東の方に、山の横ほれるを見て、人に問へば、「八幡の宮」といふ。これを聞きて喜びて、人々拝みたてまつる。山崎の橋見ゆ。嬉しきこと限りなし。(紀貫之「土佐日記」から抜粋)
およそ一千年前のこと。土佐の国司の任期を終えた紀貫之が、一族郎党を引き連れて京の都に戻る船旅の模様を記した土佐日記の一節です。
淀川をのぼり山城国(京都府乙訓郡大山崎)にさしかかったところで、石清水八幡宮が鎮座する男山を見て皆で喜んでいる様子が伝わってきます。通常なら25日ほどで着くところを50日もかかった船旅のようでした。 先日、NPOの関係で京都府八幡市を訪ねた折、秋らしい陽気に誘われて、せっかく来たのだからと男山の山頂に鎮座する石清水八幡宮をお参りしました。
今回は初めて裏参道を歩いて登りました。森の中を小鳥の囀りを楽しみながら石階段を一歩一歩進んでいきます。それは四国の歩き遍路の一場面のようでもありました。
そうこうするうちに、山頂方面に薄っすらと陽の光が見えてきます。四国ではこの何倍もの距離を延々と歩いて登りましたが、樹木の間から薄っすらと見える陽の光にほっとひと息ついたものでした。 石清水八幡宮は「創建以来、都の裏鬼門(西南の方角)を守護する王城鎮護の神、伊勢の神宮に次ぐ国家第二の宗廟」として知られ、とりわけ厄除開運のご利益にお参りが絶えません。さっそく南総門から入り御社殿にお参りをさせていただきました。
そのあと、京都市内を一望できるという展望台に向かいました。目の前に京都を一望できる素晴らしい風景が広がります。望遠鏡をお持ちの方は平安神宮の鳥居まで見えると驚きの声。
木津川と宇治川と桂川が合流し、淀川となって大阪湾に注ぐ、そんな場所でもあります。交通の要衝とはこのことでしょう。幾多の歴史を見つめて来た「八幡の宮」です。 「土佐日記」は、徳島から高知に向かう四国お遍路の参考資料として、角川ソフィア文庫(現代語訳)を何度か読んだことがありました。大津、浦戸、大湊、奈半、室津、泊.....。そのあと船は淡路島の南を東に進み大坂の和泉に向かいます。住吉明神、難波津、淀川、そして山崎へと進み、無事都に到着します。
ひょんなことから今回、ちょっとしたミニ歩き遍路を経験させていただきましたが、帰りはケーブルカーを利用しました(笑)。
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そんな楽しい経験をした9月の最終週でしたが、今週から秋季水彩画教室が始まりました。新たに5名加わり総勢40数名の大所帯。先生もあっちに行ったりこっちの来たりの大忙しでした。この日のテーマは秋の花。私は彼岸花を描いてみました。さあてこのあとどう仕上げよう?? 明日は毎月1回のフランス文学講座がありますので、一日早いブログ更新となりました。考えてみれば今年もあと3カ月しかありません。ほんとに時の経つのは早いものです。「落ち着いて、落ち着いて」。そう自分に言い聞かせています。