心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

年の瀬に私の「10大ニュース」2020

2020-12-24 21:33:40 | Weblog

 昨夜、中之島のフェスティバルホールで、読売日本交響楽団の「ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125(合唱付)」を聴きました。聞き納めと言いたいところですが、今年はコロナのために延期・中止のコンサートが相次ぎ、初めで最後のコンサートになりました。(写真は中之島にある大阪市役所横のイルミネーション)
 ポスターに「”歓喜の歌”に希望を込めて互いをたたえ合い、今に生きる喜びを!」と記されています。第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレを聴きながら、今年がベートーヴェン生誕250年(1770年12月16日生まれ)という記念すべき年にあたることを思いました。また、比較的若い楽団員の皆さんの熱演を拝見しながら、コロナのために演奏の機会が失われた1年だったろうことに思いを馳せました。
 ふと、あと3カ寺に迫った四国八十八ケ所遍路の旅の出発点である第1番札所・霊山寺(徳島)の近くにあったドイツ館(旧坂東ドイツ人捕虜収容所)が浮かんできました。この捕虜収容所は、かつて「第九」がアジアで初めてコンサートとして全楽章演奏された歴史的な場所でした。.....過去と現在の風景を行ったり来たりしながら、いよいよ第4楽章。来年こそは安寧の日々が訪れることを願うばかりです。

 ここで気分を変えましょう。あすは所用のため外出しますので、めずらしく木曜日のブログ更新です。年内はこれが最後になりますので、私の1年を振り返ってみることにいたしました。恒例の(いや去年が初出ですが)私の「10大ニュース」2020です。

【1】新型コロナウイルスの猛威
 昨年末、中国・武漢市で発生した新型コロナウイルスが注目され始めたのは今年1月のこと。このブログでの初出は2月1日付記事「早や2月。新型コロナウイルスにご注意ください」でした。以後、第1波、第2波と続き、今は第3波の渦中にあります。お手伝いをしているシニア向け講座も3月には休講の決断、その後講座を再開したのは10月のことでした。肉眼では見えないウイルスの挙動に一喜一憂するそんな日々が続きました。いや、続いています。
【2】立ち止まってスローライフ
 初めの頃は外出自粛に戸惑いました。イケイケどんどんにブレーキがかかり、ぽっかり空いた時間と空間。ふだんの生活スタイルが一変しました。晴耕雨読とは言えないまでも、山積みになった古本に目を通したり、LPレコードに針を落としたり、お能を楽しんだり。例年以上に花壇や植木に手をかける1年でもありました。そうこうするうちに、挿し木から育てた2mほどのオリーブの木に待望の実が5個つきました。
【3】在宅勤務
 コロナは働くカタチも一変させました。子供たちはいち早く在宅勤務になりました。最近でこそ週数日は会社に出かけているようですが、在宅勤務が定着している様子です。現役時代、仕事と家庭を明確に区別してきた私には考えられない事態です。そういう私もホームページ関連の仕事は止めるわけにいきません。私までも「在宅勤務」となりました。時にはオンライン会議までも。
【4】初めての手術と入院生活
 がん検診の結果、3月下旬に精密検査をするようにとの知らせが届きました。それを受けて大学病院に精密検査を申し込むと、先生いわく「コロナのため不要不急の検査は控えています」と????。結局、6月半ばに検査を受け、7月半ばにポリープの切除手術を行いました。私にとって生まれて初めての手術、2泊3日の入院生活を体験しました。手術中、体内の模様をモニター画面で見ながら人体の不思議を思ったものでした。(写真は入院した病院)
【5】「歩き遍路」~結願まであと3カ寺
 1月27日、記事「金剛杖の先に「花」が咲き始めました」を掲載して以降、コロナのために控えていた「歩き遍路」ですが、12月に入って8カ寺を巡りました。これで結願まで3カ寺です。思い返せば第1番札所・霊山寺を出発しておよそ千キロを歩いたことになります。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」(須賀敦子著「ユルスナールの靴」)という言葉に出会ったのがきっかけでした。
【6】コロナにめげず国内旅行
 コロナウイルスへの不安が囁かれ始めた2月初旬、孫娘の「お食い初め」のために格安JALパックで横浜に行ってきました。ついでに上野の美術館や世界らん展2020を覗いてきました。その後雲行きが怪しくなってきたので4月下旬に予定していた北欧旅行はキャンセルしました。第2波が落ち着いた8月には、次男君宅の引っ越し手伝いのため再び横浜に出かけました。第3波の直前には北海道にも出かけました。長女からは叱られました(笑)。
【7】10年ぶりに訪ねた我が家の山小屋
 9月半ばに比叡の秋を楽しんだ翌日、近江今津にまで足を延ばし函館山の麓にある我が家の山小屋を10年ぶりに覗いてきました。子供が小さい頃は春夏秋冬、折を見ては出かけて自然に親しんだものでした。子供たちが大きくなると、だんだん足が遠のきましたが、台風や積雪で樹木が倒れたりすると管理人さんから連絡が入り、伐採をお願いしたりしてきました。さすがにかつての面影はなく、敷地内は荒れ果てていました。(写真は10数年前の冬の山小屋)
【8】京都・栂尾の高山寺
 スローライフの延長になりますが、外出自粛のなか、以前から訪ねたいと思っていた京都・栂尾の高山寺に行ってきました。鳥獣戯画や明恵上人樹上座禅像で知られるお寺です。私にとっては、かの南方熊楠が「南方マンダラ」を構想するきっかけとなった土宜法龍が住持を務めたお寺としての思い入れの方が強いのです。土宜法龍宛南方熊楠書簡が今も大切に保管されています。熊楠の自由奔放な生き仕方に憧れ心の拠り所にしたのはいつの頃だったか。
【9】改めて村上春樹を読む
 村上春樹の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を再読しているとき、新刊「一人称単数」が発売され、思い出したように村上ワールドと戯れた年でもありました。続いて「村上ラヂオ」(1,2,3)を寝っ転がって読んだところで、村上春樹さん自らDJを務めるラジオ番組「村上RADIO」(TOKYO FM)が「年越しスペシャル~牛坂21~」を12月31日午後11時から全国38局ネットで放送するという情報をキャッチしました。ほぼ同世代の生き仕方に興味津々です。
【10】大学OB会の文集制作
 大学を卒業して半世紀近く経つのに4年間を共に過ごした方々との絆は未だしっかりと根づいています。2年に一度、大学に集い旧交をあたためるのが通例ですが、今年はコロナのため中止に。代わって近況報告を兼ねた文集を作成することになり、その編集作業をさせていただきました。言葉の端々にかつての面影を思い浮かべながら、相応のお歳になっていらっしゃる先輩方を含めて、意外と自粛生活を楽しんでいらっしゃる姿が印象的でした。(写真は編集会議のあと2次会で立ち寄る四条河原町の喫茶フランソア)

