心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ボーヴォワールの「老い」

2021-07-24 13:39:34 | Weblog

 二十四節気「大暑」とはよく言ったものです。容赦なく照りつける太陽に向かって「暑~い」と心の中で叫びました。そんな暑い日の昼下がり、ブログ更新には舘野泉さん奏でるパルムグレンのピアノ名曲集「北欧の抒情シリーズ」がお薦めです。去年の春先、コロナのため北欧旅行を直前にキャンセルして1年あまり。いったいいつになったら行けるんでしょうねえ。
 この夏、我が家の菜園ではミニトマトがたくさん採れました。赤に黄、それぞれの味を楽しみましたが、もうそろそろ終わりに近づいてきました。次はイチジクの実が熟するのを待つばかりです。ささやかな自然の恵みをいただきながら、この夏を乗り切ることにいたします。
 ここで話はがらりと変わります。先日、新聞の隅っこにあった、ダイソーで販売されているBluetoothスピーカー(600円)が結構売れているという小さな記事に目が留まりました。へぇえと思いながら、出かけた帰りに立ち寄ってお連れしました(笑)。ふだんはステレオ、あるいはラジオを聞いているので、要るのかといえば要らないものです。衝動買いというやつです。
 それが意外と優れものでした。スマホやタブレットの音質より断然良いし、寝っ転がっていてステレオのスイッチを入れに歩いていくのが億劫なとき(笑)、手元のスマホから流れる曲をぼんやりと聴くには都合がいい。何よりも破格のお値段です。
 連れて帰ったその夜、タブレットで何気にNHKプラスを見ると、Eテレで「100分de名著」を放映していました。ボーヴォワールの「老い」の最終回で、講師は上野千鶴子先生です。Bluetoothスピーカーから流れる上野先生のお話しをぼんやり聴きながら、ついつい老いに向かうボーヴォワールの思想と行動に聴き入ってしまいました。
 テキストに目を通してみたい。その翌日、水彩画教室の帰りにアバンザのジュンク堂書店大阪本店に立ち寄りました。ついでに、朝日文庫「梅原猛の授業~能を観る」も。
 家に帰ってテキストを開くと、ボーヴォワールのこんな記述に目が留まりました。「ごまかすのはやめよう。(中略)われわれがいかなる者となるかを知らないならば、われわれは自分が何者であるかを知らないのだ。この年老いた男、あの年老いた女、彼らのなかにわれわれを認めようーーボーヴォワールは知識人たちの老年期を容赦なく辛辣に記述した」。ゴヤ、ゲーテ、ヘミングウェイ、アインシュタイン、ワーグナー、谷崎潤一郎の老いの姿が紹介されてありました。
 「老いを自ら受け入れることができないなかで、老いは、当人自身よりも周囲の人びとに、より明瞭にあらわれる」「ひとは自分の老いを自認できない。老いを受け入れられない」。気になる言葉が並びます。
 現役を退き5年が経過します。心の中では自分のことを高齢者だとは思っていない、いや思いたくない。でも、家内に言わせれば「確実に歳をとっている」と言います。
 シニア向け講座のお世話のボランティアを始めて2年が経過します。日々、パソコンを駆使しながらも、かつてのような集中力や記憶力、先進性は最早ありません。そんな自覚症状があります。なんとなく自分の「老い」を感じるようになっています。
 ご近所ではこんなケースもあります。奥様に先立たれながらもお一人で穏やかにお暮しになっていた高齢男性が1年前、ご子息に無理やり高齢者施設に入居させられ、その半年後にお亡くなりになりました。真向いの老夫婦は、奥様の歩行が困難になり、そのうえご主人がご病気になられたので、お二人で高齢者施設に入居されました。お子さんを亡くされているので、介護は施設に頼るしかありません。時々、ご主人が帰宅され、広いお庭の手入れをされていますが、お話しをしても辛いものがあります。老いの現実があります。
 テキストによれば、日本の高齢者介護は施設から在宅にシフトしているのだとか。でも、高齢者の住む家にはもはや介護を担う家族が同居していない現実があります。それを支えるのが介護保険ということでしょうか。
 そんな現実を、ボーヴォワールは1970年に著した著書「老い」の中で指摘しています。当時のフランスの高齢化率が7%(日本は14%)に過ぎない頃です。時代を先読みする女史の視点に驚きます。ちなみに、日本の高齢化率は現在30%に迫ろうとしています。
 テキストの表紙には「年齢に抗わない」「怯むことなく、堂々と老いさらばえよ」という言葉が散りばめられています。加齢に向き合いながら「生きる」ことを考える。私のテーマにしたいと思います。
 そうそう、苦戦している水彩画「羽衣」の絵が少しずつ出来上がってきました。でも、どうしても能面を描くことができません。先生にもいろいろアドバイスをいただくのですが、なかなか。能をテーマにした水彩画への挑戦は、まだまだ続きます。
 その水彩画教室を終えてジュンク堂書店に寄り道したあと淀屋橋に向かって歩いていると、街中が暑さで疲れ切っている風情でした。遠くにフェスティバルホールが見えます。そういえば最近、コンサートにも出かけていません。何かないかと物色したあげく月末にザ・シンフォニーホールで開かれる小コンサート「真夏のオルガンコンサート2021」のチケット2枚をご購入とあいなりました。

