「歩き遍路」から帰って一週間。どたばたしていたらあっという間に日にちが過ぎていきました。そんなある日の夜、ベッドの中で高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)をぱらぱら捲っていると、こんなくだりがありました。
「七月二十二日細雨蕭々たり。雨具を纏うて出発、身はいよいよ名にし負う柏坂にかからんとす。痛みのとれない足を引きずりながら歩く。(中略)風が漸次酷くなった。それにつれて雨もばらばら横さまに降りかかる。「海!」・・・・私は突然驚喜した。見よ右手の足元近く白銀の海がひらけている。まるで奇蹟のようだ」
ふうっとその瞬間を思い出しました。路に迷い、お婆さんに教えていただいた真ん中の路を、矢印を確認しながら歩いていると、緩やかな坂道を上ったところに突然現れた海。そのときの感動は、誰が歩いても同じなんだなあと思ったものでした。
先週の水曜日にブログを更新させていただきましたが、どちらかと言えば松尾峠とりわけ旧赤坂街道の印象が強かったために、柏坂峠のことがやや薄くなっていましたので、ここで柏坂の峠越えについて追記させていただきます。
お婆さんに路を教えていただいたあと、柏坂休憩地に向かって山の尾根道を歩いていると、その土地土地の由来を記した看板が要所要所に立っていました。「クメヒチ屋敷の由来」「鼻欠けオウマの墓」「狸の尾曲がり」「女兵さん 思案の石」。なんだか日本昔話のような雰囲気です。
「猪のヌタ場」の案内板にはこう記してありました。「イノシシが水溜り(ここは電話線が通っていた電柱の跡)の泥の中で水浴みをし更に傍らの木に体をこすりつけ、付着している寄生虫を殺し毛づくろいをする所をヌタ場といい、この街道沿いにも数ヶ所あるが道ばたにあるのはここだけである」。えぇっ。猪が出るの?これまで山の中の遍路道をずいぶん歩いてきましたが、出会ったのはお猿さんぐらい。確かに猪の足跡を見つけたことはありますが、少し緊張してしまいました(笑)。
そうこうするうちに「つわな奥展望台」に到着です。宇和海、由良半島を眺めながら、忘れていた(笑)朝食の時間。「歩き遍路」の醍醐味ってところでしょうか。
再び歩き出してしばらくすると、「癒しの椅子」の案内板があって木製の椅子が置いてありました。と、その横に野口雨情の歌碑が立っていました。「山は遠いし柏原はひろし 水は流れる雲はやく」。以後、遍路道沿いに点々と雨情の歌碑が続きます。
遠い深山の年ふる松に 鶴は来て舞ひきて遊ぶ
梅の小枝でやぶ鶯は 雪のふる夜の夢を見る
松の並木のあの柏坂 幾度涙で越えたやら
空に青風菜の花盛り 山に木草の芽も伸びる
松はみどりに心も清く 人は精神満腹に
雨は篠つき波風荒りよと 国の柱は動きやせぬ
沖の黒潮荒れよとまヽよ 船は港を唄で出る
そういえば、牟岐駅から室戸岬に向かって国道55号線を歩いていた時にも、野口雨情の歌碑に出会ったことがありました。「八坂八濱の 難所てさへも 親の後生なら いとやせぬ」。
私には「十五夜お月さん」や「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「シャボン玉」などの童謡を作詞した人という印象が強いのですが、なぜ四国なのかは分かりません。いずれにしても、歩きながら、景色を眺めながら、時には歌碑や案内板に向き合いながら、楽しく気持よく歩いた柏坂峠でありました。(参考:修業の道場・土佐の国へ~海辺の道をひたすら歩く 2018.03.15.)
「歩き遍路」から帰った翌日、カレッジの授業がありました。今回は「古典文化/能楽」。能の歴史、能が演じられる空間、能の音楽(謡)についてお話しをいただきました。アシスタントの私も、ついつい授業にのめり込んでしまいました。音楽という視点から能楽を見つめ、謡の発声を試み、能楽に対する空間的な広がりを感じたものでした。先生のお薦めもあり、来月下旬には久しぶりに大槻能楽堂に行きます。お題は「四国巡礼」、演目は「屋島」です。「歩き遍路」繋がりで、能楽を楽しんできます。