暑かった8月もあと2日。旧暦では第四十一候処暑次候「天地始粛(てんちはじめてさむし)」。ようやく暑さが鎮まる意味だそうです。今年たくさん収穫できた酢橘(すだち)の実も、残りあとわずかです。薄くスライスして冷え冷えのお酒に浮かべて今夏の暑さを凌ぎました。
私の夏バテ対策のもうひとつはハーブティーでした。ことしは暑かったからなのかハーブの香りが強い感じがします。ドライ・ハーブを3種仕込みました。ミント、タイム、ローズマリーです。毎夜、紅茶の中にひとつまみ入れて楽しみます。今年はあと、セージ、レモンバーム、ラベンダーなども予定しています。
ところで、お盆明けからお隣が騒々しいのです。独り暮らしのお婆さんがお亡くなりになって何年経ったのでしょう。その後、空き家になっていましたが、いよいよ解体工事が始まりました。立派な鉄筋コンクリート造りの大きなお家ですから、買い手もつかず放置されてきました。広い庭の木々も伸び放題になっていましたが、急に周囲が明るくなりました。
それにしても、これまであった家が姿を消していくのは寂しいものです。かつてお庭から聞こえてきた笑い声も、今はありません。夕刻になると「ミーちゃん」と愛猫を呼んでいらっしゃったお婆さんの透き通った声を思い出します。
そうそう、23日の日曜日は、家内の両親の墓参りをしたあと、奈良に向かいました。お目当ては、奈良国立博物館開館120年記念特別展「白鳳~花ひらく仏教美術」でした。645年の乙巳の変(大化の改新)から710年の平城京遷都までの間を「白鳳時代」といい、その時代の仏像を中心とする仏教美術がたくさん展示してありました。これまで仏さまとしての仏像を遠くから拝むことはありましたが、今回は、一体一体の仏像を、まじかに、「芸術作品」として鑑賞したことになります。
ちょうどいま、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んでいて、時代背景がほぼ同じ頃なので、興味深く立体的に理解できたように思います。仏像をひとつの作品として観ると、作者の心が伝わってくるような気がいたします。
それにしても、千数百年前の文書が今も大切に保管されていることに驚きます。昨年、鳥獣戯画展を観た時もそうでした。すべてがデジタル化され、筆を使うことがなくなりつつある今日、文字というものがカタチとしてしか存在し得なくなってはいないか。そしてデジタルは一瞬のうちにカタチを消してしまうことだってある。文字と文字をつなぎ、心を紡いでいかなければ、数千年の歴史の中で「現代」だけが消滅してしまいはしないか。考えすぎなんでしょうけれども、そんなことを考えてしまいました。
そんな夏の締めくくりは、子ども工作実験教室でした。大阪の工業系大学がこの時期に開催する行事に、きょう、孫君を連れて行きました。優しそうな学生さんたちのお世話で、いろいろなモノを作ったり、電気自動車に乗ったり。終始満足気で、「将来、ぜったいに工学部に行きたい」と、両親に似て理系に進む気持ちが強まったようです。彼が大学に行く頃には、ひょっとしたらお爺さんは居なくなっているかもしれないよ、と言うと、そんな馬鹿な、と一蹴されてしまいました。
土曜日の夜中にだらだらと綴ってきたブログ。この辺で筆をおきましょう。実は今夜は、これからEテレの番組「マルタ・アルゲリッチ&広島交響楽団 被爆70年・平和への祈り」をご鑑賞兼録画撮りであります。予告では「生命力と愛に満ちたベートーベンの協奏曲を演奏する。あわせてアルゲリッチの娘アニー・デュトワと作家・平野啓一郎が、広島出身の詩人・原民喜の原爆詩などを朗読する」と。レコード、CDとたくさんの作品を聴いているのにアルゲリッチの動画は1枚のDVDだけでした。私にとっては夏休み(?)最後のお楽しみといったところでしょうか。(笑)
