爽やかな気候が欧州の夏を思わせる北海道を、ここ数年、家内と二人で毎年のように訪れています。今年は先週、世界自然遺産に登録されたばかりの知床半島を旅してきました。最低気温15度、オホーツクの微風が頬を撫でる、そんな清清しい空気を思う存分に楽しんできました。
夏休みの季節ですから、おそらくふだんよりもずいぶん多くの人出だったんだろうと思いますが、あまりにも広大な自然風景の中に「人」が埋没している感もありました。ときおり、キタキツネ、エゾシカ、シマリスなどが私たちを歓迎してくれたものです。しかし、地元の方々に言わせれば、動物たちを動物園のそれと間違える観光客の存在が、逆に自然破壊に繋がる可能性を秘めているとも。人と自然との調和の在り方を考えさせられた旅でもありました。
2日目には、海から知床半島を眺めようと、ウトロ港から出航している観光船に乗りました。出航すると、ウミネコ、カモメたちが船の周囲に群がってきます。鳥たちが船と同じ速さで飛んでいるので、私たちから見ると、頭上に静止しているように錯覚します。それほどに人に慣れた鳥たちの姿に感動もしたけれども、みゃあ、みゃあと鳴きながら餌を欲しがる鳥たちの仕草に、ちょっぴり悲しさも感じました。地元では、世界遺産登録に併せて、鳥の餌の販売をやめたり、人を守る砂防ダムの建設をやめ現在あるダムも徐々に無くしていこうという、自然への回帰の努力が試みられようとしていました。
知床峠から北方領土を眺めることもできます。国の境界という厳しい現実を思わせます。にもかかわらず、夏の知床は、流氷で覆われる冬と違って、人に優しい顔をしていました。自然の共生というテーマをいただいた旅でありました。
初夏のある日、庭の一画にゴーヤの苗を一株植えました。すると、蔓がどんどん広がり、8月には収穫の季節を迎えました。少し油断すると、実が黄色く熟してしまいますから、みんなが出勤前に覗いていく毎日です。もう10数本は収穫できたでしょうか。まだ小さな子供たちが増え続けています。
毎日毎日ゴーヤ料理というわけにもいきませんから、先日、家内がゴーヤ茶を作ってくれました。細かく刻んで数日間天日に干しておくと、ひとつかみほどの干からびたゴーヤ茶ができます。それを細かく粉末状にすれば出来上がりです。ものの本によれば、ビタミンやミネラルを多く含んでいて、スタミナ不足や食欲のない時に良いそうなので、夏バテ防止には最適なのかもしれません。そういえば、2カ月ほど前に仕込んだ月桂樹酒も、ことしは上々の仕上がりでした。ローズマリー酒やラベンダー酒もあって、清清しい喉越しが暑さを忘れさせてくれます。
きょうは珍しく、カントルーブ編の「オーヴェルニュの歌」(LP盤)を聴きながら原稿を書いています。古代の西ヨーロッパに分布していたケルト民族(フランスではゴール人、イタリアではガリア人と呼んでいた)の一部が住みついたフランスのオーヴェルニュ地方で長く歌い継がれてきた民族音楽です。鮫島有美子さんが歌う「日本の歌」に似て、素朴な旋律の美しさが聴く者の心を和ませてくれます。心を豊かにしてくれます。こんな音楽の心的体験も、私にとっては夏バテ防止法のひとつなんです。(^^♪
毎日毎日ゴーヤ料理というわけにもいきませんから、先日、家内がゴーヤ茶を作ってくれました。細かく刻んで数日間天日に干しておくと、ひとつかみほどの干からびたゴーヤ茶ができます。それを細かく粉末状にすれば出来上がりです。ものの本によれば、ビタミンやミネラルを多く含んでいて、スタミナ不足や食欲のない時に良いそうなので、夏バテ防止には最適なのかもしれません。そういえば、2カ月ほど前に仕込んだ月桂樹酒も、ことしは上々の仕上がりでした。ローズマリー酒やラベンダー酒もあって、清清しい喉越しが暑さを忘れさせてくれます。
