晴れ間が見えるのに雨が降ったりやんだりと何となく嫌な季節ですが、きょうも先週に続いて、まずはプッチーニの「蝶々夫人」の話題から。
先週訪ねた長崎市のグラバー園にある旧リンガー邸には、もうひとりのオペラ歌手、喜波貞子展「時空を越えて蘇った蝶々夫人」が常設されていました。
日本に生まれ、日本に育ちながら、日本ではあまり知られていないオペラ歌手、喜波貞子は、17歳で単身ミラノに行き、大正11年に「蝶々夫人」でデビューして以来、昭和28年に引退するまでヨーロッパの舞台で活躍したプリマドンナでした。今回もYouTubeからSPレコードの音源(美しき天然<唱歌>)を探し出しました。
ところで、話題はがらりと変わりますが、先週、東京にいる長男君から電話があって、三人目の孫が出来そうだと。奥さんの悪阻がひどいので手伝いに来てほしいという悲鳴でした。さっそく、家内が立ち上がりました。そのため、先週は久しぶりに独身生活を謳歌しましたが、週末に無事帰阪したその夜遅く帰宅すると、なにやら台所でごそごそ。みると、梅干しつくりの準備をしていました。なかなかお忙しいお方ではあります。
そして、この土日には、長女の孫君たちがお泊りにやってきました。二人ともじっとしておれない世代です。初老の夫婦のテンポとなんとなく違います。私の部屋にやってきては、すべてが物珍しそうで、あれやこれやと引っ張り出しては興味津々のご様子でした。マンション住まいのためか、階段が珍しそうで、孫次男君は上がったり降りたり。まだまだ足元がしっかりしているわけではないので、ひやひやしながら見つめるお祖父さんでありました。
雨上がりの畑に出ては、キュウリ、ナス、トマト、大葉の収穫を楽しみました。小学1年生の長男君は、既に夏休みの計画を立案中。そんな季節になりました。琵琶湖でキャンプがしたい。海釣り公園に行きたい。自然との対話を考えている様子でした。うまく日程があえば、どこかに連れて行ってあげましょう。
と、ここまではいつもどおりのブログ更新ですが、実は、孫君たちを無事送り出した直後、東京の甥から電話がありました。姉急逝の知らせでした。ブログ更新作業を中断し、すべての段取りをすませると、この時間になっていました。
父の命日を過ぎたばかりのこの時期に、私の姉が亡くなりました。明治生まれの両親の末っ子に生まれた私にとっては、普通の母親に近しい年齢でもあったのでしょう。小さい頃は姉のことを「お母さん」と呼んでいた時期があったと、姉はよく話していました。幼稚園の送り迎えも、よく姉がしてくれたとか。もう少しで80歳にも手が届こうかという歳でありながら、スイミングに通い、仲間とボランティア活動に勤しむ、そんな姉でした。その姉が、両親の元に旅立って行きました。