今夏は、連日35度を上回る夏日が続きましたが、お盆が過ぎたころから徐々に気温が下がり始めました。台風の動きも気になりますが、こうして徐々に秋を迎えるのでしょうか。我が家の畑では、夏野菜のほとんどが終わり、唐辛子の赤い実が何やら秋の訪れを告げているように思います。
お盆休みから職場に復帰した今週は、仕事の段取りをしたり、社員の個人的で深刻な相談にのったり、経済団体主催のお勉強会で灘の酒造会社を訪ねたり。酒造業界では、販売量がピーク時の3割に落ち込み、清酒製造免許場数が4割にまで減ったりと厳しい状況が続いているようですが、企業経営に熱き情熱を傾ける若きトップの姿に感心した次第。私も最近お酒よりも焼酎を呑む機会が増えています。今夜はお土産に買って帰ったお酒を美味しくいただきました。
そうそう、65歳の誕生日が過ぎて数日経った頃、市役所から「介護保険被保険者証」なるものが届きました。こんなに元気なのに、年齢だけで判断されるところに違和感がないでもありません。国民に請求権のある年金受給繰り下げ手続きは規則一辺倒の非常に分りにくいものだったのに、介護保険の方は後日保険料の請求書をお送りしますと、なんともシステマティックな事務対応。致し方ないのかなあと思いつつ、65歳という年齢に、ひとつの分岐点を思わせるものでした。
さて、16日の日曜日は、京都・下鴨納涼古本まつりにでかけました。ここ数年、欠かすことなく出かけていますが、糺の森の木陰で古本を眺める楽しさは、どの古本祭よりも心を豊かにさせてくれます。道の両側にたくさんのお店が並び、片方のお店を眺めるのに1時間、往復2時間はかかります。古本まつりの内輪をいただいて、蝉しぐれの中を散策する楽しさ。途中、缶ビールで喉を潤し、次の作戦(?)を練る、子供のような楽しさがあります。
この日は最終日だったため、付け値の半額セールや3冊以上5百円といった廉価本コーナーにたくさんの方々が群がっていました。私が今回手にしたのは、多田富雄著「私のガラクタ美術館」、白洲正子「古典の細道」、新潮古典文学アルバム「今昔物語・宇治拾遺物語」、雑誌「文学」第55巻第12号(特集「小林秀雄」表現と思考の場)など。
いま、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んでいるので、これらの本に目を通すのは少し先になりますが、とりあえず雑誌「文学」(1987年12月号)をパラパラと捲ってみると、小林秀雄をいろいろな識者がいろいろな視点から解説するという意味で楽しい特集記事でした。そのなかに延広真治著「小林秀雄の語り」という一文があります。カセットブックブームの先駆けともいえる「小林秀雄講演集」について、録音嫌いの小林秀雄は「毎日、古今亭志ん生のレコードを聴きながら、内容を考え、当日も宿舎にこもって稽古していた」とか。あの甲高く、べらんめい調の、しかし聴衆の心をひきつけてやまない話術の巧みさの裏に、私たち凡人にはわからない下準備があったことは新しい発見でした。
少し時間があったので、下鴨神社からの帰り路、女性守護・日本第一美麗神「河合神社」に立ち寄りました。なぜ女性にまつわる神社なのかは定かではありませんが、境内では方丈記を著した鴨長明が終の住処とした五畳ほどのお家「方丈」の模型を拝見させていただきました。
この歳になっても、日々の出会いのなかで新鮮な驚きを抱く、古の世界に思いをいたし、自らの姿を見つめ直す。まだまだ知らないことがあまりにも多いことに気づきます。そろそろ、点と点を繋いで全体像を明らかにしていかないと、中途半端のまま人生を終えてしまいそうです。でも、答えなんてないのでしょうよ。きっと。
