パソコンの横に、読みかけの集英社文庫「露の身ながら~往復書簡 いのちへの対話」があります。昨日、野暮用で京都大学医学部芝蘭会館に行った帰りに、小さな書店で買いました。免疫学者の多田富雄先生と遺伝学者の柳澤桂子先生との往復書簡です。
多田先生は脳梗塞で倒れ右半身不随になると同時に言葉も失われるという過酷な試練に耐えられた、一方の柳澤先生は難病のために車椅子生活を余儀なくされた、おふたりとも日本を代表する研究者です。お互い大病を患い、一時は死をも覚悟しながら、リハビリに励み、家族の温かい介護のもとで再起を決意され、精力的に執筆活動に励まれた。「生」に真正面から向き合い、その思いを文章に記されたのでした。
実は、現在進行中のプロジェクトのメンバーに、今は亡き多田富雄先生とご一緒に研究に従事されたことのある医師がいらっしゃいます。先日、初めてそのことを伺いました。一方、私が多田先生の存在を知ったのは、季刊誌「考える人」2008年秋号の特集記事でした。先生のエッセイ「寡黙なる巨人」が第7回小林秀雄賞を受賞されたということで、作品の抄録のほか記者会見、受賞者インタビュー、選評などが掲載されていました。注釈によれば、受賞者インタビューで多田先生は「持参した卓上機器トーキングエイドのキーボードを左手の指で一語一語押し、一文を完成させると、コンピュータの合成音声がその文章を一括してよみあげる、という方法で会話を行った」と紹介されています。
当時私は、掲載された「寡黙なる巨人」の抄録に目を通しただけで、深入りすることはありませんでしたが、医師の方からお話を伺ったので、先日、新潮文庫「生命の木の下で」を手に新幹線に飛び乗りました。感性豊かで素直な文章に惚れ惚れしながら一気に読み終えました。この本は、病気になられる前の作品ですが、妙な拘りや強がりは微塵もなく、冷静に物事を見つめておられた先生のお人柄、優しい心が滲み出るものでした。
そういえば、分子生物学者の福岡伸一先生も感性豊かな文章をお書きになります。どうなんでしょうか。モノを研究対象とする技術系の先生方に叱られるかもしれませんが、生き物を対象とする生物学の先生方だからでしょうか。多田先生は、免疫学の研究者でありながら「能」にも造詣がふかく、創作能を発表されていたとのこと。多彩というしかありません。
ともあれ、7月も今日が最後です。明日からは8月です。私も還暦を過ぎ、そろそろ61回目の誕生日を迎えます。大病ひとつするでもなく、ここまで生きながらえてきたことに感謝しなければなりません。しかし、安穏とした生活を送りながら、ひ弱になっていく自分に、実は最近気がついています。仕事に疲れたなんて言える筋ではないですね。生死を彷徨うなどという経験など一度もしたことはないのですから。だからよけいに、冷静に自分の生きざまを考えることの大切さを、最近特に思うようになりました。理屈ではないないですね。美しいものを美しいと、心の底から叫ぶことのできる、そんな人の生き方を、これからもして行きたい。いま一度、背筋を伸ばして、生きることと向き合うことの大切さを思います。