心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

20数年ぶりの再会

2009-01-25 09:45:44 | Weblog
 朝、目覚めると、いやに明るい。とんとんと階下に降りて居間を覗くと、窓の外に柔らかな雪が空を舞う。心躍ります。でも、積もるわけでもなく、地面に舞い降りると静かに姿を消していきます。ここ大阪は、久しぶりにうっすらと雪景色でした。でも、愛犬ゴンタとお散歩に出かける頃には庭樹に痕跡が残る程度の積雪でした。そしていまPCに向かう時間になると、明るい冬の太陽が窓に輝いています。
 さあて、このところ写真付きでアップしていますが、きょうはアップすべき写真も思いもなく、ぼんやりと画面をみつめています。そして、ぼんやり浮かんだことをキーボードに打ち込んでいくだけ。あまり指が動かないので、シューベルトの歌曲「冬の旅」をBGM替わりに聴く。この曲は、ミューラーの詩がベースになっていますが、どちらかといえば孤独な放浪者を歌ったもの。フィッシャー・ディースカウの歌が静かに部屋に流れます。でも、考えてみれば、実は先週も、後半の3日間は同業他社、異業種、同業他社と、多くの方々に御目にかかって、多くの気づきをいただいた反面、少し人疲れしていることを思うと、ほど良い選曲かもしれません。
 ところで、きのうの会合では楽しい出会いもありました。20数年ぶりに再会した方がいらっしゃいました。広報関係の仕事をしていた時期の、お互い係長時代に深いお付き合いをしていた方ですが、同時期に二人とも人事異動で仕事が変わり音信不通になっていました。懇親会冒頭でのご挨拶でも申し上げましたが、共に頭髪が若干薄くなっていて、20数年の歳月の深みを確認し合うことになりました。彼も、いまでは某社の本部長ですが、若い頃の面影は顕在です。楽しいお酒を呑みました。そんな出会いが、あと2人。やはり20数年前、取引先として懇意にしていた方が同業他社の幹部に、同業他社の方が在籍出向で他の同業企業幹部に。20年の歳月というのは、短いようで多くの変化を生んでいることを、実感もいたしました。でも、こうして再会し、互いにそれぞれの職場で汗を流していることを確認しあう。素晴らしいことです。
 いずれにしても、このところ毎晩遅いご帰宅が続いていて、そのうえ明日は広島に宿泊出張なので、日曜日くらいは家でゆっくりしたいと思います。きょうは、先日来、寝る前に目を通しながらそのまま寝てしまうことが多く中途半端になっている、季刊誌「考える人」の特集記事「書かれなかった須賀敦子の本」を最後まで読むことにします。写真はアップしないつもりでしたが、季刊誌「考える人」冬号の表紙をそえました。  
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人との出会いと気づき

2009-01-18 10:28:13 | Weblog
 少し寝起きの悪い朝を迎えました。きのうは呑み過ぎたかなぁ。終電近い帰宅で駅前のタクシー乗り場の行列にもうんざり。朝、愛犬ゴンタとお散歩のあと、デスクに座ってPCのスイッチを入れる。思い出したように、きのう手にしたLPレコードから、シュワルツコップの「野はら」を取り出し、聴く。....そんな休日の始まりでした。年明け早々スケジュールが満杯で、1週間もあっという間に過ぎていきます。そのスピードに戸惑いながら、ことしも慌ただしい1年になる予感がしています。
 それでも、きのうは午前中に仕事を片づけて職場を後にしました。行先は、京都です。久しぶりの上洛です。まずは京都市役所に隣接する USED RECORD HOT LINE さんへ。以前にもご紹介したことがありますが、古いビルの3階にある、どちらかといえば倉庫に近い雰囲気のLPレコード店です。そこで小一時間、品定めでありました。なぜか今回は歌曲に拘り、手にしたのは、シューベルトの「冬の旅」、マーラーの「さすらう若人の歌」。フィッシャー・ディースカウが歌い、フルトヴェングラー指揮のフィルハーモニア管弦楽団が演奏します。いずれも赤盤です。昔は赤いレコード盤もあったのですよ。そして、ジャケットに惹かれて「野ばら」もいただきました。
 そのあと、CDショップに立ち寄って、ジュンク堂書店では「型と場のマネジメント~今求められる知識創造モデルの再構築~」という本を購入してぼんやり本と戯れていると、程良い時間に。そう、きのうは親しい知人と二人だけの新年会でした。京都祇園界隈の奥まったところにある素敵なお店に、5時間近くいたでしょうか。私とは全く異なる仕事をしていて、ものの見方も考え方も鋭い。だから話をしていて楽しいし、なによりも多くの「気づき」をいただきました。
 そういえば、先週の後半は2日続けて、異業種の方々と親しくお話する機会に恵まれました。大阪を代表するメーカーの会長さん、京都を代表するメーカーの会長さん、ホスピタリティーをご専門にされている方、旅行会社のマネジャーさんなどなど。そして締めくくりが二人だけの新年会と相成りました。お会いした方々の息づかいに直に接して、多くの「気づき」をいただきました。この、身体に充満した「気づき」を、当面は大切に温めながら、私のエネルギーに転換していくことにいたします。
 さぁ、今週もまた忙しそうです。歩きながら考える。走りながら考える。そんな毎日になりそうです。でも、おそらく、だから毎日が充実しているのだと思います。だから本も読めるのでしょう。この際、リタイアしたら本が読めるという淡い期待は、抱かないことにします。現実的ではないでしょう。そう考えると、自分自身が周囲の方々に「生かされている」ことに感謝しなければなりません。だから休日も、目一杯楽しむことにいたしましょう。