おととい、孫君を連れて近所の公園に行きました。彼らがボール遊びをしているのを日陰のベンチに座って眺めながら、ツクツクボウシの鳴き声を聞いて、ふと思いました。この夏ゼミの鳴き声を、田舎の離れのひんやりした座敷の上でお昼寝をしながら聞いた記憶があります。夏休みの昼下がり、お勉強をしながら聞いたことがあります。お盆に、和尚さんの読経の中で聞いたことがあります。友人と木陰のベンチで聞いたことがあります。何年、何十年経っても夏ゼミの鳴き声は同じです。変わっていくのは私だけ?そんな時空間の中に私が独り佇んでいます。
今夏、65歳になります。世間ではお年寄りの部類に入りそうですが、こういう幼稚なブログを綴っているうちは、そうでもないのでしょう。戦争体験こそないけれども、高度経済成長とともに反発したり同調したりして生きてきた世代です。
この夏は、12日からお盆休みをいただいています。ゴンタ爺さんのお世話があって、今年も遠出は控えました。早朝と夕方のお散歩に時間をかけてお供します。それでもあれやこれやと日頃できないことをしているうちに日にちが経っていきます。まずは、先週に引き続いて、自宅にある残り3台のPCをWindows10にアップグレードしました。1台3時間ほどかかりました。オーディオ専用機として再利用している旧型のミニノートも難なく作業が終わりました。デフォルトの状態でハイレゾ音源(FLAC)再生が可能になったようなので、音質も以前に比べてさらに良くなったように思います。
そしてきのうは、気分転換を兼ねて淡路島に鱧料理を食べに出かけました。その帰りに「あわじ花さじき」に立ち寄りました。北海道の富良野に比べると小さなものですが、それでも夏の花が咲き、遠くで牛が草を食む、そんな長閑な風景を家内と一緒にしばし眺めていました。瀬戸内海の向こうの雲の下には、ぼんやりと大阪の街が霞んで見えます。私の日常の姿を外側から眺めていると、硬直した脳みそが心地よく溶けていくような、そんな気分になりました。
そうそう、お休みの初日12日には、梅田・阪神百貨店恒例の「中古&廃盤レコード・CDセール」に出かけてきました。催事場の一画には、骨董展や古書ノ市もやっていて、シニア世代を中心におおぜいのお客で賑わっていました。レコードの方は、1枚数万円もするレアものから350円の廉価盤まで多種多様。ジャズもあればクラシックやロックなど幅広のジャンルが勢ぞろいでした。その日手にしたのは、内田光子の「モーツアルト/ソナタ第15番、第18番」など数点。1983年10月の録音で、当時ロンドンで活躍していた内田さんは、毎週火曜日にモーツアルト・ソナタを弾いていたといいます。そんな時代の作品です。なるほど、長い演奏生活のなかで徐々に完成度を増していく演奏家の息遣いのようなものを感じました。
この日は、古書ノ市ものぞきました。といっても京都下鴨納涼古本まつりに行く予定なので、こちらはさらっと覗く予定でしたが、ご婦人が手にされていた1冊の本が気になりました。生誕百年記念展「小林秀雄 美を求める心」です。この本、十数年前、全国各地で開催された小林秀雄展に併せて出版されたもので、ご婦人が本棚に戻すのを待って手にしました。小林秀雄が評論の対象とした絵画や骨董などの作品を彼の論評と併せて紹介してあります。世阿弥の能「当麻」について書いた作品に登場する「美しい花がある。花の美しさという様なものはない」という言葉も添えてありました。心に留めたい言葉です。
さて、お気楽な休日もあと僅か。明日の日曜日は、京都下鴨納涼古本まつりを覗いてきましょう。ツクツクボウシが鳴く糺の森で、静かに選書を楽しみます。そして夜は、京都五山の送り火があります。
きょう8月8日は、旧暦で「立秋」というのだそうです。第三十七候立秋初候「涼風至(すずかぜいたる)」。涼しい風が初めて立つ意だとか。でも今年は夏の真っ盛りです。連日35度を超える日々が続き、老若男女、体力の限界に挑戦中です。
