夏、夏、夏。夏真っ盛りです。熱帯夜から解放され、いくらか空気が肌にやさしく感じる朝、蝉の大合唱で目覚める、そんな贅沢な時間を過ごしています。でも、これもわずかな時間です。日中の暑さを思わせるように、温度計は徐々に上昇のピッチを上げています。
夏の風景で、昔と異なるのは何か。それは遊びに興じる子供たちの声ではないでしょうか。大きな声で友を呼び合う声を、最近とんと聞かなくなりました。先日、職場に出勤すると、暑い夏にもかかわらず、一棟の改造工事が進んでいました。すると、蝉時雨の中で、どこからともなくラジオ体操の音楽が聞こえてきます。そう、作業前の準備体操です。額に流れる汗を感じながら、なんとなく古き良き時代の夏の朝を思い出しました。
きょうは、セヴラック・ピアノ作品集「ひまわりの海」を舘野泉さんの演奏で聞きながらブログを更新しています。この曲、1枚目のCDは「大地の歌(七部からなる農事詩)」から始まります。序曲:大地の魂、耕作、種蒔き、間奏曲:夜のおとぎ話、雹、刈り入れ時、エピローグ:婚礼の日、と続きます。次は「ランドグッド地方にて」。祭りの日の畑屋敷をさして、沼で夕べに、牧場における乗馬、春の墓地のひと隅、農家の市の日。...南仏の丘に広がるひまわり畑の写真を眺めながら、まだ見ぬ世界を彷徨います。これだけで、心の中に涼しさを感じるのですから、私も単純なものです。
先週は、日曜日から水曜日まで広島にいました。もめごとの処理や、知恵の結集への取り組みやら、.......。そうそう、50名ほどの方々と意見交換会を催したときのこと、話の成り行きですが、なんと先週ご紹介した「生きている」と「生きる」のことをご紹介することになってしまいました。何かしら利害が交差して、物事を難しくしていることが、最近よく目につきます。でも、冷静になって考えてみれば、事を難しくしているのは、隘路から抜け出すことができずイライラしている私たち一人ひとりかもしれません。いったん、子供の頃に戻って、穢れのない、もっと純真な心でものごとを見つめれば、なにかしら新しい展開がみえてくるかも。さあて、暑い暑い夏。もうひとふんばりしますか。ここにきて、8月の状況がやっと見えてきましたので、62歳を迎える今夏は家内と北海道は礼文島界隈を旅してみる予定です。
そうそう、きのうの土曜日は、朝、長女が孫君とその弟君と連れてやってきました。弟君は生まれて初めて我が家を訪れました。もう3カ月です。首もほぼ座ったようで、体重も生まれたときの三倍になりました。歩くことができるまでには、まだ10カ月ぐらいはかかるのでしょうか。動物と違ってヒトの赤ちゃんは成長がゆったりしています。その分、親と子とは強い絆で結ばれていますが、昨今の三面記事をみているとあまりにも人間関係が希薄なのが気になっています。人と人の関係性が無機質に見えていけません。どうして、こんな世の中になったのでしょうか。
今年は古事記が編纂されて1300年と言われます。八百万の神を敬う私たちの先人の心をもう一度垣間見てみることも大事なのかもしれません。共通の価値観が薄れつつある時代環境のなかで、農耕民族としての誇りを失った私たち、ヒトとヒトをつなぐ契約概念が元々弱いお国柄ですから、ネット社会に埋没して究極の個人主義に陥ってしまう落し穴が見え隠れします。どうなんでしょうか。
きのうは、孫君たちと近所のレストランで昼食をいただいたあと、広島に向かいました。夕刻、広島駅に到着すると、なんと大変な人だかりです。マツダスタジアムで行われていたプロ野球が終わった時間、それに加えてこの日は「広島みなと夢花火大会」が催されるらしく、市電を待つ浴衣姿のお客さんが長蛇の列、というわけです。人の波に押し流されないように目的地に到着すると、帰りは大混雑を察して事前にタクシーを予約、なんとか最終の新幹線に間に合いました。
