心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

長期休暇が明けて

2013-08-24 23:26:43 | 愛犬ゴンタ

 ここ大阪は17日ぶりに雨が降りました。毎日水遣りをしているとは言え、庭の木々もどことなく元気そうです。それにしても今夏は暑かったですね。それに極端です。狭い国土なのに一部の地域では強烈な豪雨、他の地域では渇水、連日の暑さにうんざりしたものです。愛犬ゴンタも、さすがの暑さには参ったご様子で、少しでもひんやりとした場所を見つけてお昼寝です。
 さて、長期休暇の締め括りは大腸内視鏡検査でした。結果は9月初旬の再診で明らかになりますが、どうやら大事にはならずに済みそうな気配です。この検査、初めて受けました。前日は素うどん、お粥、食パン、豆腐といった軽いものに制限されました。こっそり冷たいビールはいただきましたが.....(笑)。夜の9時にコップ1杯の水とプルゼニド2錠、10時にコップ2杯の水を飲んで眠ります。翌日の検査前には、プリンぺラン2錠を飲み、次いで腸内を洗浄するための薬(ニフレック)2リットルを時間をかけて飲み干さなければなりません。とにかく前準備がたいへんでした。
 でも、画面に映し出された腸内の映像を見て、なんと美しいものかと驚き感動さえいたしました。この腸が私の生命を司る重要な役割を果たしてくれている、それも63年間にわたって働き続けてくれている、感謝せずにはいられません。そんな映像を見ながら、ふと思い出したのは福岡伸一著「動的平衡」の一節でした。「胃の中は身体の外」「人間の消化管は、口、食道、胃、小腸、大腸、肛門と連なって、身体の中を通っているが、空間的には外部と繋がっている。それはチクワの穴のようなもの、つまり身体の中心を突き抜ける中空の管である」と。「人間は考える管である」とも。この言葉を実感いたしました。
 長期休暇があけると、さっそく東京出張が待っていました。午後1時から6時まで、みっちり会議をこなしました。ぐったりです。帰りの新幹線の中では、グレン・グールド奏でるバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を聴きながら、ジョナサン・コット著「グレン・グールドは語る」(ちくま学芸文庫)の第1部を再読していました。代表的なレコードの演奏前後の思いをインタビューしたもので、曲を聴きながらグールドの神髄に迫ります。
 その翌日は、大阪駅前のホテルの日本料理屋さんで異業種の方と一献傾けました。同じ狢同士でああでもないこうでもないとしかめっ面をして議論しても埒があきません。ここはあっさりと視点を変えるのが早道です。
 そうそう、お約束の時間より少し早く到着しそうだったので紀伊国屋書店に立ち寄りました。そこで手にしたのは小林秀雄講演CD第5巻「随想二題」です。これで講演CD集全8巻が揃いました。私は、そのすべてをiPodに忍ばせて歩いています。時々、電車のなかで聴いています。それもおなじものを何度も何度も。きょうの土曜日は所用のため京都に出かけましたが、往復時間のなかで「随想二題」を聴きました。
 京の街で道すがら、珍しい「炭屋さん」を見つけました。ひと口に炭といってもいろんな種類がありそうです。胴炭、丸管、割管、毬打、割毬打、点炭、輪胴.....。珍しくなって、ついついカメラに収めました。
 京都での会合は明日もあります。なので、1日早い真夜中のブログ更新と相成りました。

 

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63回目の夏

2013-08-18 09:39:12 | Weblog

 「お父さんって、なんでそんなに京都が好きなのん」。京都に向かう電車の中で、ふいに家内が語りかけました。改まって聞かれると一瞬返答に困りますが、考えてみれば田舎を出て初めて大きな都会で生活した最初の場所が京都であったこと。18歳までの人生とその後の人生の分岐点、それが京都であったこと。だから、それを境に、右と左は全くもって不連続であって、異質であって、心も価値観も大きく異なっていて、私自身を判りづらいものにしていること、などがぼんやりと浮かんできます。
 その日は私の63回目の誕生日でした。「大文字五山送り火」見物の名目での上洛でもありました。せっかく出かけるのだからと、まずは京都御所の横にある新島襄旧宅に向かいました。が、残念ながらお盆休みで休館でした。その足で蛤御門に向かいました。1864年、この門のあたりで会津・薩摩・桑名藩と長州藩との間で激戦が繰り広げられた「禁門の変(蛤御門の変)」の場所です。「八重の桜」では、大砲が登場しましたが、案内板には「門の梁にはその時の鉄砲の弾傷らしき跡が残っている」とありました。平和な時代には信じられない昔の出来事です。
 そういえば、蛤御門の近くに足腰の守護神として知られ境内の狛猪に因み「いのしし神社」とも呼ばれ親しまれている護王神社があります。その境内に、それは大きなカリンの木が立っているのを見つけました。府民の誇りの木という名札が飾ってありました。
 近くの小さな喫茶店でひと息ついてから、「次はどこに行こうか」。いつもどおり、行き当たりばったりの珍道中ですが、お店にあった地図で見つけた鈴虫寺(妙徳山華厳寺)に向かうことにしました。年中鈴虫の音色が美しい臨済宗の禅寺です。午後4時半の閉門に間に合うように移動です。が、門の前には百人近い行列でした。30分ほど待って、やっと大広間に通され、お茶と和菓子をいただきながら40分ばかり鈴虫説法を拝聴しました。この日の気温は36度、鈴虫のいる大広間の室温は25度でした。

