心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

土の匂い

2011-10-30 16:08:05 | Weblog
 九州は大分市に出かけていました。私にとって大分県は、これまで唯一足を踏み入れていない県でした。今夏、家内と九州温泉旅行にでかけたときが初めてで、これで私は61歳にして日本のすべての都道府県を訪ねたことになります。でも、いったん足を踏み入れると不思議に続くものです。今回が2回目、来年1月下旬にもう一度出張があります。
 きのう午後、雨の大分市駅に到着すると、何やら車椅子の方々が目立ちました。特段気にもとめず、商店街をとおってホテルに向かっていると、ちょっとした広場が人だかりです。遠くから覗いてみると、なんと第31回大分国際車いすマラソンの開会式が開かれていました。聞けば、世界のトップランナーが顔をそろえているのだとか。ずいぶんな盛り上がりをみせていました。本番は今日ですが、大分市駅を出発する頃はずいぶん雨が降っていました。大分は、世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチ音楽祭も定期的に開いていて、文化度の高いところです。

 さて、先週触れた舘野泉さんのこと。今週も引きずって歩きました。舘野さんの音楽と、人となりに強い感銘を受けたからでした。帰宅途中に著書「左手のコンチェルト~新たな音楽のはじまり」を手にし、またCD「記憶樹」「祈り・・・子守歌」「THE BEST」を聞きました。いま、アマゾンで4枚目のCD「ひまわりの海(セヴラックピアノ作品集)」を注文してます。
 舘野さんの著書を読んでいて、セヴラックというフランスの作曲家の存在を知りました。19世紀から20世紀初頭、絵画では印象派が登場する頃、都会の喧騒を離れ、故郷である南仏の農村に活動の場を移したセヴラック。舘野さんは「土の匂い」がすると言います。ピアノが醸し出す世界を風景と香りで表現する、身近に、かつ新鮮に感じました。最高の演奏を追求して何度も録音を繰り返したグレン・グールド、いわば都会派のピアニストとは対極にある存在?私にはよくわかりませんが、ピアノ演奏から「光と影」をみる舘野さんの世界に惹かれました。

 そうそう、きのう大分市内の百貨店の7階にあるジュンク堂書店の新刊案内で、椎名亮輔著「デオダ・ド・セヴラック~南仏の風、郷愁の音画」に出会いました。舘野さんが日本セヴラック協会の立ち上げに尽力されたと言う、セヴラックの人となりを知りたくて、出張先でのご購入でした。実は、数ページめくったところに、こんなくだりがありました。「日本語の資料を確かめてみると、どうも気に入らない。セヴラックは”田舎の音楽家”だったと書いてある。”自分の村の農夫たちを最良の仲間”として”水蒸気の立ちのぼる土くれのついた、まだ濡れている長靴をはいていオルガンに向かう”ような人物であったとある。非常に違和感がある」という問題意識を著者は示しています。ところが、セヴラックのこういう人物像は、舘野さんの「ひまわりの海」に紹介されていて、どうもお二人の視点が微妙に異なるのです。これは面白い、ということで衝動買いしました。

 帰りの新幹線のなかで、この本を読みながら、ふと湖北の山小屋のことを思い出しました。仕事の忙しさにかまけて、最近でかけることがありません。おそらく今頃は、周囲の山肌が日に日に色づいてきて、朝夕はストーブがないと寒い季節なんだと思います。お猿さんが裏の木々を伝ってやってくるのも、冬の前のこの季節。広い田畑をうろうろしながら餌をさがしている姿を思い出します。
 私も、そろそろリタイア後のことを考えなくてはならない歳になりました。山小屋を建て直して、そこを終の棲家としますか。晴耕雨読、田畑を耕し、音楽を聴き、運動がてらに愛犬ゴンタと山のてっぺんをめざし、琵琶湖を望む。時には、気分転換にリュックでも下げて町に降りていく。京都や大阪を徘徊しては、またぞろ山奥に引き返していく。そんな生活もありかな、と思っていますが、どうなんでしょう。
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一人ひとりの時間

2011-10-23 10:41:02 | Weblog
 先日、広島国際会議場で開催された式典に参加した際、広島勤務になって初めて平和公園を散策しました。夕刻には原爆ドームを通って帰途につきましたが、背筋をぴんと伸ばして歩いている自分に気づきました。戦争と平和、人類はまだ、この大きなテーマに答えを出していません。 
 さて、きょうは広島の宿舎でお目覚めでした。なので、ブログの更新も宿舎からとなります。とりあえず文字だけをアップしておきます。写真は帰阪後ということで。

