それにしても、ヒグラシのなんともの悲しい鳴き声でしょう。哀調を帯びた声でカナカナと鳴きます。小さい頃から、この季節になると、近くの山から聞こえてくるヒグラシの声は、楽しかった夏の終わりを告げる、そんな思い出があります。夏の暑さに疲れた川面に赤く染まった夕日が映ってみえる、そんな夕暮れどきの場面が浮んできます。人生のなんたるかに思いをめぐらす、なんとも御ませな子供を思いますが、こうしたもの悲しい思いが、今もわたしの「こころ」の奥底には流れています。
一昨日、仕事の関係で京都に行きました。百万遍界隈の大学で開かれた会合に顔を出したあと、なぜか鴨川河畔に出て、そこから独り歩いて河原町に向かいました。暑かったけれど、なにか昔の頃を思い出して、ときどきベンチに座ったり、木陰に入ったり、余りの暑さに絶えかねて喫茶店に寄り道したり。無意識のうちに35年も前の風景を捜し求めているようでもありました。
御池あたりで方向を西に変えました。市役所の前を通り過ぎると、小さな古いビルがあります。入り口はなんとも味気ない、というよりも不気味な雰囲気を漂わせたビル。薄暗い入り口を奥の方に入っていくと、これまた薄暗い階段がある。3階に登ると、これまた薄暗い部屋があります。ドアを開けると、無造作に並べられた中古レコードの山。ジャズが多いけれど、一画にはちゃんとクラシックのコーナーもある。わたしより少し年配のおじさんが積み上げられたダンボールの横のレジにいる。先客が2人。一人は若い学生さん、もう一人は年配のレコードファンと思しき紳士。静かに時間が過ぎていきます。
ふと思いました。ヒグラシのもの悲しさと中古レコード、なにか似ているところがあると。案外、わたしの人生にも通じるところがあるのかもしれません。今回は、シベリウス没後50年にちなんで、シベリウスのレコードを10数枚ゲットして帰りました。きのう1日をかけて陰干しをしたり、レコード盤の汚れを落としたり。きょうは朝から1枚づつ聴きながらブログ更新をしています。
ところで、今週末から来週前半にかけて中国北京に出張します。次の週の週末は福岡にお出かけです。そんなわけで次回更新は不定期になります。