きょうは珍しく、カントルーブ編の「オーヴェルニュの歌」(LP盤)を聴きながら原稿を書いています。古代の西ヨーロッパに分布していたケルト民族(フランスではゴール人、イタリアではガリア人と呼んでいた)の一部が住みついたフランスのオーヴェルニュ地方で長く歌い継がれてきた民族音楽です。鮫島有美子さんが歌う「日本の歌」に似て、素朴な旋律の美しさが聴く者の心を和ませてくれます。心を豊かにしてくれます。こんな音楽の心的体験も、私にとっては夏バテ防止法のひとつなんです。(^^♪
久しぶりに仕事から解放されて、ゆったりとしたお休みを過ごしています。部屋の片付け、本棚の整理、レコードの整理、そしてオーディオ機器周りの調整をしていると、あっという間に夕方になってしまいます。贅沢なものです。
そんなお盆休みを利用して、中古レコード店を何軒か見て回りました。大阪駅前ビル界隈の名曲堂、DISK.J.J.、カーニバルレコード。日本橋にも足を伸ばして、同じくDISK.J.J.と、店名は忘れたけれどもう一軒。手にしたのは、ヴェルディの「聖歌四篇」(ムーティー指揮)、ちょっと難しそうなシェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」(ブレーズ指揮)。ちょうど今、塩野七生さんの「ローマから日本が見える」を読んでいるので、BGM風に楽しむ中世イタリアの音楽シリーズ数枚...。これで終わればよかったのですが、先週触れたダラーブランドのことが気になってジャズコーナーでも物色。結局、「アフリカン・スケッチブック」「ジンバブエ」「アフリカンマーケットプレイス」「ソエト」「アットモントゥール'80」...。どうも脈絡がありませんが、これが私と音楽の関係なんです。
最近はデジタル機器が充実して、CDで十分に音楽を楽しむことができるのに、何故いまさらレコードなのか。古本屋の、あの黴臭い古色蒼然とした遺物に関心をもつなんて。そんな声が聞こえてきそうです。でも、そうでもないんです。人々から見捨てられたレコードに光を当てる。そおっとレコード針を落とす。すると、役目を終えたはずのビニール樹脂盤から、管弦楽の輝かしい音色が部屋中に響き渡る。かつての名歌手の歌声が、そして中世のイタリア音楽や砂埃のする南アフリカのジャズピアノが、目の前に生き生きと蘇る。古き良き時代を思う懐古趣味と言われそうですが、そんな意外性が私は大好きです。
そう、この夏、55歳になりました。戦後のゴタゴタが少し落ち着いた頃、この世に生を受けた年代。レコードがSP盤からLP盤に代わった時代、ぺらぺらのソノシートが雑誌の付録についていた時代。若者たちが旧態依然とした大学に溢れ、不満が爆発し、赤い帽子がキャンパスに溢れた時代。社会経済体制の浮き沈みのなかで右往左往しながら頑張り抜いた世代。10年先に定年という出口がぼんやりと見えながらも、心の中に熱い思いを秘めて最前線で最後の力を振り絞っている世代....。レコード盤のように常に輝かしい音色を出せる、そんな生き方ができればと思っています。
そんなお盆休みを利用して、中古レコード店を何軒か見て回りました。大阪駅前ビル界隈の名曲堂、DISK.J.J.、カーニバルレコード。日本橋にも足を伸ばして、同じくDISK.J.J.と、店名は忘れたけれどもう一軒。手にしたのは、ヴェルディの「聖歌四篇」(ムーティー指揮)、ちょっと難しそうなシェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」(ブレーズ指揮)。ちょうど今、塩野七生さんの「ローマから日本が見える」を読んでいるので、BGM風に楽しむ中世イタリアの音楽シリーズ数枚...。これで終わればよかったのですが、先週触れたダラーブランドのことが気になってジャズコーナーでも物色。結局、「アフリカン・スケッチブック」「ジンバブエ」「アフリカンマーケットプレイス」「ソエト」「アットモントゥール'80」...。どうも脈絡がありませんが、これが私と音楽の関係なんです。