【写真説明】2枚目の写真は、京阪電車「三条駅」を降りたところにある三条大橋から眺めた鴨川の風景です。水鳥が戯れています。遠くには雪をいただく北山を望むことができます。
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アイデンティティー

2009-01-11 10:19:38 | Weblog
 寒い朝を迎えました。それでも休日は、オーバーを着込んで愛犬ゴンタとお散歩にでかけます。人間様と違ってゴンタは元気そのもの。木々に集まる小鳥たちも、防寒着を着るわけでもないのに元気に飛び回っています。冬ともなれば、ふだん見かけない小鳥たちも混じって、小さな里山はたいへん賑やかでした。ニュースを見ると、北日本と日本海側は大雪の兆し。そんな天候の季節に、お正月休み明け早々の連休となりました。
 お正月といえば、田舎では旧暦のお正月を祝う旧正月の習慣があります。ことしは1月26日が元旦なのだそうですが、私が小さい頃は、母親が長方形に平たく伸ばした「伸し餅」をつくってくれました。都会の親戚にも送るとかで、それはたいへんな量でした。豆入りやら、薄い紅色つきやら、何種類かの伸し餅をつくり、後でそれを包丁で薄い長方形に切っていく。乾燥するとずいぶん日持ちがするので、今思えば保存食の役割も果たしていたのかもしれません。田舎では、旧正月にも学校は数日間のお休みがありました。
 ところで、お正月に田舎の親戚宅に電話をすると、「中居君と仲間さんが出ている『私は貝になりたい』という映画、見たかね?」と。年末のTVコマーシャルや新聞広告に載っていたことは承知していたのですが、「なぜ?」と尋ねると、「去年の2月に、近所の山でロケがあったがね」と。親戚の家は、奥出雲の地。どうやらロケ隊は、隠岐島で撮影のあと、奥出雲に移動したらしい。映画の公式サイトで確認すると、房江(仲間)が豊松(中居)のために、助命嘆願書の署名を集めに行くシーンの撮影が、当地で行われたようです。「2月は最低気温マイナス5℃にも及ぶ極寒の土地。積雪40㎝。福澤監督肝入りの場所」とありました。撮影現場に比較的近い親戚の家では、近所の方々が集まって大変な騒ぎだったようです。
 島根県といえば、決して知名度の高い県ではありませんが、最近はNHKテレビの朝のドラマの舞台でもあります。タイトルは、出雲弁で「ありがとう」という意味の『だんだん』。でも田舎を出て40年近く経つと、出雲弁を思い出そうとしても、寂しいことですが、何ひとつ浮かんできません。そもそも方言自体が戦後教育のなかで影を潜めてきたようで、純粋な出雲弁は、ひと世代前の言葉、出雲弁サイトをみても、小さい頃、お年寄りの方々がお話になっていたものばかりです。この「だんだん」も、そうです。でも、古き良き時代を思いながらサイトを眺めていて、『ばんじまして』(こんばんわ)という言葉を見つけました。『えとしなげな』(可哀そうな)、『えけん』(いけない)などなど。このあたりになると、ぼんやりと当時を思い出します。
 方言は、その人の生い立ち、アイデンティティーの証しでもあります。それが、狭い国ながら、高校を卒業し都会に移り住むことによって曖昧になっていく。余りにも大きな落差にカルチャーショックを受けながら、しかし、成長の糧としてそれを受け入れていく。でも、時に、「私」を見失うことがある。浮草のように落ち着きがない。都会の喧騒の中で、ふっと気づくことがあります。自分探しのような、そんな気持ちにさせる瞬間が、時々あります。しかし、答えは出ない。そんな不安に駆られると、無性にジャズを聴きたくなる。といっても、わたしの場合はピアノが主体です。
 ジャズと呼ばれる音楽文化を生みだした源は、アフリカから連れてこられた黒人奴隷にあると聞いたことがあります。遠く母国を思いながら農作業の合間に皆んで独特のリズムを全身で表現し、アイデンティティーを確認しあう。そうなんだと思います。
 ダラー・ブランド、オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット、そして最近はビル・エヴァンスと、徐々にレパートリーも増えてきました。最近は、女性ジャズボーカルのヘレン・メリルが加わって、ウイークデーの夜は、私の部屋も、さながらジャズ喫茶の雰囲気です。疲れた頭をシャッフルするに心地よい時空間を提供してくれます。きょうは珍しく、Waltz for Debby Bill Evans Solo を聴きながらブログ更新でありました。

