心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

背筋を伸ばして

2011-07-31 09:18:30 | Weblog
 どんよりとした雲に覆われた夏の空の下で、夏蝉が忙しそうに鳴いています。それほど暑くもなく、かといって涼しいわけでもない、そんな日曜日の朝、何をするでもなく、ピアノ曲CDをセッティングすると、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」、シューマンの「子供の情景」、ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」が流れてきました。すると、時間が止まってしまったような、静かな森の中を独りで彷徨っているような、そんな不思議な感覚に襲われます。
 パソコンの横に、読みかけの集英社文庫「露の身ながら~往復書簡 いのちへの対話」があります。昨日、野暮用で京都大学医学部芝蘭会館に行った帰りに、小さな書店で買いました。免疫学者の多田富雄先生と遺伝学者の柳澤桂子先生との往復書簡です。
 多田先生は脳梗塞で倒れ右半身不随になると同時に言葉も失われるという過酷な試練に耐えられた、一方の柳澤先生は難病のために車椅子生活を余儀なくされた、おふたりとも日本を代表する研究者です。お互い大病を患い、一時は死をも覚悟しながら、リハビリに励み、家族の温かい介護のもとで再起を決意され、精力的に執筆活動に励まれた。「生」に真正面から向き合い、その思いを文章に記されたのでした。

 実は、現在進行中のプロジェクトのメンバーに、今は亡き多田富雄先生とご一緒に研究に従事されたことのある医師がいらっしゃいます。先日、初めてそのことを伺いました。一方、私が多田先生の存在を知ったのは、季刊誌「考える人」2008年秋号の特集記事でした。先生のエッセイ「寡黙なる巨人」が第7回小林秀雄賞を受賞されたということで、作品の抄録のほか記者会見、受賞者インタビュー、選評などが掲載されていました。注釈によれば、受賞者インタビューで多田先生は「持参した卓上機器トーキングエイドのキーボードを左手の指で一語一語押し、一文を完成させると、コンピュータの合成音声がその文章を一括してよみあげる、という方法で会話を行った」と紹介されています。
 当時私は、掲載された「寡黙なる巨人」の抄録に目を通しただけで、深入りすることはありませんでしたが、医師の方からお話を伺ったので、先日、新潮文庫「生命の木の下で」を手に新幹線に飛び乗りました。感性豊かで素直な文章に惚れ惚れしながら一気に読み終えました。この本は、病気になられる前の作品ですが、妙な拘りや強がりは微塵もなく、冷静に物事を見つめておられた先生のお人柄、優しい心が滲み出るものでした。
 そういえば、分子生物学者の福岡伸一先生も感性豊かな文章をお書きになります。どうなんでしょうか。モノを研究対象とする技術系の先生方に叱られるかもしれませんが、生き物を対象とする生物学の先生方だからでしょうか。多田先生は、免疫学の研究者でありながら「能」にも造詣がふかく、創作能を発表されていたとのこと。多彩というしかありません。

 ともあれ、7月も今日が最後です。明日からは8月です。私も還暦を過ぎ、そろそろ61回目の誕生日を迎えます。大病ひとつするでもなく、ここまで生きながらえてきたことに感謝しなければなりません。しかし、安穏とした生活を送りながら、ひ弱になっていく自分に、実は最近気がついています。仕事に疲れたなんて言える筋ではないですね。生死を彷徨うなどという経験など一度もしたことはないのですから。だからよけいに、冷静に自分の生きざまを考えることの大切さを、最近特に思うようになりました。理屈ではないないですね。美しいものを美しいと、心の底から叫ぶことのできる、そんな人の生き方を、これからもして行きたい。いま一度、背筋を伸ばして、生きることと向き合うことの大切さを思います。
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デジタルとアナログ(その2)

2011-07-24 08:02:54 | Weblog
 遠くに見える山肌の緑が、暑い 夏を迎えて一層深まった ような気がしますが、どうなんでしょうか。そんなゆったりとした日曜日の朝、広島の宿舎でコーヒーをすすりながら、グールドのピアノを聞きながらブログを更新しています。そうそう、きのう早朝、長男君から 「産まれた」というメールがとどきました。発信時刻は午前2時。週末とはいえ、バタバタしたことでしょう。第 二子の誕生です。元気な男の子の写真が添えてありました。私にと っては3人目の孫にな ります。