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梅雨が明けて夏本番

2021-07-18 10:30:23 | Weblog

 朝起きて新聞を取りに行きます。空は真っ青に晴れわたり真綿のような白い雲が浮かんでいます。蝉が鳴いています。ひんやりとした朝の空気が優しく私の身体をつつみます。こんな夏の朝が、私は大好きです。
 旧暦ではこの時季を「鷹乃学習」(たかすなわちがくしゅうす)と言うのだそうです。初夏に孵化した雛がこの時季に獲物を捕らえることを覚える意味なのだそうですが、何気ない四季の移り変わりを敏感に感じる昔の人々の「心のゆとり」を羨ましく思います。(下図は家内作のステンドグラス)
 この1週間、晴れ間が覗いたかと思うと一転して土砂降りの雨、なんとも落ち着きのないお天気が続きました。先日は朝5時頃に、大きな雷の音で目が覚めました。そして滝のような雨。おてんとうさまは最近の人間の行いにご立腹なのでしょうか。いやいや、ちょっと腹の虫がおさまらなかっただけかもしれません。
 梅雨が明けた今朝は、いつものように朝のお散歩でした。お不動さんの休憩所でひと休みをしていると朝のお勤めを終えたお坊さんがホラ貝を吹くお付きの方とご一緒に居所に向かっていました。毎日繰り返される人の動き、単調な動きの中に何かしら意味を思う私でありました。
 そうそう、先日、線状降水帯が居座った島根の実家に電話を入れましたが、大事に至らずひと安心でした。義姉いわく、「町から避難勧告も出ていたけど橋を渡って避難場所に移動する方がもっと怖い」と、築200年近い頑丈な造りの家屋の2階に避難していたとか。大黒柱が両手でひと抱えできるほどの太さですから、それもそうだと納得したものの、最近の豪雨は予測不能の動きをするので悩ましいところです。
 こうして7月も早や2週間が経過しようとしています。先週の日曜日には2回目のワクチン接種を無事終えました。12時間経過しても上腕に若干の違和感はあったものの特段の変化なし。楽勝と思いきや、夜ベッドに入った途端に悪寒がして寝つけず、朝方になって解熱剤1錠を飲んでひと眠りしたら、すっかり元気になりました。これでワクチン接種は完了です。
 先週の水彩画教室では、能「羽衣」の絵を描きました。能面のなんと難しいことか。無表情の奥に秘めた人の心。初心者には表現できません。鉛筆でなんども描いては消す、その繰り返しでした。考えてみれば、能面だけでなく、人物を描くときもそうです。姿かたちを描き終わっても、最後に目を描こうとすると表情ががらっと変わってしまいます。人間恐怖症になりそうです(笑)。
 最近、このブログも淡々と1週間の出来事を綴っているだけですが、最後にもうひとつ。以前、出雲の姉からお中元をいただいたので、そのお返しを送りました。兵庫県西宮市にあるケーキ屋さんガトーマリー(GATEAU Marie)の「まるごとメロンケーキ」です。それが意外に好評だったので、先日、3人の子ども達の家にも送りました。ついでに我が家にも1個(笑)。
 メロンのなかに美味しそうなケーキが詰まったスイーツでした。もちろん老夫婦で食べきれる量ではありません。小分けにして数日かけていただきました。ほんと美味しかったです(笑)。最近、外食を避けていますので、久しぶりのスイーツでした。
 今日は、先日手にした舘野泉さんのCD「アイノラのシベリウス」を聴きながらのブログ更新です。シベリウスが後年過ごしたアイノラの山荘にあるスタインウェイ製のピアノを演奏する舘野さん。1994年の収録です。暑い夏を前にフィンランドの空気感を楽しませていただいています。

