6月最後の日の日曜日、1日早く部屋のカレンダーをめくりました。絵はスペインはカセレスの街並みだそうです。きょうは、珍しくバッハのLP「ミサ曲ロ短調作品232」(2枚組)を聴きながらのブログ更新でした。1972年の録音で、ミシェル・コルボ指揮、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルの演奏です。
机に向かい、窓の外のお天気を伺いながら、ぼんやりと1週間を振り返ります。まず浮んだのは今井信子さんのこと。26日の朝日新聞夕刊の芸能欄に「世界のイマイがプロデュース」の見出。小見出には「ビオラの今井信子、大阪で3公演」の文字が踊っていました。先週ブログで紹介した齋藤秀雄メモリアルコンサート1984、あの今井信子さんです。古希を迎え、若手の指導にも磨きをかけておられるのだと。さっそくサイトで11月15日にザ・フェニックスホールで開かれる「今井信子ビオラ&バイオリンリサイタル」をチェックしておきました。なんと日本補助犬協会支援チャリティーコンサートの冠が付いています。
次に浮んだのは、ジュンク堂広島駅前店でのこと。夕食帰りに立ち寄った本屋さんで目に留まったのは小林秀雄全作品21巻「美を求める心」でした。文春文庫「考えるヒント3」で読んだ小論の見出が全集の副題になっていて、その帯には「昭和32年54歳、小学生、中学生に語った『美を求める心』」とありました。さらに、勾玉の写真が表紙を飾っていました。楽しい出会いでした。比較的短い小論が散りばめられていますから、隙間時間に読むのに最適です。日頃分厚いレポートを斜め読みする習慣に慣れきっていることを思うと、ひとつひとつの言葉の重みがずっしりと伝わってきます。
そして三つ目。こちらはあまり楽しい話題ではありませんが、先日、職場の保健センターから直々にお電話をいただきました。健康診断で黄信号が灯っていると。昨年は「眼」検査でしたが、今年は「癌」検査のお薦めです。大腸癌検査で要再検。前立腺癌のPSA検査で黄信号。ほかに血液検査で要精検が1個、要観察が2個、以前から病名が特定できている心臓病など。看護師さんから、早いうちに病院で精密検査を受けてくださいね、と優しくアドバイスをいただきました。
癌?不思議なことに、癌と聞いても私の中に悲壮感らしきものがありません。両親も祖父母も癌で亡くなっていますから、自然体で受け止めている自分に気づきました。ひと昔前ほどに深刻な病気ではなくなっていることもあります。一方では、40数年も働いて、何不自由なく、楽しく生きて来れたことに、感謝こそすれ、これ以上何を望むか。....そんな偏屈な私が頭も擡げます。肩に圧し掛かっていた重たいものが急に軽くなっていくような、あるいは妙な気の張りが和らいでいくような、そんな穏やかな心が全身に充満していくのを感じました。
家内の薦めもあって、昨日の土曜休日、自宅からバスで行ける大学病院に行ってきました。30年前と20年前に系列の病院に掛かったことがあったので、受付では瞬時に同じIDナンバーで真新しい診察券ができました。これで私の電子カルテが統合ざれたことになります。掛かり付けの病院を持たない私のこと、なんとなく嬉しくなりました。
半日仕事でした。血圧測定、尿検査、血液検査、心臓のレントゲン、心電図、エコー検査と続き、やっと内科の先生に診ていただきました。心臓病については問題なし、大腸癌はもう一度検査をした結果を踏まえて内視鏡検査の有無を決めることに。血液検査の方は今後栄養指導の話もありましたが、食事制限は望んでおりません(笑)。泌尿器外科では、大腸癌検査が終わったあとで生検を行うことになりました。いずれもこの夏の出来事になりそうですが、仕事が立て込んでいるので、次回は7月の末にしていただきました。私の息子と同じ世代のお医者さんの前で、私は完全に「まな板の鯉」状態、でも楽しく会話ができました。それにしても最近の病院は凄い。電子機器が溢れ、そこに様々なコメディカルの方々のホスピタリティが充満しています。
