大阪市中央公会堂で開かれた恒例の「水の都の古本展」に出かけたついでに、国立国際美術館の「クラーナハ 500年後の誘惑」展を覗いてきました。ルカス・クラーナハ(1472~1553年)のことはよく知らなかったのですが、開催案内によれば、ヴィッテンベルクの宮廷画家として名を馳せたドイツ・ルネッサンスを代表する画家で、マルティン・ルターに始まる宗教改革にも関与した人物のようです。作品の多くは宗教画、そして宮廷・皇帝を題材にしたものでした。
共催のウィーン美術史美術館には昨年、その前を通っただけで覗く時間がなかったので、今回はじっくりと見て回りました。印象派以前の精緻に描かれた作品は写真と見まがうばかり、でも描かれた女性の不思議な表情を前に考え込む時間が多かったように思います。それでも、ひとつひとつの作品には物語があります。識字率が低かったであろう時代に、宗教画の果たす役割はずいぶん大きかったのではないか。仏教の「曼荼羅」に近いものを感じました。ちなみに、この展覧会にはアルブレヒト・デューラーの作品も数点ありました。
さて、昨日一昨日と四国八十八カ所遍路の旅に出かけてきました。今回は土佐の国7カ寺を巡りました。早朝雨が降りしきるなか家を出て、バスに乗って高知県をめざしましたが、驚いたことに土佐の国は春めいた陽光につつまれていました。さすが南国・土佐の国です。お参りしたのはつぎの7カ寺です。
第三十五番札所・醫王山清瀧寺(土佐市) ご本尊は薬師如来
第二十七番札所・藤井寺岩本寺(高岡郡)
ご本尊は不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の五仏
第二十六番札所・独鈷山青龍寺(土佐市) ご本尊は波切不動明王
第二十四番札所・本尾山種間寺(吾川郡) ご本尊は薬師如来
第二十三番札所・高福山雪蹊寺(高知市) ご本尊は薬師如来
第二十二番札所・八葉山禅師峰寺(南国市) ご本尊は十一面観世音蔵菩薩
第二十一番札所・五台山竹林寺(高知市) ご本尊は文殊菩薩
まずは清瀧寺に向かいます。723年に行基が建立したあと、後年空海が修行したお寺です。ぽかぽか陽気のなか高さ6メートルもある薬師如来像がお出迎えしてくれました。大師堂の天井に、十二支の方位計?を見つけました。弘法大師が満願の日に金剛杖で大地を突いたら澄んだ水が瀧のように溢れ出たということで清瀧寺と名づけられました。いまも本堂の横には清水が湧いていますが、清らかな水とコウゾとミツマタ.....。清瀧寺の麓の村は、手漉き和紙の歴史を今に伝えています。
岩本寺は、四万十川の上流、高岡郡窪川町にあります。こちらも行基、空海と続く歴史をもち、四国八十八カ所では唯一の5仏のご本尊が納められています。本堂の天井一面に描かれた絵は、本堂を再建したときに描かれたものだそうです。
初日は2カ寺で打ち止めとなり、土佐の海辺にある温泉宿に泊まりました。28回目の四国遍路をめざすお爺さん、在阪大手電機メーカーをリタイアした方は私と同い年。同行者と何度も温泉に浸かりながら、いろいろとお話しをさせていただきました。一期一会の楽しい貴重な時間です。翌朝、宿の前に広がる海岸線を散歩しました。土佐湾といえば、江戸の末期、ジョン万次郎こと中村万次郎が船出したところでもあります。
宿を出発したのは午前7時半。まずは青龍寺をめざしました。山門をくぐると170段の石段が続き、徐々に気持ちが高ぶってきます。波切不動明王。実はこの仏さまには覚えがあります。かつてお勉強会でご一緒に仕事をした同業他社の方のお家が関西の波切不動さんで、彼はお坊さんの仕事もしていましたが、残念なことに志半ばでお亡くなりになりました。石段を一段一段踏みしめながら彼のことを思いました。
弘法大師空海が唐の青龍寺で恵果和尚から真言密教の奥義を授かったことはよく知られています。その空海が唐から帰国するとき、独鈷杵を投げたところ、帰国後四国を修行中にこの地で見つけたのだとか。空海は、その恩に報いるために、嵯峨天皇の許しを得てこの寺を青龍寺と名付けたと伝えられています。このお話しを信じるか信じないか。お寺の一画には恵果和尚を祀るお堂もありました。
次に向かったのは種間寺です。このお寺は、大阪の四天王寺の仏像をつくるために百済から招いた仏師たちが、帰国の途中に嵐にあって、この地に一時避難。その際に薬師如来を彫ったのが始まりだとか。
雪蹊寺も空海ゆかりのお寺ですが、鎌倉時代には仏師・運慶とその子湛慶がやってきて、本尊をはじめとする仏像を作ったことで知られています。その後変遷を経て、現在では臨済宗のお寺になっています。四国遍路の旅をしていると、心の中に奈良・鎌倉時代の風景が浮かんできます。
境内から眼下に太平洋が広がる禅師峰寺。海の男たちを守るお寺でもあります。遠くには南国市のビニールハウスが点在していて、温かい地方の豊かな農業を思います。でも、台風が来たらたいへんだろうなあと。
今回のツアーの打ち止めは竹林寺です。四国八十八カ所で文殊菩薩をご本尊とするお寺はここしかありません。行基の作と言われています。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として有名な菩薩です。広々とした境内には本堂、大師堂、総檜づくりの五重塔が配されています。太子堂の裏には一言地蔵尊がありましたが、先達さんいわく「お願いごとはひとつだけやで」と。
このお寺は「よさこい節」でも知られています。「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」。この歌詞は、江戸時代の末期に起きた、竹林寺の僧・純信と美しい娘・お馬との道ならぬ恋の物語が元となっているのだそうです。悲しい駆け落ち物語でありました。
1泊2日の行程でバスの走行距離は770キロにも及んだ今回の四国遍路の旅ですが、大阪とは違い、すでに早春を思わせる長閑な風景に気分は爽快でした。「修行の道場」と言われるだけあって、土佐の各寺は独特の雰囲気に包まれ、お参りをするたびに「不瞋恚(ふしんい)」、つまり、いかり高ぶる心を捨て人を慈しみの心でみる。「不邪見(ふじゃけん)」、邪な見かたを離れ、物の本質をありのままにみる。そんな十善戒の言葉の意味を噛みしめる旅でもありました。
さて、土佐の国も足摺岬の先端にある金剛副寺と延光寺の2カ寺を残すのみです。来月は四国西南地域に出かけることになります。今日届いた日程表によると、バスの走行距離はなんと1000キロだとか。本が一冊読めそうです。