心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

8月最後の休日

2008-08-31 10:13:08 | Weblog
 きょうは明るい青空が広がっています。街のいたるところで、アブラゼミに替わってツクツクボウシやヒグラシたちが、楽しかった夏を惜しむかのように鳴いています。陽の光も秋らしい風情で、なんだか気持ちの良い休日になりそうです。
 ところで、ここ数日、天候不順が続きました。大阪はそれほどでもありませんが、各地で「ゲリラ豪雨」が猛威を振るいました。以前にもお話したように、僅かな時間で街中が水浸しになる惨状を目の当たりにすると、人が造り上げた構築物の脆さ、人の傲慢さを思います。かつて訪れたローマの街並みでは、人工の構築物の偉大さと力強さに圧倒されましたが、日本の風土にあった自然との付き合い方というものを、もう一度考え直してみる必要がありそうに思います。それはひょっとしたら、構造計算などといったものではなく、自然を見つめる哲学、心のありようなのかもしれません。
 そんな怪しい雲行きを気にしながら、先週金曜日には三重県の津市にでかけました。大阪の鶴橋から近鉄特急に乗って1時間20分ほど。30分も経つと、都会の喧騒が嘘のようで、車窓には山や川や田圃が流れていきます。日本特有の牧歌的な風景が流れていきます。そこには、大自然に囲まれた山村が散らばって見えます。長い長い年月を経て、なお日本の原風景があります。背伸びはしないけれども、地道な人の歩みが、そこにはありました。
 伊勢中川で乗り換えて10分。津に到着すると雨脚が強まり、徒歩10分もかからない場所にタクシーで乗り付けることに。電車が止まったらどうしようかと思いつつ、仕事を終えて、でも久ぶりだからと何人かの仲間と津駅に隣接するビル地階の居酒屋で一杯。楽しい時間を過ごしました。
 三重県は南北に細長く、北は名古屋に近い伊勢、中ほどに滋賀・京都・奈良に近い伊賀、南には和歌山に近い紀伊と、地理的に異なる歴史と文化があります。こうした文化の違いを大切にすることも必要であろうというのが、酒席でのもっぱらの話題でした。都市の価値観を一律に、画一的に敷衍することの問題を、ああでもない、こうでもないと話し合ったものです。.....夜も9時を過ぎようかという時間になって、慌てて大阪・難波行特急に飛び乗ってのご帰還でありました。
 さあ、8月最後の休日は、部屋と心の整理に努めましょう。雨模様の昨日は、音楽を聴きながら、散らかった書棚の整理、デスクまわりの整理。最後にカレンダーをめくって終わりました。きょうは、暑かった夏を元気に過ごした熱帯魚さんのお家(水槽)の大掃除でもしましょう。この夏、キュウリをモリモリ食べたプレコは夏バテもせず元気そのもの。オスカー君も一段と大きくなりました。

注:写真中央がセラフィン・プレコ(体長34㎝)、左から顔を出したのがオスカー(正確にはアストロノートゥス・オケラートゥスといい、現在の体長20㎝)。我が家の主になりつつあります。
コメント