話はがらりと変わりますが、先週の日曜日にフェスティバルホールであった平原綾香のコンサート。人気の歌手だろうから若者で一杯だろうと、二人とも少し若作りをして出かけました(笑)。地階のブリティッシュ・パブで軽い食事をしたりして、いざ入場。....ところが、意外なことに中高年の方々が圧倒的に多かったのには驚きました。世の大人たちは、あの独特な歌声に「癒し」を求めたのでしょうか。
「癒し」といえば、長女の家の孫次男君、1歳2か月になりますが、近所の大人たちから「癒しを感じるわぁ」と人気者だとか。お祖父さんも、今夜は長女一家をディナーに誘って「癒し」を感じてくることにいたしましょう。(笑)
久しぶりに梅雨らしい日々が続きました。広島では台風も近づいていたからでしょうか、ずいぶん雨が降りました。そんな雨の夜、ベランダの鳩さんに会うことはもうありませんでした。月末には部屋の掃除に併せてベランダも綺麗にしていただくことにいたしましょう。
帰阪したその夜は、いつも通り、窓を全開にした部屋のベッドに身を委ねました。サーという静かな雨音が、次第に子守唄のように聞こえて、いつの間にか眠ってしまいました。何も考えずに、ただひたすらに眠る。贅沢な時間です。
今日は厚い雲が空を覆い、肌にはひんやり感が漂っていますが、小鳥たちの囀りが心地よい、そんな朝を迎えています。こういう時は、何も考えずに、ただひたすらLPレコードを聴くに限ります。取り出したのは「齋藤秀雄メモリアルコンサート1984」(2枚組)でした。多くの音楽家を育てた斎藤秀雄の没後10年にあたる1984年、小澤征爾や秋山和慶らが中心になって、国内外の教え子たちを結集して開いたメモリアル・コンサートの収録版です。これが今日のサイトウ・キネン・オーケストラにつながっています。
曲目は、「モーツァルト:ディヴェルティメントニ長調」「R・シュトラウス:交響詩《ドン・キホーテ》」「シューマン:交響曲 第3番 変ホ長調 《ライン》」「J.S.バッハ:シャコンヌ 〔齋藤秀雄編〕」「パガニーニ:常動曲」です。秋山和慶と小澤征爾が指揮する桐朋学園齋藤秀雄メモリアルオーケストラの演奏で、ヴィオラ奏者に今井信子、チェロ奏者に堤剛の名前も記されています。
なにも考えずに、また日常の戯言も忘れて、聴き入っていると、ふと小林秀雄の「美を求める心」(考えるヒント3)が浮かんできました。若い人たちに絵や音楽が解るようになるためにはどういう本を読んだら良いのかと質問された小林秀雄は、こう言います。
「美術や音楽に関する本を読むことも結構であろうが、それよりも、何も考えずに、沢山見たり聞いたりする事が第一だ」「極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。先ず、何を措いても、見ることです。聞くことです」「音楽は、諸君の耳から這入って真直ぐに諸君の心に到り、これを波立たせるものだ。美しいものは、諸君を黙らせます。美には、人を沈黙させる力があるのです」....。
私たちは、ついつい解説本を手に取ってしまいがちです。しかし、この10頁ほどの小論を何度も何度も読み返していると、言葉で理解することと、自分の耳と目、なによりも心で理解することの違いのようなものが、ぼんやりと見えてきます。そういえば、世の中、あまりにもハウツウ本が多すぎはしないか。解ったつもりになってはいないか。時には心静かにものを見つめる、考える時間が必要なのかもしれません。
そうそう、昨日は家内と「京都アンティークフェア」に行ってきました。場所は伏見区竹田。京セラの本社がある隣の建物です。会場には凡そ300店舗あまりの古美術・アンティークディーラーが集まっていて、その規模は西日本最大。初めは二人で一緒に見て回りました。後の1時間は、それぞれの関心に沿って別行動でしたが、合流すると、コーヒーカップとお茶碗。私の手元には洒落たビールジョッキーとレリーフが1枚。実は私は、1時間の大半を勾玉のお店で過ごしていました。小林秀雄がこよなく愛した勾玉。古代の人々の造形、その手触りを楽しんでいました。もう少しで衝動買いしそうになりましたが、相当な額でしたので、今回は触れただけでした。