そうそう、きょうの朝、電動自転車が届きました。 ブリジストン製アシスタDXです。実はこの自転車、福岡県久留米市に「ふるさと納税」をしたお礼です。数か月前に手続きをしていましたが、近所の自転車屋さんから届きました。子供たちがいなくなって以後、自転車もいつの間にか姿を消していた我が家ですが、ひょんなことから再登場です。それにしても22万円の納税手続きで定価10万円強の電動自転車がいただけるとは驚きでした。ブリジストン久留米工場と一体となった久留米市の地方創生の取り組みです。陰ながら応援することにいたしましょう。
モノに関わる話題をもうひとつ。きのうの夜、自宅のPCをWindows10にグレードアップしました。今回は拡販のため無償提供ですが、インストールを終えて再起動すると、インターネットがつながりません。一瞬、タダほど怖いものはない?という言葉がよぎりましたが、ヘルプ機能で最後にたどり着いたのは、アダプターの再起動でした。午前2時過ぎ、やっとつながりました。バージョンアップするたびに使いにくくなるWindowsです。ほとんど使うことのない機能はユーザーの選択に委ね、もっとシンプルなソフトってできないでしょうかねえ。
さて、前置きが長くなってしまいました。ではモノの世界から心の世界に軸足を移していきましょう。以下は、一週間前に参加した高野山夏季大学に関する話題です。高野山に3日間滞在して見たこと感じたことをアトランダムに綴ってみます。
初日、開校2時間前の午後1時過ぎに高野山に到着すると、さっそく行動開始です。まずは高野山総門「大門」に向かいました。徒歩で15分ほどでしょうか。門の両脇に構える金剛力士像にご対面です。ここは、人の立ち入りを制限する「結界」のお印と言えるところ。女性が入山できたのは明治になってからのことでした。翌朝、私は高野山に入るもうひとつの入口に立つ「女人堂」を見に行きました。長い山道を歩いてここまで登ってきても、女性たちはこのお堂で祈るだけでした。町に入る入口があまりにも立派なのに驚いたものです。
ところで、夏季大学の講師は、桂文枝さん、黒川博行さん、朝原宣治さん、山根基世さん、山極寿一さん、広瀬義仙さん、五百旗頭真さん、司葉子さんです。受講者の大半はシニア世代でした。毎年参加されている方も多数いらっしゃって、会場はさながらNHKの「ラジオ深夜便」的な雰囲気でした。元アンカーの山根基世さんとは初めてのご対面でした。講演だけではなく、金剛流合唱団の公演「曼荼羅の響き」、山内見学、阿字観入門、写経会などが組まれています。 講演以外の時間は、同宿の方と高野山を巡りました。開創1200年記念事業として再建された壇上伽藍の「中門」を皮切りに、根本大塔、金堂、東塔、西塔など。お隣の金剛峯寺や霊宝館、多宝塔なども見て回りました。
2日の自由時間には、単独で奥之院、空海すなわち弘法大使の御廟をめざしました。徒歩で往復1時間半かかりました。樹齢千年以上の杉木立に圧倒されながら、吸い込まれるように御廟橋を渡り、燈籠堂へと向かいました。弘法大使空海が1200年経った今も奥之院に生き続け、人々の幸福を願っているという「入定信仰」の場でもあります。聞けば、今も決まった時間に食事を運ぶ儀式があるのだとか。
燈籠堂で手を合わせていて、ふと思い出しました。義理の母が「お大師さん」という言葉を時々使っていたことを。家内にメールで確認すると、実家の菩提寺がここ高野山であったことを知り、お供えをして手を合わせました。
宗教とは一体なんなのか。空海を一人の哲学者として見つめることはできても、お大師さんとして崇拝の対象として考えることができない私に、もどかしさもあります。高野山大師教会の本堂で行われた阿字観体験(座禅の一種)の時間も、大日如来、宗教というものと向き合っていたように思います。高野山訪問のお土産は、曼荼羅図でした。理を表す「大悲胎蔵曼荼羅」と、智を表す「金剛界曼荼羅」です。