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やっと花芽が。Vanda Pure Wax Pink 

2021-07-10 14:33:29 | Weblog

 この1週間、晴れ間が覗いたり土砂降りの雨が降ったりと落ち着きのないお天気が続きました。でも、そろそろ梅雨明けもまぢか。朝のお散歩で立ち寄るお不動さんの奥の院では、木々の間から蝉の鳴き声が聞こえます。いよいよ本格的な夏到来でしょうか。横浜の次男君からは、七夕飾りをバックに撮った孫娘の写真が届きました。
 先日、地下鉄Osaka Metroの天満橋駅構内を歩いていたら、涼しげな風鈴の音が聞こえてきました。音の方に耳をすませて歩いていくと、改札口の天井から二つの風鈴がぶら下がっていました。混雑する空間に微かに響く風鈴の音。粋な計らいです。飾りをみると「医療従事者のみなさまへ 感謝」「負けないで」とあります。もう1組には「夜空に花火が咲けるよう」とあります。残念ながら今年の天神祭奉納花火は中止になりました。
 我が家のお庭には、いま、グラジオラスが咲いています。この花、実は4年前の6月、北海道は帯広の観光庭園「紫竹ガーデン」に行ったときに連れて帰った球根です。5個ほど買ったのですが、今もきれいに咲いています。2カ月前に「紫竹おばあちゃん」の愛称で親しまれた創業者・紫竹昭葉さんがお亡くなりになりましたが、お花は大事に育てれば何年でも生き続けます。
 嬉しい発見もあります(笑)。3年前の2月に東京ドームで開かれた世界ラン展に行ったとき、即売コーナーで手にしたバンダ(Vanda Pure Wax Pink)に、やっと花芽が伸びてきました。花芽が出るまで3年かかりました。
インドネシア産まれのバンダですから、大阪の気候には馴染めないのだろうと半分諦めかけていましたが、このところ高温多湿のお天気が続いたので、お目覚めになったご様子です。どんなお顔を拝見できるか楽しみでもあります。世界ラン展の模様は2018年3月1日付記事「お上りさんの東京見物(その4)世界ラン展2018」に掲載しています。

 さてさて、日曜日にブログを更新する予定でしたが、明日の日曜日は、(待ちに待った?)2回目のワクチン接種の日です。1回目は痛くも痒くもありませんでしたから楽観はしていますが、周囲の方々の中には微熱や倦怠感を訴える方もいらっしゃいました。12時間経ってから発熱があった方も.......。少~し心配になってきましたので(笑)、1日早いブログ更新とあいなりました。
 明け方まで降ったりやんだりだったお天気も落ち着いてきて、この時間になると窓辺に明るい日差しが輝いています。きょうはモーツアルトのフルート四重奏曲を第1番から第4番まで聴きながら綴ってみました。