レリーフの方は、1000円セールスの棚にあったものですが、高いのか安いのか判りません。部屋のお飾りにはなると思い買い求めました。でも、意味が解らない。12聖人、それとも12哲人、それとも.....。縦19センチ、横13センチのレリーフ。ああでもない、こうでもないと考えるだけでも楽しいものです。
今日は夕刻、家内のお供でフェスティバルホールにお出かけです。AYAKA HIRAHARA 10th Anniversary CONCERT TOUR 2013 ~Dear Jupiter~
早すぎた梅雨入りでしたが、今年は何か変。全く雨が降らないのです。ここ大阪も連日30度を超える暑さで、うんざりです。ところが、昨日は昼頃、雨が降り出しました。久しぶりの雨に、畑の野菜たちは息を吹き返したようです。
昨日は、朝から孫君たちがやってきました。残念ながら夕刻に仕事関係の宴席があったので、お昼を近くのレストランで一緒にいただきました。兄弟揃って食欲旺盛で、1歳を過ぎた孫次男君には歩く素振りも見えてきました。帰りがけに本屋さんで絵本を買ってあげて、孫君たちもご満悦です。
そんな6月も半ば、従兄のやっちゃんが亡くなって四十九日が経過したことに気づきました。先週帰宅すると、満中陰志に加えて奥様手作りの「笹巻き」が同封されていました。何十年ぶりでしょう、笹巻なんて。笹の茎の先にもち米粉を捏ねた餅をつけて、それを笹の葉っぱで蒔いて茹であげたものですが、笹の防腐効果を利用した生活の知恵が生きる質素な食べ物です。子供の頃には、旧暦の節句のお祝いに食卓に上ったものでした。母の笹巻は最高においしかったことを覚えています。いまでは、電子レンジで温めれば簡単に柔らかくなります。砂糖醤油を付けて食べました。
田舎といえば週末、90も半ばを過ぎる松江の叔父から葉書が届きました。亡き父の兄弟で唯一存命の叔父です。ご自分の戒名ができたこと、私に帰郷を勧め先祖代々の「家」を守ってほしいことなどが綴られていました。死期が少しずつ迫ってくるなかで叔父の思いが綴られていました。悩ましい限りです。
先週は、日曜日の午後、北摂は豊中市にでかけ、週の前半を広島で過ごしたあと週末は東京に出張し、そして昨日は北河内の交野市にでかけました。そんな落ち着きのない1週間でしたが、やはり気になったのは広島宿所の鳩の雛のこと。夜遅くそぉっとカーテンを開けると、あれっ?巣はもぬけの殻でした。もう巣立って行ったの?挨拶のひとつぐらいしてくれたっていいじゃない、と少し残念でした。
ところが翌朝、ピーピーと母鳩から餌をねだる雛の声に目を覚ましました。慌てて覗いてみると、ベランダの隅っこに雛がいました。雛といっても、もう大人の体格です。今にも飛び立つ仕草さえしています。ひょっとして、これで見納めかもしれません。この先、どんな試練が待ち構えているのか判りませんが、これも自然の成り行きです。頑張って生きてほしいものです。
そうそう、アマゾンに注文していた「バッハに非ず 信時潔音楽随想集」(信時裕子編)が昨日届きました。「海ゆかば」「海道東征」「沙羅」などの作曲で知られる信時潔の音楽随想、座談を集大成したものです。先日、久しぶりに「信時潔研究ガイド」(http://home.netyou.jp/ff/nobu/index.html)を覗いて見つけた新刊ですが、目次の中に「南方熊楠翁未発表の書簡」が目に留まり、さっそく注文しました。
南方熊楠と信時潔、奇遇です。といっても、本人同士の繋がりではなく、信時潔の旧友で東京美術学校で絵を学んだ画家・楠本秀男氏を介しての関係でした。楠本氏は、南方熊楠と親交厚く、植物採取に同行したりして標本図を描いていたようです。近年の読書遍歴のなかで、鶴見和子、南方熊楠、柳田国男、小林秀雄、白洲正子、そして信時潔が繋がった、という意味では大発見でした。ここで初めて音楽家との繋がりです。まだ不安定なのは村上春樹の私の中のポジションです。いえいえ、上田秋成「雨月物語」、柳田国男「山の人生」繋がりで何かが見えてくるでしょうよ。きっと。