【写真説明】
きょうの写真は、イメージ写真です。昨年12月10日の朝、大阪平野は濃霧に襲われ交通網が大混乱しました。わたしは淀川堤防を歩いて職場に向かいました。濃霧のため、足元の道以外は、右も左も10メートル先が見えません。小さい頃、強烈な吹雪に襲われたときの恐怖感を思い出したものです。
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「心の風景」の原点

2009-01-04 09:56:21 | Weblog
 「自己を相対化し、もうひとりの視線を自己のなかにもつことによって、自己を縛っている価値基準が相対化される。縛っている視点から見えている風景を相対化することができる。自分の見ている風景がほんとうは違ったふうに見えることもあるのだということを認識させるからである」「風景の向こうに何をみるか。それは、風景を見るひとがどんな人間かによって違ってくる」....。
 これは、2001年10月から12月にかけて放送されたNHKラジオ「こころをよむ」講座で、東京工業大学の桑子敏雄先生が「新しい哲学への冒険」と題して講義されたテキストの一部です。第1話「もう一枚の名刺」の中で渡辺崋山を例にお話になりました。講座はこのあと、第2話「風景のなかに思想がある」に続きます。
 いま、Googleで「心の風景」を検索すると、たくさんのブログがヒットしますが、私が、このタイトルにこだわるのは、多分にこの講座の影響があります。2004年12月30日に開設して4年が経過しました。私の仕事人生のなかでも激動の4年間に、私は毎週のようにブログ更新をしながら、言えば自分自身のために、自分自身を振り返る、そんな時間を大切にしてきました。考えてみれば身勝手なブログではあります。
 ところで、年末の「ふる本市」で手にした渡辺崋山の画集を眺めながら、改めて、幕末に生きた崋山の生きざまを思います。彼は、幕府の鎖国政策に批判的な考えをもったかどで、逮捕、投獄されます。47歳の頃です。その後、蟄居の地・田原で罪人として生活を送りますが、日本の近代化という大きな時代の流れのなかで、福沢諭吉ほどには「洋魂洋才」に徹することはできなかった。右か左かの二者択一を迫られるなかで、彼は自刃を選びました。
 崋山が田原での謹慎中に描いた作品に、私は惹かれます。「千山万水図」「雪中孤雁図」「ろじ(鵜)捉魚図」などを眺めていると、精緻な描写と遠景という意味での複眼的なものの見方があります。雪の中で遠くをみつめる雁の姿を小枝にとまる翡翠がじっと見つめています。鵜が得意そうに魚をくわえている動きのある瞬間を河畔の柳の木の枝から翡翠が見つめています。どれも、怖いほどに冷徹な視点、ぞくっとする緊張感が漂います.....。
 年末には、本の整理を念入りに行いました。数え歳で60歳を迎える年代を考えると、そろそろ乱読を卒業してひとつの方向性を見極めるべきだろうと思うからです。段ボール箱にして3箱分を古書店に宅急便で送り届けました。もちろん、私の好奇心が萎えたわけではありません。ものごとの本質に迫る知識欲は衰えるどころか、ますます燃え盛ります。変革の予兆がささやかれる2009年という年を迎えて、改めて崋山の生きざまを振り返る、ことしはそんな予感がしています。

【写真説明】
 きょうは今年初めてのブログ更新ということで、少し裃を着た内容になってしまいました(^^♪。我が家では、長女一家に次男君を迎えて楽しく年末年始を過ごしました。きょう4日早朝に次男君を送りだして、ふだんの静かな生活に戻りました。元旦には、みんなで近くの神社に初詣に出かけました。不景気のせいでしょうか、例年に比べて人出が多かったような気がします。宗教心の薄い私でも、お正月の「おみくじ」だけは何故か気になります。「吉」と出ました。「このみくじにあう人は、丁度病人が一日一日快復に向かう様になやみとけ喜び事にあうべし、つつしむ心あれば尚よし」。過信することなく、慎みをもって、地道に物事に対峙することの戒めと受け止めました。

 おせち料理に飽きてくると、子供たちが「たこ焼きが食べたい」と言います。自宅から10分ほど歩いたところに、その老舗はあります。よちよち歩きの孫を連れて出かけました。1ケース15個入りで500円。大きな蛸が自慢です。左から「だししょうゆ味」「マヨネーズソース味」「ソース味」を買いました。大阪ならではの懐かしい味と子供たちに好評でした。
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