みんな子を持つ親になってきたからなのでしょう。父の日に子どもたちからプレゼントが届きます。長男君からは「コロナビール」が届きました。数カ月前、製造元のグルポ・モデロ社(メキシコ)が、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて生産停止に追い込まれた新聞記事を読んだことがあります。いつもウイットに富んだ贈り物をしてくれます。次男君からはお酒の肴が届きました。よほどお酒が好きな父親と思われているようです(笑)。
その日は、近所に暮らす長女一家と夕食会でした。何カ月ぶりでしょう。孫長男君の中学校進学祝いを兼ねて、お寿司屋さんで楽しいひと時を過ごしました。我が街では、今週から平常通り授業が始まっていて、毎朝、子どもたちが集団登校する姿を見かけるようになりました。幼稚園にも活気が戻ってきました。
その前日は、大阪市立美術館に「フランス絵画の精華」展を観に行きました。驚くことに、天王寺駅を降りて美術館に向かう途中の芝生広場では、何事かと思うほど多くの方々が久しぶりに陽の光を楽しんでいらっしゃいました。まだまだ気の抜けない日々が続きますが、いつまでも家の中に閉じ籠っているわけにもいかないということなんでしょう。
でも美術館に入ると、静かでゆったりとした空間に包まれます。心地よい時間が流れていきます。水彩画とは異なる油絵独特の描き方に見入りながら、時代時代の人と風景を堪能しました。最後の部屋には、ルブランの「ポリニャック侯爵夫人」とヴァトーの「ヴェネチアの宴」が飾られていて、なんと写真撮影もオッケーでした。
お出かけの合間を縫って、庭木の剪定に汗を流した1週間でもありました。といっても背丈にあった庭木だけしかできませんが、それでも結構大変な作業になります。ことしは実付きの悪かったスダチの樹高を半分の1.5メートルほどに切り詰めて無駄な枝を落としました。咲き終わった紫陽花も適度に選定して来期に備えました。そうそうオリーブの枝先に何個か実が付いているのを確認しました。
一方、晴耕雨読の日々は今週も続きました。日々「グレン・グールドの生涯」を読みました。でも、グールドの生い立ちを追いながら、所々に登場する曲、例えばバッハの「ゴルトベルク変奏曲」「パルティータ第5番」、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲2番」などを、LPレコードやCDを取り出しては聴き入ります。DVDを取り出しては当時のグールドの姿を追います。....こんな読み方をしていると、なかなか先に進めません。ただいま200頁/500頁。これぞ正しく「スロー・リーディング」ということなんでしょうか。たっぷりある時間を楽しんでいます。
そんななか、きのう午後、お散歩の序に近所の本屋さんを覗いて見つけたものがあります。発売されたばかりの「芸術新潮」7月号です。今号の特集は「謎解き 鳥獣戯画」です。鳥獣戯画については何年か前、京都国立博物館で実物にお目にかかったことがあります。平安時代に、こんなに楽しいタッチで動物や人物が戯画的に描かれていること、その心が今も活き活きと伝わってくることに驚いたものでした。
さてさて、きょうは延び延びになっていた宝塚の荒神さんにお参りに行ってきます。ついでに最近の梅田界隈も散策して来ることにいたしましょう。
ここ数日、梅雨らしいお天気が続いていて、我が家の紫陽花たちも嬉しそうです。4種類の紫陽花を植えていますが、どれも家内のお花教室の残り物を挿木したものばかりです。1年目は養生するのみ、2年目でやっと開花します。今も1株は養生中で来年に期待が膨らみます。
ネットで紫陽花の花言葉を調べてみました。ピンク色の紫陽花は「元気な女性」「強い愛情」、青色の紫陽花は「辛抱強い愛情」「冷淡」「無情」、白色の紫陽花は「寛容」「ひたむきな愛情」と、花の色によって微妙に異なります。赤、青、白....。揺れ動く人の心の在り様を表しているようでもあります。
この時期になるとブルーベリーが食べ頃です。なので、毎日小鳥たちと競い合っています。うっかりしていると熟れた実がすっかり食べ尽くされてしまいます。今朝は僅かながら収穫できましたが、小鳥たちもだんだん賢くなってきています(笑)。
こんな梅雨の季節は、晴耕雨読の毎日でもあります。いま読んでいるのは、オットー・フリードリック著「グレン・グールドの生涯」(宮澤淳一訳)です。以前、阪急古書のまちの梁山泊さんで手に入れた500頁あまりの大作ですが、雨の降る昼下がりにバッハのゴルトベルク変奏曲を聴きながら眺めています。