編者の信時裕子さんには、10年ほど前にお目にかかったことがあります。信時潔の自筆譜を探していた頃、東京都港区にあった日本近代音楽館を訪ねたときでした。日本近代音楽館は音楽評論家・遠山一行氏が遠山音楽財団付属図書館として開設されたもので、日本の作曲家の自筆譜、書簡等が揃っていました。マイクロフィルムなど見せていただきました。しかし、「バッハに非ず 信時潔音楽随想集」の裕子さんの経歴をみると、日本近代音楽館が閉館されたとの記述がありました。あんな貴重な資料はどうなったんだろうかとネットを探してみると、2010年3月に閉館後、膨大な音楽資料は明治学院大学に移管され、「明治学院大学図書館付属日本近代音楽館」(http://www.meijigakuin.ac.jp/library/amjm/)となっていました。安心しました。時間に余裕ができるようになったら、東京芸術大学図書館「信時潔文庫」共々、覗いてみたいと思っています。
きょうは、グレン・グールドが奏でるハイドン「後期6大ピアノソナタ集」を聴きながらのブログ更新でした。昨日の雨が嘘のようで、真っ青なお空に真っ白な雲が浮かんでいます。
先週は、経済団体主宰のCSR研究会に顔を出した後、広島に向かいました。夜、宿舎に到着すると、気になるのはやはり鳩の雛の成長です。1週間ごとに成長を確かめるのは楽しいものです。でも、親鳥はたいへんです。朝早くから、何度も餌を運んでは飛び立って行きます。そんな風景をカーテン越しに眺めながら、温かいコーヒーをいただきました。
さて、この出張で村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読み終えました。4月に新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発売されたのをきっかけに、その本自体は文庫本に登場するまで待つとして、とりあえず中断していた過去の作品を再び読み始めました。「羊をめぐる冒険」を読み、その続編とも言われる「ダンス・ダンス・ダンス」を読みました。出張の合間ですからずいぶん日にちがかかりましたが、これで上下に分かれた文庫本の長編はすべて読み終えたことになります。
読後感って?いつも思いますが、なんとなく漠としています。そんな作品を60を過ぎたオジサンが読み耽る。疲労感があるわけではありません。宙に放り出されたような感覚、なんとなく子供の頃や若い頃を思い出してみたり....。別に教訓を得ようなんて思いません。不思議な世界を行ったり来たりしながら、そこに楽しさを感じる。なんとも不思議な風景です。
仕事帰りに、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に登場すると言われるフランツ・リストのピアノ独奏曲集「巡礼の年」(輸入盤CD3枚組)を買って帰りました。ロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンが演奏する「巡礼の年」は、「第1年:スイス」「第2年:イタリア」「ヴェネツィアとナポリ」「第3年」で構成されています。リストが20代から60代までに作曲したものを集めたもので、訪れたスイスやイタリアの印象をピアノ曲にしました。晩年の作にはやや宗教的な雰囲気も漂っています。
20代から60代.....。かのダニエル・レビンソンは「ライフサイクルの心理学」の中で、人の成長を四つに分けました。22歳までを「児童期と青年期」、17歳から45歳までを「青年前期」、40歳から65歳までを「中年期」、60歳以上を「老年期」に区分しています。重なり合いながら、人は次のステージに移っていく意です。青年期から老年期に向かうライフサイクルとリストのピアノ曲、それを村上春樹はひとつのモチーフとして取り入れたのではないかと思いました。いや、そうなんだろうと思いつつ、いつの日にか手にするだろう新作が待ち遠しくなりました。