 最寄駅の松尾駅からひと駅先にあるのが阪急嵐山駅です。夕方の中之島公園は「嵐山灯篭流し」で、これまた大勢の人でいっぱいでした。受付で水塔婆や灯篭に亡き両親、兄の戒名・施主名を書いていただき、供養のあと灯篭流しとなります。あたりが薄暗くなる7時頃、灯篭流しが始まりました。遠くの山々にぼんやりと送り火を確認できる頃、四条河原町に移動して、冷たいビールをいただきながら少し遅めの夕食を味わいました。


 ところで、移動中の電車の中で、玉岡かおる著「銀のみち一条」下巻を読み終えました。私にしては珍しく「近代化前夜の生野銀山で、三人の女が愛した一人の坑夫。恋に泣き夢破れてもなお、導かれる再生への道。感動と涙の大河ロマン」(新刊文庫紹介文)といった小説全二巻を読んだことになります。
 興味深い言葉に出会いました。「直利」(なおり)です。「鉱山では、求める銀が思うように出なくなれば、彼らは思案のすえに掘る筋を変える」「それまでどれだけ大量に産出していた筋であっても、いったん直ると決めれば後悔しない、振り返らない。その潔さがなければ、いつまでも枯れた鉱脈に縛られて、まるで方向違いな地底に向けてずぶずぶ沈んでしまう」。
 広辞苑を調べてみると、なおり【直り】という言葉があります。「病気がなおること。乗物・観覧席などで、上級の席に移ること。 鉱床の中で、特に品位の高い部分。富鉱体」。「直利」は身体ひとつで地の底から鉱石を運び出すことを生業とする坑夫たちにとっては特別な意味があったのでしょう。

 私は今年63回目の夏を迎えました。リタイアまで残すところあと1年です。大学を出て、就職して、同じ会社に40数年も勤めています。ひょっとしたら、私にとっての「鉱脈」が枯れてしまっていることに気づいていないのかもしれない。それに気づくことが怖いから、次から次へと新しいテーマ、課題を見つけては手を打とうとする。でも、事の本質まで変えているわけではない。
 薄暗い水面をゆっくりとながれていく灯篭を追いながら、「直利」という言葉の意味を思いました。そろそろ、私にとっての「鉱脈」を見つけるために、ここでいったん筋を変える時期に来ているのかもしれません。坑夫は長年の経験、勘で「直利」を見定めてきた。この世に生を受けて63年もたてば、私にだって「直利」はできる、かも。周囲に急かされるように生きてきた自分が、ここに来てやっと思い通りの時間を取り戻すことができる、できるかもしれない。そんな思いが浮んでは消えていきました。

