年末年始休暇に入りました。さっそく家中の窓拭きと庭掃除、そして私の部屋の掃除です。普段使わない筋肉を使ったためか、今朝起きると、身体の節々が悲鳴を上げています。恒例の本の整理、今年は段ボール1個を古書店に直送しました。昨年ずいぶん整理したので、仕事関係の本はほぼなくなり、気がついてみると、私の本棚には、ある種のテーマが見えてきたような気がしています。
さて、先週月曜日の祝日は、大阪城の近くにある大槻能楽堂で、生まれて初めて「能」を観ました。曲目は「橋辨慶(はしべんけい)」「杜若(かきつばた)」「雷電(らいでん)」。その合間に、狂言「清水」と仕舞がありました。
能舞台の正面2列目の席に座りました。午後2時30分に始まり、休憩時間もなくぶっ続けの3時間半。曲の間に出たり入ったりする客もちらほら。和服姿の方も散見されましたが、裃を着るのではなく気軽に能を楽しんでいらっしゃる、そんな雰囲気が気に入りました。
一曲目の「橋辨慶」。大鼓、小鼓、笛に謡の絶妙な掛け合い、そして足拍子。日本古来のリズム感というのでしょうか。昔、秋祭りで聞いたことがあるような、そんな懐かしささえ思わせました。そして、足袋を床につけながらゆっくり静かに進む演者の所作。日常とは異なる「時間」が、そこにはありました。舞台の牛若丸と武蔵坊辨慶の立居振舞を追いながら、あまりの心地よさに眠ってしまいそうでした。
二曲目「杜若」。能面を被った「杜若ノ精」が登場すると、能面が醸し出す、まさに幽玄と思しき世界の虜になります。そして三曲目「雷電」では、筑紫大宰府へ左遷された菅丞相こと菅原道真の怨念と、それを鎮めようとする法性坊の法力との掛け合いが見ものです。不思議なことに、じっと能面を見つめていると、目が口が動いているように見える瞬間があります。そんなはずはないのですが、これが能の魅力なんでしょうか。ひとつの場面が終わると、演者は正面左側の「橋かがり」を通って姿を消します。すると、観客席から惜しみない拍手が送られます。
能楽堂のサイトには、「能は演劇です。しかも現在でも演じられている、世界で一番古い舞台芸術なんです。1300年代にできたミュージカル。そうです、室町ミュージカルなのです」とあります。歌と踊りと音楽、そして物語。「能は難しいけど、単純な物語、そして奥はとっても深いのです」と。何気なく使った幽玄という言葉。広辞苑には、「能楽論で、強さ・硬さなどに対して、優雅で柔和典麗な美しさ。美女・美少年などに自然に備わっている幽玄も、卑賤な人物や鬼などを演じてさえ備わる高い幽玄もある」とありました。
なんだか病みつきになりそうです。お隣の席の老夫婦はお正月にもお越しになるのだとか。ネットで調べてみると1月の公演のチケットはほぼ完売状態でした。根強い人気があるようです。昨夜は、本棚から白洲正子&多田富雄著「花供養」を手にとって眺めました。
2013年という年もあと残すところ僅か。世間の騒々しさとは別に、そろそろ仕事人生の足を洗おうと思っている私にとっては、ある種達観した1年でもあったような気がします。
平田オリザ著「わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か」(講談社現代新書)で明けた2013年を振り返ってみると、生野銀山ウォークツアーは印象深いものがありました。南方熊楠顕彰会に入会したのも今年です。年末に送られてきたニュースレターには、BS朝日『ネイチャードキュメント ボクらの地球』~熊野古道から神々の道へ 知の巨人・南方熊楠の足跡を追って」の1月23日再放送のお知らせが掲載されていました。ブータン王国の国民総幸福度(GNH)、これも今年初めての出会いでした。その関連で京都大学こころの未来研究センターの存在を知ったのも収穫でした。来月にはセミナーを聴講する予定です。「こころ」「心」「心の風景」.....。部屋の掃除を終えて掲げたCanonの2014年カレンダー。テーマは「こころの道」でした。来年も、このブログを通じて拘っていこうと思います。
さて、今日は長男一家がご帰還です。そこに長女一家が加わり、次男君も大晦日にはご帰還の予定とか。久々に総勢11人の大所帯になります。いっぱい美味しいお酒をいただいて、楽しいお正月を迎えることにいたしましょう。
2014年、ブログ「心の風景」も、いよいよ10年目に入ります。初老の私が仕事に疲れ(?)、もう一人の私に話しかけてきただけの戯言にすぎないのに、たいへん多くの方々にお越しいただきました。ありがとうございました。それでは、皆様共々、2014年という年を、清々しい気持ちで迎えたいものです。どうか良いお年をお迎えください。