 先日、脳梗塞になりリハビリに励んでいる親友に手紙を書きました。すると数日後、奥様からお電話をいただきました。と、そのとき、電話の向こうから「おお」という声が聞こえます。それも、なんども「おお」と。私には彼が何を伝えたいのかが良くわかりました。「焦ることはない」「じっくり直すんだ」と言うたびに、電話の向こうから「おお」という返事があります。奥様も喜んでいらっしゃいました。
 以前紹介した多田冨雄先生の著書でもわかるように、脳梗塞になっても脳の損傷の状態によって容態はずいぶん違うようです。意識はしっかりしているが、表現できないもどかしさがある。そこにリハビリテーションの意義があります。彼もきっと同じなのだと思います。文字は読める、人の話は理解できる。でも、自分の口で意思を伝えられない。彼には、多田先生が活用されていたトークエイドのことも伝えておきました。回復には時間がかかってもがんばってほしい。そう思います。

 そんな電話をうけたあと、私は舘野泉さんの「ひまわりの海」を手にとりました。以前、神保町の古書店で買って、ざあっと目を通して本棚においていたものです。北欧在住の世界的なピアニスト・舘野泉さんも、脳梗塞で身体が不自由になり、数年間リハビリに励まれた。そして、見事に復活され、コンサートをこなしておられる。その闘病生活の模様が第4章「左手のピアニスト」に紹介されています。この本の美しさは、舘野さんの爽やかな文体、そして散りばめられた北欧の風景写真、夏の数ヶ月をすごす別荘の風景。心優しい本に仕上がっています。

ご参考までに、舘野泉さんのピアノ演奏はYouTubeで聴くことができます。
http://www.youtube.com/watch?v=w8FaPBEN8Uk

 ところで、先日の会議では、「実行」「断行」といった動的な表現に対して、「ゆとり」という静的なものの考え方の大切さを説く意見がありました。考えてみれば、私たちは、目まぐるしく変わる時代環境にあって、じっとしていられない焦燥感のようなものに背中をおされているときがあります。闇雲に動いていることで何かしら安心してしまう。でも、どうなんでしょうか。ときには少し距離をおいて時代を眺めることも必要ではないか。そんなことを考えさせられた会議でした。
 リハビリの成果は、すぐには現れない。毎日の訓練を通じて、徐々に身体に変化が現れる、そんな感じなのではないでしょうか。ピアノの練習をしていて、なんども練習するけれども上手く弾けない、でもある瞬間に滑らかに指が動いていることに気づくことがある、いやありました。結局こういうことなんでしょう。すぐに成果を求めすぎることの危うさを思います。
 何を基準に「時間」を計るべきか。いやいや、何を求めて人はあくせく働くのか。原発の事故は、人間の技術力の脆弱性を露呈してしまいましたが、「想定外」などという誤魔化しの表現は使ってほしくない。技術とは何か、人の知恵とはなにか、もっと根源的な問いかけが必要なのだろうと思います。
 まあまあ、慌てなさんな。まだ時間はたっぷりとあります。一字一句の意味を考えながら、時代を大きく鳥瞰する力を身につけようではありませんか。
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少し早い目の珊瑚婚式

2011-10-16 10:56:52 | Weblog
 ここ数日、雨が降ったり止んだり、ざあっと大降りになって、そのたびに愛犬ゴンタのお家の屋根に雨よけを付けたり外したり、落ち着きのない日を暮らしていました。でも、きょうは快晴の休日です。玄関口のピラカンサスの実も一段と赤く染まってきました。

 ところで、10月の末は35回目の結婚記念日なのです。珊瑚婚というのだそうです。まだ半月も先のことなのですが、来週も再来週も、土・日が仕事で潰れます。なので、きのうの土曜休日は少し早い目の、二人だけの珊瑚婚式と相成りました。といっても、何をするでもなく、以前から気になっていた「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」が開催されている京都市美術館に行っただけ。クールベ、コロ―、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、ゴッホなど印象派、ポスト印象派の作品を、2時間かけて見て回りました。

 明るい陽光につつまれた19世紀半ばの西欧の世界を垣間見る。森の風景、農村の風景、都市の風景、人の表情、そして向日葵の花が、薄暗い展示室に浮かびあがります。そこには、素人がデジカメで撮影するような、そんな平板な世界ではなく、描く者の感性、視覚的な印象が鮮やかな色彩で描かれています。目の前に広がる風景にどんな心もちで対峙していたのだろうと、そんなことを考えながら素敵な時間を過ごすことができました。