 ところで、本日のブログ更新 はパソコンではなくスマートフォ ンからのアップになります。スマ ートフォンに変えて4カ月が経ちますが、最初は戸惑ったものの案外便利なことがわかりました。とうとう アナログ派だった私も、最近は徐々 にデジタル派に移行しつつありま す。その代表例が手帳です。こ れまで、そう10年以上にわたっ て超整理手帳を愛用してきたので すが、「ジョルテカレンダー」と いうスケジュールソフトを使い始めたら、これが意外と便利で、1ヶ月前から完全に乗り換えました。加えて「MobisleNotes」という便 利なメモ帳も併用したら、超整理 手帳以上に使いやすくなりました 。とは言っても、少し深い思考 をするときは、今でも頑固にカードと万年筆を使っていますが、とっさのメモと記録にはなんとも使い勝手が良いのです。
 心配事はひとつ。あまりデジタ ルに浸りすぎてしまうと、ペンを もつ機会がぐっと減ってしまうこ とです。最近、自筆の文字を見 てずいぶん崩れてきたことに気づ きます。人様にはお見せできな いくらいです。
 文字や言 葉を頭で理解することはできても、心で理解するためには、やはり真っ白い紙に自分の手で書いてみる。身体を使って体感する。そんな拘りがあります。
 デジタルとアナログ。時代は限 りなくデジタルの方向を向いてい ます。この流れは止めようがありません。しかし、そのとき、人 間の思考パターンも変わるような 気がします。それが良い方向を向 いているのであれば何ら問題はないのですが、私のような凡人にとってどうなのか。誰にも判りません。そんなことを思いながら、私自身が、どんどんデジタル人間に変わっていく。いま流行りの電子書籍ではな く、古書に重きをおくのも、ひょっとしたらそれが怖いからなのかもしれません。
 さあて、産まれた孫君が大人に なった頃、世の中はどのように変わっているのでしょうか。少なくとも彼が二十歳をむかえる頃、私が生存している可能性はそう高くはないのです。
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京都の夏を散策

2011-07-17 10:30:56 | Weblog
 暑い日が続きます。子供の頃は、夏は暑いものと身体で覚えていたものを、クーラーに慣れてしまった私たちは、節電といわれて急に職場の室内温度を28度に設定されると、拒否反応なのかどっと汗が出てきます。ならばいっそ、クーラーを止めて、窓を全開にして、自然の風と空気をそのまま迎え入れた方が身体には良いと思うのですが、私の部屋だけ窓をあけるわけにもいかず、妙に閉じ込められた空間に居ることを強要されている、そんな今日この頃です。
 ところで、7月といえば夏祭りの季節です。私の田舎でも17日は恵比寿祭の日です。どういう習わしなのか知りませんが、街のあちらこちらに畳敷きにして10畳は下らない立派な屋根付きの神殿が設けられ、その日は山の上の神社から神様の分身をお迎えして、笛と太鼓の賑やかな祭囃子が街中に鳴り響きます。夏と祭囃子、夏生まれの私にとって懐かしい原風景です。
 3連休初日の朝、そんなことを考えながら家内に「久しぶりに京都の祇園祭りにでも行ってみる?」と誘うと、「いいけど、どうせいくなら比叡山にも行きたい」「????」。こんな暑い時になぜ比叡山に?と聞けば、「山頂にあるガーデンミュージアム比叡に行ってみたい」と。印象派画家の庭園と陶板絵画を並べた商業主義の印象が強いと感じる私は、少し躊躇しましたが、ご一緒することにしました。


 叡山電車出町柳駅から八瀬比叡山口駅に到着すると、ケーブルカーとロープウェイを乗りついで20分。比叡山頂(848メートル)に到着です。市内より気温が5、6度は低いと言われるだけあって、山頂の微風が優しく身体を包みます。京都市内が一望でき、反対側には琵琶湖と大津市街を望むことができます。久しぶりだからと、まずは世界文化遺産の比叡山延暦寺をお参りすることにしました。大講堂と根本中堂を巡りました。大阪では夏蝉が鳴き始めたばかりですが、ここ山頂は、既に秋の気配??杉林から秋蝉の「ひぐらし」がカナカナカナと、夏を惜しむかのように鳴いていました。

 次は、いよいよ家内お目当てのガーデンミュージアム比叡へ。標高が高いだけあって、夏とはいっても、一面に綺麗な草花が咲き誇っていました。そして、至るところにモネやルノワールなど印象派画家の陶板作品が草花に溶け込むように配置されていました。開園してずいぶん年数が経ったからでしょうか。あたりの風景に馴染んで見えました。モネの「蓮の池」を摸した人工池では、蓮の花芽が顔をのぞかせ、そろそろ開花の季節を迎えようとしていました。

