先週東京に出張した際、朝早く眼が覚めて、はて仕事が始まる9時30分までどうしようかとベッドの中でうつらうつら考えていました。そして、ふと、須賀敦子さんが幼少の頃過ごした麻布界隈を散策してみよう、と思い立ったのです。Googleで聖心女子大学の場所を確認すると、朝食もとらず午前7時、私はホテルをあとにしました。地下鉄日比谷線の銀座駅まで歩いて、そこで広尾駅を探すと、ありました、ありました。
地図をもっていないので、あとは勘任せです。広尾で地下鉄を降り、案内板を確認しながら、信号を渡って坂道を歩きはじめたところで朝食をとっていないことに気づき、通りの小さな喫茶店で小休止。テラスに座って人の通りを眺めていると、いやに外国人が多い。そういえば、このあたり大使館が多いことは須賀さんのエッセイに書いてありました。店の方に位置関係を訪ねると、私が向かう方向は有栖川記念公園のようで、聖心女子大学は大通りの反対側に位置することが判りました。
でも、とりあえず、須賀さんが良く遊んだという有栖川公園に向かいました。入口の案内板には、江戸時代、盛岡藩主南部美濃守の下屋敷であって、明治29年に有栖川宮御用地、大正2年に高松宮御用地となったとあります。大きな池があって、水鳥たちが羽根を休めていました。遠景を望むと、木立の向こうに六本木ヒルズが見えました。
早朝とはいえ、そんなにゆったりもしておれないので、そろそろ聖心女子大学に向かおうと、公園を後にしました。ノルウェイ―大使館、スイス大使館の前を通り過ぎると、外苑西通りに出ます。信号を渡って、また坂道を登ろうとすると、今度は贅沢な共同住居群が林立している街並みに変わります。広尾ガーデンヒルズです。
大学らしき看板はあるけれど、門が見えない。守衛さんに尋ねると、正門はもっと上のほうだという。数分歩いて日本赤十字の病院に突き当たるけれども、大学の正門が見当たりません。いったん街の外側に出て、なお坂道を登りました。少し不安になりながら、左に折れました。スロヴェニア大使館、東京女学館高校を過ぎたあたりで、左側の奥まったところに武家屋敷風の立派な門がありました。ひょっとして、これが正門?辺りを見回すと、道路沿いの看板に聖心女子大学とあります。キリスト系の大学に似合わない門構えです。やっと辿り着いたと勇んで門をくぐろうとしたところ、守衛さんに入校を制止されてしまいました。事前の許可を得ていなかったためでしょうが、その門から少し入ったところには、須賀さんが学んだ日本家屋の校舎があったはずです。
時間を気にしながら1時間30分。ほどよい汗を流しました。その爽快さが、その日1日中、私の心を満たしました。内容の濃い仕事ができたのは言うまでもありません。帰宅後Googleで位置関係をもう一度確かめました。するとなんと、その界隈に隣接して、数年前に訪ねた麻布十番がありました。ビルの一画にあった日本近代音楽館も、そんなに遠くないところにありました。これまでピンポイントで訪ねてきた東京の街。やはり、車ではなく、自分の足で歩く、歩いて感じることが必要なんだと、改めて思ったものです。
「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。須賀敦子さんの「ユルスナールの靴」は、こんな文章で始まります。