 以上がこの1年間の私の「10大ニュース」でした。ただ、悲しい出来事もありました。4月に義妹が亡くなりましたし、1年前にお隣に引っ越してきたばかりの若い元気なご夫婦のお家では今夏ご主人が急逝されました。なんとも悲しい出来事でした。これには序列がつけられません。番外編として触れさせていただきます。

 ブログ「心の風景」も早や16年。今回も長々と思いつくままに綴ってしまいましたが、以上をもって今年のブログ更新は終了です。例年のことながら、この拙いブログにご訪問いただきました皆さまに心から御礼申し上げます。コロナにめげず、どうぞ良いお年をお迎えください。

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天平時代の疫病パンデミックに思う

2020-12-18 14:23:25 | 四国遍路

 先日、庭師さんに庭木の剪定をしていただいたのに、綺麗になり過ぎてなんとなく落ち着かない(笑)、そんな週末の昼下がり。日本海側では大雪が降っているというのに、ここ大阪は寒いけれども窓辺には冬の陽が明るく差し込んでいます。.....。CD棚から取り出したのは「夜の海辺にて」というフィンランドの作曲家ヘイノ・カスキの作品集でした。寒い季節に館野泉さんが奏でる北欧のピアノ曲を楽しむ。これもありか。
 今年もあと2週間となりましたが、振り返ってみると新型コロナウイルスに振り回された1年でもありました。70歳の誕生日までには結願をと考えていた「歩き遍路」も、先日なんとか出かけたものの、結願は年明けに見送りです。
 スマホに登録している市役所の情報アプリには、毎日何度となくコロナ感染情報が届きます。頻繁に送られてくると、ついつい慣れてしまっていけません。これも人間の弱いところかもしれませんね。
 第三波の勢いに国は一体何をしているのかとヤキモキしていたら、先日になってやっと重い腰をあげました。それでもお偉い方々は、GOTOトラベルとコロナ感染との因果関係を示すエビデンスはないとおっしゃる。じゃあ何故一時停止のお触れを出すんでしょうか。5人以上の会食は控えてほしいと言いながら、政治家の皆さんはいつも通りの忘年会。おかしいですね。私なんぞ今年は忘年会はゼロです。淋しい年の瀬を迎えています(笑)。