季節とライフサイクル

2008-08-24 09:37:50 | Weblog
 先日まで暑い暑いと汗を拭っていた夏が、お盆を境に急に影を潜め、ここ数日は肌寒ささえ感じる今日この頃です。小鳥たちの囀りにも心なしか元気が感じられます。一進一退を繰り返しながら、秋らしくなっていくのでしょう。
 先週後半の3日間、広島に出張していました。今回は市内ではなく、東広島から呉を経て広島市内から帰阪するルートでしたが、夜半に到着した東広島では、それは綺麗な星空を望むことができました。今にもお星様が降ってきそうな、そんな錯覚すら覚えました。ふだん、愛犬ゴンタと眺める都会地の星空とは比べものになりません。人通りのない夜の街を、ぶらり散歩をしながら古き良き時代のことを思ったものです。
 ところで、いま、ダニエル・レビンソンの「ライフサイクルの心理学」(講談社学術文庫)という文庫本を読んでいます。「・・・おとなであるとは、どういうことなのか。おとなの人生のもつ根源的な問題---本質的な悩みとか満足感、失望や悲しみや充実感のみなもと---はなにか。児童期や青年期と同じように、成人してからの生活も一定の順序をもって発達しているのか。・・・」。こうした序文で始まるこの本は、ライフサイクルの視点からとらえた成人の基本的な発達原理を考えようというものです。私自身の生き様を振り返るうえで参考になりそうな気がして、先日の出張の際、持ち歩いていました。
 レビンソンは、ライフサイクルという言葉を、「過程または旅」と捉え、一連の時期または段階を「季節」と考えます。季節は、ライフサイクル全体からみれば比較的安定しているけれども、それぞれの季節のなかにも変化は進行していて、季節と季節の間には、ふたつが重なり合う過渡期があるのだと。どの季節が良いとか、どの季節のほうが重要だというようなことはなく、過去と未来を結び、過去と未来の両方を包含しながら有機的に進行していくのだという考え方です。なるほど。
 そう考えると、お盆を境に気候が急変したと言っても、実はその前から徐々に変化の兆候はあった。いやいや、毎日毎日が目に見えなくとも変化しているということ。人間様のライフサイクルも同じ。40歳を過ぎ、50歳を過ぎ、60歳をまじかに見つめる年代になると、その時期時期において過ぎし日と来るべき日が重なり合うような過渡期を経て、新しい境地に歩を進めるのであろうと。決して、終焉(死)に向かってのカウントダウンではなく、自分自身の生き様の集大成なのだろうと。レビンソンは、これを「個性化」と呼んだ。先週の記事の言葉を借りれば、「守・破・離」の「離」を形成していく、そういう意味で次の発達段階に歩みを進めるということだろうと、そんなことを考えました。
 季節の変わり目は、私の心をメランコリックにします。それに火をつけるのが、カナカナと鳴くひぐらしの物悲しい声です。でも、心の風景というものは、考えようで何色にも染まる不思議な世界。さあ、もうひと踏ん張りしましょう。....こう書き進んだところで、目の前には、陽の光が差し込み、木々の緑が輝きだしました。昨夜の大雨が嘘のようです。
 今週は、お盆に京都下賀茂の糺の森で催された納涼古本まつりの写真を掲載しました。
コメント