夏の風景で、昔と異なるのは何か。それは遊びに興じる子供たちの声ではないでしょうか。大きな声で友を呼び合う声を、最近とんと聞かなくなりました。先日、職場に出勤すると、暑い夏にもかかわらず、一棟の改造工事が進んでいました。すると、蝉時雨の中で、どこからともなくラジオ体操の音楽が聞こえてきます。そう、作業前の準備体操です。額に流れる汗を感じながら、なんとなく古き良き時代の夏の朝を思い出しました。
きょうは、セヴラック・ピアノ作品集「ひまわりの海」を舘野泉さんの演奏で聞きながらブログを更新しています。この曲、1枚目のCDは「大地の歌(七部からなる農事詩)」から始まります。序曲:大地の魂、耕作、種蒔き、間奏曲:夜のおとぎ話、雹、刈り入れ時、エピローグ:婚礼の日、と続きます。次は「ランドグッド地方にて」。祭りの日の畑屋敷をさして、沼で夕べに、牧場における乗馬、春の墓地のひと隅、農家の市の日。...南仏の丘に広がるひまわり畑の写真を眺めながら、まだ見ぬ世界を彷徨います。これだけで、心の中に涼しさを感じるのですから、私も単純なものです。
先週は、日曜日から水曜日まで広島にいました。もめごとの処理や、知恵の結集への取り組みやら、.......。そうそう、50名ほどの方々と意見交換会を催したときのこと、話の成り行きですが、なんと先週ご紹介した「生きている」と「生きる」のことをご紹介することになってしまいました。何かしら利害が交差して、物事を難しくしていることが、最近よく目につきます。でも、冷静になって考えてみれば、事を難しくしているのは、隘路から抜け出すことができずイライラしている私たち一人ひとりかもしれません。いったん、子供の頃に戻って、穢れのない、もっと純真な心でものごとを見つめれば、なにかしら新しい展開がみえてくるかも。さあて、暑い暑い夏。もうひとふんばりしますか。ここにきて、8月の状況がやっと見えてきましたので、62歳を迎える今夏は家内と北海道は礼文島界隈を旅してみる予定です。
そうそう、きのうの土曜日は、朝、長女が孫君とその弟君と連れてやってきました。弟君は生まれて初めて我が家を訪れました。もう3カ月です。首もほぼ座ったようで、体重も生まれたときの三倍になりました。歩くことができるまでには、まだ10カ月ぐらいはかかるのでしょうか。動物と違ってヒトの赤ちゃんは成長がゆったりしています。その分、親と子とは強い絆で結ばれていますが、昨今の三面記事をみているとあまりにも人間関係が希薄なのが気になっています。人と人の関係性が無機質に見えていけません。どうして、こんな世の中になったのでしょうか。
今年は古事記が編纂されて1300年と言われます。八百万の神を敬う私たちの先人の心をもう一度垣間見てみることも大事なのかもしれません。共通の価値観が薄れつつある時代環境のなかで、農耕民族としての誇りを失った私たち、ヒトとヒトをつなぐ契約概念が元々弱いお国柄ですから、ネット社会に埋没して究極の個人主義に陥ってしまう落し穴が見え隠れします。どうなんでしょうか。
きのうは、孫君たちと近所のレストランで昼食をいただいたあと、広島に向かいました。夕刻、広島駅に到着すると、なんと大変な人だかりです。マツダスタジアムで行われていたプロ野球が終わった時間、それに加えてこの日は「広島みなと夢花火大会」が催されるらしく、市電を待つ浴衣姿のお客さんが長蛇の列、というわけです。人の波に押し流されないように目的地に到着すると、帰りは大混雑を察して事前にタクシーを予約、なんとか最終の新幹線に間に合いました。