 先日、庭木の剪定をしていただいたお店の若いご主人と話していたら、コロナの関係で1カ月間休業したのだそうです。その理由を聞いて驚きました。ある所で植木の剪定作業をしていたら、コロナで営業自粛が要請されているのに剪定の仕事をするとは何事かという苦情が相次いだのだそうです。びっくりしました。得たいの知れないパンデミックに疑心暗鬼になってしまう世知辛い世の中を憂います。
 そういえば、シニア向けの講座で、天平時代の疫病についてお話しを伺いました。8世紀の初頭、日本にも天然痘に苦しめられた時期がありました。時の政府は、典薬寮への答申(専門委員会の設置)、賑給(給付金)、田租等免除(減税)、私出挙の禁止(闇金取り締まり)、そして大赦、神仏への祈願などを矢継ぎ早に行ったのだそうです。
 当時、随所で「厄神祭」が行われました。疫病の拡散を防ぐため、各地から畿内に向かう関所の要に神社を創建し疫神(厄神)を祭ったのだそうです。8世紀に創建された厄神は今や全国どこでもお目にかかることができます。先日お参りした四国・宇多津の郷照寺も「厄除うたづ大師」として地元の信仰を集めていました。
 最後は神や仏頼みでしょうか??現在では考えられないことですが、疫病パンデミックから逃れるには当時これしかなかったのでしょう。でも科学が発達した今日、選択肢は広がっています。まだ予測不可能な状況から抜け出せてはいないとしても、せめてヒトに妙な疑いの目を向けるようなことだけは止めてほしいなあと思う今日この頃です。

 

【追記】畑中久憲さんからのお便り
中岡さん手作りアンプの件で、このブログで度々記事を掲載させていただいたカナダ在住の畑中久憲さんから、先日メールをいただきました。いわく、「ネットで検索しておりましたら、この方のサイトを見つけました。常連客だった方だと思います。この方の情報をお持ちでしたら是非ご一報ください」とありました。私は存じ上げませんが、どなたかご存知でしたらお知らせいただければ幸いです。  https://3141169314.fc2.net/blog-entry-5082.html

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師走のぽかぽか陽気に弾む心で「歩き遍路」

2020-12-11 14:40:03 | 四国遍路

 ドタバタの1週間が終わり、きょうは静かな一日を過ごしています。それではドビュッシーのピアノ曲を聴きながらブログを更新することにいたしましょう。テーマは先日行ってきた「歩き遍路」です。3日間とは言えいろんな場面が浮かんでは消えていきます。思いつくままに綴ります。
 今回は香川県綾歌郡宇田津町の第78番札所・郷照寺から坂出市を経て高松市の第85番札所の八栗寺に至る8カ寺を巡りました。初日は街中にある郷照寺、天皇寺、国分寺。二日目は標高280mの白峰寺と365mの根香寺、そして一宮寺。三日目は284mの屋島寺と230mの八栗寺を登ったり下りたり。覚悟はしていたものの、そのアップダウンが足腰に堪えました。
 二日目は朝6時半に宿を出発すると、日の出とともに朝日に輝く五色台が目の前に聳えます。久しぶりの「遍路ころがし」をふうふう言いながら歩いておよそ2時間。白峰寺に到着です。本堂、大師堂とお参りを済ませると、小休止のあと次のお山をめざしてまたもや下ったり登ったり。
 根香寺に向かう途中の遍路小屋に無人のお接待がありました。「ハーブ園で栽培したハーブティーです。ご自由にどうぞ」「頑張ってください」と記されています。冷えたローズマリーのハーブティーを美味しくいただきました。若竹学園の皆様、ありがとうございました。
 根香寺は、白峰寺から歩いて1時間ほどのところにあります。到着すると美しい紅葉が歓迎してくれました。今回の歩き遍路では、遍路道に沿って紅葉や真っ赤な実をつけた秋の草木が目を楽しませてくれました。
 お参りをすませて根香寺から鬼無の街に向かいますが、その道中は急な坂道が続きます。けれども、その途中に何度か車道に出ます。遠くに瀬戸内海を望みながら、ゆるやかなカーブの続く車道を気持ち良く歩きました。大きく深呼吸してポケットから取り出したのはiPodです。「千の風になって」「この街で」「ふるさとの山に向かいて」.....。新井満の歌を聴きながら歩きます。穏やかな解放感が全身に充満します。これぞ「歩き遍路」の醍醐味でしょうか。気持ち良く次の一宮寺に向かいました。
 三日目は朝7時に出発しました。琴電湯元駅前から屋島の山頂をめざします。登りは道幅も広く舗装された登山道で、地元の方々にとっては格好のウォーキングコースでもあります。でも、ジグザクに延々と続く固い舗装道は私にとってはきつい道のりでした。
 屋島寺をお参りしたあと、展望台から壇之浦を眺めました。義経の弓流し、那須与一扇の的などの源平絵巻の舞台が目の前に広がります。絵巻では海上での戦の風景が描かれていますが、潮が引いた壇之浦は馬でも進めるように見えます。なるほどと納得した次第。
 展望台からは次に向かう五剣山を見ることができます。その中腹にあるのが八栗寺です。急な坂道を下っていくと、「猪注意」「猪のしかけ」の看板がちらほら。民家が近くなると猪よけフェンスまであり、扉を開け閉めして外に出ます。いったん街中に下りたあと、さらに歩を進め五剣山(八栗寺)に登っていきます。展望台からはさきほど登った屋島山を望むことができました。よく頑張りました(笑)
 そういえば根香寺に向かう途中には「もしイノシシに出会ったら」という看板がありました。「①何もせずに放っておきましょう(餌やり厳禁)②ゆっくりと後退し、静かにその場を立ち去りまし
ょう③決して威嚇したり、追い払おうとしないでください」と。幸いにも、およそ千キロを歩いていまだかつて猪さんにお目にはかかっておりません。
 予定よりずいぶん早く高松駅まで戻ることができたので、この日は予定より2便も早く大阪駅前行きの高速バスに飛び乗って帰阪をいたしました。結願まで志度寺、長尾寺、大窪寺の3カ寺です。年明けのある時期に冬の四国路を歩いて結願をめざすことにいたします。