 展示された作品は80点あまり。2人が最も長く立ち止まって見入った作品、それは年若い舞台女優、アンリエット・アンリオ(1857~1944年)を描いた、ルノワールの「アンリオ夫人」でした。淡いパステル調の背景から浮かび上がる大きな瞳とピンク色の柔らかな美しい顔立ちに、なにかしらほっとするような心地よさを覚えました。そんなわけで、出口のショッピングで、この「アンリオ夫人」の額付複製画を思い切ってご購入、珊瑚婚の記念としました。
 
 それにしても長い間、よくも一緒に暮らしたものです。全くの他人がある時を境に同じ屋根の下で暮らす。子供3人を育て、気がつけば、子供たちは我が家を巣立ち、また元通りの2人生活に。孫が3人(来春には4人)もいます。でも、いずれは、どちらかがくたばって、そしてもう一方も、いつのまにか姿を消す。まさに諸行無常。万物は常に変化して少しの間も止まることを知らない、ということなのでしょう。
 人生80年とも言われるご時世なのに、最近、妙に無欲恬淡になっていけません。きのう、美術館の帰りに覗いた京都伝統産業「ふれあい館」で、竹細工、刺繍、漆器などの伝統工芸品を制作する職人さんの実演をみていたら、逆に、変わらないものへの憧れのようなものが垣間見えました。不易流行。日本の伝統を守る方々のお勤めを思いました。私も、そう、もうひと踏ん張りしますか。

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お酒まつり

2011-10-09 10:32:17 | Weblog
 愛犬ゴンタとお散歩にでかけようとしたら、玄関口のピラカンサスの実が淡く色づき始めているのに気づきました。10月、秋本番です。明るい秋の陽光につつまれて、私たちは生き返ったような、そんな爽やかな季節を迎えています。

 ところで、連休初日の昨日は、半分お仕事、半分お遊び気分といったところでしょうか。朝の6時前に家を出発、新幹線にのって広島をめざします。まずは東広島駅で下車、待ち構えていた車に乗って東広島市の中心街、西条の街に移動しました。きのう、きょうと、西条のまちは「2011酒まつり」で大勢の人で賑わっています。

 五千人の居酒屋広場では、明るい太陽の下で朝の10時頃から居酒屋気分、県内外から多くの方々が集まってきます。この開放感溢れる風景に、酒のまち西条の地力のようなものを感じました。道路の反対側には酒広場の看板が見えます。その周辺を多くの方々が列をなして並んでいらっしゃる。チラシをみると、全国から厳選されたお酒の利き酒が入場券1800円でぞんぶんに楽しむことができるのだそうです。ついつい私も足が向きそうになりましたが、少しお仕事がありましたので思い留まりました。


 用事を済ませると、西条駅前の酒屋さんに鞄を預かっていただき、街中をぶらり散歩です。白牡丹、西條鶴、亀齢、賀茂鶴、賀茂泉などの酒蔵めぐりをいたしました。行く先々で小さなコップで1杯ずつ利き酒をすると、これまた結構な気分に(笑)。でも、午後には広島市内でお勉強会があるので、ほどほどのところで広島駅行きの普通列車に飛び乗りました。ふだん車で移動することが多いので、こうして電車に乗って街の風景をみていると、ふと、自分が広島県人であるかの錯覚を覚えるほどに、心地よいものを感じました。これからも、時間の余裕のあるときは、電車、バスで移動したいと思います。
 さて、午後2時、広島市中区のビルの一室でお勉強会は始まりました。久しぶりにお会いする方、まったく初めてお会いする方。でも、集まる目的が同じですから、議論はすんなりと進みます。夕刻からは場所を居酒屋に移して続行。お開きになるとタクシーを飛ばして駅に向かい、新幹線に飛び乗りました。広島から大阪まで1時間半、考えてみれば京都で呑んでも大阪へは1時間程度かかりますから、さほどの距離感でもありません。というのか、そう思うようになりました。
 そんな次第で、昨日は朝から晩までお酒に浸った1日となりました。お疲れが出たのか、さすがに今朝は、いつもより2時間ほど遅く目覚めました。今日、明日は、ゆったりとした1日を過ごすことにいたしましょう。
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時間と空間の戯れ