58歳の夏

2008-08-17 10:07:03 | Weblog
 今朝、愛犬ゴンタとお散歩していて気づいたのですが、お盆を過ぎて気候が少し爽やかになったと思うのは気のせいでしょか。昨夕は、孫をバス停まで見送った帰り際、カナカナと鳴くひぐらしの声を聞きました。暑かった夏も、そろそろ店じまいなのかもしれません。季節は右往左往しながら秋に向かって歩み出しました。
 この夏は遠出こそしなかったけれども、毎日どこかには出かけていました。あるときは、美味しい西瓜がたくさん採れたからと、奈良の遠縁にでかけました。麦藁帽子に短パンを履いて、いつもの通勤電車に乗ることの爽快感。大きな「でんすけ西瓜」を2個いただいて、大阪の環状線に乗った爽快感。大阪の街も夏一色でした。でも、帰る頃には両腕が痛くなりましたが....。
 お盆には、京都・知恩院にお参りをしました。菩提寺の総本山です。どうせ京都に行くならと、下鴨神社糺の森で開催中の「納涼古本まつり」にも立ち寄りました。暑い京都でありながら、さすがに糺の森。うっそうとした木立の下は涼しく、そこに40店舗ばかりの書店が自慢の古本を並べていました。出店でかき氷をいただきながら、1時間ほど見て回って、J.モノーの「偶然と必然」ほか数冊を買って帰りました。
 翌日は、急に思い立って徳島まで足を伸ばしました。阿波踊りの見物です。家内と二男が同行しました。適当な観覧場所を見つけて2時間ほど楽しみました。「連」という踊りグループが鳴り物(三味線・鉦・太鼓・横笛)入りで登場するのですが、、老若男女が一群をなして踊り歩く姿は壮観でした。一番印象深かったのは、踊りの「型」でした。5、6歳の子供から小中高生、大学生、社会人、ご老人に至るまで、踊りの「型」を身につけていらっしゃる。そこに日本の祭特有の鳴り物が加わると、まさに伝統芸能になるのです。ついさっきまでジーパンをはいて街を闊歩していた若者たちが着物に着替えて、掛声よろしく踊っている。まさに日本の祭りでありました。
 笛・太鼓・鉦の鳴り物が身体に充満するにつれて、ぼんやりと子供の頃の夏祭りの風景が浮かんできて、頭が朦朧とするなかで、ふとよぎったのが「守・破・離」(しゅ・は・り)という言葉でした。古くから伝わる言葉ですが、「守」は基本となる型を守ること、「破」は基本から抜け出し自分らしさを発見していくこと、そして「離」は基本から脱して新しい型を創造すること。阿波踊りという日本独特の踊りのなかに、それを感じました。あの独特の腰つきと手の動き。「型」を守りながら、それぞれの連が独自の踊りを披露する。伝統の真髄がそこにあります。
 わたしたちは案外、この「型」を軽視しがちなのかもしれません。場当たり的に物事をリセットしてしまうことに慣れきっていないかどうか。だから足元が見えなくなって浮草状態に陥ってはいないだろうか。58歳を迎えた今、改めて「守・破・離」の言葉の意味を噛みしめたものです。残された人生のなかで、どんな「離」を見出すことができるのだろうか。そんな思いに耽りながら、58歳の夏は、終わろうとしています。さあ、明日からはまた仕事です。
コメント

ゲリラ豪雨

2008-08-10 10:25:56 | Weblog
 9日間の長期休暇に入った初日は、家内のお買いものに同行でした。お盆に子供たちが帰ってくるからと、何やかやと準備中。そこまでするか?という気持ちもないではありませんが、黙って荷物運び役に徹しました。今夏、我が家は遠出を避け、帰省する子供たち(+孫)を待ち受けることになります。
 家内がお買いもの中、ベンチに座ってお店の風景をぼんやり眺めていたところ、木製のアヒルを売っているおじさんの姿が目にとまりました。聞けば、障害のある方が働いている授産施設手作り製品といい、バンブーダックというのだそうです。背丈が40㎝ほどあり、首と脚は木、胴はジャワ産の大きな竹の根でできています。塗装・ラッカー仕上げは終わっていませんが、愛らしい姿に惚れこんで、1羽買って帰りました。500円でした。夏休みの工作に、塗装でもしてみようかと思っています。私はジャワには行ったことがありませんが、熱帯モンスーン気候というのでしょうか、雨季のスコールや雷をついつい想像してしまいます。そんな風土に育った竹の根っこらしいですから、こういう工作ができるのでしょうね。
 それにしてもわが日本は暑い、暑い。そのうえ今夏は急激な天候の変化が際立っています。「ゲリラ豪雨」というのだそうです。うまく命名したものです。先週半ば、私も出くわしました。1日中かんかん照りの夏日だったはずなのに、夕方になって雲行きが怪しくなり、いつの間にか、ぽつりぽつりと雨粒が見えたかと思うと、ざぁーと土砂降り。薄暗くなったと思った瞬間、今度は雷様のご登場です。私の目の前で雷鳴轟きわたるすさまじさ。その凄さといったら半端じゃあない。ちょうど雨宿りをしていた私の足元には、あっという間に雨水が押し寄せる。3㎝、5㎝、10㎝、あっという間でした。もちろん、皮靴は台無しです。
 都会地には地面が露出していないから、雨水は地球に吸収されることなく、アスファルトの上を這いまわって水路を探し回るのです。小さな水路はすぐに満杯になり、それがまた路上に溢れる。それらが一斉に河川に流れ込むと急激に増水する。悪循環が悪循環を呼ぶ。なんとも始末の悪い状況なのです。やっとのことで私鉄の駅まで辿りついたら、今度は線路が冠水したため運休中、復旧の目途は立っていない、と。それならと遠回りのバスに乗ろうとしたら、バス停は人の波。あと30人というところで電車が動き出したので、またそちらに移動。右往左往させられました。便利になった都市生活の、なんと脆いものか。人間様の力なんて、まだまだ。近代文明の脆弱さを思ったものです。
 そのゲリラ豪雨。昨日もご登場でした。お買いものから帰ったあとの昼下がり、本を読みながらうたた寝をしていたら、大粒の雨の音。1時間ほどの豪雨に、愛犬ゴンタも小屋の奥に引き籠ったままでした。これも、ひとつの夏の風物詩なんでしょう。
コメント