最近はデジタル機器が充実して、CDで十分に音楽を楽しむことができるのに、何故いまさらレコードなのか。古本屋の、あの黴臭い古色蒼然とした遺物に関心をもつなんて。そんな声が聞こえてきそうです。でも、そうでもないんです。人々から見捨てられたレコードに光を当てる。そおっとレコード針を落とす。すると、役目を終えたはずのビニール樹脂盤から、管弦楽の輝かしい音色が部屋中に響き渡る。かつての名歌手の歌声が、そして中世のイタリア音楽や砂埃のする南アフリカのジャズピアノが、目の前に生き生きと蘇る。古き良き時代を思う懐古趣味と言われそうですが、そんな意外性が私は大好きです。
そう、この夏、55歳になりました。戦後のゴタゴタが少し落ち着いた頃、この世に生を受けた年代。レコードがSP盤からLP盤に代わった時代、ぺらぺらのソノシートが雑誌の付録についていた時代。若者たちが旧態依然とした大学に溢れ、不満が爆発し、赤い帽子がキャンパスに溢れた時代。社会経済体制の浮き沈みのなかで右往左往しながら頑張り抜いた世代。10年先に定年という出口がぼんやりと見えながらも、心の中に熱い思いを秘めて最前線で最後の力を振り絞っている世代....。レコード盤のように常に輝かしい音色を出せる、そんな生き方ができればと思っています。
連日暑い日が続きます。気温が35度を超えると、思考力も低下して、それはもうたいへん。冷房の効いた部屋で涼しく読書をするのも一考。涼を求めてシベリウスの曲を聴くのも良し。でも、部屋の内と外の環境変化に、あとでどっと疲労感が出てくるのが苦手です。結局、扇風機と内輪を愛用しているのでした。
そんな夏の休日の昼下がりに、レコードの整理をしていたら、懐かしい盤に再会しました。ジャズピアニストのダラー・ブランドが奏でるトリオ演奏「南アフリカのある村の分析」と「アフリカン・ピアノ」です。思考が硬直化したと感じたとき、脳神経細胞の配線が混線したと思えるとき、そんなときによく聴いたレコードでした。
10数年ぶりでしょうか。久しぶりにターンテーブルにおいて針を落としました。う~ん、なかなかのものです。クラシック音楽も大好きだけれど、暑い時に熱い美味しいスープを飲むのに似て、心と身体に抵抗力がつく感じがします。訪れたことのない南アフリカの灼熱の太陽の下で、ぎらぎらと輝く太陽光がじりじりと身を焦がす風景が浮かんできます。でも曲が進むにつれて、だんだん「無」の境地に移行していくような不思議な感覚に襲われます。難しいことは何も考えず、素直に音の渦中に立つ。すると、心の中に爽やかな微風が通り抜けていきます。砂漠のオアシスのようでもあります。
....ふっと気がつくと、演奏も終わり、レコード盤が機械的に回っていました。いつの間にか眠りの世界をさ迷っていたようです。現実と幻想が入り混じった夏の休日のひとときでした。
そんな夏の休日の昼下がりに、レコードの整理をしていたら、懐かしい盤に再会しました。ジャズピアニストのダラー・ブランドが奏でるトリオ演奏「南アフリカのある村の分析」と「アフリカン・ピアノ」です。思考が硬直化したと感じたとき、脳神経細胞の配線が混線したと思えるとき、そんなときによく聴いたレコードでした。
10数年ぶりでしょうか。久しぶりにターンテーブルにおいて針を落としました。う~ん、なかなかのものです。クラシック音楽も大好きだけれど、暑い時に熱い美味しいスープを飲むのに似て、心と身体に抵抗力がつく感じがします。訪れたことのない南アフリカの灼熱の太陽の下で、ぎらぎらと輝く太陽光がじりじりと身を焦がす風景が浮かんできます。でも曲が進むにつれて、だんだん「無」の境地に移行していくような不思議な感覚に襲われます。難しいことは何も考えず、素直に音の渦中に立つ。すると、心の中に爽やかな微風が通り抜けていきます。砂漠のオアシスのようでもあります。
....ふっと気がつくと、演奏も終わり、レコード盤が機械的に回っていました。いつの間にか眠りの世界をさ迷っていたようです。現実と幻想が入り混じった夏の休日のひとときでした。