きのうの夜、仕事帰りにザ・シンフォニーホールであった指揮者・西本智実さんのコンサートに行きました。チェリストのミッシャ・マイスキー、ラトビア国立交響楽団とのジョイントです。お目当ては、もちろんドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調、マイスキーの素敵な演奏を楽しみました。
ステージ側の席を予約していました。オーケストラを斜め後方から眺める位置で、目の前には打楽器の3人の奏者がいます。改めてオーケストラに占める打楽器の役割を思いました。ティンパニーは結構出番があるのですが、大太鼓やシンバルは3楽章のうちのほんの一瞬です。それでも、7種類のバチを使い分けて演奏にメリハリをつける。その緊張感。楽器のひとつひとつに大きな役割があることを思いました。
指揮する西本さんとは後方斜めから向き合う場所でしたから、演奏のときは、西本さんの指揮を眺めていました。オーケストラのなかでの指揮者の存在、機能....。実は、きのうは夕刻まで経営品質のお勉強会に顔を出していました。そこで何度となく「会社の理念は?」「目的は?」「ゴールは?」という問いかけを強いられていました。隘路に迷い込んだとき必ず振り返るべきこと。右往左往しながら大きな方向性は見失わないこと.....。演奏の最中に、ふと昼間のことが浮かんでは消えていきました。オーケストラという人の集団を組織行動と重ね合わせて眺めていました。遠大な交響曲で一回しか出番のなかった若き打楽器奏者、しかし出番が近づくと全身を使ってドン!と1回だけ太鼓を叩く。その1回の太鼓の音が、曲全体に緊張感を与える。同様に、楽器のひとつひとつを眺めていると、楽器の持ち味を存分に発揮している。そうして交響曲というひとつの世界を形成している。どんな立派な指揮者がいても、どんなに独りで頑張っても、できるものではない。考えさせられました。
曲の方は他に、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第一幕への前奏曲、チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調「悲愴」、最後はショスタコーヴィッチの交響曲第5番ニ短調。それにアンコールで2曲。日常のもやもや感、イライラ感を忘れさせる時空間でありました。淀んだ脳味噌に快い刺激を与えてくれた演奏会でした。
さて、きょうは午後、数か月かけて地域、行政、商店街などと共催で準備してきたシンポジウムがあります。400名の中ホールが満席になることを祈っておきましょう。