この本の一節に、グールドが遺した品々が、現在、オタワにあるカナダ国立図書館に保管されていると記されています。オタワと言えば、3年前の秋、紅葉のローレンシャン高原からモントリオールに向かう途中に立ち寄った街です。カナダ歴史博物館を覗いた道中に、バスの車窓からカナダ国立図書館が見えました。いま思うと、とんだニアミスだったことになります。(写真は議事堂の一画)
横田庄一郎著「「草枕」変奏曲~夏目漱石とグレン・グールド」に触発されて、最近は就寝前に「草枕」を拾い読みをしています。と言っても漱石の漢文混じり格調高い文章は苦手です。そこで手にしたのがアラン・ターニー訳「The Three-Cornered Word」(英訳「草枕」)でした。さらりと読み通すほどの英語力は持ち合わせていませんが、グールドがどういう思いで「草枕」を愛読したのか。子どものような好奇心が沸いてきます。
それはそうと、不要不急といわれた癌の精密検査の結果、大きく育った数個のポリープを取ることになりました。7月の中旬に2泊3日の入院手術です。この歳になるまで入院や手術というものを経験したことがない私です。
ならばと、延び延びになっていた「歩き遍路」に、入院前の7月初旬に出かけようと思い立ちました。都道府県を跨いだ外出規制が緩和されたばかりの頃、嬉々として遍路宿に電話を入れると、女将さん曰く「コロナの関係で宿泊の予約は受けていません」「お寺は開いていますが、お遍路さんは未だほとんど見かけません」と。少し早過ぎたようです。もう少し辛抱することにしました(笑)。
梅雨の中休みの今日は、天王寺にある大阪市立美術館で開催中の「フランス絵画の精華」展に出かけてきます。コロナの関係で会期が延期されていましたし、予定していたフランス文学講座も10月に延期になりましたので、ひと足早く異国の文化と空気に戯れて来ようと思います。
大阪も梅雨入りとなり、ここ数日、雨が降ったり止んだり。今朝は傘を差しながら近くのお不動さんまでお散歩をしました。1日1万歩を目標としているため、雨が降っても出かけます。しっとり濡れた砂利道を歩くのも気持ちの良いものです。
ところで、我が家の息子たち(長女の旦那を含めて)はSEを生業としているため、この時期は3人ともテレワークです。家の一室に閉じ籠っての毎日のようで、次男君のように赤ちゃんが育つ時期を身近で成長を見られたのは案外良かったのかもしれません。一方で、小中学生の孫たちはオンライン授業とたくさんの宿題、塾の宿題もあったりで、なかなか大変そうです。合唱クラブに入っている長男君の長女などは、当分練習ができないと嘆いていました。
そんなある日、名古屋に単身赴任中の長男君が急に帰ってくると言うので、久しぶりに京都にお迎えにあがりました。少し息抜きがしたかったご様子です。....この週末は、妻子お待ちかねの自宅に帰っているはずです。
私たちも久しぶりの上洛だったので、この日はバスの1日乗車券(600円)を購入して、京都駅を起点に観光客の少ない京の街を散策しました。まずは菩提寺の総本山・知恩院に向かい落成間もない御影堂にお参りをしました。
次に向かったのは洛北にある府立植物園でした。子供たちが小さい頃はお弁当を持って出かけた植物園です。この時季はバラが終わり、紫陽花そして菖蒲を楽しむことができます。いろいろ近況報告をしながら、だだっ広い園内を散策しました。
植物園からの帰り道、学生時代の下宿屋が近くにあった下鴨神社で途中下車しました。糺の森の中に佇む世界遺産です。毎年、夏には大規模な古本祭が開催されるのですが、今年はコロナの関係で各地の古本祭が軒並み中止になっています。こちらは今のところ開催予定だとか。
下鴨神社前のバス停近くにある「加茂みたらし茶屋」でひと休みしたあと、四条河原町へと歩を進めました。何カ月ぶりかでビアレストランで喉を潤して帰りました(笑)。
家に帰る頃、次男君からメールが届きました。孫娘も7カ月目に入ろうかという時期で離乳食も始まっています。そんな成長を見て考えたのでしょう。家を探しているのだと。家の購入は一生の買い物です。幾ばくかの支援は惜しまないけれども、慎重に、しかし強かに進めるようアドバイスをしておきました。
翌日には近所にいる娘もやってきました。聞けば小学2年になる孫次男君、お遊び半分でピアノを習い始めて3年が経ちます。ご本人は音楽家になろうなんて大それたことは全く考えていませんが、頼むと歌を歌うように電子ピアノを弾いてくれます。そんな孫次男君、我が家にある娘のピアノがほしいと言っているのだとか。
ずいぶん放置したままでしたので、楽器店の方に診てもらいました。ご主人と調律師の資格をとったばかりの息子さんがやって来て、ピアノを分解しての診断です。その結果、少し手を加えれば十分使えるとのこと。そんな次第で数日後、ピアノを引き取りに来てもらいました。