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涅槃の道場・香川県へ11カ月ぶりの「歩き遍路」

2020-12-01 15:48:16 | 四国遍路

 今年もあと1カ月、カレンダーをめくると12月です。そんな師走の昼下がり、窓辺には明るい日差しが差し込み部屋がぱあっと明るくなりました。庭では山茶花が満開です。私より背の高い皇帝ダリアもちらほら咲き始めました。
 今週は、水彩画教室がお休みなので、先週の金曜日から今日まで珍しくのんびり過ごしています。週末「歩き遍路」に出かけますので、きょうはいつもより早くブログを更新しました。アンドレア・ボチェッリのCD(アリア)を聴きながら。
 そんな穏やかなある日、近所に住む長女が両親の様子伺いに孫次男君のピアノレッスンの合間に立ち寄ってくれました。ここ数日、市内の小中学校でもコロナ感染者が出始めていて、母親としては心配が尽きません。それなのにシニア夫婦は、のんびりと山本能楽堂にお能を見に出かけます。長女も呆れておりました(笑)。
 お能のお題目は「神・男・女・狂・鬼」でした。江戸時代は1日をかけて5種類の演目が上演され、神・男・女・狂・鬼と演じる順番が決まっていたそうです。「翁」から始まり、修羅もの、お昼になると鬘物、午後には雑物、そして夕闇迫るころには切能物といった具合です。
 この日は、「養老」→「敦盛」→「井筒」→「玉鬘」→「土蜘蛛」の順番に、LED照明の演出による光の変化を感じながらお能のダイジェストを楽しみました。舞台の美しさ、着物の色彩の美しさ、さすがに照明デザイナー・藤本隆行さんです。なかでも最後の演目「土蜘蛛」は圧巻でした。蜘蛛の精霊が千筋の白糸を次々と投げかけます。いずれ全編を鑑賞したいと思います。(下の写真は多田富雄監修「あらすじで読む名作能50」の一節です)
 そうこうするうちに「歩き遍路」もまぢかに迫ってきました。今回は涅槃の道場・香川県です。11カ月ぶりです。足腰も感覚も鈍っています。そんなわけで、ここ数日は朝のお散歩もいつもより距離を長くしています。歩く速度を測ります。
 昨日は、以前作成しておいた行程表を再点検しました。遍路地図を頼りにおおよその距離と時間をチェック。何かアクシデントがあったときの経路変更も念入りに検証します。
 そのあとは恒例のイメージトレーニングです。実際に歩いている方が道中をずっと動画に収めてアップしているYouTubeを確認します。そのひとつが「四国八十八箇所霊場歩き遍路の旅」です。第80番札所国分寺から第81番札所白峰寺、第81番札所白峰寺から第82番札所根香寺など、気になる箇所の動画を確認します。......きつそうな山中の坂道を上り詰めたところに現れるお寺の境内。見ているだけで歩いている気分になります(笑)。
 これで準備万端です。明日明後日と講座運営でバタバタしたあと、金曜日早朝に出発します。行きは新幹線と特急を利用して「宇多津」に向かいます。そして3日後、高松から高速バスに乗って帰阪します。

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