2011-10-02 09:30:20 | Weblog
 秋の爽やかな空気がキンモクセイの香りを乗せて私の枕元に運んでくれました。そんな清々しい朝を迎えて階下に降りると、庭先でゴーゴーと妙な音が聞こえました。その音源は愛犬ゴンタのお家の中にありました。老犬の域に入ったからでしょうか、大きなイビキが聞こえます。小屋の中に、大の字になって熟睡しているゴンタの不様な姿が見えました。.....まあ良いでしょう。彼のリズムで生きているんですから。

 そんな私も、1週間ほど前の土・日、父の法要のため田舎にとんぼ返りしたとき、何年かぶりに「熟睡」をいたしました。斐伊川の源流に近い山懐に佇む温泉宿でのことです。川のせせらぎと秋の虫、木々の葉が風と戯れる音のほかに何も聞こえない、そんな空間で私はぐっすりと眠りました。

 けっきょく私は、今を無理して生きているのかもしれません。きっと、そうなんでしょう。それが、生まれ故郷に近い山懐に抱かれて、母の胎内と同じ空気とリズムに心が共鳴した、ということなんでしょう。久しぶりの原点回帰、生まれたときの生活に戻った安堵感だったのかもしれません。それとも、その夜にいただいた地酒「かたくりの花」(簸上清酒)のせい?なんと美味しかったことか。家内と二人、囲炉裏端で岩魚山菜料理をいただきながら、静かな夕食を味わいました。もちろんアルカリ性単純温泉の露天風呂にもどっぷり漬かって、心を癒しました。

 その夜、私にはもうひとつの出来事がありました。夕食を終えて、何気なくテレビを眺めるていると、地元のケーブルテレビが町議会の模様を映していました。そこになんと、私の友人の姿がありました。そう、ちょうど2年ほど前の秋、彼は自慢の新米をもって大阪に来てくれました。その数カ月後、彼は脳梗塞で倒れたのです。以後、右半身麻痺、言語障害と辛い日々を送っています。その彼が議場に座っている。すぐに彼の携帯に電話を入れました。しかし、代わって出た奥様の話では、状態は変わっていないと。議場には出ているが話すことが不自由であると。明るい農村青年として街づくりに励み、町会議員として今後の活躍が期待されていた矢先のこと、彼には忸怩たる思いがあるに違いありません。山の神様はなんと惨いことをするのか、月明かりに照らされた暗く深い山並みを眺めながら思ったものです。
 翌朝、実家に入ると、すでに大勢の親戚縁者の方々がお集まりで、法要、墓参、宴席と続きました。和尚さんは、私よりずいぶん歳下ですが、いまや由緒あるお寺の住職をちゃんとお勤めになっている。読経は30分にも及び、終わった頃には私の足首は硬直状態。なんともお恥ずかしい不様な姿となってしまいました。


 墓参の合間に、久しぶりに街をぶらり散歩しました。私が通った小学校には、もう木造校舎はありません。ただし木造の駅舎は健在でした。出雲大社と同様の大社造の神殿を模した姿には意外とファンも多いとか。この駅から歩いて10分ほどのところに実家があります。その途中には、街で唯一の西洋建築である教会(1923年竣工)があります。戦後、私が小さい頃は、郵便局として使われていましたが、その後、教会として本来の機能を果たしている様子でした。


 時間と空間の不思議な関係。最近読んでいるトーマス・マンの「魔の山」第6章「移り変わり」の書き出しは、こうです。

 「時間とは何か。これは一個の謎である。--実体がなく、しかも全能である。現象世界の一条件であり、ひとつの運動であって、空間内の物体の存在とその運動に結びつけられ、混ざり合わされている。しかし運動がなければ、時間はないであろうか。時間がなければ、運動はないであろうか。さあ尋ねられるがいい。時間は空間の機能のひとつであろうか。それとも逆であろうか。あるいは、ふたつとも同じものだろうか。さあ問いつづけたまえ。」

 同じ位置に佇んでいても、時は動く。時間を止めることはできない。1分1秒という非常に短い時間であっても、人間は既に猛スピードで地球を回る術を身につけている。時間と空間は、互いに連関しながら、動いている。それが人の営みというものであろうか。.........40数年前、駅舎の前に立って何度か眺めたこの街を、40年数年を過ぎたいま、同じ場所で見つめる。いったい何が変わって、何が変わっていないのか。前夜の、それは不思議な熟睡とは、いったい何であったのか。
 その日の夜、私はいつものように新大阪駅の雑踏のなかを歩いていました。時間と空間の戯れに翻弄されている私を思いました。なんとも不思議な1日でありました。
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