風景がぼんやりと浮かんできます。
さて、夕食を終えて一段落すると、なんとなくPCに向かいます。ブログの更新作業です。別に必ず毎週しなければならないわけでもないのに、体が動いてしまいます。といっても今週は5連休でした。お休み繋がりで、とっさには題材が浮かびません。こんなときは、音楽を聴くに限ります。LPレコード棚から「リヒテル/シューベルト(ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調《遺作》」を取り出しました。40数年前、正確には1972年の夏から秋にかけて、リヒテルがザルツブルク近郊のアニフ宮殿で録音したものです。
ところで、この夏、高野山にでかけ、非日常体験に触発されて読み進んできた「空海の風景」。数冊の本を同時並行に読み進む私にとって、ところどころに現れる仏教用語と漢文は、時に読みづらく距離感を置くことになりましたが、先日なんとか最終頁にたどり着きました。1200年も前のこと、史料に準拠しつつも、想像の域を脱しきれないもどかしさがあります。それでも空海という人物のひととなりをぼんやりとイメージできたのは幸いでした。また、中国伝来の仏教が、いくつかの宗派に分かれ、とりわけ真言密教を立ち上げた空海と天台宗を拠り所とする最澄の関係、奈良仏教と平安京との関係、当時の遣唐使のことなど、セピア色の幻灯機を見ているようでもありました。
四国は讃岐に生まれた空海という一人の人間が、「お大師さま」と言われる存在に変わっていくこのと不思議。まだまだ見えていませんが、その入口には立つことができたように思います。
なによりも、インドを起源とする仏教の不可思議な世界、ある種、哲学でもある世界に足を踏み入れたようにも思います。そしてふっと思ったのは、南方熊楠の難解な「南方曼荼羅」のこと。深遠な世界観の奥底に、高野山、真言密教、大日如来といった風景が見え隠れしています。いまの私には、これ以上極めるゆとりはありません。当面、こころの奥底に寝かせて、熟成させましょう。いずれ適度に解きほぐされ、豊かな芳香を発してくれるのだろうと思います。
その締め括りに、9月21日、京都の東寺に参詣しました。この日は、835年4月21日に入定した空海の「御影供」の日。弘法市が開かれ、数えきれないほどのお店が立ち並び、広い境内は参拝客でいっぱいでした。これほどに人を惹きつけるものはいったいなんでしょうか。
振り返ってみると、5連休のうち家にいたのは2日、あと3日はすべて京都にでかけたことになります。嵯峨野、東寺、そして知恩院に行きました。次男君の結婚式場が高台寺の門前、日本画家・竹内栖鳳の元私邸の式場に決まったようなので、知恩院のあとそちらも覗いてみました。どこで探してきたのやら。少し遅めの結婚式ですが、ひとつの思い出づくりなんでしょう。それにしても、結婚式まで3か月というのに、来月から1カ月ほどフランスに出張だとか。私の若い頃に似て、仕事最優先の生活をしているご様子です。それでも良いと言ってくれたお嫁さんに感謝しなければなりません。
お嫁さんといえば、京都の三井家から堂島の加島屋に嫁いだ広岡浅子の生涯を描いた、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」が来週から始まります。それに関連してナカノシマ大学11月講座「広岡浅子の引力と土佐堀川」(講師:玉岡かおる)の受講票が昨日届きました。そんなこともあってきょうの土曜休日、テレビ小説の元になった古川智映子著「小説土佐堀川(広岡浅子の生涯)」を読み始めました。
実際の浅子とは違い過ぎる女優さんの登用ということもあり、原典となった小説を通じて幕末から明治を生きた女性実業家の姿を見つめてみたいと思っています。 でも、三井家のお嬢さんが、胸にピストルを秘めて筑豊の炭坑夫たちとやりあう場面は、「九転十起」の信念とはいえ、少し不自然さを覚えます。それでも、誇張に耐えうるだけの存在感はあったのでしょう。当時、大阪実業界に君臨していた五代友厚との出会いも納得です。