そういえば、高野山夏季大学は今年91回目を数えます。第1回目は1921年(大正10年)、その時の管長(宗務総長)は、なんと南方熊楠と英国で出会い、以後書簡を交わし続けた土宜法龍でした。その後、第一次、第二次世界大戦のとき各2回中止されていますが、それを除いて今日まで続いています。終戦の翌年、1946年(昭和21年)の第22回夏季大学では、田畑忍・同志社大学学長が「憲法と民主主義」と題する講演をしています。非武装、永世中立を説く田畑先生に、私は「政治学」を学びました。さらに年表をめくっていくと、1950年(昭和25年)の第26回夏季大学では、かの小林秀雄さんが演壇に立っています。私が生まれて数日後のことです。
いずれにしても、義理の両親にお祈りができたことの満足感、精進料理をいただいて身体の中に充満していた毒素を流してしまった満足感、そして何よりも聖地としての町の空気に触れることで得られた開放感、清涼感。そのうえで、ふたつの曼荼羅が言わんとする何かを極めたいという強い思いが募ってくるのを実感しました。帰りのバスの時間を待っているとき、町の本屋さんで司馬遼太郎の「空海の風景(上)」中公文庫を手にしました。
7月31日から8月2日までの3日間、和歌山県は高野山にでかけてきました。高い山々に囲まれた標高800メートルほどの盆地にたくさんのお寺が点在する町ですが、都市部とは10度以上の温度差がありました。泊まった宿坊ではクーラーも扇風機もなく、網戸からひんやりとした外気が入ってきて、心地良い眠りを誘う、そんな贅沢な日々を過ごしました。
ところが、大阪に戻ると、何とも言えない熱気が身体を包み込みます。たかだか3時間ほどの空間移動で、こうも環境が変わるものなんでしょうか。家に帰ると、庭の草木もぐったりとしていました。この暑さ、当分続くのだそうです。
高野山夏季大学(毎日新聞・総本山金剛峯寺共催)に出席した3日間ほどの滞在でしたが、その間の食事はすべて精進料理でした。夕食時に缶ビールをいただくほかは、肉や魚にあふれた普段の料理に比べて質素そのものです。でも、置かれている環境というものは恐ろしいものです。特に苦にもならず、相応に満腹感を抱きながら、なんだか身体全体が浄化されたような気分になりました。
高野山の詳細報告は次週に譲るとして、今夜は、久しぶりに家族が勢ぞろいした1週間前のことに少し触れて終わりにします。前回のブログ更新を終えて少し経った頃、長男君から「京都駅に着いた」とのメールが届きました。さっそく最寄の駅までお迎えに上がると、6カ月、4歳、6歳の孫を連れた親子連れがすぐに見つかりました。東京駅から3時間半もすれば着く距離ですから、近いといえば近い距離ですが、3人の子供を連れた移動は、なかなか大変だったんでしょう。でも、子供たちは元気でした。
日曜日には長女一家に次男君たちも合流して総勢13名が勢揃いです。家の中は戦場のような賑やかさで、夏の暑さにもかかわらず、近くの公園に行ってサッカー遊びに興じたり、鉄棒をしたり、シャボン玉遊びをしたりと、次から次へと遊びのメニューが変わります。そのたびに子供たちの歓声が響きます。これにはお爺さんも参りました。ゴンタ爺さんも早々にお家の中に引っ込んでお昼寝を決め込んでいました。
その翌日は、京都の水族館にでかけました。大阪の海遊館に比べると、決して大きくはないのですが、随所に工夫が凝らされいて子供たちも飽きがきません。付き添う大人たちも、比較的涼しい建物の中でほっとひと息です。イルカショーを見た後は、小さな水辺で水遊びでした。お爺さんは3日が限度でしたが、家内はその翌日、みんなを連れてショッピングに出かけたようです。やはり女性は強い。騒々しくも楽しい5日間でした。
と綴りながら、この暑さに身体も悲鳴を上げています。クーラーをがんがん動かしても、まだまだ日中の室温が思うほど下がりません。高野山の爽やかな早朝散歩の際に撮った根本大塔の写真を眺めながら、今夜はこの辺でおしまいにしておきます。