心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

知的体育会系

2005-06-26 18:41:52 | Weblog
 昨夜、女子バレーの国際試合をテレビで見ていて感心したことがあります。それは選手一人ひとりの顔に見えた「真剣さ」「直向さ」そして「緊張感」でした。スポーツと言えば、高校野球も、そろそろ地区予選が始まります。暑い夏を象徴するスポーツです。
 最近は、大人も子供も「キレル」症候群に陥っています。我慢ができない。踏ん張ることができない。耐えることができない人が余りにも多い。心地よい緊張感に身をおくことができない。だからすぐにキレル。その点、スポーツは心身を鍛えるに最適です。
 私自身はスポーツとは縁遠い生き方をしているので偉そうなことは言えませんが、以前、著名な経営学の先生にお会いしたとき、「知的体育会系」という言葉をいただきました。「知力を鍛えろ」というわけです。厳しい競争環境下で心地よい緊張感と向き合う。これはスポーツに似ています。「真剣さ」「直向さ」そして「緊張感」。ひ弱になった現代人に求められる資質なのでしょう。バレー選手の表情を眺めながら、久しぶりに思い出しました。
 今年も暑い夏の予感がします。水不足の予感がします。しかし、それに屈することなく、全身に感じる「熱い思い」を大事にしたいと思います。
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メタモルフォーゼ(変態)

2005-06-19 11:26:56 | Weblog
 私は日頃、そんぴんさん作「超仕事人」というテキストエディタを愛用しています。テキスト文書に特化した手軽さが気にいっています。もうかれこれ10年来のお付き合いです。でも最近は、長たらしい文章よりもひと目で理解できる「図」を多用する機会が増えました。以前から使ってみたかった「インスピレーション」なるソフトを購入しようと、昨日仕事帰りにパソコンショップを散策していたところ、「Business Writer」と「図解マスター」というソフトを見つけました。「インスピレーション」の方は今後のバージョンアップがないとのことなので断念しました。というわけで、昨夜は、夜遅くまで、新作ソフトで遊んでいました。
 そのためでしょう。今朝はふだんよりも少し遅い目のお目覚めでした。梅雨なのに雨の少ない庭をぼんやりと眺めていたら、蝶が孵化を終え今にも羽ばたこうとしている瞬間に出会いました。浮かんだ言葉が「メタモルフォーゼ(変態)」でした。昆虫が卵から孵化した後、成体になるまでに、時期により異なる形態をとることと、ものの本には書かれています。イノベーションに類するメタファとして時々登場しますが、こんなに小さな身体なのに、エネルギッシュな変化を自身の力で成し遂げる蝶の姿に、脱帽でした。人間さまの自己革新のなんと難しいことか。
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月桂樹酒

2005-06-11 09:09:10 | Weblog
きょうは朝から雨が降っています。久しぶりの雨に、庭の紫陽花も嬉しそうです。ブルーべりーも気づかないうちに大きく育ち、実が色づき始めました。そろそろ梅雨の季節です。

今朝は、ローズマリー酒と月桂樹酒を仕込みました。先週、材料を刈り取って少し乾燥させておきました。2カ月もすれば、立派な「お酒」ができあがります。独特の香が大好きで、毎年、夏バテ防止に役立っています。月桂樹の香を楽しみながら、アンドレア・ボチェッリの歌を楽しむ。私にとっては至福の時です。

さぁ、きょうは午後からお出かけです。月曜日までお休みですから、今週はたいへんでした。来週火曜日も朝から夕刻まで会議の予定がびっしりです。その合間を利用した帰省です。時間の流れの違いが大きすぎるから、なんだか不安。ポケットにPM3プレイヤーを入れて新幹線に飛び乗りましょう。
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ラジオ深夜便的「風景」

2005-06-05 12:48:30 | Weblog
 今朝はウグイスのさえずりで目を覚ましました。ずいぶん遅いお出ましでした。例年だと4月初旬には確認できたのですが、湖北の山小屋でも出会えず、なんだか変だなぁと思っていたのです。でも1週間ほど前、珍しくホトトギスの声を聞いたので、少しは期待をしていました。ご存知の方も多いと思いますが、ホトトギスは自分では子育てをしません。托卵相手はウグイスなのです。我が家の周辺は、すいぶん昔、里山であったところが造成された住宅街です。ところどころに点在する小さな林には、今もこうした野鳥たちが頑張って生息しています。
 ところで先日、東京に日帰り出張しました。朝早く新大阪駅を出発、昼前には東京につきます。都内で1件、2件の用事を済まして、夕刻、帰途につきます。車窓に流れる風景を追いながら、ふと思いました。行きも同じ風景を眺めていたはずなのに、印象が全く違います。というよりも、行きは風景を眺めていたのではなく、走馬灯のように流れる風景をただ漫然と眺めていただけで、実際は仕事に神経を集中させていた私の姿を思いました。これに対して帰途は、車窓に映る風景を自ら追い求めるような主体的な心の動きを感じました。青葉に覆われた山々、淡い緑の田園風景、人の姿...。このラジオ深夜便的な風景に、古き良き時代の原風景を重ね合わせている自分に気づいたものです。
 来週の日曜日、両親の法事のために田舎に帰省します。数年ぶりとなるお墓参りに、心のゆらぎが見え隠れします。

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