 さて、夕刻5時過ぎに下山して、まずは腹ごしらえです。と言っても、夏の京都市内は暑い。とにかく暑い。お店を選ぶよりも冷たいビールが飲みたいとばかりに、河原町四条にあるビアホール「ミュンヘン」に飛び込んで、中ジョッキーをがぶ飲みです。やっと落ち着いた頃には、時間も7時を過ぎていました。酔いの勢いにまかせて、ずいぶんと歩きました。四条通りを西に向かって、烏丸通り、それを通り越して堀川通りの手前まで、その途中、室町通り、新町通りなど南北に走る通りをひやかしたり。夜店が立ち並び、おおぜいの老若男女が内輪を片手に漫ろ歩きでした。山鉾を楽しむというよりも、おおぜいの人の波を楽しむ、沿道の夜店を楽しむ、そんな雰囲気の祇園祭でした。いま、このブログを更新している頃は「山鉾巡行」で、これまた大勢の観光客で賑わっていることでしょう。
 40数年間、京都を身近に感じてきたにもかかわらず、実は、祇園祭りにでかけたのはそれほど多くはありません。学生時代に一度親友と歩いたほかは、結婚して1回、子供を連れて1回。その程度です。あまりにも多い人出にうんざりしたからです。なのにどういうわけか、仕事に一つの目途がついた気安さも手伝って、今年は行ってみる気分になりました。

 さあて、連休2日目は、前日歩きすぎたせいでしょうか。足腰に痛みがあります。寄る歳波には勝てそうにありません。でも、きょうは愛犬ゴンタの身体を洗ってやりましょう。明日は、先日入院していた孫君が元気な姿を見せてくれることになっています。これで束の間の3連休は終わりです。今週は、金土日月と広島滞在になりますので、次回は広島の宿舎から更新の予定です。
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マイルストーン(里程標)

2011-07-10 09:30:10 | Weblog
 先週の金曜日、だらだらと続いた梅雨の季節に終止符が打たれました。といっても、手の平を変えたようにお天気の流れががらりと変わるわけではありません。自然現象はそんなに単純なものではありません。.....まぁまぁ、理屈はそのくらいにして、梅雨明け宣言を心から喜ぶことにいたしましょう。今朝は、夏らしい真っ青な空に綿をちぎったような淡い雲が浮かんで見えるではありませんか。
 さて、先週も慌ただしく過ぎていきました。月曜日は東京、火曜は大阪、水・木と広島勤務、金曜は大阪に戻り経済団体主催の研究部会に参加して、昨日は広島日帰り。こんな空間移動をしながら、ある意味では緊張感をもって、またある意味では楽しみながら過ごした1週間でした。(下の写真は、新大阪駅地下にある喫茶サンチョ。朝、この店で新聞全紙に目を通してから新幹線に飛び乗ります。)

 こんな変則的な生活を始めて3カ月が経ちましたが、次の3カ月への道筋がぼんやりと見えてきたのは幸いでした。年齢を考えると、あまり悠長なことは言っておれないので、私の中では3カ月が最も長いスパンになります。3カ月毎にマイルストーンを置いていく。それを手にとって確かめながら次の3カ月を考える。その繰り返しといったところでしょうか。
 でも、前のめりになりがちな勢いで参加した金曜日の研究部会のテーマは「感動」でした。各社の方々と熱い議論を重ねる。硬直化した頭脳を蘇生させるに十分なものでした。今回出会ったテキストは「属人思考の心理学―組織風土改善の社会技術」(新曜社)でした。
 こんな刺激的な生活が続いているのに、思ったほど身体にダメージがないのはどうしたことか。と思いきや、6月に受けた職場の健康診断の結果が先日届きました。心電図が「要指導」、血液検査で3項目に「要観察」「要精検」の印が付きました。心電図は若い時からなので気にはなりませんが、血液検査で「要精検」が登場したのは少しショックでした。病院嫌いの私ですが、今回はいつか病院にでかけてみましょう。いつか......。
 病院といえば先週、孫君が数日間入院するという出来事がありました。暑さのせいでしょうか。体調を崩したようで、夜中に救急車で病院に直行、すぐに入院したようです。でも元気にご退院でした。長男君も2歳の頃、夜に救急車で病院へ連れて行ったことがあります。私が救急車に乗ったのは、その1回だけです。その長男宅では第2子の誕生がまじかです。