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京都下鴨納涼古本まつりを散策

2013-08-15 22:59:26 | 古本フェア

 LPレコードの整理の目途がやっとつきました。800枚ほどをラックに収め、あとは後日ナンバリングに併せてラックを組み立て収納することにしました。これだけでもずいぶん整理できました。
 今夜は、クーラー全開の部屋のなかで、LP「グレゴリオ聖歌集第Ⅱ巻」(ミュンヘン・カペラ・アンティカ聖歌隊/コンラート・ルーラント指揮)を聴きながら番外編のブログ更新です。聖歌の意味は知らないけれど、夏の夜、クーラーのお蔭でひんやりとした部屋に流れる聖歌が、私の心を鎮めてくれます。
 ところで、12日は予定どおり京都下鴨納涼古本まつりにでかけました。京阪電車の出町柳駅を降りて、高野川を渡ってすぐのところに下鴨神社はあります。北に向かって15分も歩けば、40数年前、私が大学時代を過ごした下宿屋があります。
 当日の京都の最高気温は38.1度。京都盆地特有の暑さにうんざりしながらも、糺の森に足を一歩踏み入れると、急にひんやり感が身を包みました。鬱蒼と茂る樹木、その下を流れる小川、ツクツクボウシが夏を歌います。なにやら遠い昔の夏を思い出させてくれました。天気予報士さんは二重の高気圧が高温の原因だと物知り顔に解説していますが、樹木の持つ自然の力を侮ってはいけません。そんなことを思ってしまいました。
 40店舗が立ち並ぶ風情は圧巻です。そこに老若男女が三々五々やってきては店を冷やかしていきます。道の片側を1時間、小休止して反対側を1時間、蝉時雨の中を呑気な古本巡りを楽しみました。この日手にしたのは、今西錦司「私の進化論」、多田富雄「免疫の意味論」中沢新一「東方的」C・M・ネーベハイ「クリムト」、あとは雑誌「ユリイカ」の白洲正子特集とゴッホ特集でした。しめて3500円でした。
 糺の森を出ると、夏の陽が容赦なく照りつけます。電車で祇園四条まで戻ると、今度は知恩院に向かいました。さすがの暑さに人出は少なく、むしろ外国人観光客が目立ちます。そんな京の街を歩いて、八坂神社、円山公園を抜けて知恩院三門に到着。見上げるような男坂(石階段)を一気に上がると、平成の大修理中の御影堂を横目に、阿弥陀堂をお参りしました。
廊下を歩いて法然上人御堂へ向かうと、何組かのご家族が法事法要の最中でした。そんな畳の大広間で一人ぼんやりしていたら、お隣のご家族の御祖母さんが「じゃあ、納骨堂に行ってお祖父さんにお参りしましょう」と若夫婦とお孫さんを促していました。ああ、そうなんだ。いずれ私もそういうことになるんだろうなあと妙に納得したものでした.....。
 暑い夏は、古き良き時代を想起させます。と同時に、人の心にメリハリを与えてくれます。グレゴリオ聖歌のせいでしょうか。ものごとを冷静に見つめる自分に気づきます。長期休暇も半ばを迎えました。 

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格安バスツアーで始まった長期休暇

2013-08-11 08:48:10 | 旅行

 暑い暑い日が続きます。あまりの暑さに本屋さんでひと休みをしていて目にとまったのは玉岡かおるの小説「銀のみち一条」でした。玉岡さんといえば、3年前の9月、とあるシンポジウムで初めてお目にかかり、その前向きな生き方に共感を覚え、「天涯の船」「お家さん」と立て続けに読んだことがあります。明治・大正期を舞台にした女性の生き様を描いたものですが、「銀のみち一条」も同じです。舞台は、日本一の銀の産出を誇りお雇い外国人第1号のフランス人技師を迎え入れた生野銀山です。労働者が拠出金を出して医療費を賄う保険制度を日本で初めて導入したのも、この生野銀山だったとか。古き良き時代の播但地域の風景を思いながら、上巻の半分を読み終えて止まらなくなりました。夏の友にしましょう。
 ところで先週の木曜日、少し早く仕事が片付いたので、久しぶりに長女の家に立ち寄りました。すると、空手着を着た孫君が鍵を開けてくれました。近所のスポーツクラブの空手教室に行くのだと。滅多に見ることのできない孫君の晴れ姿を参観することにしました。冷房のきいた道場に、初級クラス10名ほどの生徒が練習に励んでいました。先生の厳しい指導に子供たちは大きな声を張り上げながらきびきびと所作を学んでいました。孫君の凛々しいお姿に、お祖父さんも終始微笑んでおりました。
 そういえば、練習を参観中、私のスマホに緊急地震速報が届きました。子供たちのお母さんのスマホにも。奈良県に大きな地震の恐れがあると。数秒後にスポーツクラブのお姉さんが走ってきて、指導する先生に急報です。少し練習を中断して様子を見ると、再び練習再開です。夜のニュースで誤報だったことを知りました。
 さて、昨日から長期休暇に入りました。といっても高齢の愛犬ゴンタを置いて遠出もできません。初日の昨日は、家内が見つけてきた日帰りバスツアーに行ってきました。京都丹波道を北上して天橋立、舟屋の里・伊根湾巡り、そして豊岡市の城崎温泉へ。帰りは近畿豊岡自動車道、舞鶴若狭自動車道、中国自動車道を通って大阪に戻る強行軍です。生野銀山とは山ひとつ隔てたところをバスでひた走ったことになります。
 時間厳守が基本でしたが、それ以外は至ってのんびりしたものです。乗車中は家内とよもやま話。ふだんこんなに話したことはありません。あとは本を読んだり、音楽を聴いたり。冷たいビールを飲んではお昼寝もしました。こういう旅行もあるもんだと思ったものです。ツアーの参加者は、旅行大好きな老夫婦、子供連れの若夫婦、お友達同士、ご家族と、様々なグループで、束の間の旅を楽しみました。
 遊覧船に乗って巡った伊根湾の舟屋群は、日本の里100選にも選ばれているそうですが、湾を囲むように約230軒の舟屋があり、1階が舟の格納庫、2階が居住空間になっていて、海との生活を垣間見るようでした。カモメたちの歓迎を受けました。
 久しぶりに訪れた城崎温泉では、外湯めぐりです。と言っても滞在時間が1時間半ですから、いくつかある外湯のひとつ「御所の湯」でゆっくり湯に浸かりました。暑い夏に暑い温泉に浸かるのも乙なものです。
 1人6500円+α(オプション)の格安バスツアーです。贅沢は言えませんが、昼食に不足感はなく、食後(食後であることがミソ)には桃とメロンの食べ放題。帰りにメロン、桃、葡萄、グレープフルーツなどが入った重たいお土産までいただいて、このツアー、いったいどこで儲けているんだろうと不思議に思ったものです。