ところが、ピアノを送り出したあと、部屋の中がどうも落ち着きません。これまで在ったものが無いからです。思い切って家具を再配置することにしました。中にあるものをいったん外に出し、移動したあと元通りに入れ直す。移動するのも重労働、結構きつい仕事でした。
入れ直す作業中、断捨離が始まります。思い切って整理しました。なんと、小さな引き出しから私の現役時代の毎月の給与明細書がたくさん出てきました。家内が後生大事に保管していたようです。30年分ぐらいはあったように思いますが、後半は年俸制でした。もう要りません。
そんなこんなで今週は、身近なところでいろいろありました。コロナ感染も一時に比べれば落ち着きを取り戻しつつあります。今朝もお散歩中にバスをみかけましたが、結構混んでいて大丈夫かなあと心配にもなりました。ただ、ここ大阪は最近、感染者ゼロが続いています。右往左往しながらも徐々に平常に戻っていくのでしょう。と、楽観していますが、どうなんでしょうね。お隣の韓国のように第二波が来ないことを願うばかりです。
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
誰でも知っている夏目漱石の「草枕」のフレーズです。何年前だったでしょうか。新聞広告で見つけた横田庄一郎著「「草枕」変奏曲~夏目漱石とグレン・グールド」(朔北社)に出会いました。天才的なピアニストと言われ脚光を浴びたグールドが、31歳の若さでコンサートの舞台から遠ざかり、レコーディングやラジオ番組制作に傾倒していった不思議な生き仕方に以前から関心を抱いていた私にとって、グールドの愛読書のひとつが「草枕」だったことに驚きました。梅雨も間近い昼下がり、長椅子に身体を委ねてグールドが奏でるバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を聴きながら再読しました。
ひと口に「ゴルトベルク変奏曲」と言ってもいろいろあります。グールドがデビューの発端になったニューヨーク・コロンビア30丁目スタジオでの1955年録音盤、ヨーロッパ演奏旅行のときザルツブルクで録音した1959年録音盤、再びニューヨークのスタジオで録音した1981年盤があります。ちなみに、今夏開催されるザルツブルク音楽祭は100周年を迎えるそうです。そのための旅行企画もあるようです。今夏は無理でも一度は出かけてみたいものです。
その翌年1982年の秋、グールドは脳卒中で亡くなりました。50歳でした。ピアニストとしてデビューした時、そして亡くなる間際。グールドは同じ「ゴルトベルク変奏曲」を2回録音しました。その2曲を聴き比べると曲想が全く異なります。この違いはいったい何だろう。グールドの心の変遷が伝わってきます。
繊細でありながら奇人変人とも言われたグールドの人となりを、文字と音から迫る。こんな時間を楽しめるのも、コロナ禍のお蔭かもしれません。いやいやシニアの特権かもしれません。.....次に取り出したのはDVD「グレン・グールド~天才ピアニストの愛と孤独」でした。グールドの50年の歩みを2時間余りの映像で振り返ります。
この日は、文字と音と映像を通じて立体的にグールドに対峙したことになります。謎めいた心の在り様、一貫して自分らしさを追い続けたグールドの生き様、その純粋さ。何かに縛られることを嫌い、ある時期は既婚者とその子らと一緒に暮らしたこともあったけれども、生涯結婚という選択肢を選ばなかったグールドでした。
そんなグールドの枕元には後年「草枕」がありました。見知らぬ東洋文化への憧れではなく、まさに生き仕方のバイブルとして「草枕」はあったんだろうと思います。そんなグールドの生き仕方と私自身の70年にもなろうとする人生を振り返ってみる。重なりあうところがある一方で、私には理解不能な世界もある。でも、音楽と通じてグールドの純粋性はしっかりと受け止めることができます。
先日、近所の本屋さんを覗きました。文庫本コーナーの一画で目にとまったのは平野啓一郎著「本の読み方~スロー・リーディングの実践」(PHP文庫)でした。量の読書から質の読書へとあります。
考えてみると、私もこれまで何かに急かされるように本を貪り読んできたような気がします。それが我が人生にどう活かされているかと言えば心もとない。思考の幅は広がったかもしれませんが、一冊一冊の本から得たものは意外と朧気です。
「ポスト・コロナ時代」と言われる昨今。「そんなに急いでどこに行く」。「スローライフ」「スローリーディング」。気長に楽しく時間を大事に過ごしたいと思っています。
きょうはこれから久しぶりに京都に出かけてきます。ということで、出かける前のひと仕事、ブログを更新しておきました。