 そうそう、研究部会の会場は大阪南港にあるビルでした。大阪駅から環状線に乗って弁天町駅、そこで地下鉄中央線に乗り換えて数駅のところにあるコスモスクエア駅で下車、サークルバス(運賃100円)に乗って目的地に向かいます。帰り際に大阪湾を眺めると、さほど遠くないところに海遊館の姿が見えました。逆に陸地の方を見渡すと、そう、大阪府咲洲庁舎(愛称コスモタワー)が聳えています。高さ256m、地上55階・地下3階建ての超高層ビルで、かの橋下知事お気に入りの新庁舎です。思った以上に交通の便は良し。ただ、大阪には上町断層があって、東海、南海地震など複合的な大震災が発生したとき、この高層ビルって大丈夫なのかなあと少し心配になりました。その耐震性さえクリアされれば、意外とこの場所はアジアへ繋がる日本の窓口として機能するのかもしれません。
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心のうつろい

2011-07-03 09:28:50 | 古本フェア

 きのう土曜日は、節電対策と言うわけでもありませんが、比較的ひっそりとした職場で静かに資料の整理を済ませると、昼過ぎには職場を後にしました。そして、沿線のデパートで開催中の第1回古本市を覗いて、午後の3時過ぎには帰宅しました。

 暑さのせいでしょうか。何かしら身体が重く、ベッドに横になって天上を見つめていたら、いつの間にかぐっすりと眠ってしまいました。1時間ほどたった頃、庭先でママを呼ぶ近所のお子さんの声で目が覚めて、でも起き上がる勇気もなく、何を考えるでもなく、ぼおっとしていました。すると、夕暮れ時の静けさのなか、街の音のひとつひとつがいやに鮮明に聞こえてきました。.....夕刊配達の音、軒先で羽根を休めるスズメの会話、自転車が通過する音、遠くからはカラスの鳴き声、高い空の上を飛ぶ飛行機の微かな音、愛犬ゴンタが昼寝から目覚めた音、お隣のご主人が芝を刈る音、散水する音、ちりんちりんと鐘を鳴らしながら通りすぎるお豆腐屋さん、何か知らないけれどジーと聞こえる微かな低周波と思しき音、......いつもどおりの平和な空気が街に漂っています。
 ふと思いました。わたしの人生も、このまま静かに終わっていくのだろうか。なぁんて、ぼんやり考えてしまいました。動と静。急と緩。生と死。慌ただしく過ぎていく日々を思いながら、この落ち着きのなさはいったいなんなのか。そんなことをぼんやりと考えました。

 ところで、きのう立ち寄った古本市は、デパートの一画での開催でしたから、それほど広いスペースいではありませんでしたが、それでも20社ほどの書店が集まり、幅広の古本が揃っていました。ほかに、古地図、絵はがき、写真、昭和30年代の雑誌、ふだんなかなかお目にかかれない古書籍もあり、あっという間に時間がたってしまいました。
 この日手にしたのは「グレン・グールド書簡集」(みすず書房)。定価6800円を4000円でのご購入でした。グールドの本はとにかくお高いので、古本で購入するに限ります。あと、たくさんの歌を作詞した相馬御風の著書2冊「一人想う」と「道限りなし」。しめて800円......。
 まったく整合性のない二種類の本を手にして、私の心のうつろいを思いました。「今」を突っ張って生きている自分を癒してくれるグールド、すべての柵(しがらみ)から解放された一人の人間の生き様を思うときに浮かんでくる御風。そうそう、御風の「一人想う」の緒言に、こんな一節がありました。

『私が五十歳を迎へたのは、昭和七年であった。そしてその前後に於てほど深刻な人生の経験にぶつかったことは嘗てなかった。それでいてどういうわけか、さうした間にありながらも、心のどん底には自然を、人生を、自己を向ふへ投げ出して味ふことの出来る一種微妙なゆとりの存したことも、われながら不思議なほどの事実であった。本書はかうした私の五十歳前後数年間の身辺雑記と、その間に観たり味わったり想ったりして来たさまざまの印象や感想の覚え書きを一まとめにしたものである。』
 その昔、インターネットが発達していたら、相馬御風さんは新潟県糸魚川の自宅でブログを立ち上げていたかもしれませんね。50歳という人生の節目に、いったん足元を見つめ直してみる。これって、「心の風景」に通じるものがあります。47歳でホームページを立ち上げたあと、このブログに移行したのが54歳。やはり50歳って、何かの節目なのかもしれません。
 昨夜は、グレン・グールドの著作集を眺めながら、眠りにつきました。そして今は、グールドのCD「images」を聞きながらブログ更新をしています。明日は、久しぶりに日帰りで東京に出かけてきます。

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