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半夏生の日にグールドを聴きながら振り返る

2021-07-04 10:31:09 | Weblog

 梅雨も後半になりましたが、旧暦ではこの時季を「半夏生」と言います。一説には、ドクダミ科の草が、その名の通り半分白くなり、お化粧(半化粧)をしているように見える時季なのだとか。数年前、その半夏生を求めて、家内と建仁寺の塔頭寺院に出かけたことがありました。
 その家内が先週初めに入院したのですが、思ったより術後の回復が早く5日後には我が家に戻ってきました。コロナ禍とあって面会禁止のためコミュニケーションツールはLINEだけでした。ふだん傍にいる者がいないというのはどうも落ち着かないものです....。
 そんななか、火曜日は水彩画教室に行ってきました。いつも通り、始まる前に地下街のカフェで深呼吸です。現役の頃もそうでした。出社前に必ず喫茶店に立ち寄って新聞各紙に目を通し、それから3番目に早いご出勤でありました。
 昼間は会議や来客で慌ただしいので、私にとって早朝の1時間が意外と重要でした。広いフロアにいた頃はみんなに要らぬ気遣いをさせてしまいましたが、個室に閉じ込められてからはグレン・グールドのピアノ曲を聴きながら書類に目を通し、その日の行動計画を立てる。それが楽しくもありました。
 リタイアしてちょうど5年が経とうとしています。今では誰からも急かされることなく、ゆっくりまったりの生活を楽しんでいます。そうそう、数日前、当時お世話になったプランナー女史からLINEをいただきました。彼女にはいろんな場面でお世話になりました。
 さてさて、この日の水彩画のテーマは写生でした。コロナ禍とあって無暗に人混みの中に出かけるわけにも行かないので、部屋の窓の外に広がるビル群を描くことになりました。ビルの壁面のわずかな色の変化をどう表現するのか、簡単なようで難しいテーマでした。
 その翌日と翌々日は講座運営のお手伝いでした。そしてやっと週末を迎えましたが、お天気がすぐれず雨が降ったりやんだりの日が続きました。その合間に読んだのは、朝日文庫「梅原猛の授業”仏教”」でした。梅原さんが京都・東寺の境内にある洛南中学校の生徒たちに行った授業の内容を文字にしたものです。古希を迎えたお爺さんも、示唆に富んだお話しに素直に納得したものでした。
 本といえば、以前ご紹介した電子図書館のことですが、先日、「禅と日本文化」の著者で知られる鈴木大拙講演録「最も東洋的なるもの」をお借りしました。50分ほどの講演ですが、明治、大正、昭和と生きた鈴木大拙その人の生の声に接し、何かしら迫るものがありました。
 新潮社のサイトには「東洋と西洋の自然観の違いを例にとって両文化の差異を浮き彫りにし、東洋思想の本質に迫った名講演。93歳にしてなお矍鑠と「西洋人に伝えるべきこと」を説き続けた“世界の禅者”鈴木大拙の肉声を収めた貴重な講演」とあります。むかし近所にいたご隠居さんのような声(言葉)、でもスケールの大きなお話しにずっしりとした「重み」のようなものを感じました。
 最近、渋沢栄一の生涯を描くNHKテレビの大河ドラマ「晴天を衝け」を見ています。寝て起きたら明治だった、歴史はそんな単純なお話ではありません。新旧入り乱れ輻輳しながら徐々に新しい夜明けを迎える、そんなダイナミックな人の営みのなかで、サムライの世の中から開国を経て近代日本へと躍動する礎を築いた人たちの生きざまに興味津々です。渋沢栄一、五代 友厚...。これらの方々の講演集があれば聞いてみたいものです。

 そろそろ梅雨明け宣言も近くなってきました。下旬には東京オリンピックが開催されようとしています。大丈夫かなあ....。東京を中心にコロナ感染者数が下げ止まりから上向きに転じています。でも、誰も止められない。お国も科学的知見を蔑ろにして前のめりになっています。現場の第一線でご活躍の方々のお気持ちも分からなくはありませんが、いつか来た道を辿らないことを願うばかりです。
 きょうはグレン・グールドが奏でるバッハの平均律クラヴィーア曲集を聴きながら、思いつくままに7月初旬の出来事を綴ってみました。

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