九州は大分市に出かけていました。私にとって大分県は、これまで唯一足を踏み入れていない県でした。今夏、家内と九州温泉旅行にでかけたときが初めてで、これで私は61歳にして日本のすべての都道府県を訪ねたことになります。でも、いったん足を踏み入れると不思議に続くものです。今回が2回目、来年1月下旬にもう一度出張があります。
きのう午後、雨の大分市駅に到着すると、何やら車椅子の方々が目立ちました。特段気にもとめず、商店街をとおってホテルに向かっていると、ちょっとした広場が人だかりです。遠くから覗いてみると、なんと第31回大分国際車いすマラソンの開会式が開かれていました。聞けば、世界のトップランナーが顔をそろえているのだとか。ずいぶんな盛り上がりをみせていました。本番は今日ですが、大分市駅を出発する頃はずいぶん雨が降っていました。大分は、世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチ音楽祭も定期的に開いていて、文化度の高いところです。
さて、先週触れた舘野泉さんのこと。今週も引きずって歩きました。舘野さんの音楽と、人となりに強い感銘を受けたからでした。帰宅途中に著書「左手のコンチェルト~新たな音楽のはじまり」を手にし、またCD「記憶樹」「祈り・・・子守歌」「THE BEST」を聞きました。いま、アマゾンで4枚目のCD「ひまわりの海(セヴラックピアノ作品集)」を注文してます。
舘野さんの著書を読んでいて、セヴラックというフランスの作曲家の存在を知りました。19世紀から20世紀初頭、絵画では印象派が登場する頃、都会の喧騒を離れ、故郷である南仏の農村に活動の場を移したセヴラック。舘野さんは「土の匂い」がすると言います。ピアノが醸し出す世界を風景と香りで表現する、身近に、かつ新鮮に感じました。最高の演奏を追求して何度も録音を繰り返したグレン・グールド、いわば都会派のピアニストとは対極にある存在?私にはよくわかりませんが、ピアノ演奏から「光と影」をみる舘野さんの世界に惹かれました。
そうそう、きのう大分市内の百貨店の7階にあるジュンク堂書店の新刊案内で、椎名亮輔著「デオダ・ド・セヴラック~南仏の風、郷愁の音画」に出会いました。舘野さんが日本セヴラック協会の立ち上げに尽力されたと言う、セヴラックの人となりを知りたくて、出張先でのご購入でした。実は、数ページめくったところに、こんなくだりがありました。「日本語の資料を確かめてみると、どうも気に入らない。セヴラックは”田舎の音楽家”だったと書いてある。”自分の村の農夫たちを最良の仲間”として”水蒸気の立ちのぼる土くれのついた、まだ濡れている長靴をはいていオルガンに向かう”ような人物であったとある。非常に違和感がある」という問題意識を著者は示しています。ところが、セヴラックのこういう人物像は、舘野さんの「ひまわりの海」に紹介されていて、どうもお二人の視点が微妙に異なるのです。これは面白い、ということで衝動買いしました。
帰りの新幹線のなかで、この本を読みながら、ふと湖北の山小屋のことを思い出しました。仕事の忙しさにかまけて、最近でかけることがありません。おそらく今頃は、周囲の山肌が日に日に色づいてきて、朝夕はストーブがないと寒い季節なんだと思います。お猿さんが裏の木々を伝ってやってくるのも、冬の前のこの季節。広い田畑をうろうろしながら餌をさがしている姿を思い出します。
私も、そろそろリタイア後のことを考えなくてはならない歳になりました。山小屋を建て直して、そこを終の棲家としますか。晴耕雨読、田畑を耕し、音楽を聴き、運動がてらに愛犬ゴンタと山のてっぺんをめざし、琵琶湖を望む。時には、気分転換にリュックでも下げて町に降りていく。京都や大阪を徘徊しては、またぞろ山奥に引き返していく。そんな生活もありかな、と思っていますが、どうなんでしょう。
きのう午後、雨の大分市駅に到着すると、何やら車椅子の方々が目立ちました。特段気にもとめず、商店街をとおってホテルに向かっていると、ちょっとした広場が人だかりです。遠くから覗いてみると、なんと第31回大分国際車いすマラソンの開会式が開かれていました。聞けば、世界のトップランナーが顔をそろえているのだとか。ずいぶんな盛り上がりをみせていました。本番は今日ですが、大分市駅を出発する頃はずいぶん雨が降っていました。大分は、世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチ音楽祭も定期的に開いていて、文化度の高いところです。
さて、先週触れた舘野泉さんのこと。今週も引きずって歩きました。舘野さんの音楽と、人となりに強い感銘を受けたからでした。帰宅途中に著書「左手のコンチェルト~新たな音楽のはじまり」を手にし、またCD「記憶樹」「祈り・・・子守歌」「THE BEST」を聞きました。いま、アマゾンで4枚目のCD「ひまわりの海(セヴラックピアノ作品集)」を注文してます。
舘野さんの著書を読んでいて、セヴラックというフランスの作曲家の存在を知りました。19世紀から20世紀初頭、絵画では印象派が登場する頃、都会の喧騒を離れ、故郷である南仏の農村に活動の場を移したセヴラック。舘野さんは「土の匂い」がすると言います。ピアノが醸し出す世界を風景と香りで表現する、身近に、かつ新鮮に感じました。最高の演奏を追求して何度も録音を繰り返したグレン・グールド、いわば都会派のピアニストとは対極にある存在?私にはよくわかりませんが、ピアノ演奏から「光と影」をみる舘野さんの世界に惹かれました。
そうそう、きのう大分市内の百貨店の7階にあるジュンク堂書店の新刊案内で、椎名亮輔著「デオダ・ド・セヴラック~南仏の風、郷愁の音画」に出会いました。舘野さんが日本セヴラック協会の立ち上げに尽力されたと言う、セヴラックの人となりを知りたくて、出張先でのご購入でした。実は、数ページめくったところに、こんなくだりがありました。「日本語の資料を確かめてみると、どうも気に入らない。セヴラックは”田舎の音楽家”だったと書いてある。”自分の村の農夫たちを最良の仲間”として”水蒸気の立ちのぼる土くれのついた、まだ濡れている長靴をはいていオルガンに向かう”ような人物であったとある。非常に違和感がある」という問題意識を著者は示しています。ところが、セヴラックのこういう人物像は、舘野さんの「ひまわりの海」に紹介されていて、どうもお二人の視点が微妙に異なるのです。これは面白い、ということで衝動買いしました。
帰りの新幹線のなかで、この本を読みながら、ふと湖北の山小屋のことを思い出しました。仕事の忙しさにかまけて、最近でかけることがありません。おそらく今頃は、周囲の山肌が日に日に色づいてきて、朝夕はストーブがないと寒い季節なんだと思います。お猿さんが裏の木々を伝ってやってくるのも、冬の前のこの季節。広い田畑をうろうろしながら餌をさがしている姿を思い出します。
私も、そろそろリタイア後のことを考えなくてはならない歳になりました。山小屋を建て直して、そこを終の棲家としますか。晴耕雨読、田畑を耕し、音楽を聴き、運動がてらに愛犬ゴンタと山のてっぺんをめざし、琵琶湖を望む。時には、気分転換にリュックでも下げて町に降りていく。京都や大阪を徘徊しては、またぞろ山奥に引き返していく。そんな生活もありかな、と思っていますが、どうなんでしょう。