こんな私的なことで始まった2月下旬の1週間、なんとか大きな山の頂上まで登りつめて、「さあ、あとは焼くなりなんなりしてくれ!」というところに辿りつきました。年明けから2カ月、例年になく厳しい日々を過ごしました。良い経験にはなりましたが、還暦を過ぎましたからこんな緊張感はこれで最後かもしれません。
そんなある日、夜遅く自宅に帰ると玄関先に見慣れない動物の気配。以前にも出会ったことのある狸さんでした。暗闇の道端でじっと私を見つめる姿がなんとも滑稽に見えましたが、人懐っこさが可愛くて手を差し伸べると、どこかに静かに消えて行きました。狸さんも長い冬を耐えて、なんとか春を迎えようとしているようです。
さて、きのうの土曜日は、珍しく職場に足を運ぶでもなく、ゆったりとした時間を過ごしました。朝、愛犬ゴンタとお散歩をしたあと、庭に咲くクリスマスローズやサクラソウの花を愛でながら、なんとなく嬉しい気分になりました。そして昼前には家を出て、中之島の朝日新聞社にあるカルチャーセンターに向かいました。ドタキャン覚悟で申し込んでいた講座は、文藝評論家・湯川豊先生の『須賀敦子を読む』でした。
須賀さんとの出会いは、季刊誌「考える人」2009年冬号の特集「書かれなかった須賀敦子の本」でした。そこで湯川先生の小論に触れ、その後、河出文庫「須賀敦子全集(全8巻)」を集中的に読みましたが、以後忙しさにかまけてご無沙汰をしていたので、少し体系的に整理しておこうと思っての受講でした。教室をのぞくと、なんと200名ほどの規模の教室が超満員でした。予想はしていたのですが、男性は数えるばかり、ほぼ全員が女性ファンの方々でした。それでも物怖じすることなく前の方の席に座り、昨年「須賀敦子を読む」で読売文学賞を受賞された湯川先生の90分の授業を楽しく拝聴いたしました。
回想エッセー(私小説)でありながら自分の考えを前面に出すことなく、登場人物を生き生きと描くなかで25年前のイタリアでの出来事を浮き彫りにする形で、自らの生きざまを表現されている。先生は、そのようにお話になりました。「生きる」ことに真正面から向き合ってきた須賀さんの姿勢を改めて思いました。湯川先生は「文學界」編集長をお務めになったご経歴で、もちろん須賀さんがご存命のときは編集者として身近におられた方のお一人でした。しかし、須賀さんのふだんの言動については決してお話にはならなかった。須賀さんの世界は「作品を通じて理解してほしい」、これが湯川先生のご主張でした。なんとなく判るような気がしました。
その須賀敦子さんは、13年前の1998年の3月20日、お亡くなりになりました。その須賀さんが初めて刊行された「ミラノ 霧の風景」は須賀さんが61歳の時と、極めて異例の文壇デビューです。以後、生前に「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」「ユルスナールの靴」「トリエステの坂道」の5冊を刊行されました。昨夜は、これらの作品をぱらぱらとめくりながら週末の夜を楽しみました。
さて、きょうは春の陽気に誘われてもうひとつ話題を添えます。先週の日曜日、ブログの更新を終えたあと、市民合唱団の定期コンサートに出かけました。歌が大好きの老若男女の混成合唱団でしたが、なかなか楽しい演奏会でした。おもしろいなあと思ったのは組曲「おおさか風土記」でした。
大阪で生まれて♪
大阪で育って♪
好きなんは 大阪ことば♪
なんでて♪
それは わたしのことば♪
で始まるこの組曲は、「ほんまにほんま」「かわり橋」「なにわの祭り」の3部構成ですが、大阪ならではの合唱組曲でした。
第二部では、80歳を超えるであろう方も混じった弦楽アンサンブルの演奏や地元中学校吹奏楽団の演奏もあり、地域をあげての定期演奏会でした。700名収容の大ホールが超満員という、これまた驚きの盛況ぶりでした。久しぶりに大阪の「元気」を実感しました。
ここ大阪も、長い冬を越えて、遠くに「春」を思う季節を迎えました。さあて、2月最後の日曜日は、愛犬ゴンタと一緒に花壇の土づくりに精を出すことにいたしましょう。