ラジオ世代

2008-08-03 09:43:19 | Weblog
 バタバタしているうちに、いつの間にか8月の声。ほんとうに暑い日が続きます。カレンダーを見ただけでも暑い、暑い。このところ愛犬ゴンタも夏バテ気味で、木陰を見つけては地面に身体をすり付けて微かな涼を求めています。
 こんな暑い日は、わたしも動くのが億劫になります。高原の朝の小鳥の囀りを収録したCDをBGM代わりに、部屋のなかで本をめくりながらじっとしています。そうそう、朝日新聞の販売店から、先日申し込んでいた額絵シリーズ「ミレイとイギリス絵画の至宝」が届きました。1回目の今回はミレイの「オフィーリア」とロセッティの「プロセルピナ」。さっそく部屋に飾ってみました。暑い夏にオフィーリア、何か似合いそうです。
 ところで、朝日新聞が夕刊で「ラジオの時代」を特集しています。その第一部が先週の金曜日でいとまず終了し、12月から第二部が始まるのだそうです。ラジオの歴史はたかだか80年あまり。その間、時代は昭和から平成にかわり、テレビの普及でラジオはだんだん影が薄くなってきました。しかし、この連載に目を通していると、熱いリスナーの存在と、熱い番組制作者の思いが、ラジオというメディアを支えていることを知ります。記事には、NHK「ラジオ深夜便」をはじめ、ライブドア騒動で厳しい表情を見せたオールナイトニッポンの亀淵さんほか、いろんな方々が登場されました。これからも、新しいラジオ文化というものが生き続けていくのだろうことを思いました。
 私もラジオ世代の一人です。テレビよりも圧倒的にラジオから得る情報が多く、政治・経済・社会問題だけでなく、文化教養番組まで広範に及びます。「ラジオ深夜便」と共に眠り、朝5時のニュースでいったん眼ざめ、うとうとしながら朝を迎える生活を、ここ数年ずっと続けています。最近、欠かさず録音しているのが日曜日の夜9時から始まるNHK第二放送の文化講演会。今年は「日本人の生き方」「自然環境」「教育」などがテーマです。8月は姜尚中、北山章之助、上原まり、真鍋俊照、中村哲といった方々がご登場の予定ですが、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車のなかで、ぼんやりと耳を傾けながら、いろいろな気づきをいただきます。
 考えてみると、視覚ではなく聴覚で、耳を澄まして聞くことで、文字やテレビの映像ではとらえることのできない、もっと人間的な出会いが、ラジオにはあります。こうした出会いを通じて、その方の書物に触れる。ラジオを通じて聞いた、その人の声を耳の奥に感じながら本を読むことになります。これまでにどれだけ多くのことを学ぶことができたか。その気づきを、点から線に、そして面に、そして構造化させていくなかで、自分自身の立ち位置というものを確認してきた、これが五十数年間を経て、今日の私を「生かしている」、そのように思っています。


コメント