 今夏は、10日あまりの長期休暇ですが、今日はこれから部屋の模様替えです。先日、ネットでレコードラックを購入しましたので、一千枚ほどのLPの整理を兼ねて汗だくの1日になりそうです。おそらく1日では終わらないでしょう。きっと。
 そして明日はリュックを背負って恒例の京都下鴨納涼古本まつりに出かけます。一人でじっくり品定めです。帰りに知恩院にお参りしてきます。その翌日は、孫君一家をホテルのサマーフェスティバルにご招待。その後、京都の大文字と続きます。合間には伸び放題の庭木の剪定もあります。そして最後の2日間は、なんと大腸内視鏡検査で締めくくりです。(笑) 

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今日は何の日....渥美清さんの命日

2013-08-04 08:54:50 | Weblog

 先週は、週の前半を大阪で、後半の木金土の3日間を広島で過ごしました。大阪にいても広島にいても、本当に暑い日が続きます。さすがの暑さに、愛犬ゴンタも夏バテ気味です。庭木の下の日陰にいるとは言え、暑いことに変わりはありませんので、今年はゴンタ専用の扇風機を設置してあげました。涼しいのか、扇風機を前にすやすやお昼寝、朝寝?をしています。
 先週は前立腺癌の再診日でしたが、先生から意外な言葉。「PSAの値が非常に低いので、少し様子をみましょう。次回の定期健診で数値が高そうならまた来てください」と。前回、1泊2日の前立腺生検について詳しく説明を受けていただけに、二つの癌の疑いのひとつが、あっけない幕切れとなりました。残るは大腸内視鏡検査のみ。さあてどうなることやら。病院嫌いだった私も最近は病院通いも慣れ、長い待ち時間も本を読んだりスマホをチェックしたりと結構楽しく通院しています。

 こうも暑いと庭に出るのも億劫になりますが、今年は実生苗が暑さにめげず頑張っています。昨年の夏に採種したブルースターは、苗高が30センチにまで成長して、てっぺんに花芽が見えてきました。もうひとつは「カリン」です。昨年、香しい実をいただいたのですが、砂糖漬けしたときに採種した種が育って、いま苗高20センチ。ものの本によれば実生苗が実をつけるには相当な年数が必要なのだそうで、私が生きている間は無理かもしれません。それでも、しっかり根付いて葉っぱをつけているのを見ると嬉しいものです。

 ところで、今朝はずいぶん早く目が覚めました。枕元のラジオのスイッチを入れると、NHKラジオの「今日は何の日」のコーナーが俳優の渥美清さんの命日を伝えていました。1996年8月4日没.......。私がそのニュースを知ったのは、パリで遊んでいた時でした。ルーブル美術館前のホテル・デゥ・ルーブルで朝食を済ませたあと、セーヌ川沿いを散歩していて路上の新聞ショップで朝日新聞を見つけました。2日ぐらい前のものでしたが、新聞にしては結構なお値段でした。その一面に渥美さんの訃報が大きく載っていました。遠い国から日本の出来事を思う不思議な感覚でした。その夜、知人と一緒に界隈のビルの地下にあった日本風居酒屋で民謡をBGMに焼酎を呑みながら語り合ったものです。あれから17年、その知人も亡くなりました。
 そうそう、インストールしているノートンインターネットセキュリティーの期限が近づいてきたので、昨日、大阪駅前のヨドバシカメラで買って帰りました。PC3台まで1年間の保護です。私のデスクトップとノートパソコン、そして家内のデスクトップの3台。過去に添付ファイルを不用意に開いてとんでもないことになった経験があります。気軽にネットでお買い物をする時代でもあります。PCのセキュリティーには気を使います。完璧とまでは言えなくとも安心安全の自己防衛です。 
 今日は、ラザール・ベルマンのLPを聴きながらのブログ更新でした。あと1週間もすればお盆休みです。長男君たちに帰省の予定もなく、今年は比較的静かな長期休暇を楽しむことになりそうです。

 

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