先週は、広島、呉、東広島を回って帰阪したその足で、荷物を天王寺駅のロッカーに預けると阪和線に乗り換えて岸和田に向かいました。知人の親族のお通夜があったからです。この歳になると、こうした儀式に参列する機会が増えますが、その都度、人の人生を思います。読経を聞きながらお亡くなりなった方の長い長い人生と私の歩みを重ねあわせてしまいます。
そんなとき、ふっと思うことがあります。「私って、いったいどこに落ち着くんだろう」と。幼少の頃の居場所は田舎にあった。学生の頃の居場所は京都、そして40数年、大阪の地でなんとなく生きてきた。そして、最後はどこ?、と。村上春樹流にいえば、壁の向こう側かもしれない。人生なんて儚いものです。その場その場で、自分の座標軸をきちんと持って、波間に漂う。自分を信じて生きていくしかありません。
レビンソンは、人生半ばの個性化の項で、四つの両極性(対立)の解決が主要課題になるのだと言います。それは「若さと老い」「破壊と創造」「男らしさと女らしさ」「愛着と分離」です。では、それぞれのステージで私は何をどう解決してきたのだろうか。.....帰りの電車の中で、ぼんやりとそんなことを考えていました。
さあ、きょうはこれから職場のOB会にお出かけです。
先週、梅雨入りを心配する時期になったと綴ったその週に、なんと例年より早く梅雨入り宣言がありました。例のごとく、部屋の窓を開けて眠っていたら、真夜中にサーという静かな音が....。夢現のなかで、起きる気力もなく、雨音とともに深い眠りに落ちていきました。
それでも、ここ数日は雨も降らず、日によっては真夏を思わせる陽ざしが肌を刺します。そんな休日の朝、庭をみると草がぼうぼう、畑の一画に植えたピーマンやミニトマトには青い実がたくさん付いています。ブロッコリーも、そろそろ食べ頃かもしれません。クレソンは、もう花が咲いています。孫次男君が大好きなミニニンジンは、2回目の種蒔きで早や10センチほどに育っています。野菜づくり初心者の私ですが、量より種類を楽しんでいます。
そうそう、広島出張の際は、気になる鳩の雛の成長です。仕事を終えて宿所に入り暗闇のなかをカーテン越しに覗いてみると、母親の懐ですやすやお休みでした。翌朝、親鳥がお出かけの時間を見計らって、そっと窓を開けて覗いてみました。3羽かと思っていましたが、よく見ると2羽でした。その2羽の雛がじっと私を見つめていました。この子らも、いずれ広い広い空に舞っていくことでしょう。
鳩と言えば、先日、公園沿いの広い会議室で会議をしている最中に、ドーンという大きな音がしました。大きな窓に鳩が衝突した音でした。あまりにも綺麗な窓ガラスに鳩さんは無防備だったんでしょう。軽い脳振盪を起こしたご様子でした。ご用心、ご用心。
ところで先日、枕元で小林秀雄講演CDを聴いていたら、私と同じ年代の頃の講演録がありました。比較すること自体失礼な話ですが、同じ年代でありながら、こうも違うものかと.....。思考の深さ、幅広さはさすがです。古今亭志ん生ばりの喋りに、ついつい聞き入ってしまいました。それに比べて私なんぞ足元にも及ばない。子供みたいなもんです。私も時々、講話をすることがありますが、あとで録音データをいただくと、いったい何が言いたいんだ、と思うことが多々あって、途中で聞くのを止めてしまいます。人の心を掴むお話しというのは、なかなか難しいものです。
先日、某社から周年祝いの記念品として文庫本サイズの本革ブックカバーをいただきました。本屋さんの紙カバーで十分と思っていましたが、読みかけの「ダンス・ダンス・ダンス」(下)を入れてみると、なんとなく手触りがよくて、ついつい文庫に手が出る、そんな気持ちになりました。単純というべきか、実は意外とモノに左右される人間なのかもしれません。これもまた真なり、ということにしておきましょう。
昨日は、六甲の中腹のとあるレストランで姪の結婚披露宴があって、出かけていました。晴天なら、神戸の夜景を一望できる所にありましたが、近畿地方は夕方から薄らと小雨が舞っていたので、残念ながら夜景を楽しむことはできませんでした。
タイトルのわりに、梅雨のことをふれずに終わりました。きょうは曇り空です。庭のお掃除でもして過ごしましょう。